密教の真髄が1000文字で読める『マンダラ事典 100のキーワードで読み解く』(森雅秀著、2008、春秋社)2008/05/03 09:41

 金沢大学の教授であられる森雅秀先生には、佛教大学通信のスクーリングで2年前にお世話になった。
 スクーリングで最初の授業がアジア仏教美術史で森先生のご担当でいきなり、インドの初期密教史からチベット密教までを中心に展開されたので、仏像への知識が、小学生並みであった私は、大きなカルチャーショックを受けた。
 森先生は、WEBを開いておられて、大変なMAC使いでいらっしゃるので、画像データの処理等洗練されており、恐らく、仏教史、仏教学関係のWEBとしては、最も洗練された内容であると思う。
 また、丁寧にメンテナンスされており、授業のレジュメ等もアップしてあり、直接先生の教えを受けなくてもレジュメを参考に参考文献を読んでいけば、自学自習が出来る仕組みとなっている。
http://web.kanazawa-u.ac.jp/~hikaku/mori/mori_top.html
 このWEBで新刊書『マンダラ事典 100のキーワードで読み解く』(森雅秀著、2008、春秋社)の存在を知った。
 早速、先生にメールで問い合わせると、「今回の本は日本のマンダラもかなり取り上げています。事典なので、あまり深い内容ではありませんが、網羅的であることを目指しました。」
 とあったが、実際には、深い深い内容である。それよりも凄いのは、見開き2頁分、たった1000字の文字数で、1つの項目が完結しなければならないのであるが、日本の曼荼羅で両部曼荼羅、胎蔵曼荼羅等の項目をこれだけの文字数でまとめるという事は、本当にエッセンスだけになるので、余分な贅肉を限界まで剃り落として、これだけは、捨てられないという部分まで絞り込んだ上でまとめられている。
 つまり、そういった作業を行うことは、よっぽど、深く研究し、理解していなければ、出来ないことである。
 私が最も苦手なのが、「800字でまとめよ」等とか文字数を切られて、その範囲内で非常に大きな項目を書くということで、何時もテキスト履修の最終試験等は、裏表書いて、それでも文字数が足らないのでどうしようもないという事になる。
 余談はさておいて、この本の凄いのは、その網羅性である。
 『時輪タントラ(曼荼羅)』に至るまでのインド密教の歴史は、同時に曼荼羅の歴史であると言っても過言ではない。この中で面白いのは、『秘密集会曼荼羅』、『理趣経の曼荼羅』が非常に面白い。
 チベットの曼荼羅としては、『アルチ寺の曼荼羅』、リンチェンサンポが建立したスピティのタボ寺、まだまだ、西チベットからは、新しい曼荼羅が発見される可能性がある。中央チベットの初期の曼荼羅としては、シェル寺の五部具会曼荼羅等(口絵)があり、実に神秘的である。
 チベットの密教は、インド密教の流れを引き継いで15世紀に至っても発展を続けている。ツァン地方のゴル寺の『ヴァジュラーバリーの曼荼羅集』は、12世紀の本当にインドの仏教が滅亡しかけの時にかかれた『ヴァジュラーバリーの祈祷書』をテキストに作成された曼荼羅であり、チベット密教の流れを曼荼羅の実作品で知る事が出来る。
 この他、数え切れない程の曼荼羅作品が紹介される。中には、『死者の書曼荼羅』等カラーで紹介して欲しいものもあるが、非常に求めやすい1900円という価格で販売されていることを考えると、仕方がないだろう。
 インドで発生した密教が善無畏、金剛智によって中国にもたらされ、不空、恵果によって金剛頂経、大日系の両系統が、8世紀に両部不二として統合され、その完成した頂点の姿を奇しくも空海が伝えた事は、日本の仏教・密教に大きな発展をもたらしたが、その後の日本の密教の発展は、大きな変化もなく今日まで受け継がれたのに対して、インド仏教・密教が12世紀には衰退し、チベットで新たな展開を見せて、独特の洗練を見せていく仏教文化史の流れを本書を最初から読んでいくことによって理解出来る。
 実に有意義な本だと思う。

