徳川美術館発行の源氏物語絵巻切手シリーズ ― 2008/06/23 21:39
先日、お世話になった徳川美術館が発行している「国宝源氏物語絵巻」切手である。
これ以外に復元絵巻を扱ったものも存在する。
といってもフレーム枠に好みの柄をユーザーで指定可能な切手であり、例えば、極端な話、「BLOGFRY」切手等も製造可能である。
左側が表紙で、宿木3が図案となっている。真ん中の切手部分は、宿木等の各パーツをコラージュしたデザインのフレーム切手。右側は、宿木3の詞書部分で、「あきはつるのべのけしきもしのすすきほのめくかぜにつけてこそみれ」の和歌の部分の上だけが見てとれる。
2000円札には、鈴虫巻が採用されたが、この発行に関わった故小渕総理は、切手マニアで、日本郵趣協会のVIP会員だったと思う。小渕総理もきっと彼岸から、この切手を目を細めてみていることだろう。
当然、郵政民営化は反対だったに違いない。
宿木巻は、1964年の切手趣味週間で10円の額面で発行された。
私が一番最初に国宝源氏物語絵巻に接したのもこの切手が始まりだと思う。
それにしてもA4サイズのこの切手というか冊子、どうやってアルバム等に整理しておくのだろうか。
切手展出品用のアルバムリーフで穴が開いていないタイプがあるが、その専用バインダーに入れて保管する以外にないだろう。
数十年も保管したら、シール糊の部分がボロボロになるのではないかと思う。
きっと、使用済みの方が少ないと思うし、値段も上がるとおもうので、実逓便カバーを作っておくのも手かも知れない。
これ以外に復元絵巻を扱ったものも存在する。
といってもフレーム枠に好みの柄をユーザーで指定可能な切手であり、例えば、極端な話、「BLOGFRY」切手等も製造可能である。
左側が表紙で、宿木3が図案となっている。真ん中の切手部分は、宿木等の各パーツをコラージュしたデザインのフレーム切手。右側は、宿木3の詞書部分で、「あきはつるのべのけしきもしのすすきほのめくかぜにつけてこそみれ」の和歌の部分の上だけが見てとれる。
2000円札には、鈴虫巻が採用されたが、この発行に関わった故小渕総理は、切手マニアで、日本郵趣協会のVIP会員だったと思う。小渕総理もきっと彼岸から、この切手を目を細めてみていることだろう。
当然、郵政民営化は反対だったに違いない。
宿木巻は、1964年の切手趣味週間で10円の額面で発行された。
私が一番最初に国宝源氏物語絵巻に接したのもこの切手が始まりだと思う。
それにしてもA4サイズのこの切手というか冊子、どうやってアルバム等に整理しておくのだろうか。
切手展出品用のアルバムリーフで穴が開いていないタイプがあるが、その専用バインダーに入れて保管する以外にないだろう。
数十年も保管したら、シール糊の部分がボロボロになるのではないかと思う。
きっと、使用済みの方が少ないと思うし、値段も上がるとおもうので、実逓便カバーを作っておくのも手かも知れない。
法隆寺金堂壁画 ― 2008/06/23 23:19
なんとか熱も引き、万全と言いたいところだが、今度は、右足が腫れて、痺れてビッコを引いて京都烏丸の佛大四条センターに行く羽目に。
四条センターは駅から近いので、こういう場合には、本当に助かる。
安藤佳香先生の「描線の魔力 法隆寺金堂旧壁画」のご講演を拝聴させていただく。
当日は、佛教芸術コースでご一緒した学友も来られていて、久しぶりの話題に話が弾んだ。
講演が始まってまもなく、安藤先生が第6壁の観音菩薩像を指して、「この観音様はたしか記念切手になっている筈ですね。」とおっしゃられたので、「一瞬、そうやったかな~」と疑いの心を懐いてしまった。
観音菩薩像としては、通常切手「第1次動植物国宝図案切手」の銭単位(1950-1951)とその後発行された「第2次動植物国宝切手」の円単位(1952-1959)、それとコイル切手(1959-1961)、2種類の切手帳(1954-1964)の5種類が思い浮かび、全て所持しているが、記念切手は記憶に残っていなかった。
右のカバーが、1995年発行の第1次世界遺産シリーズで、同じ観音像が描かれている。安藤先生はこちらのことを指しておっしゃられたのであった。
私は、物心がついて最初に目にした郵便切手がこの観音菩薩様なので、強い愛着を持っている。
さすが、安藤先生は記憶が良いというのか、郵便切手に関心が深いお仲間なんだと思ってしまった。
