やはり、北海道で地震が2008/09/11 19:58

やはり、北海道で地震が発生した。
地球→月→太陽→惑星の位置関係である。
http://fry.asablo.jp/blog/cat/jisin/


「11日午前9時21分ごろ、北海道十勝沖を震源とする地震があり、新冠町、新ひだか町、浦幌町、大樹町で震度5弱を観測したほか、南幌町、長沼町などで震度4を観測した。震源の深さは約20キロ、地震の規模はマグニチュード(M)7と推定される。気象庁は午前9時24分に北海道太平洋沿岸東部と中部、青森県太平洋沿岸、岩手県に津波注意報を発令した...」

9月15日が危険日だが、その前後、3~5日の範囲もリスクが高い。これから、連休明けまでは、十分に注意した方が良いだろう。

「これは、まるで21世紀のバベルの塔だ。」2008/09/11 20:15

Coolpixs S600で撮影。高感度モード
 「神は、人間の傲慢な振る舞いを決してお許しにはならなかった・・・・」
 梅田に建設中の新社屋ビルだが、下部の外装構造が今日、始めて表面に見える様になった。また、上部階の白い外壁も...
 実に恐ろしく大きな建物である。建物の寸詰まりの構造、下部外壁にアーチがあり、上部には、長方形の窓がある点など、16世紀のネーデルランドの画家、ピーター・ブリューゲルが描くところのバベルの塔にそっくりだ。
 ブリューゲルは、バベルの塔をただ、空想で描かず、16世紀の建築工学の最新の成果を応用して、当時の建築手法で、バベルの塔を建築すれば、この様になったであろうと推定して書いている。
 また、螺旋状の構造、あるいは、石材や建材を運河を使って帆船で輸送するといった部分まで推定して描いている。
 阪急ビルの場合は、上部にクレーンがあるので、更に、天に向かって頂上部が伸びていく筈だ。
 21世紀の不遜な人間どもの所業を神は、どの様に見られているのだろうか。
 旧約聖書の神は、人間の言葉を通じなくしたが、現代社会では、機械的な言葉は伝達されていても大切な人間のマインドを言葉に託すことは、既に難しいことになっている。
 心が言葉で伝えられない時代、既に、こうした罰を神は人間にお与えになっておられる。

『コナン・ドイルの心霊学』(コナン・ドイル著、近藤千雄訳 潮文社 1300円+税)2008/09/11 21:14

『コナン・ドイルの心霊学』(コナン・ドイル著、近藤千雄訳 潮文社 1300円+税)
19世紀の知的伝統を引き継いだ欧米知識人達の多くが、世紀末的価値観を得て、スピリチュアリティーの文化を今世紀初頭に伝えている。
 それは、この間、紹介したパーシバル・ローウエル卿もそうだし、ラフカディオ・ヘルンもそうだと思う。
 欧米では、今世紀に入ってスピリチュアリティ的側面が近代科学絶対主義の中で、軽視される様になっていく。
 そうした風潮に対抗する為に心霊科学という学問分野が登場する。その様な実験は、「リング」のモデルにもなった御船千鶴子の「千里眼実験」等日本にも伝えられる。
 また、夏目漱石の夢十夜等の作品もこれも東洋思想というよりも欧米のスピリチュアリティ文化の影響を受けたものとみられる。
 特にコナン・ドイルは、英国のスピリチュアリズムの伝統を特に強く認識していた文学者であり、そういった意味で漱石に近い位置であった思う。
 スピリチュアリズムは、カーナボン卿によるツタンカーメン墓発見と共に、当時、流行と「ミイラ解体ショー」と同様に1920年代に、「降霊術ショー」といった形で、上流階級の娯楽として定着していった。
 こういった風潮の中で、コナン・ドイルは、スピリチュア・リズムを真面目に認識していた。
 この本は、2部構成となっており、その内の「第1部 新しき啓示の各章」の概要を紹介すると、次の通りとなる。
 第1章 心霊現象の実在を確信するまで
 この章では、ドイルの医学者としての側面から、心霊現象は「科学的現象」であると定義づけられている。
 第2章 新しき啓示とは
 この章では、キリスト教のスピリチュアリズムは、教会や教派思想にあるのではなくて、イエス・キリストの実在性に基づくものであるとされている。
 第3章 死後の世界の諸相
 この章では、スピリチュアリズムの実験を通じて得られた科学的データを元に死後の世界がどの様な世界であるのか述べられている。
 第4章 問題点と限界
 この章では、霊的意識と肉体的意識の関係、予知夢(感得夢)と霊的存在の関係について述べられている。 
 第2部では、重大なるメッセージとして、特に聖書に描かれたキリストの奇跡について、従来のキリスト教教義(神学)では、説明しきれない部分をスピリチュアリズムでは、合理的に説明出来ることを主張している。

 この本を読んで一番印象に残ったのは、伝統的なヨーロッパ文明の崩壊をもたらした第1次世界大戦を何故、キリスト教が防げなかったのか。
 中世の社会では、あれだけ政治・軍事面で大きな影響を持ち続けたキリスト教が、この戦争では無力であった。
 この原因について、キリスト教がニケーア宗教会議等の変遷を経て、スコラ哲学の手法と取り入れた神学として大系づけられる中で、それが教会・教派主義と融合した結果、形骸化してしまった。
 本来のキリストが伝えようとしたスピリチュアルな側面を軽視したことが、キリスト教の脆弱さを招き、それは、そのまま西欧の知的文明世界の退廃をもたらしたと結論づけている点である。
 こうした点は、仏教にも見られる点であり、西洋も東洋も同じようなことを考える人が居るものだと関心させられた。

 「あなたは、実は、スピリチュアルな世界にも、存在しているのだ。」

 読んでみて、なかなか面白い本であった。