源氏物語絵巻と「愛敬」という言葉2008/05/03 11:26

 国宝源氏物語絵巻の竹河巻(上段)を見ていて唖然とした。
 構図が、橋姫巻と瓜二つである。
 蔵人の少将が姫君達を右手から垣間見る内部は、並行画法が描かれており、その左手に姫君達が位置する点までも同じである。
 きっと、同じ絵師が書いたに違いない。
 詞書の書き手についても小松茂美氏による十巻本想定復元表によれば、竹河と橋姫の書風は、同じⅣ類に属しており、同じ絵師と詞書(筆者)のグループによる制作であると推定される。
 どちらが先の執筆であるかと言う事になるが、橋姫の詞書は、竹河に比べて垣間見の視点移動がより明確に示されており、景色の描写も具体的であるので、こちらの方が着手しやすかった見えるので、こちらが先である可能性もある。
 また、構図も竹河巻の方が一層複雑でありながら、詳細・鮮明な描画手法が巧妙である。特に橋姫の場合は、姫君が琵琶の撥を持っている姿勢が不自然であったが、こちらは、そういったぎこちなさがなくて自然に描かれている。
 もっと面白いのは、詞書部分である。源氏物語大成によれば、橋姫は、保坂家本に近いが、青表紙本系の姫君の姿態を表す自動詞「よしづく」が「愛敬づく」に変えられているのは、絵巻物の詞書として本文を加工する際に生じた改変だと卒論草稿では指摘したが、竹河巻では、「桜の細長、山吹などのあひたる色あひのなつかしきほどに重なりたる裾まで、愛敬のこぼれ落ちたるやうに見ゆる。」とあり、ここでは、青表紙本の本文も絵巻詞書も「愛敬」という言葉を採用している点である。
 つまり、場面の絵画化に「愛敬」という言葉は、非常に適した表現なのだろうが、青表紙本の橋姫巻の詞書には見られない。その理由については、2通りの考え方がある。
①絵巻物詞書では、竹河巻の詞書と整合性を持たせる為に、「愛敬」という言葉に書き換えた。
②絵巻物の詞書として、もととなった12世紀前半に通用していた源氏物語の本文の橋姫巻には、「愛敬」という言葉が書かれていた。
 以上の2説が考えられる。ちなみに修士論文の時にこれだけに大部分の作業時間を取られてしまった源氏物語本文データベース(中段・下段)で検索してみると、竹河巻以外に、57件がヒット。この内、須磨明石巻以降の第2部と第3部(匂兵部卿以降)に五〇件が集中して見られ、絵巻物として残存している柏木、竹河、宿木、東屋巻には、複数箇所が見られ、非常に出現頻度が高い。
 こういった点から考えれば、もともとの橋姫巻詞書には、「愛敬」という言葉が存在していたのが、何らかの理由で青表紙本以降の本文では失われてしまった可能性が高く、②説の方が妥当という事になってしまう。
 そうなれば、卒論草稿で書いていた絵巻物場面と整合を図る為に本文が改変されたとした仮説は、覆される事になる。
 いよいよ迷路入りという事になってしまった。

