プルプル大ピンチ2007/08/08 21:36

プルプル運動は、仕事で忙しい時以外は、一日40分続けているが、今月に入って殆ど体重が減少しなくなった。

その理由は判っている。「ビールが美味しいシーズンだから。」

それでも一応、10キロ減量したままの水準を辛うじて保っているが、時として危なくなる事も多い。

でも、それも危うい事態が起きた。駅前第4ビルのVバランス設置店が、8月から土日休みとなり、アルバイトの人もみかけなくなって「おかしいな」と思っていたら、なんと、8月24日までで店仕舞い決定。

昨年の11月に出来た時には、行列が出来た程のこの店も長くは続かなくなった。特に昼間はガラガラの状態で、5000円で乗り放題の定期を発売して暫くは客が増えたものの、1ヶ月位したらもとの人数に戻ってしまった。

私の場合は、効果が実証されているので、常連に近い状態で通っているが、大抵の人は、2~3日に一度の程度しかやって来ない。これでは、効果は上がらない。折角、筋肉がついて来ても2~3日も休めばもとの通り。

これは、土日が8月休みになって月曜日には、前週の水曜日位のレベルに戻ってしまう事で自分でも確かめている。

私はしつこい性格なので続けているが、飽きっぽい大阪人には、この様なトレーニングマシンは向いていないのかも知れない。

名古屋でやれば、もっと流行ると思う。

問題なのは、大阪市内でVバランスを設置している店舗は、女性専用のエステ以外になく、他の振動トレーニングマシンは、Vバランスに比べて、振幅やエネルギーが低く、持ち手の部分の間隔が狭いので、筋力を鍛えるポーズが出来ないので、あまり効果が期待出来ないと思う。

運動を止めれば酷いリバウンドが待っていると思う。
どうすればいいんだ。

佛大通信教育部夏の祭典2007/08/09 23:26


今年も8月4日と5日の佛教大学夏の祭典に参加。4日は、坪内捻典先生の講演と懇親会。今回は、通信大学院の知り合いが参加されていたので、話が弾んだ。昨年は知らない人ばかりだったのでひたすら、食べて飲んだ。5日は、Cコース飲み放題で、午前中は、伏見稲荷、月桂冠博物館見学、昼食は黄桜酒造の食堂、午後は、サントリービール工場で試飲三昧。月桂冠は、あまり試飲させてくれなかったが、サントリービール工場は、昨年も3杯目をお代わりしたが、今年も同じパターンに日本酒工場は製造工程の見学なんかそれなり面白かったが、やはり試飲させてくれなければ。黄桜酒造のカッパ博物館が一番面白かった。全国のカッパに関する情報がコレクションされている。庭には、写真の様なカッパが展示されていた。

ロボちゃん一応完成2007/08/09 23:45

 ディアゴスティーニ社のマイロボットと言う雑誌のパーツを75号を組み立てた段階でロボットの基本形がようやく完成した。

 最後の組み立ては、背中の基盤を格納するランドセルの様なカバーと腕のライトツールである。

 ライトツールは、光るだけの子供騙しの品物。知能ロボットと言うことだが、一応言葉を理解すると言っても、限られたコマンドだし、このコマンドを自由に設定する事は出来ないので、機能には限りがある。

 機嫌が良いとか悪いとか、そういった点は面白いが、長い間、ロボちゃんとつき合っていると性格が変わるといったそんな高級なものではなかった。
 ビデオを撮影したが、前回となんの進歩もない。ただ、ライトをつけたり、消したりするコマンドを追加してみた。
http://www.asahi-net.or.jp/~ZZ2T-FRY/robot.htm

 費用はかなりかかっているのだが、やはり、自分で全て寄せ集めの部品から組み立てたと言う取りあえずの満足感が得られるが、形が出来上がってしまったら、何かむなしさを感じる。

