玉上先生が創作された若紫巻の空想の絵画化場面 ― 2008/09/16 23:47
『源氏物語音読論』(玉上琢弥著 岩波書店)
この本は、今回、佛教大学人文学科に提出した卒論の「源氏物語絵画化の手法について」の参考文献として、引用した所収論文「物語音読論序説」(国語国文 第十九巻第3号 昭和25年12月)が含まれている。
ところが、その続編とも言える「源氏物語の読者 源氏物語音読論」(女子大文学 第7号 昭和30年3月)の方を参考文献及び先行研究論文として、漏れていたので、源氏物語を専門に研究されている先生ならば、口頭試問でこの点を指摘、減点の対象となったろう。
それ位、重要な論文だと思う。玉上先生は、「源氏物語の本性」として、「物語音読論序説」を唱えられたが、これは、あくまでも「序説」としての位置づけであった。
序説から4年後に先生が、書かれた「源氏物語音読論」では、「作り手と読み手」の関係を更に具体的に論じられている。
源氏物語には、実は、「3人の作者」がいると先生は言われる。
それは、「作中世界」を伝える「古御達」と「筆記・編集者」、そして、「読み聞かせる女房」である。
鑑賞者は、拙論にも書いた「姫君」であるが、姫君は、「読み聞かせる女房」の声を「筆記・編集者」の存在を越えて、「古御達」の詞と聞き成して、作中世界に到達・埋没していく。
○それには、絵が重要な役割を果たしている。
玉上氏は、若紫巻の情景を元に「空想の絵場面」を文章として表現されている。その「空想の絵場面」から作品の世界に埋没していく有様を次の様な言葉で綴られている。
「姫君は、絵を見ていられる。絵様は、鞍馬山の高台に立つ源氏の君と侍臣、横に岩窟の中の聖、見下ろすところに九十九折、幾つかの僧坊、小柴垣、その他。傍の女房が前掲のところを読み進む。この絵の説明として姫君は耳を傾けている。読み進むにつれて絵のその部分に目を注いでゆく。と、「何人の住むにか、と、問ひたまへば」と聞こえるのである。源氏の詞であったのだ。(以下略)」
大変な名文であり、この部分に感銘を受けた中村真一郎氏がその著書で玉上氏のこの文章を引いておられるし、私も30年近く前にこの論文を図書館から借り出して読み、感動を受け、実際のこの北山の聖の場所を求めて山中を彷徨い、ついにそれらしき岩窟を見つけ出して、一日中、そこに座って空想に耽っていたことが想い出される。
玉上論で重要なのは、絵画化された視覚情景と登場人物の「言葉」が融合した時に完全に読み手である姫君は作中場面の世界に埋没することが出来るという点である。
つまり、音読を前提とする場面表現には、「絵(視覚)」と作中人物の「言葉」が必要条件になってくるのである。
この点については、関西大学の卒業論文の「光源氏の言葉」及び佛教大学修士論文「源氏物語~光源氏の言葉」でも着目している。
場面を構成する要素として、「視覚的世界」と「言語的世界」がある。
そして、本来ならば、鑑賞者、読み手、作中の語り手の間で境界が存在する筈なのだが、「物語」という行為は、その垣根を無くす、メディアの魔法ともいうべき、呪術的な行為でもあると位置づけることが出来る。
次に玉上先生の論で興味深いのは、文章には、「見る文章」と聞く文章」が存在するという点である。
源氏物語の中で、最も難解な文章とされる帚木の冒頭の文章、「光る源氏、名のみことごとしう・・・・」の文章であるが、これは、「見る文章」ではなくて、「聞く文章」なので、「見る文章」として、意訳を行えば、文章の主述の関係があやふやになり、一体、なんのことか判らなくなってしまう。(あの最低の与謝野晶子訳源氏物語のこの箇所を見て欲しい。)
しかし、玉上先生は、黙読では、実に厄介で難解のこの冒頭の文章も、「聞く文章」とすれば、非常に当時の人には、判りやすく、理解しやすい文章であったとされている。
こうして、「源氏物語音読論」の考えを進めていけば、「読者論」が自ずから浮かび上がってくる。
源氏物語の第1の読者は、当然、姫君である。第2の読者は、より身分の低い、几帳の影で隠れて読む女房である。この読み手の女房の力量次第で、物語が面白くもつまらなくもなる。
序説の方では、「昔物語」の読み手の中で、特に能力の優れていた女房が創作したのが、平安時代の「現代物語」であり、源氏物語もその様な作品であった可能性があるとされている。
源氏物語は、こうした読み手・女房達の洗練の過程を経て、絵画的(視覚的)な鑑賞を前提とした「聞く文章」で綴られた物語として、成立・構成されていったのだろう。
図は、玉上氏による音読論の構造図、私がブログに書いている
http://fry.asablo.jp/blog/2008/07/20/3640124
http://fry.asablo.jp/blog/2008/08/31/3725290