フルベンのステレオ発見!2008/05/03 20:00

 マイミュージックスタジオには、SSW6.0がついて来ているが、このアナログのミキシング機能はなかなか充実している。
 6チャンネルまでのWAVファイル等の外部形式のファイルをインポート出来る。
 更にアナログミキサーには、ハイパス、ローパスフィルター、左右レベル調整機能等があるので、マルチトラック録音のデータを2チャンネルにミックスダウンが可能。
 但し、残念なのは、現段階でミックスダウン機能がないので、これは、後の号でバージョンアップされる。また、ミキサーでリバーブとかコーラス機能がついていない。(MIDIエディターには、この機能が附属している。)
 一方、別にかったSSW-lite5.0には、ミックスダウン機能があるし、リバーブ、コーラス機能がついているが、アナログデータは、たった2チャンネルしか編集出来ないという欠点がある。
 両者の機能を活かすには、SSW6のファイルをSSWLite5.0で読み込んで、リバーブ、コーラスを添加し、ミックスダウンする方法が現状ではある。
 この方法を使えば、モノラルの古い録音を疑似ステレオ加工することが出来る。
 左右チャンネルで周波数特性を変えるには、フィルターを駆使する。オーケストラでは、ヴァイオリンを左側、チェロ、コントラバスを右側に来るようにするには、左右の周波数特性を変えてレベルを調節してやれば良い。このファイルをSSWLite5.0で読み込んで、残響や位相を変化させて奥行きのある録音に仕上げる。
 この間、ワルティ堂島で、フルトヴェングラー・ベルリンフィルのR・シュトラウスのドン・ファン(1954年録音)を300円で買ったが、モノラル録音であることは除けば、録音状態は奇跡的に優秀であり、フルベンの録音では、最高品質に近いものだと確信出来た。
 このCDからWAVファイルを起こして、それを素材にステレオCDを作成してみた。
 モノラルファイルを2チャンネルのオーディオトラックに読み込んで、左右の音質や位相に変化を徐々に与えていく。試聴を重ねながらベストのポイントを捜していく。
 こうした作業の結果、仕上がったファイルは、奥行き、左右の広がり、ダイナミックレンジまで伸びて、まるで1960年代の録音の様に聞こえる。楽器の定位等は不自然なのは致し方ないが、フルベンの足音とか演奏ノイズまで左右から聞こえてくるから不思議だ。
 早速、このファイルからCDを作成して、今、家のシステムで聞いている。
 SSW6.0がバージョンアップして、そのままミックスダウンが可能になれば、3チャンネル、5チャンネルのファイルを起こす事が可能になる。そうなれば、高音弦楽器群、管楽器群、低音弦楽器群、打楽器群をそれぞれの特性毎に位相を変えて、ミックスダウンすれば、現代録音を遜色ないリマスターが可能になる。
 まさに、リマスターの奇跡といいたい。
ステレオ化ファイル
http://www.asahi-net.or.jp/~ZZ2T-FRY/donfanstereo
原音ファイル
http://www.asahi-net.or.jp/~ZZ2T-FRY/donfanmoto

延べ1千台の修理記録・全国で大量のロボちゃんが機能不全に2008/05/04 23:54

IXYDIGITAL70で撮影。ブレテしまいまちた。
 「週間マイロボット」(自律型ロボット ID-01を毎週組み立ていくマガジン)刊行が終了して、取り残された読者達.....
 中学生の息子が投げ出してしまったロボットを引き受けて悪戦苦闘する母親。
 苦し紛れに読者掲示板に投稿するが、なかなか解決出来ない中年男達。
 爺さん達は、結構、逆境に耐えて工夫の精神で、ベテランの域に。
 やはり、工作といえば、自分で全部やった時代の自立精神を持っている人が勝利する。これは、通信教育も同じ。
 でも、一般人は、そうはいかない。
 全国で次々結成される「ロボット被害者の会」ならぬ、情報交換会。
 皆で情報を交換しあわないとどうしようもないところに来ている。
 ロボット修理工房(ディアゴスティーニが紹介したところ)には、大量の入院患者で一杯。
  延べ修理台数が1千台を超えたという。
 それでも、治せない重症患者が多いという。
 単純故障ではなくて、複数の故障が重なっているので、原因を突き止めるのも難しい。
 折角、正常起動出来る様になったら、電子回路が壊れる等、連鎖反応。
 つまり、1箇所の故障で次の連動箇所が不動であったのが、最初の箇所の修理により、連動箇所が動き出した途端に不良箇所が次々の連鎖的に故障していく。
 大抵の「患者さん」はこの様な症状に悩まされている。
 お医者さん(修理担当者)のぼやきは、「一体、量産品質どころか、設計自体も安全率とか生産技術を考慮していたのかと疑問に思わずにおれない内容。」
という。
http://blog.goo.ne.jp/ibrite-fjn/e/f858f89a7c39ff76cf75aa4b5dab6ea4
また、仮に、機械的にうまく動いてもOSのバグや、ソフト自体のインストールが難しい。プログラムの転送がブルートゥース経由では不安定等の難関を越える必要があり、プログラムの作成も特に優しいと言えないといったどうしようもない状況。
 私のID-01は組み立てミスによるケーブル破損が2回、修理中の破損が1回、ベースボード不良が1回と合計4回ディアゴスティーニのサポートにお世話になった。つまり、故障に故障を重ねて、それを都度、対策、修理をしていってようやく安定的に動作する様になった。
 それでもたまに電源を入れると不具合が起こる事がある。ボード自体が電波誘導に弱いので、なにか他の電子機器(パソコンとか)が動いているとそれに影響されてボードが誤動作し、センサー認識がおかしくなり、更にその間違ってデータでモータを動作させ、過電流が流れ、更にボードが傷んでいくといくという恐ろしい状況。
 ボードの熱暴走を防ぐために冷却ファンとかいれようかと考えている。
 それでもうちのロボちゃんは命脈をようやく保っているが、何時、故障するのか怖い。
 また、頭のケーブルも一時は首を通していたが、これも誤動作の原因(となりのケーブルやモーター、ボードの影響を受ける)ので、もとのチョンマゲ姿に戻した。
 壊さないコツは、どうやら毎日1回は起動させることの様で、良く壊れている人達は、1ヶ月に一度程度しかスイッチを入れてあげないようだ。
 ロボット自体のキットを商品化すること自体が、今の技術では、特に自律制御系では難しいということなので、ディアゴスティーニさんを責めるのも酷な話だとおもう。
 10万円を投入したが、それでも、色々と楽しませてくれたのだから。