講演のお話の中で、特に興味が持たれたのは、法隆寺金堂の壁画配置であり、大壁4面、小壁8面の計12面構成であること。
更に、これらは、シンメトリーに配置されている。例えば、第4壁の大勢至菩薩と第3壁の観音菩薩、第6壁の阿弥陀浄土図と第1壁の釈迦浄土図、第7壁の聖観音菩薩と第12壁の十一面観音菩薩、第8壁の文殊菩薩と第11壁の普賢菩薩、第9壁の弥勒浄土と第十壁の薬師浄土という様に構成されており、あたかも仏のパンテオン(宇宙神殿)を堂内で構成している点である。
この様な配置は、例えばギリシャの神殿の彫像配置にも見られ、オリエント方式の影響を受けていると私には思われた。
表現では、インド風の肉身表現については、これまでの講演でも何度も触れられた来た点であるが、やはり、ここでも荘厳には、グプタ式唐草文が検出され、更には、マカラやヤクシー、象、鳥の変化の様な動物と植物が描かれている事、更には、蓮華紋、蓮華図案の中で、必ず茎にグプタ式唐草がからみついて生命力を象徴していると言う点が面白く。安藤先生の講演をずっと聴いていると、この点で、インドから日本まで、時空を越えた広がりを見せている事が実証されるのは凄いと思う。
また、鉄線描では、先日のダンダンウィリク、タマゴウ等の壁画を彷彿とさせるものがあり、これらの遺跡が発見される以前から、ホータンの王族出身の尉遅乙僧の画風が影響しているとされて来たが、実際にダンダウィリクの如来像と法隆寺金銅壁画の関連を見て、やはり、発掘の成果というのは凄いものだと思った。
後は、菩薩の首を幾分かしげている独特のポーズや眼の部分の描線については、色々と他の先生もおっしゃられている点であり、たしかにそうだと思うが、新鮮な驚きというのは、少し少なかった。
眉毛の輪郭線と鼻の関係、眼の大きさ等は、やはり、日本人離れしたものを想起させられるが、帰りのJR京都線の電車で偶然にもよく似たお顔のOLか学生さんが向かいの席に座っているのを見て、やはり、実在の人物等をモデルにしたのかなとも考えてしまう。
中学か高校の美術の授業で、この観音様の模写に挑戦したが、特に顔の傾き方や宝冠と額の線のズレの調整に苦しんだことを想い出される。講演でも先生が言われていた様に、この位置関係は菩薩の右目と口の延長線が宝冠の化仏の中心を通る仕組みでどの菩薩も描かれており、1つの様式だと思うが、これを簡単に真似をすることは非常に困難であったことが記憶される。
仏画を描く場合には、輪郭線の設計を非常に緻密に行わないと滅茶苦茶な観音様になってしまう。
菩薩達の顔それぞれに個性があるが、それよりもやはり第6壁の阿弥陀浄土と、第1壁の釈迦浄土の違いで画風がかなり異なるというのは、描かれている世界が異なるというよりも、それぞれの壁面を担当した絵師達の技量や個性の差であると思う。
私見では、第6壁、第1壁は、かなり、優れた画家の手になるもので手本があったとしても直接、大陸で勉強した人かあるいは帰化人、渡来人が関わっている様な気もする。
他の壁画は、やや線描が甘く、表情がどことなく日本的である。デッサンの崩れはそれ程はないが、第6壁の様に鉄線描の打ち込みから終点まで全くスキがないといった程ではない。やはり、師匠の作風を見習って弟子達が描いたのだと思う。
最後にくれぐれも惜しまれるのは、焼損を受けたことで、今の技術では、更に詳細な分析が可能だし、消えた線の復元法も進化しているので、もっと多くの情報量を引き出す事が出来たが、壁画が失われた以上は、60年近い前の幼稚な技術で撮影された画像を最大限に活かすしか方法がない点である。
現在、奈良国立博物館で法隆寺金堂展が開催されているので、この週末にも出かけてみようかと思う。
四条センターは駅から近いので、こういう場合には、本当に助かる。
安藤佳香先生の「描線の魔力 法隆寺金堂旧壁画」のご講演を拝聴させていただく。
当日は、佛教芸術コースでご一緒した学友も来られていて、久しぶりの話題に話が弾んだ。
講演が始まってまもなく、安藤先生が第6壁の観音菩薩像を指して、「この観音様はたしか記念切手になっている筈ですね。」とおっしゃられたので、「一瞬、そうやったかな~」と疑いの心を懐いてしまった。
