少年雑誌の裏に白黒の汚い紙に細かく掲載されていたインチキ広告を思わせる様な商品2009/07/01 00:25

CyberShotDSC-W120で撮影
 またまた、衝動買いをしてしまった。

 昔、少年雑誌の裏に白黒の汚い紙に細かく掲載されていたインチキ広告を思わせる様な商品。

【倒産品】映像も音声もバッチリ記録!4GB内蔵ペン型ビデオカメラレコーダー黒×金◇PSVC-SU4GB
http://store.shopping.yahoo.co.jp/shopmisty/20090416-za03.html

 これって4GBのメモリーが3480円だけでも価値があると思った。しかも、万年筆の中に超小型ビデオカメラが仕組まれており、音声録音も出来るという。

 4GB分の音声録音が出来れば、こっそり背広にペンを刺しておいてオフレコの記事ネタもものに出来るのではとのはかない野心が購入に導いた。

 実際には代引き手数料と送料込みで4740円で5千円近くなった。4GBフラッシュメモリーとして考えたら相場値段か。

 注文して翌々日には佐川急便で届いた。写真の通り、実際に筆記も出来るボールペン。ところが、真ん中のネジを外すと、USB端子が現れる。この根っこに、静止画とビデオを選択出来るレバーがある。

 ピンの裏側にマイクが、ピンの上に小さい穴があるが、そこになんと超小型のCCDカメラが埋め込まれている。ちょっとみると、ただの穴にしかみえない。だから、この商品のことを知らない人であれば、全然撮影していても気づかれない。

 万年筆のキャップの上側にポツとしたボタンがあり、そこで電源オンや写真シャッターを切る。撮影、動画録画ともに、モニターは出来ない。

 実際に撮影してみた。歩行しながら、上着のポケットに刺しての撮影はブレテ無理。撮影は、やはり立ち止まってやらないと駄目。エスカレータでは、うまく撮影出来る。また、被写体がうまく撮れているかを確認するには、コツが入りそう。
http://www.youtube.com/watch?v=ruKNcgRQO18

 音声、画像の質は、この値段であれば、合格点だと思う。録音には使えそうだが、直ぐにバッテリー(USB充電)が30分位で切れてしまうのには気になった。

 パソコンのUSB端子に刺してデータを交換出来るので、音声録音機として活用しても便利。また、超小型ユニットなので、これをバラして、鉄道模型の走行車両に組み込めば、動画が撮影出来て面白いかも。

 くれぐれも盗撮など犯罪には使わない様に。

大阪の古書店を探していると、『澱川両岸一覧』が販売されていた。全巻揃いで20万円位。2009/07/01 09:40

 先日、『宇治川両岸一覧』という書物を紹介したが、この「両岸一覧」と銘打った書物が幕末にかけて、大量に刊行されているようだ。

 従来の名所図会は、モノクロ印刷であり、サイズも大きく、記載も江戸時代も終わりに近づくと情報が陳腐化しており、だいぶ、飽きられて来た。

 そこで新しい企画として、カラー版(数色刷り)、ハンディサイズ、最新の景物情報の提供というコンセプトで各地の「両岸一覧」が刊行される様になったようだ。

 昨日も、大阪の古書店を探していると、『澱川両岸一覧』が販売されていた。全巻揃いで20万円位。
http://www.human.osakafu-u.ac.jp/kamigata/books/chishi/chishi_01.html

 装幀や挿絵等も『宇治川両岸一覧』にそっくり。刊記をみるとやはり、文久三年とあり、宇治川一覧と同じ時期の刊行物で、大坂の書肆である河内屋喜兵衛等の相合版。

 幕末には、出版業界もそれ程、裕福ではなくなり、また、刊行物の当たりはずれも大きかったので、相合版による刊行が中心になったようだ。伏見の船宿の風景等も面白く、結局、宇治川両岸一覧の続編(同じ川筋を南下
している。)と考えられる。

 関東では、隅田川両岸一覧が刊行された。こちらは、もっとカラフルで錦絵調。北斎の作品なので美術的に優れている。
http://www.solmare.com/cbox_jp/photo12_duplication/ehon_sumidagawa/index.htm

 『澱川両岸一覧』の原形は、文政7年に刊行された)、『淀川両岸勝景図会』が元になっているようだ。仕掛け人は、同じく暁鐘成である。

 他にも、「両岸一覧」が存在しないのか、あるいは、名所図会との比較等の作業をやってみると、近世出版・絵画文化史の以外な面を探れるかも知れない。

 面白いのは、「両岸一覧」を元に小説まで書かれており、当時の文芸・風俗の中でも、「両岸一覧」を中心にコラボレーションされていたのが面白い。

四十雀が昨日から見えなくなった2009/07/01 23:08

ここへ来て、また、足の痛みがぶり返して跋扈に逆戻り。

今日は、大変な暴風雨がカサが逆さまになるし、帰宅時にはびしょぬれになる等、台風の時よりもひどい有様。

家の前の急さかを足を引きずりながら歩く惨めな姿を想像して欲しい。

自宅の庭の電柱に巣作りをしていた四十雀が昨日から見えなくなった。どこかに避難しているのだろう。嵐が来る前から彼らは、こんな風になるのを予知する能力があるのかもしれない。

また、無事な姿をみたいが、もう、無理なんだろうか。
今日、佛大通信院でご一緒したKさんという女性から句集をいただいた。ご年配(失礼)の筈だけれども、モダンな句を詠まれる。

少し、気になったのは、言葉のイメージが俳句の外に染みだして、それが、句の対象となる景物まで染めているのが幾つかあった。

そうなると、結局、自慰的な世界に陥ってしまうので、言葉のイメージは大切だけれども、やはり、詠まれる対象と俳句の言葉のイメージは、別々に独立したものでなければならないと思う。

言葉のイメージが優れた俳人は幾つもいらっしゃるが、どうどう巡りになってしまっている人はそれ程、多くはない。これが個性ということなれば、そうなんだろうけれども。

Kさんは船団の会に所属されており、坪内先生も目をかけておられる優れた人なので、私には、その様に言う資格はないが、読んでもらう為に私の家までわざわざ送って下さったのだから、意見くらいは言ってもよいかも。

Kさんと私が、昨年の9月の佛大の卒業式で記念撮影した写真も持っているし、佛大通信11月号にもそのお姿が載っている。(この11月号は、私の論文のタイトルが掲載されているというので、大学から送っていただいたものである。

それにしても佛大の通信大学院での活動が、今の充実した知的生活に結実している方が、案外、多いので、自分の様な人間は、駄目だと思ってしまいがちになる。(事実、その様に言われた佛大の先生もおられ、その通りだと私も妙に納得している次第。)

最近、私は、自分の人生のグレードを下流でもないと思うようになっている。今の心境・境遇は、まさに「川柳」ではなくて、「賤流」であると思う。