横笛巻と物の怪?2008/05/05 18:23

 ゴールデンウィークと言っても卒論草稿再提出に追われている身だし、留年分の学費が4月23日に引き落とされて、財政は極端に厳しいので、好きなビールも我慢する始末。
 国宝源氏物語絵巻の全画面の構図を俯瞰的にまとめる作業を行っていて、怖いことに気がついた。
 横笛巻では、夕霧の屋敷で左側の影に夕霧が少しだけ顔を覗かせており、その右側に雲井雁と赤ん坊が描かれているが、その左側の御几帳の手前の部分がポッカリと空いている。
 よく解説等では、ここには、柏木の霊がいる筈だとか言われているが、良く判らなかった。
 画面をモノクロしてコントラストを上げてみると、何やら着物の袖の様なものやら上側には、顔とおぼしき物体が白く描かれているのに気がつく。
 物語の本文では、柏木の霊が現れるとあるが、物の怪が出ているのかも知れない。
 実に気味が悪い。青とピンクの線は、論文用に視線の位置を示したもので、物の怪とは関係がない。

論文三昧2008/05/06 20:11

 今日も1日が、論文「源氏物語の絵画化の手法について」の草稿作成に費やされた。
 一番難儀したのは、本文の校異をいかに判りやすく示すかといったことで、これがなかなか難しい。
 こんなに短い詞書なのに驚くほど、独自異文が存在するので、書き方が悪ければ、なにがなんやら判らなくなってしまう。
 先行研究の批判とか、『国宝源氏物語絵巻』全巻の構図分類一覧表を作成していたら、あっというまに時間がなくなってしまった。
 別に仕事が始まっても論文作成が出来なくなってしまう訳ではないが、コマギレの時間になってしまうので、まとまった作業が出来ないので、こうした規模の大きな文章では、厄介なことになる。
 先行研究の批判とか問題点とかそういうのみ加えて、40頁を越えてしまった。(ああ、これでは、修論の規模ではないか。)
 これから不要とみられる箇所を削ったり、校正したりが必要になる。
 枚数が多いので、こういった場合は、A4の紙に図の様に4枚構成で出力して枚数を節約する。
 佛教大学の通信の論文指導は、私が経験したところでは、それ程、親切ではないし、Cカリキュラムの為に更新された論文のしおりは、特に判りにくく、なんの参考にもならない。
 そういった面で、凄く有意義なWEBを発見した。教育学科の黒田先生の卒業論文の書き方であり、スケジュールや、草稿は、1つの章が書ければ提出してよい等、親切な指導が一杯書かれている。
 一番、興味があったのは、査読と、口頭試問、採点基準であり、これは、これから卒論に取り組まれる方は、留意された方が良いだろう。
http://www.bukkyo-u.ac.jp/mmc01/kuroda/html_files/sotsusaku1.html
 この内容をガイドブックにでもまとめて全員に配布した方が、論文のしおりという判りにくい冊子よりもずっと役に立つと思う。