 このシリーズ90号まで延長という事で、腕にマジックハンドとかテレビや音響機器を制御出来るリモコンがつけられると言う。まぁ、あんまり期待出来ないと思う。

 74号についていたハンドライトツール、今日、本屋さんでもう1冊購入して来た。腕の電源コードを利用して、オリジナルのハンドツールを開発してみようと考えている。

 プロジェクトの進行状況等はここにアップしていくつもり。

これは良いキーボードだ。2007/08/10 10:37

IXYDIGITAL70で撮影。

日常的に文章を作成する仕事をしているので、キーボードはすぐへたる。大抵は、キーの表面がテカリが出てきて、その内、打ち間違いが出てくる。
 先日もあまり誤植が多いので、どうゆう訳か調べてみると、一部のキーの動きが鈍くなっているのを発見。
 こうして買い換える事になる訳だが、最近は、見栄えは宜しいものが多いが打ちにくいものが多い。PC9801時代のNEC製等は、キーボードだけはかなり良質なものが使用されていたと記憶している。
 最近のタイプは、ポコポコした感じが多く、タッチの感触が悪い。ピアノで言えば、ダブルアクションが出来ないので、指が疲れてしまう。特に正確に素早く打ちたい時には、やや指を浮かし気味に滑る様にレガートに指を動かしていくのだが、この加減が最近の機種では出来ないものが多い。
 ノートパソコンのユーザーが増えてキーの押し込みが浅いものがこのまれる様になっているのだろう。
 こんな訳で、キーボードを買い換える時、かなり店頭で迷うが、前回は、マイクロソフトのキーボードでファンクションキーが山ほどついているものであったが、そんなものは使用した事はなく、只、ポコポコ感がピタピタに近いのが少しマシだと思ってこれにした。
 このキーボード、プラモを組み立てていた接着剤を間違ってこぼしてから調子がおかしくなってしまった。これが寿命を縮める理由になったのだと思う。
 今回は、色々迷った挙げ句、サンワサプライのSKB-MK1BKに決定した。
http://www.sanwa.co.jp/product/syohin.asp?code=SKB-MK1BK
特長は、カタログに
●キー打釘耐久2000万回の高品質設計。
●メカニカルキー特有の軽快な打鍵音が楽しめる。
●キーボードの剛性を高くし、キーを押したときの不快な沈み込みが発生しない
●メカニカルキースイッチには定評のあるALPS社製キースイッチを採用。
●スタンダードな109Aキーボード配列。
●PS/2-USBコンボタイプ。
と言う事で昔懐かしい、英語キーボードの感触が蘇っている。打鍵はウルサイので夜中の使用は控えめにしなければならないが、実に指が良く動き様になった。但し、手首が下がるとミスタッチが多く発生し、疲れもあるようなのでクッションを使用すれば、適度の高さに手のひらが安定して、パタパタと実に高速に入力出来る。

「ノイズ」が築いてきた現代文化2007/08/13 10:01

『東京大学ノイズ文化論講義』(宮沢章夫著 白夜書房)