と比べてみて欲しい。
この本は、今回、佛教大学人文学科に提出した卒論の「源氏物語絵画化の手法について」の参考文献として、引用した所収論文「物語音読論序説」(国語国文 第十九巻第3号 昭和25年12月)が含まれている。
ところが、その続編とも言える「源氏物語の読者 源氏物語音読論」(女子大文学 第7号 昭和30年3月)の方を参考文献及び先行研究論文として、漏れていたので、源氏物語を専門に研究されている先生ならば、口頭試問でこの点を指摘、減点の対象となったろう。
それ位、重要な論文だと思う。玉上先生は、「源氏物語の本性」として、「物語音読論序説」を唱えられたが、これは、あくまでも「序説」としての位置づけであった。
序説から4年後に先生が、書かれた「源氏物語音読論」では、「作り手と読み手」の関係を更に具体的に論じられている。
源氏物語には、実は、「3人の作者」がいると先生は言われる。
それは、「作中世界」を伝える「古御達」と「筆記・編集者」、そして、「読み聞かせる女房」である。
鑑賞者は、拙論にも書いた「姫君」であるが、姫君は、「読み聞かせる女房」の声を「筆記・編集者」の存在を越えて、「古御達」の詞と聞き成して、作中世界に到達・埋没していく。
○それには、絵が重要な役割を果たしている。
玉上氏は、若紫巻の情景を元に「空想の絵場面」を文章として表現されている。その「空想の絵場面」から作品の世界に埋没していく有様を次の様な言葉で綴られている。
「姫君は、絵を見ていられる。絵様は、鞍馬山の高台に立つ源氏の君と侍臣、横に岩窟の中の聖、見下ろすところに九十九折、幾つかの僧坊、小柴垣、その他。傍の女房が前掲のところを読み進む。この絵の説明として姫君は耳を傾けている。読み進むにつれて絵のその部分に目を注いでゆく。と、「何人の住むにか、と、問ひたまへば」と聞こえるのである。源氏の詞であったのだ。(以下略)」
大変な名文であり、この部分に感銘を受けた中村真一郎氏がその著書で玉上氏のこの文章を引いておられるし、私も30年近く前にこの論文を図書館から借り出して読み、感動を受け、実際のこの北山の聖の場所を求めて山中を彷徨い、ついにそれらしき岩窟を見つけ出して、一日中、そこに座って空想に耽っていたことが想い出される。
玉上論で重要なのは、絵画化された視覚情景と登場人物の「言葉」が融合した時に完全に読み手である姫君は作中場面の世界に埋没することが出来るという点である。
つまり、音読を前提とする場面表現には、「絵(視覚)」と作中人物の「言葉」が必要条件になってくるのである。
この点については、関西大学の卒業論文の「光源氏の言葉」及び佛教大学修士論文「源氏物語~光源氏の言葉」でも着目している。
場面を構成する要素として、「視覚的世界」と「言語的世界」がある。
そして、本来ならば、鑑賞者、読み手、作中の語り手の間で境界が存在する筈なのだが、「物語」という行為は、その垣根を無くす、メディアの魔法ともいうべき、呪術的な行為でもあると位置づけることが出来る。
次に玉上先生の論で興味深いのは、文章には、「見る文章」と聞く文章」が存在するという点である。
源氏物語の中で、最も難解な文章とされる帚木の冒頭の文章、「光る源氏、名のみことごとしう・・・・」の文章であるが、これは、「見る文章」ではなくて、「聞く文章」なので、「見る文章」として、意訳を行えば、文章の主述の関係があやふやになり、一体、なんのことか判らなくなってしまう。(あの最低の与謝野晶子訳源氏物語のこの箇所を見て欲しい。)
しかし、玉上先生は、黙読では、実に厄介で難解のこの冒頭の文章も、「聞く文章」とすれば、非常に当時の人には、判りやすく、理解しやすい文章であったとされている。
こうして、「源氏物語音読論」の考えを進めていけば、「読者論」が自ずから浮かび上がってくる。
源氏物語の第1の読者は、当然、姫君である。第2の読者は、より身分の低い、几帳の影で隠れて読む女房である。この読み手の女房の力量次第で、物語が面白くもつまらなくもなる。
序説の方では、「昔物語」の読み手の中で、特に能力の優れていた女房が創作したのが、平安時代の「現代物語」であり、源氏物語もその様な作品であった可能性があるとされている。
源氏物語は、こうした読み手・女房達の洗練の過程を経て、絵画的(視覚的)な鑑賞を前提とした「聞く文章」で綴られた物語として、成立・構成されていったのだろう。
図は、玉上氏による音読論の構造図、私がブログに書いている
http://fry.asablo.jp/blog/2008/07/20/3640124
http://fry.asablo.jp/blog/2008/08/31/3725290
と比べてみて欲しい。
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