4.志を高く大きにたてて2009/08/17 23:23

志を高く大きにたてて

①さて、まづ上の件のごとくなれば、まなびのしなも、しひてはいひがたく、学びやうの法も、かならず云々してよろしとは定めがたく、又、定めざれども実はくるしからぬことなれば、ただ心にまかすべきわざなれども、さやうにばかりいひては、初心の輩は取りつきどころなくして、おのづから倦みおこたるはしともなることなれば、やむことをえず、今宣長がかくもあるべからんと思ひとれるところを、一わたりいふべき也。然れども、その教へかたも、又人の心々なれば、吾はかやうにてよかるべき歟と思へども、さてはわろしと思ふ心も有るべきなれば、しひていふにはあらず。
 
 さて、こんな風にこれまで述べてきたようであるのでどういった学問が良いとか悪いとか強いていうことは難しく、また、学習・研究方法もこれが必ず良いと定めることも難しい、又、定めなくても実は問題なく、ただ研究・学習者の意思にまかすべきことだけれども、そんな風にばかりいっては、初心者は、取りつきどころがなくなってしまい、自分から嫌になって怠けるきっかけにもなりかねないので、仕方がなく、今、宣長がこうあるべきだと思っているところを一通りのべた訳である。しかしながら、その教え方もまた、人の心であるので、私は、これがこんな風で良いと思っていても、(他の人)からみれば、悪いと思う心もきっとあるだろうから、強制することは出来ないである。


②ただ、己が教へによらんと思はん人のためにいふのみ也。

 だから、私(宣長)の教えに拠ろうと思っている人のみに話しているのである。これまでの宣長が述べて来たことを踏まえて、この書物では、特に宣長の考え方(教え)に賛同するものを対象にしようとしている。つまり、一般論とあくまでも宣長のポリシーを明確に分けて述べようとしている。

③そは、まづかのしなじなある学びのすぢすぢ、いづれもいづれも、やむことなきすぢどもにて、明らめしらではかなはざることなれば、いづれをものこさず学ばまほしきわざなれども、1人の生涯の力を以ては、ことごとくは其奧までは究めがたきわざなれば、其中に主としてよるところを定めて、かならずその奧をきはめつくさんと、はじめより志を高く大きにたててつとめ学ぶべき也。然して、其余のしなじなをも、力の及ばんかぎり学び明らむべし。

 それは、それぞれの学問分野や研究方法、どれをとっても、否定することは出来ないものなので、明らかにしないではいられないことなので、全てを残さずに学んでしまいたいのだけれども、1人の生涯の力では、全てをその奥義まで究めることは、到底出来ないので、その中で、最も重要で中心となるところを定めて、必ずその奥義を究め尽くそうと、最初から志を高く(目標を高くもって)努力して学ぶことだ。そうして、最も重要な事柄に加えてその残りの部分についても力及ぶ限り、学習・研究し、明らかにしなければならない。

 どの様な学問分野もそうであるが、まず、どの部分が最も重要か見極めることが大事である。しかし、あまりにも目標を低く設定してしまうと成果が得られない。自分の能力の限界等を踏まえて研究分野・範囲・目標を定めるべきだと述べている。宣長の晩年の文章なので、この様な記述が出てくるのだと思う。特に古事記、日本書紀の膨大な量の中から、何が重要なのかと言う点を見いだすこと自体が非常に難しい。

 源氏物語の研究もそうで、あの膨大な作品を読み通すだけで、大変な労力である。この為、私は、最新の情報処理技術を応用して、これらの問題について対処しようとした。具体的には、コンピュータデータベース(語彙と文章)の作成、分析等を行った。それによって見えてきたものがあるが、全体を貫く様な「心」というか、そういったものを未だ見いだせず、この調査がどの様な「意味」を持っていたのか、未だにまとめることが出来ない。一方、「光源氏の言葉」以来、表現論の研究を中心に行ってきたが、それは、文体、会話文の表現、場面、情景描写を中心としたものであり、それを絵画論にまで発展させたものの、宣長の様な「高い志」がないので、結果に結びつかないでいる。

 「志」と簡単に一言で言っても、それは、人それぞれであり、必ずしも学問の対象の本質につながる訳でもないと思う。しかし、その「志」を、学習・研究の日常生活のポリシーとして、貫き通すことによって、その人にとっては、「一貫性」、「意味」がある成果をいつの日にかまとめることが出来るのではないだろうか。

 写真は、宣長が研究生活を送った家。常に清浄な光と空気の流れがある。シンプルな設計の中に、「志」を活かすことが出来る様に工夫されている。

 「志」とは、「日常生活」そのものでもある。知識の混沌とした部分を清明に変えるという宣長の「志」の「生活実践の場」でもある訳だ。

 それが、次に述べる「道」という考え方につながっていく。

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