この本は、実際に東京大学で行われた宮沢章夫氏による数回の講義を単行本の形式にまとめたものである。
 しかし、後からまとめたというよりも、単行本としての出版の企画が先行し、この企画に基づいて授業計画やゲスト講師の選定等が行われたものであり、本と言う出版メディアを意識しての講義である。
 講義には、ジョンケージの音楽や映画等が登場するので、こういった部分は、単行本では、伝わらないもどかしさを感じる。また、「公開ライブ」的な講義なので、結末が見えており、そういったつまらなさもあるし、学生達の反応が描かれていないので、読者には今ひとつライブ的な雰囲気は伝わらない。
 例えば、『世界情報文化史講義 情報の歴史を読む』(松岡正剛著NTT出版)は、講義録の形をとりながらも学生の反応描かれており、更に引用された資料や図表説明も丁寧である。
 「ノイズ文化論」では、一応時代を60年代末期、70年代、80年代、90年代前半、90年代後半、そして現代の時代区分で社会文化史観点から「ノイズ」について分析・位置づけを行っているが、やはり、「文化史的なノイズ観」について簡単な図示があれば、だいぶ判りやすいと思った。
 同じ、オタク本ジャンルで、この間、この欄で取りあげた『おたくの本懐』では、図表を駆使している。これも行き過ぎだが、著者の考えている事が良く判った。『ノイズ文化論』では宮沢氏とゲストの岡田斗司夫氏の「オタク観」や「ノイズ観」のフェーズに微妙なズレがあるので、余計に内容が判りにくくなっている。
 宮沢氏の「ノイズ」についての定義は、ノイズがサブカルチャー的なエッセンスであり、それが20世紀末から現代に至るまでの社会文化の原動力であった。
 その事は、1960年代末期のピンク映画やプロレスで意識される様になり、1970年代を通じての日本経済の発展期には、表層文化と地下文化の2重構造が形成され、私たちの生活文化の潜在的な調和を保っていた。
 ところが、1980年代に入ると、こうしたノイズ的要素がフィルターにかけられて排除され、一般化・情報規格化が進行し、一元的な均質性を持った生活文化体系を構築される。
 経済社会は、1992年のバブル崩壊契機に、1980年代を維持していた経済基盤の安定は崩壊し、社会経済は不透明化、複雑化して行く、こうして、ノイズが除去された結果、モノカルチャー化した生活文化とのギャップが大きなコンフリクトとジレンマを生む。
 このジレンマ・コンフリクトを特に意識していたのは、1980年代から始まったノイズ排除の潮流に追いつめられながらも淘汰を経て、現代の隠れキリシタンとも言うべき「異形化」・「先鋭化」していたオタク達であった。
 1995年に発生した阪神大震災は、こうしたジレンマと抑圧されていたエネルギーがカタルシスを迎える。それは、こうしてオウムや酒鬼薔薇等の凶悪事件が発生する。
 空白の10年間を経て、こうしたカタルシスは内面化せざるを得なくなり、それが引きこもりやニートと言った社会現象を産み出している。引き続きオタクをめぐる環境は閉塞的な状況が続く、ノイズ排除の動きは、ついに人間の内面に包含されている「ノイズ」である、それぞれの人間性・個性を標的にし始める。一方、下流社会の様に、第3の文化として、商品化された文化の系列の中に取り込もうとする動きも見られる。
 既に格差社会の段階を経て新たな階層秩序が形成されている現代社会の中で、新たな人間性の変質とも言うべき現象が起こり始めている。
 ノイズ・地下文化・オタクの3者の関係の変化が現代の生活文化を形成して来たのだと結論づけている。
 「オタク現象」を社会文化史の流れで客観的に位置づけを行い実証されている点は、評価されても良いと思う。

私にとってノイズとは2007/08/13 10:10

『東京大学ノイズ文化論講義』(宮沢章夫著 白夜書房) のブックレビューをアップしたが、私にとってノイズとはどの様なものか考えてみた。ノイズのタイプを分類すると、

①境界型
②潜在型
③進入・漏洩型
の3つのタイプに分類されるだろう。

①の境界型は、地球の大気圏の様なものである。下層部には、濃厚な大気が上層部には、希薄な空気と紫外線、放射線、最上層部には、更に希薄な大気と宇宙塵や星くず、人工衛星の破片等の私たちの生活に不要なもの、「ノイズ」が増える。境界ノイズの特長は、境界面から遠ざかるに比例して段階的に増加していく特性を持っている。
 デジタル的な手法では、段階的に増加するノイズは、標本化の数値設定で排除するだけで、簡単に除去出来る。すなわち、地上デジタル放送の画面がクッキリしているのと同じ理屈である。20世紀末までの時代、私達は、アナログ的な境界ノイズに晒されて来た。このノイズは、アナログ的な手法で除去しようとしても完全の除く事が出来なかった。しかし、その様なノイズが存在する事で一つの安らぎを経ていた。