聞こえない「音」を描く源氏物語絵巻2008/05/07 22:24

 源氏物語の構図を研究していて、恐るべきことに気がついた。
 それは、絵画の極限への挑戦というべき「音」を巧妙な構図法を駆使して描こうとしていた。
 佛大の教授先生は、どう評価するかは判らないが、源氏物語の構図類型を①収斂型、②移動型、③直線型、④焦点型、⑤俯瞰型の5類型に分類した。
 ①は、柏木巻にみられる様な光源氏と赤ん坊の薫君、女三宮だけの秘密の世界を有角画法で一つのポイントに集中させて描く方法。
 ②は、橋姫巻の様に本文叙述に従って、アイテムを次々に移動させて、空間的な広がりを狙う構図。
 ③の直線型は、②の特殊型で、移動を直線的に行う方法で強い方向性を持っている。 
 ④の焦点型は、絵の構図上の1点を焦点として、それからベクトルが放射状に伸びる構図である。
 図の上段は、鈴虫1で、構図類型は幾分曲がっているが、直線型で、この場合は、屋内から外部へとベクトルが伸びている。
 屋内に居るのは、出家前の女房、右が、出家後尼姿の女房、庭(前栽)の鈴虫は、聖なる存在(音)である。
 つまり、この構図は、内部の俗世界から聖なる音(鈴虫の音)に向かって浄化される過程を直線的に描いている。
 中段も直線型である。これは、六条院の宴の有様で、夕霧が柏木の遺愛の笛を外の廊下で吹いている。真ん中は蛍兵部卿、一番奥は、光源氏である。
 女三宮事件の苦しみは、柏木愛用の笛の「音」となって、家の外から、兵部卿を経由して光源氏に突き刺さる仕組みとなっている。
 つまり、聖から俗の逆直線が光源氏の苦悩として表現されている。
 私は、この鈴虫巻の構図は、敢えて、同じ直線構図で描かれる事により、霊が浄化される女三宮の姿と対照的に苦悩の澱の沈殿に徐々に苦しまされて最後には孤独な晩年を迎える光源氏の姿を敢えて対照的に描いたものと考える。
 下段は、東屋1で、洛中の隠れ家に居る浮舟を薫君が訪問するところ。
 ショボショボ降り始めた雨が徐々に勢いを増して、お付きの者は、雨宿りでどこかに避難。薫君は、辛うじて廊下に居るが袖が濡れている。
 それでも雨勢は収まらず、お付きの者が放ったままの笠に雨が当たって、バラバラという雨音は徐々に大きくなって行く。
 その時間の経過に伴い薫君の孤独な寂しさは募るばかり、そうして、前栽の草木になぞらえて和歌を独詠する。 
 こうした薫君と浮舟を同時に見る事が出来るのは、私たちだけである。
 全ては、音の焦点(発生源)である笠に構図の焦点があつまり、詞書も、ちょうどこの笠の位置から周囲を見回すかの様に薫君と隠れている浮舟達のやり取りを雨音が大きくなる状況を経時表現にすり替えて描いている。
 そう、これは、④の焦点型の構図法をとっている。
 一見、不自然で無駄かと思われる雨傘が実は、構図と叙述の上で中心点となる重要な機能を持っていた事に気づかされた訳である。
 この様に3例挙げた構図の全てが実際には聞こえない音を描く事によって構図上の大きな表現効果を持っている点には驚かされる。
 こうした構図を考えた12世紀の源氏物語絵師達は、並みならぬ才能の持ち主だと言えるだろう。
 この構図上の発見は卒論に書きたかったのだけれど、本筋から外れるので、ブログに取りあえず書いてみた訳だ。

