比較絵画論の新展開 「ブリューゲルと名所図絵」2009/03/11 13:45

 あちこちのブログで都市景観等をテーマにしたものが増えているが、そのコラボレーションというか象徴的存在として、特に京都の場合は、名所図絵、洛中洛外図等が脚光を浴びている。こうした作品を眺めていると、私は、ある体験が記憶の底から蘇ってくる。
 関西大学時代、殆ど授業に出席せずに卒業しているので、一日も一回も休まなかった講義は、数少ないが、西村規矩夫先生の西洋絵画史の講義は、毎回、一番前の席というかスライドが一番見やすい場所に陣取っての受講であった。
 16世紀後半から17世紀初頭にかけてのネーデルランド絵画の展開についてあった。その中で、ピーター・ブリューゲルの作品の解説は非常に面白かった。多くの美術史、美学研究家にありがちな印象批評あるいは、並列的な要素の羅列にとどまらず、様々な絵画に描かれた要素と作家の生きた時代、作風の変化との関係について、作品を幾つもみながら解き明かしていく内容であった。
 大学を卒業後、こうした講演や講義を聴く機会はなかったが、その後、30年を経て、佛教大学において、洛中洛外図のスクーリング講義を斎藤先生から拝聴するに及んで、その記憶の糸がつながった様に思われる。
 ブリューゲルの作品の中で、都市や村落の景観を描いたものは多々ある。そして、これは、非常にクローズアップされた描写対象と中景、遠景の組合せによって非常に立体的に描かれている。
 また、よくよく画面をみると、民俗的な事物が描かれている。これらは、ただ単に風俗を描写されているのではなくて、聖書の世界につながる隠喩が隠されているのである。
 当時の絵画論では、イコノロジー等の記号的な理解は、未だ主流となっておらなかったが、西村先生のご研究は、その様な傾向を既に示していたと思う。洛中洛外図の理解には、やはりイコノロジー的な要素も必要であるが、斎藤先生は、その段階にまでは触れられなかった。
 おそらく、中島純司先生もその様な考え方は邪道だと言われただろう。
 近世以前にも月次の習俗を描いた作品がみられるが、それは、クローズアップされた描写主体と中遠景の対比の中で、その様な隠喩を浮かび上がらせる手法はみられず、そうしたやり方は、16世紀から17世紀にかけての西洋絵画、とりわけオランダ絵画の影響を受けているのではないかと考える。
 これまでの研究では、洛中洛外図、江戸名所図絵等の景観画は、大和絵以来の伝統的な構図法で描かれており、その様な要素が入り込む余地がなかったと思われたが、イコノロジー的な分析を進めることで、新たな比較絵画論の対象としての可能性が見えてきたのではないかと私は考えるのである。
 というか、近世絵画の最大の特色としての民俗的傾向の一部は、こうした西洋画との交流も影響しているのではないかとさえ考えている。 祇園祭の鉾の装飾にも15~16世紀の西洋の風景を刺繍した織物が使用されており、こうした交流があっても不思議ではないのである。

 話は些かずれるが、近世源氏絵をみても、その傾向が見えるのである。桃山時代以前の源氏絵は残っているものは少ないが、物語の場面描写が主体であるが、近世の源氏絵は、源氏物語の場面に描かれている民俗的要素に絵師によって光が当てられる様になってくるのである。
 そうして、物語のストーリーや場面の主題よりも、四季と洛中・公家文化の習俗を描くことが中心になってくる。物語は、以前にも書いた通り、民俗的要素に対して、強い「吸水性」を有しているが、それが、近世以降の絵画描法と結合することで、内容的にも変質を遂げていくのである。そうして、近世日本画は、再び司馬江漢が西洋画の影響を受けるまで、この特徴は存在し続けているのだと、私は考えている。