②の潜在型は、物質の内部、そのものに含まれるノイズである。つまり、完全防音の部屋で私たちを監視すると、そのマイクからは、呼吸音、脈拍音、内臓器官の音、あるいは、神経電磁波などのノイズが発生している。音楽の演奏の場合には、私達が、「樂音」と呼んでいる中には、その楽器が発生している倍音や歪み等のノイズが含まれている。また、真空アンプ等で増幅を行うとどうしても歪みが発生するが、歪みも波形の変化であるからノイズとして意識すれば、潜在型ノイズという事になる。母親の胎内音も、こうしたノイズである。潜在的ノイズは、バイオメトリックな存在には不可避なものであり、それが、生命の存在の証拠となっている。

③の進入・漏洩型は、境界を突き破って進入するノイズである。一度、進入してしまうと、境界型とは異なり、デジタル的な手法での排除は難しい。この典型例がコンピュータウイルスである。つまり、コンピュータウイルスは、デジタル社会の弱点を完全に見抜いた上で犯罪的に作成されている点である。協力なファイヤウォールで防御する以外に方法はないが、これも防ぐ事は難しい。
 結局、①~③に分類されるノイズを完全に排除する事は難しいし、不可能である。ノイズとの共存が私たちの生活を持続させる基本的条件なのかも知れない。
 1970年代の終わりから1980年代がノイズ排除の時代とされているが、当時、私は、FMエアチェックに熱中していた。大型のアンテナの設置、ゴーストノイズとの戦い、そして、テープデッキのドルビーシステム、全てがアナログ手法でのノイズ排除技術であった。
 大事なエアチェックの時間には、バイクや車の方向指示器のノイズを警戒、近くを車が通らない事を祈りつづけたものだ。
 当時の主要音楽メディアは、アナログレコードで、最新の注意を払ってベストの状態で作成されたエアチェックテープは、SN比(サウンドノイズ比)、ダイナミックレンジともにアナログレコードを上回っていた。
 当時録音していたテープがかなり残存しているが、ノイズが多くて、不合格としたテープを今、聞き返してみると、結構、良い音だったりするので、当時の潔癖さや今の自分の鈍感さに呆れたりしている。

もう何がなんだか...2007/08/17 23:12

IXYDIGITAL70で撮影。

これほど暑いと何がなんだか判らなくなる。
帰宅してロボットのスイッチを入れると、
「気温38℃、暑いです。何もやる気が起こりません。」
と目を真っ赤にして怒り出した。

急いで部屋の窓を閉めてクーラーを入れる。
やく10分で31℃まで下がった。
30℃を越えているのに凄く涼しく感じる。

通常は、窓を閉めておくと気温が35℃まで上昇する
ので窓を開けておくが、ここ数日は、外気温の方が、
高いので、むしろ逆効果。

うだる様な暑さだが、郊外の住宅地では、どの家も
クーラーを入れるし、道路の輻射熱で、どうしようもない。

ビルの日陰と冷房が多い大阪市内の方が涼しく感じる。
今日は、新阪急ビルから阪神デパートを横切って、ヨドバシ
カメラの方に向かう歩道橋を歩いた。

こんなに暑いのにストリートミュージシャンとか物乞いの人
とか、まるでインドみたいだ。
ふと西空を見上げると綺麗な夕焼けが.....