「万葉の風 古(いにしえ)の恋歌」2008/05/10 09:16

 Yさんから「万葉の風 古(いにしえ)の恋歌」を送っていただいた。
 今回は、ラジオNIKKEIのインターネット放送を録音してCDにしていたので、購入しなかったが、こうして送っていただいて、改めて聞いてみると感銘を受けた。
 やはり、音質がCDでは、全然違うということ、遠藤氏のチェロも良い音色でバッハの作品やオリジナル編曲等も楽しめる。
 冒頭の佛教大学の田中みどり先生の解説で、万葉集の時代の「恋」という言葉の国語史的な考察を聞いて、改めて古語大辞典等を取り出してみて、現在の異性に対する恋愛以外にも深い意味があったことに気づかされてよかった。
 田中先生の講演は、最初は、緊張気味もだんだんと聴衆とうち解けていくありさま等判って、その辺りがライブ収録の面白さであると思う。
 朗読で、今回、特に印象に残ったのは、白坂道子さんの声で、特に、張りがあり、威厳もあって、その感じがいかにも「古代からの声」を印象づけられた。
 古語に日頃から慣れ親しんでいるのか、現代語訳と古語そのままの朗読を並んで朗読されるが、やはり、古語の方が身体に染みこむ感じがする。
 深沢彩子さんの朗読も表情がこもっており、抑揚に工夫が見られて良い。
 でも、深沢さんの声は、普段着の声の方が、しっとりとして良いと思う。
 それ以外の感想は前に書いた通りだけれども、真間の手児奈伝説と源氏物語の浮舟入水との関連についてまたまた感心を持ってしまった。
 男性に同時に愛された場合の女性の心理は、どの様なものだろうか。
 私には想像もつかない。
 これから中古文学会の大会が京都であるので、今週のブログ更新はこれで終わり。

凄い混雑でした!!2008/05/11 19:27

いって来ました。「源氏物語千年紀展」!!!
 印象と言えば、凄い人!人!人!
 展示スペースが絵画資料の顔料の劣化を防ぐ為に暗くしてあるので、見るのに時間がかかり、また、音声解説レコーダーが、この様な混雑を想定して作成していないので、これを聞きながら、展覧しようとすれば、後ろの人間から文句を言われる始末。
 私は、貧乏なんで、母の日向けに図録を買ったら、お金が無くなってしまったので、そんなもの買えなかった。
 展示の目玉は、源氏物語若紫巻の断簡(東京国立博物館蔵)
 以前、このブログにアップした例の絵画断簡(ブログのは、復元画であるが、こちらは貴重な本物)。
http://fry.asablo.jp/blog/2008/01/17/2565572
 これ以外には、近世以降の土佐派、狩野派の源氏絵の主要な作品、例えば、卒論でも取りあげた久保惣美術館蔵の源氏絵鑑等の実物がみれたり、三条西実隆の筆の詞書入りの源氏絵等非常に価値があるものだと思う。
 金雲のかけ具合や実際の微妙な色調などは、印刷では、表現出来ないので、実物を見るしかない。
 これ以外には、鎌倉から室町期に制作されたと見られる『源氏物語絵詞』は、恐らく国宝源氏物語絵巻に次いで、古い時代に制作された源氏絵としては、貴重だと思う。
 しかし、私が最も感動したのは、源氏物語の本文の諸本の実物が揃って展示されていたことであり、
 青表紙系大島本、尾州家河内本を初めとして、別本系では、保坂本、陽明文庫本等の実物を見ることが出来た。
 ここで大きなヒントとなったのは、冊子本の大きさであり、最も大型は、河内本、次いで青表紙本で、大きさは現代のA4版以上の大きさであるのに対して、別本系の諸本は、大体17~18㎝四方の升型であり、非常に小振りである。
 私見としては、河内本、青表紙本の時代になって、源氏物語は、本文だけの享受が本格化したと推定され、御物本や別本系は、もともと公家の家に伝わっていた本であり、これらは、花嫁道具といった用途以外に、源氏絵冊子と別冊になっており、当然、絵冊子は、面白いので、使い回されて消耗してしまって、本文のみがのこされたと思う。
 出来れば、保坂本は、前半の部分の後半の宇治十帖以降を同時に展示して欲しかった。筆跡が異なるか否かで、臨模本か敷き写本か判別出来るからだ。
 つまり、別本系は、この物語の享受形態の最初の姿を留めていると考えられる訳。
 これ以外には、定家奥入り、紫明抄、河海抄等の原書等、明月記(源氏物語の写本を制作する記事が載っている部分)、栄華物語、紫式部日記等の原典が展示されていたことであり、普段ならば印刷資料でしかみることが出来ない元の本文が展示されていた。
 近世以降の印刷物で、古活字本の源氏物語も非常に興味深いものであった。
 出来れば、その本文がどの系統の属する底本に従っているかを調査してみたい。
 同じ青表紙本でも三条西家本と大島本等、その他の諸本と内容が異なる為に近世以降の源氏物語享受史を研究する際に重要な資料に成り得る。
 期待していた以上に貴重な資料が数多く展示されており、もう一度見学してみたいと思った。
 見学が終わったら目はショボショボ身体はヘトヘト。
 でも、卒論に使用している資料の原典がみる事が出来た感激でした。

