リポート笠間の面白い記事2009/12/17 20:46

 大学の偉い先生方にボーナスが支給される時期なので、私にも○○先生と題して書店からセールスが送られてくる。
 ○○先生なんて烏滸がましい。著書はたった1冊で、しかも、なんのまともな職業にもついていない。(業界紙記者はまともではないと思う。)

 笠間書院では、おまけに立派な「リポート笠間」という雑誌をくれる。

 貧乏なので、無料というのは有り難い。

 今回の記事で面白かったのは、「日本」と「文学」を解体するという冒頭の座談記事。
 実際の内容は、「解体」なんて、それこそ烏滸がましい。

 保守的で大人しい内容。三流新聞の見出しとかそんなのに似ている。
 12頁の「古今集」真名序と仮名序で日本は初めて独立を果たしたという発言がみられるが、いかにも日本をナメているガイジン学者いいそうなことだ。

 
 日本は別に古今集が出来る前から、立派な文学表現が出来る国であるし、古今集の真名序という独創を産み出して「一人前になった」というのならば、それもウソで、もともとは、毛詩国風の序文(写真は、その原典写本。たしかキョウダイ図書館の蔵書)に書かれている表現であり、それを模倣したのに過ぎない。

 それよりも真名序があり、仮名序を制作する時に、仮名もじによる表現というスピリット(○○○魂)に目覚めたというのが真相ではないだろうか。
 毛詩国風の序文というのは、結局、男女の間柄と詩文の真髄について書かれた文章だと思うが、古今和歌集の序文の作者は、和歌という限られたジャンルに凝縮する意図を持たせている。
 実は、この毛詩国風の序文のコンセプトは、源氏物語若菜下の光源氏の言葉にも引用されている。
 
 
ここでは、毛詩序文の本来の意味、それは、男女の情愛、芸能、詩歌、物語という広い意味的領域を持たせ、それをこの架空の物語の主人公の述懐の言葉にオーバーラップさせている。

 写真は、拙論、「光源氏の言葉」から。
 
 リポート笠間の記事は、その点、昔の研究を想い出させてくれた点で、まあ、楽しい一時を与えてくれたと思う。
 他の頁をみると、「西行学会」というのが組織されたらしい。面白いのは、国文学に関連する学会の企画・運営が、徐々に大学の手から離脱していっているという現実である。

 国立も私立にも、佛教大学を除いて日本語・日本文学科は、淘汰、消滅してしまい単なる学修コースに成り下がっている現実の中で、もはや大学教育の場で学会を運営する力が失われてきている現実がある。
 こうした「ニッチ」に注目し出しているのが、学術書出版業界で、先生方に換わって知的モチベーションの喚起から、メンバーの募集、学会行事の運営、会員の管理、機関誌の編集と出版、送付という総合サービスを引き受けるという市場が形成されつつある。
 学者先生は「飾り物」、主役は実は、出版社なのである。
 まぁ、規制緩和、「民営化」でこの旧弊な大学教育の中での「国文学のお研究」にすきま風が吹き込んでくれたら良いと思っている。



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