物語と民俗2009/03/05 09:44

 先日、上巳の祓と源氏物語の関係について書いたが、実際に最近の源氏物語の研究論文の中にも、この作品の民俗的な傾斜に注目したものがみられる様になっているが、多くの場合、重要な視点が欠けている場合が多いようである。

 つまり、それは、「何故、民俗的な事象が描かれているのか。」という根本的な問題を解決しないままに、並列的に事実を述べている論考が多いからで、これでは、論文の点数稼ぎ以外の他ならないものである。

 「物語と民俗」のテーマを考える場合には、まず、「物語とは何かという定義」から出発しなければならない。

 しかし、この定義は非常に難しい。私は、「伝承の複合・結合」と常々考えている。

 例えば、「Aの由来はBである」といった伝承そのものは、物語として成立することは難しい。それが、「Bに由来するAがCに作用して、Dという現象が創出された。」という複義性が成立した時点で、それは、物語としての存在価値を獲得したことになる。

 物語(源氏物語の登場人物が述べているフルモノガタリ)の多くは口承伝承であり、平安初期は、漢文の形で記録され、後期に入っては、仮名文で描かれたり、絵画化されたりする。

 平安時代の「物語」とは、こうしたフルモノガタリを仮名文字で記述し、その「詞書」を絵画化して楽しむ総合リクレーションなのである。だから、源氏物語絵合巻において、物語絵の優劣を競い合う。そうした中で、例の須磨・明石の物語絵も展覧される。

 ここで、須磨・明石巻で、現前の場面描写として描かれていた上巳祓と海竜王の登場の場面は、フルモノガタリの素材として扱われ、それが複合性を獲得し、「物語」として成立した訳である。

 私たちは、源氏物語のこの様な展開を分析することで平安朝物語文学の成立過程と本質の一端を知ることができる訳だ。
 
さて、物語と民俗との関係は、
 ①物語の主題、あるいは、登場人物が民俗的主題に基づく場合。
 ②物語の展開がフルモノタリをベースにした民俗的要素を含んでいる場合。
 ③物語に描かれている場面を写実的に描く場合に、日常的な生活文化や習俗の描写の中で、民俗的な要素が無意識に描かれている場合。
 以上3類型に分類される。源氏物語の場合は、特に複合的要素を多く含んでいるが、②と③の類型が多くの場合当て嵌まる。但し、末摘花等は、原話形を分析すれば、①の要素も含まれていることは、否定できない。

 平安朝物語文学の民俗的事象を研究・論考の対象・テーマとして取りあげる場合には、これらの要素・類型を混同、あるいは,意識せずに扱った場合には、何ら具体的な成果・方向性が得られないものと私は考えている。(エライ先生方にもこの様な方が多くおられる。)

 まぁ、それは、柳田民俗学を否定した現代民俗学の盲点であり、国文学だけの問題ではないことを佛大の通信教育で悟った訳だが。

ぶんぶっちのお散歩地図2009/03/05 10:29

 PSPゲーム「日本のあそこで」と専用カメラがあれば、好きなスポットを写真付きで登録できる。

 実際に専用カメラで登録するのは非常に簡単。また、地図上の位置の特定も無線LANスポットがデータベースに登録されているところであれば、「現在地にワープ」というコマンドで簡単に特定できるので、スポットを登録してカメラでカシャッとやるだけである。

 カメラは、デジカメ(1眼レフ)よりも使いやすい。液晶画面に等倍に大きな画面で表示されるので、構図の詳細も確認できる。視力が弱い方でも簡単に撮影できると思う。

 但し、残念なのは、インターネットのペタマップに無線LAN経由で登録するのだが、非常に地図が扱いづらく見づらいので、これでは、気楽に利用できない。
http://petamap.jp/

 せめてGoogleの様に見やすさの工夫をして欲しい。
 図は登録したスポット梅田観覧車。この地図を公開している。なづけて、「ぶんぶっちのお散歩地図」

ガンヂーのインク消し2009/03/05 23:18

 「ガンヂー」のマークのインク消し「ミスノン」を製造販売していた兵庫県の丸十化成が倒産。修正液のトップメーカーだっただけに関係者の衝撃は大きいようだ。

 私も万年筆を愛用していた時には、よくこのインキ消しのお世話になった。少し黄色い染みが残ったが、良く消えた。

 最近では、白いテープを貼り付けるタイプの修正液が中心になったこと等で販売が伸び悩んでいたようだ。

 また、関西の「真面目な」会社が1つ姿を消した。
 財テクとか、脱税、贈賄、リストラに熱心な「不真面目」な会社が生き残る一方で、こんな会社がどんどん日本から消えていったら日本はどうなるのだろうか。