ソビエトカメラとの最初の出逢い2008/12/23 11:44

FZ28で撮影(コレクションモード)
 Lubitel2(ルビテル2)である。

 2眼レフで上のレンズは、ピント合わせと構図決めに使用する。パララックスが発生しやすいので、近距離撮影は要注意。上のファインダー部に内蔵されているルーペを引き出して、ピントを確認する。

 ロモ独特の周辺減光が目立つレトロな写りが魅力。

 1974年12月頃にジャスフォート川西店で購入。価格は、4000円だったと思う。これ以外にキエフも販売されていて店の主人が、「こちらの方が本格的で良く写るよ。」と言っていたが、予算がないので、こちらにした。

 今も新品の様な状態である。但し、専用ケースからノブのところが出ていたので、その部分のメッキが錆びてしまったのが残念。なんとかサビ落とし出来ないかと思っている。

 自分のお小遣いで初めて購入したカメラ。
6*6の120サイズ(ブローニフィルム)を使用。

 ブローニフィルムは、撮影を終えると封のリボンを舐めてのり付けして巻物の様に保管して、フィルムが入っていた袋に入れて現像に出す。その巻き方が緩かったら隙間から光線が入る。また、撮影を終えたフィルムは直ぐに現像に出さないと光線被りが発生する。

 当時は、DPEに出してもブローニは、それ程珍しがられなかった。現像を終えたフィルムは丁寧に切断され、グラシン紙のフィルム入れに入れて仕上がって戻ってくる。写真は、全て真四角なので、印画紙には余白が出来る。

 ソビエトロモ社の製品でボデーは、合成樹脂製。当時、カメラのボデーの合成樹脂を使用しているのは、学研の学習雑誌の付録のおもちゃか、ポラロイド位のもので、やはりバチモノのイメージがあった。

 しかし、機構上問題はなくて、現在までビクともしないところをみると耐久性は良好。このカメラ、約6年位は使用した。高校に入ると、自分で現像から引き延ばしまでやる様になって、大きなサイズに伸ばしてみると意外にも画像がシャープなので驚いた。

 天体写真の撮影にも威力を発揮した。当時の金属カメラ一眼レフ、コリメート方式等で月等を撮影すると小型望遠鏡では、ミラーアップの反動で、ブレが発生してシャープな写真が撮れなかったが、これは、スリービーチ製の万能カメラアダプター等で望遠鏡で固定すると、合成樹脂製のボデーで軽量な上に、レンズシャッターなので、殆どブレが発生せず、綺麗な写真が撮れた。星夜写真は、F4.5のレンズで75㎜なので、ガイド撮影したら、プレアデス、ミニサイズのアンドロメダ星雲、天の川等、結構シャープに写った。

 中学、高校と一庫(ヒトクラ)ダムの建設前の調査活動をやっていて、建設予定地の地域文化とか自然の展示をやったが、写真班に属しており、このカメラが活躍した。中山間部の農村で働く人達をそれらしく、昭和史的に撮すことが出来た。高校以降は、ペンタックスの1眼レフが主役となった。

 ケースや取説は無くしてしまったが、ガイドパンフレットには、雄大なソビエトの山間地の風景で、万年雪を頂いた山を背景にタイガ森林、そして、小屋、ロシア風の服装をした少年の写真が掲載されていた。
 当時、デルス・ウザーラという映画が上演されていて、「こういった自然を撮すカメラなのか。」と思ったことを記憶している。

 現在、このカメラで撮影した写真はあまり残っていない。可哀想な弟が実験台で良く撮影したが、そうした写真はみんなアルバム毎、どこかへ行ってしまった。

 ソビエトカメラとの初めての出逢いであった。現在、2眼レフの新品は中国製のシーガル(海鴎)を買うことが出来る。当の中国人は、デジカメに興味を持っていて、こんなカメラには見向きもしないが、日本人のマニアが欲しがる。先日は、御堂筋線でヤシカの2眼レフを下げて若い女の子に出逢った。きっとオシャレ感覚で2眼レフを持ち歩いているのだろう。

全国大学女子駅伝の感想2008/12/23 16:21

 わずか3秒差で立命館に逃げ切られるなんて......

 よっほど、佛教大学は仏に見放されたのかなと思った。
 勝負なんて、そんなものと思った。

 余計に立命館の選手達に喜びを与えてしまった佛教大学の選手達、まさに一切利他の精神である。

 来年に期待したい。