佐久間清太郎からは、徐々に精気が失われ、やがて死に至る2009/11/01 09:50

 以前、白鳥由栄に関して、このブログに書いた後で、ある読者から吉村昭の『破獄』を読んだらとお薦めを受けたがほおっておいた。

 しかし、その後、なんとなく「破獄」が読みたくなって、ジュンク堂書店で購入。

 早速、読み始めた。主人公の名前は、佐久間清太郎。

 実際には、この人物だけの描写ではなくて、大正末期の破獄事件から、佐久間清太郎が無期刑の判決を受けて、昭和11年の青森刑務所に服役を始めるまでの刑務所の歴史等が、前史として描かれた後、年代順に、秋田刑務所、網走刑務所、札幌刑務所脱獄に至るまでがノンフィクション的に描かれていく。

 記述の内容としては、佐久間清太郎についての記述が20~30%程度みられるが、残りの70~80%が、刑務所が社会・パラダイムの変化でどの様に翻弄されていったかの記述にウエイトが置かれている。

 刑務所に関連する行政制度、法規で、収監・管理体制がどの様に変わっていったかが、経年的に記述されていく。昭和史の一側面といっても良い状況が、刑務所制度の視点から描かれていくのは、ユニークである。

 2.26事件についても簡単に描かれており、更に、その後の挙国一致体制の中で、収監者の扱いはどう変わっていったか。
 資料は、当時の新聞記事、刑務所関係者からの聴取、あるいは、囚人直々のインタビューもあったかも知れない。

 刑務所は、北海道から沖縄まで存在するが、全国の刑務所が戦中から戦後にかけて、どの様な状況に見舞われていったが、非常に詳細に記述されている。引用文献、資料の所在が明記されておれば、これはこれで貴重な学術資料になる。

 ところが、肝心の佐久間清太郎については、舎監からの視線、あるいは、やり取り、事実が描かれており、佐久間清太郎の心理も3人称的、観察的に描かれていて何やら、物足りない。でも、これが著者の個性というか、この作品の特性なんだろうと思う。

 破獄の技術についても書かれているが、もっと詳細な検証、分析が欲しかった。

 国民の死亡率と囚人の死亡率が戦前から戦中、戦後まで時代の推移を示す指標・示準として書かれているが、戦時中の食料配給制度の中で、網走刑務所の収監者の労働作業を行っている囚人に与えられた食事は、一般国民や舎監よりも上等であり、こっそり囚人食をつまみ食いしていた舎監が免職処分になった事件も扱われている。

 戦況の悪化の中で、看守の待遇は囚人に比される程ひどいものであった。しかし、それも戦況の悪化で、求人難となり、囚人の管理・監督が困難になっていく。

 そこで登場したのが、特警制度というもので、模範囚が重罪囚人を管理させる「自治組織・部隊」の様なものであった。

 しかし、これも、戦後に入ると、暴力団関係の囚人が幅を効かす様になり、刑務所長に力づくで、仮釈放を強要する事件まで発生する。
 戦後になって、政治犯が釈放され網走を出獄する宮本顕治の様な獄中非転向を貫いた政治犯の釈放の様子も描かれている。

 宮本は、東京の刑務所に収容されていたが、戦況の悪化で、爆撃によって囚人が逃走するのを防ぐ為に政治犯、凶悪犯は地方の刑務所に移送されたのだった。

 戦後も佐久間清太郎の破獄は続く。一番、破獄が困難だったのは、やはり網走刑務所であったろうと思うが、その後の札幌刑務所以降は、刑務所自体の管理能力の低下で、破獄は驚く程簡単であった。

 佐久間清太郎の脱獄が回を重ねるにつれて監視、拘束が強さを増していき、未来少年コナンに描かれている様な手錠や足枷で拘束され、犬の様な姿勢でしか食事をさせてもらえない。

 それでも佐久間清太郎は、看守との心理作戦でまず勝利を収め、心理的に圧倒し、ひるんだ隙に脱獄をする。刑務所側からは、脱獄ではなくて、「事故」という呼ばれ方をしているのが面白い。

 結局、刑務所における囚人管理の中で、最も重要なのは、分厚い壁や高い天井、容易に破壊されない拘束具ではなくて、舎監と囚人の心理的関係である。

 最後に収監された小菅刑務所では、佐久間清太郎は脱獄しなかった。それなりに人間性を尊重され、部屋に小鳥まで飼育することを許される。彼の視線は穏やかに変わり、「もう、疲れましたよ。」といって脱獄を止める。

 佐久間清太郎の目は穏やかになり、模範囚として、釈放されて工事現場で働く、最後に浅草の映画館で心臓発作を起こして死ぬ。拘束が解かれた佐久間清太郎からは、徐々に精気が失われ、やがて死に至る。

 でも、模範囚としての佐久間と脱獄を繰りかえした佐久間とでは、どちらが人間的魅力を持っているだろうか。
 
 つまり、佐久間清太郎は、拘束・抵抗・破獄という流れ中で、逆境への抵抗が壮年期を通じた人生のエネルギーだった。

 戦前・戦中の刑務所を取り巻く環境、国民全体が牢獄に閉じ込められた様な状況から、自由民主主義への変化で、国民の覇気も失われ、脱獄を諦めた佐久間と比較されている。

 戦前から戦後に至るパラダイムの変化に翻弄された国民全体の象徴として佐久間清太郎が描かれているのではないだろうか。

 文章表現等が読みづらい面があり、描写技術は今ひとつだが、内容的には充実した作品だと思った。