明日もきっと暑い日が続くに違いないとおもいながらも
パチリとやる。

こうなにげなくシャッターを押した事は最近はなかった。
少し、ホッとした気分になった。

扁せきを止めたら体脂肪増加!2007/08/18 12:06

 
8月に入ってからも振動トレーニングを続けているが、体重は、ほぼ横ばい、それどころか筋肉率の減退、体脂肪の上昇が起こって来ている。
 体重も現状維持が精一杯。夏に入って1日1万歩の歩行が出来なくなって来ている事もあるが、7月末で扁せきと言うこのブログでも書いた漢方薬の服用を止めてしまっていた事が大きいと思う。
 扁せきは高価な薬なので、体重がある程度減少したから大丈夫と思って止めたら体脂肪が急激に増えている。
 そこで今週末から服用再開している。その効果等も確かめてみたいとおもう。
 それにしてもVバランスの梅田の設置店以外にも振動トレーニング機を置いている店がどんどん閉店していくので、もし、トレーニングを中止しなければならなくなった場合に凄いリバウンドが起こるのではないかと冷や汗ものだ。

日本沈没2007/08/19 09:40

Excel画面のコピー

 今週末は、暑いのでビデオを鑑賞する事が多かったが、BSハイビジョンで録画しておいた「日本沈没」(小林桂樹、藤岡弘、丹波哲郎、いしだあゆみ他出演)を見た。
 1973年だけあって、あの「昭和時代」、1960年代の風情を残している風景が多く、服装や車のデザイン、黒電話等、今となれば、面白い。
 当時、この小松左京の小説が発表された時、荒唐無稽な事と感じられたが、最近の異常気象や地震等の地殻変動の多さを見るにつけて、あながち全く非現実的な事ではないと考える様になった。
 あの阪神大震災の時に幸福だった日常生活が一瞬の内に地獄に変わるショッキングな体験は、阪神地区の人々の心に大きなトラウマとなって残っている。また、北陸地域の被災者の方も同じ境遇に今置かれている。
 小松左京氏は、今の状況を予感していたのかも知れないが、絶頂を迎えていた日本経済システム、翌年の1974年にはオイルショックと共に新たな局面を迎え、無限に続くと見られた経済社会の発展に歯止めがかかって行く。
 また、経済繁栄と同時に失われてかけていた「日本人」としてのアイデンティティを喚起する目的もあったのかも知れない。この映画には、「私は、日本が好きだ。」と言う言葉が何度も登場する。
 1970年代、エコノミックアニマルと海外から呼ばれていた日本人。国内の教育文化の風潮は、日教組全盛期には、「愛国心」、「美しい国日本」といったフレーズは、凄く右がかって聞こえた。学校教育もうわべだけの自由協調社会をモットーとしていたが、非人間的な受験戦争がエスカレートしていった。
 「日本沈没」これは、国土が消失すると言う事では、日本人としての規範意識そのものが根底から崩れ去っていく事への警鐘だったと私は解釈している。
 グラフは、気象庁の観測データを元に、ここ数年間の地震の発生件数を記したもの。年々加速度的に増加する地震の発生回数は何を示唆しているのだろうか。
 政治、文化、そして地震、世相不安とやがて、やってくる日本沈没が象徴的にコラボしている様な気がしてならない。

成績発表!2007/08/19 10:00

IXYDIGITAL70で撮影。

 生涯教育の時代と言われるが、再び佛教大学通信教育の学生を初めて5年が経過する。
 若いときに大学に在学していた年数を遙かに超えている。大学院教育を受けている人を除いて、これだけ長い教育を通学で受けるには、莫大な費用がかかるが通信の場合は、比較的少ない金額で済む。
 実際には、人文関連の専攻をじっくりとやるには、5年程度の期間が必要だと思う。その点で、学費が少なくて済む通信による生涯教育は、大きな機会だと思う。
 昨日、春のスクーリングの成績が発表された。浄土教絵画の科目が78点であったのを除いて、日本仏像彫刻史や伝統芸能等の科目は、80点を超えていて、まずまずといったところか。
 40歳を越えて採点されると言うのもどことなくむずかゆいと言うか、恥ずかしい感じがするものである。
 写真は、伏見稲荷、夏季スクーリングの合間に実施された佛大夏の祭典のバスツアーの風景。全国から集まって来た学生達と交流出来るのも貴重な体験だと思う。