 日曜日なので三条通は大賑わい。
 イノダコーヒー店も順番待ちという事でこの通りでは全然ゆっくりできなかった。
 今度は、平日の静かな日にでも訪問出来ればと思う。

中古文学会春季大会2008/05/11 22:38

2008年度中古文学会春季大会が京都の龍谷大学深草学舎で開催された。
 龍谷大学は、開学370周年を翌年にひかえて記念行事が目白押し。
 龍谷大学大宮図書館2008年度特別展観 『王朝文学の流布と継承』も今月25日まで開催されている。
 写真のカレンダーも同大学が所蔵する源氏畫を元に作られており、また、図書館の所蔵品としては、源氏物語細流抄、源氏小鏡については、特に貴重なライブラリーとなっている。
 春季大会は、初日に記念公演で、京都女子大学教授 川本重雄氏「『源氏物語』と『源氏物語絵巻』の空間表現」及び徳川美術館副館長 四辻秀紀氏「国宝源氏物語絵巻とその復元摸写をめぐって」が開催された。
 川本氏の講演内容は、建築史がご専門だけあって、古代の住居の構造は、特に平安期以前の時代には、壁面で密閉された居住空間が主体であったのが、平安朝の内裏造営では、平屋建ての広大な敷地面積にも関わらず、周囲は、壁面ではなく解放空間で構成されている。
 寝殿造りが代表的な例であるが、これは、庭園での儀式を行う場所と居住空間が共通していたことがこの様な開放的な空間を産み出したとされている。
 内部の居住空間としは、御帳台や屏風室礼が設置され、そこで日常的な寝所等の機能を果たした。これらの設置場所は、南側の母屋の南庇の御座等が代表的であるが、こちらは、様々な行事が行われた為に常時設置された訳ではなくて公的な空間の色彩が強かった。一方、北庇では、プライベートなスペースで半ば恒常的に居住スペースの役割を果たしている。
 国宝源氏物語絵巻に描かれているのは、柏木1の御帳台や宿木2の屏風室礼があげられるが、特に面白いのは、夕霧巻で病床に横たわる柏木を夕霧が見舞う場面であるが、北庇の寝所が段差を持って描かれているが、これも建築構造的に見て、理論に適っているそうである。
 こうしてみると、俯瞰角度等の問題はあるけれども源氏物語絵巻の構図は、当時の寝殿造りの内部の構造に非常に忠実に描かれていることが判る。
 つまり、絵巻の構図については、恣意的、あるいは、詞書の記述に忠実に構成されているというよりも、寝殿造りの家屋構造から必然的に決まってくる構図という。
 当日に資料で配付された藤原忠実の東三条殿のアイソメ図を見れば、南側及び北側からの視点でそれが確認出来る。
 川本氏の講演内容は、私の卒論『源氏物語の絵画化の方法』に参考になったというまでも無いが、構図法の分類で、収斂型としたものが、特に川本氏の講演内容に関わってくるので、今回の講演を元に手直しする必要で出てきた。
 次の徳川美術館副館長 四辻秀紀氏「国宝源氏物語絵巻とその復元摸写をめぐって」は、NHKで「蘇る源氏物語絵巻」というテーマで放映された内容について、内輪話を含めた講演内容であり、特に、当時の絵の具や顔料の成分分析法が紹介され、全体で五十箇所以上についてピンポイントで成分分析が行われたことや犯罪捜査に使用される「可視光域蛍光撮影法」について紹介された。