観音菩薩像としては、通常切手「第1次動植物国宝図案切手」の銭単位(1950-1951)とその後発行された「第2次動植物国宝切手」の円単位(1952-1959)、それとコイル切手(1959-1961)、2種類の切手帳(1954-1964)の5種類が思い浮かび、全て所持しているが、記念切手は記憶に残っていなかった。
右のカバーが、1995年発行の第1次世界遺産シリーズで、同じ観音像が描かれている。安藤先生はこちらのことを指しておっしゃられたのであった。
私は、物心がついて最初に目にした郵便切手がこの観音菩薩様なので、強い愛着を持っている。
さすが、安藤先生は記憶が良いというのか、郵便切手に関心が深いお仲間なんだと思ってしまった。
講演のお話の中で、特に興味が持たれたのは、法隆寺金堂の壁画配置であり、大壁4面、小壁8面の計12面構成であること。
更に、これらは、シンメトリーに配置されている。例えば、第4壁の大勢至菩薩と第3壁の観音菩薩、第6壁の阿弥陀浄土図と第1壁の釈迦浄土図、第7壁の聖観音菩薩と第12壁の十一面観音菩薩、第8壁の文殊菩薩と第11壁の普賢菩薩、第9壁の弥勒浄土と第十壁の薬師浄土という様に構成されており、あたかも仏のパンテオン(宇宙神殿)を堂内で構成している点である。
この様な配置は、例えばギリシャの神殿の彫像配置にも見られ、オリエント方式の影響を受けていると私には思われた。
表現では、インド風の肉身表現については、これまでの講演でも何度も触れられた来た点であるが、やはり、ここでも荘厳には、グプタ式唐草文が検出され、更には、マカラやヤクシー、象、鳥の変化の様な動物と植物が描かれている事、更には、蓮華紋、蓮華図案の中で、必ず茎にグプタ式唐草がからみついて生命力を象徴していると言う点が面白く。安藤先生の講演をずっと聴いていると、この点で、インドから日本まで、時空を越えた広がりを見せている事が実証されるのは凄いと思う。
また、鉄線描では、先日のダンダンウィリク、タマゴウ等の壁画を彷彿とさせるものがあり、これらの遺跡が発見される以前から、ホータンの王族出身の尉遅乙僧の画風が影響しているとされて来たが、実際にダンダウィリクの如来像と法隆寺金銅壁画の関連を見て、やはり、発掘の成果というのは凄いものだと思った。
後は、菩薩の首を幾分かしげている独特のポーズや眼の部分の描線については、色々と他の先生もおっしゃられている点であり、たしかにそうだと思うが、新鮮な驚きというのは、少し少なかった。
眉毛の輪郭線と鼻の関係、眼の大きさ等は、やはり、日本人離れしたものを想起させられるが、帰りのJR京都線の電車で偶然にもよく似たお顔のOLか学生さんが向かいの席に座っているのを見て、やはり、実在の人物等をモデルにしたのかなとも考えてしまう。
中学か高校の美術の授業で、この観音様の模写に挑戦したが、特に顔の傾き方や宝冠と額の線のズレの調整に苦しんだことを想い出される。講演でも先生が言われていた様に、この位置関係は菩薩の右目と口の延長線が宝冠の化仏の中心を通る仕組みでどの菩薩も描かれており、1つの様式だと思うが、これを簡単に真似をすることは非常に困難であったことが記憶される。
仏画を描く場合には、輪郭線の設計を非常に緻密に行わないと滅茶苦茶な観音様になってしまう。
菩薩達の顔それぞれに個性があるが、それよりもやはり第6壁の阿弥陀浄土と、第1壁の釈迦浄土の違いで画風がかなり異なるというのは、描かれている世界が異なるというよりも、それぞれの壁面を担当した絵師達の技量や個性の差であると思う。
私見では、第6壁、第1壁は、かなり、優れた画家の手になるもので手本があったとしても直接、大陸で勉強した人かあるいは帰化人、渡来人が関わっている様な気もする。
他の壁画は、やや線描が甘く、表情がどことなく日本的である。デッサンの崩れはそれ程はないが、第6壁の様に鉄線描の打ち込みから終点まで全くスキがないといった程ではない。やはり、師匠の作風を見習って弟子達が描いたのだと思う。
最後にくれぐれも惜しまれるのは、焼損を受けたことで、今の技術では、更に詳細な分析が可能だし、消えた線の復元法も進化しているので、もっと多くの情報量を引き出す事が出来たが、壁画が失われた以上は、60年近い前の幼稚な技術で撮影された画像を最大限に活かすしか方法がない点である。
現在、奈良国立博物館で法隆寺金堂展が開催されているので、この週末にも出かけてみようかと思う。


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