 これらの調査の結果、女君や光源氏の顔等は、従来考えられていた以上の大幅はレタッチが何度も行われていることが判り、決して、この絵巻が、900年前に描かれたままの姿を留めていないことが示された。
 例えば宿木3については、群青の絵の具が舶来品の可能性もあり、江戸末期か明治期にも補筆が行われている点なども説明された。
 結局、当時の絵の具の成分や料紙の強度、保存条件等から、そのままの状態では、1000年近くの間、そのままの姿を保たせる事は不可能という事になる。
 これは、納得できる話で、奈良国立博物館等にある仏画を見ても鎌倉期までのものは、非常に保存状態も良好なものもあるが、平安期に遡れるものは、辛うじて輪郭が判る程度に劣化してしまっている例が多く、源氏物語絵巻として実用鑑賞に堪える姿をとどめるには、補筆、補修は避けてとおる事ができないことだったのだと思う。
 復元模写については、これらの顔料成分等の分析や特に「可視光域蛍光撮影法」で検出された輪郭線等を参考にしながら作業が行われるが、情報が欠落してしまっている部分は、絵師の想像によるしかないという。若紫巻の1巻を含め19場面の復元画がこの様な手順で完成されたということが紹介された。
 それよりも興味がもたれたことは、絵巻は後の世の補筆が行われているが、描かれた当時の絵師達は、有職故実、合わせの色目等、1㎜以下の部分まで精密に描こうとした態度がみられることや、国宝源氏物語絵絵巻が成立当初から絵巻として描かれていたのか、それとも冊子であったかという問題、一部では、この絵巻は、豊臣大阪落城の折、徳川家と蜂須賀家によって火災から救い出され、両家に伝わったという説もあるが、実際には、徳川と蜂須賀両家の縁組の引き出物として使われ、その際に補筆作業が行われた可能性がある等面白い話を聞くことが出来た。
 その後の懇親会でも、直接、現在、取り組んでいる卒論「源氏物語絵画化の手法」で疑問に思っていることを、四辻氏や川本氏、あるいは、源氏物語絵詞の校訂者でもある片桐洋一氏先生や寝覚物語絵巻の断簡等、古筆切の鑑定の大家である田中登先生、あるいは、国文学研究資料館教授の伊井春樹先生等、源氏研究では、当代一流の先生に教えを請うことが出来た。
 特に田中先生は、「国宝源氏物語絵巻が書かれた当時は、絵師達の地位は書家に比べて非常に低かった。こうした面から見て、やはり、詞書から、研究を進めるのが正道だと思う。絵巻物の研究は、新たな断簡がこれからどんどん発見され、次々と書き換えられるだろう。頑張りなさい。」と励まして下さった。また、古筆鑑定の立場からは、「国宝源氏物語絵巻」の成立年代は、12世紀後半、長秋記の記録から50年以上も後に制作されたと考えられるとされ、そうなれば、源師時の携わった源氏画は、「国宝源氏物語絵巻」ではないことになる。当時は源氏画が幾つも描かれており、むしろ、その方が自然という考え方もなり立つようだ。
 いずれにしても研究テーマに直接噛み合う有意義な講演を拝聴することが出来て、学部生という肩身が狭い中で無理に出席して非常に有意義だったと思う。