ほとんど病気が悪化しない特効薬、グリベックの存在を知った2010/05/09 10:33

 叔母がなくなって2ヶ月が過ぎたが、今でも、あの別人の様に痩せた死に顔が忘れられない。

 私、私の母同様に太ってミジンコの様な体型が、スラッと別人の様になって、まるで、そのままで死んではみっともないから、死に支度として、ダイエットしたかのよう。

 でも、今日、毎日新聞朝刊をみて、同じ病気の患者さんが同じ様なやせ細った顔をされているのをみて、この病気の恐ろしさをしった。

 同時に服用すれば、ほとんど病気が悪化しない特効薬、グリベックの存在を知った。
http://www.gsic.jp/cancer/cc_21/cml/cr.html

 叔母も主治医も当然、この薬の事は知っていたと思うが、80歳を過ぎていて、微少な年金、国保という経済状態から、使用を断念したのかもしれない。

 確かに治療効果はあるが、エイズの薬と同様に、服用を1度でも中止したら、病勢が一気に加速して死に至ることもある。

 この薬、たった1錠で3000円(保険適応)を超える。最新の薬なので、それだけ、開発費がかかっているという理由で、薬価が馬鹿高い。高額医療費還付金を入れても月間で12~13万円の薬代がかかってくる。

 年金生活者の場合は、生活費を超える金額の薬で、死ぬまで飲み続けなければならないとなれば、それは、「一生の貧困」が約束されたようなもの。

 新聞でも問題とされていたのが、高い薬価であるが、もし、薬価に上限が設置された場合には、製薬会社は、新薬の開発を諦めるので、資本主義の世の中では、貧乏人は、いずれにしても、高額な薬の使用をあきらめねばならない。


 叔母は、絵描きであった。いわゆる「芸術文化産業」の担い手である。この芸術産業では、米の流通における百姓と同じで、最も、報酬が低いのが、生産者、一番高いのは、誰かということになるが、やはり、「学者先生」だろう。

 どこかのブログでもみたが、某アカボスの場合、著書の印税、講演費用、大学の給料(私学の教諭の給与の中では、年間1000万円以上とみられる)、その他諸々の雑収入で、贅沢三昧の暮らしをしている人もおり、それがブログでも自慢気に書かれている。

 ここまで贅沢を自慢されると虫酸が走る

 「芸術産業」では、「担い手・生産者」に寄生する方が、ずっと割が良いようだ。

 叔母が少しでも良い薬が使えて、1年でも長生き出来ておればと悔やまれてならない。

 こんなに貧乏では、どうにもならないが。

 社会的弱者をクイモノにする医薬・医療業界と、大学教育産業との共通点が感じられなくもない。

ブッダ物語2010/05/09 10:57

先日、櫻井市のブックオフで購入した「ブッダ物語」を読了した。

東京大学の中村元先生が書かれただけあって、内容は、アホでも判る様に簡単である。

馬鹿な学者が書いた本ほど、判りにくいというのは、本当だと思う。

先生の著書で、ブッダのことば、ブッダ最後の旅、浄土三部教、そして、あの仏教学大辞典を所有しているが、いずれの本も必要不可欠な書物となっている。

ブッダ物語と言えば、釈迦の生涯を描いた本と思いがちだが、そうではない、「ブッダの物語」なのだ。

ブッダは、悟りを開いたものだということなので、過去にも何度も生まれ変わって、2500年前には、釈迦となってこの世に現れたという。

これは、まぎれもない大乗仏教的なブッダの生涯観と言えよう。

スリランカとかそういった原始・部派仏教の伝統が残る地域では、ブッダ=釈迦なのだが、大乗ではそうではない。

つまり、大乗では、輪廻転生が前提になるが、原始仏教では必ずしもそうではない筈。

中村元先生は、大乗仏教の立場なので、釈迦の悟りは、悟りを得て涅槃の境地に達することは、すなわち輪廻・転生のカルマからの解脱を意味することになる。こうなると、四諦は、大乗的悟りに至る煩悩を払いのける「過程」として認識される。

一方、原始仏教では、松田先生によれば、「アートマンが存在しないのならば、輪廻転生も存在しない。」ということが、ブッダの教えだという。大乗とは、根本的に異なる。

つまり、アートマンの存在を認めないのだから、そもそもみんなが恐れる生涯を超えて永劫に続く苦しみ等、存在する筈がないというのである。

大乗仏教的なブッダ観の中で四諦は、あくまでも「過程」的な扱いだが、原始・部派仏教では、「四諦を認識・実践することこそ、ニルバーナ」という事になる。

松田先生は、原始仏教と大乗仏教の逆転についてもいろいろとふれられ、様々な仏伝(古今東西の作品、文学も含めて)を俯瞰され、本来のブッダを言ったことと全く逆のことを言っている本、作品もあることを示唆されていた。

そうなのかは、僕には判らないが、この本自体はわかりやすく、大乗仏教の日本人が知るべき「ブッダの姿」はこれで良いのかもしれない。

とんだ母の日2010/05/09 22:16

グリベックは、血液の癌の特効薬ということだが、
医療制度とかそういったことを批判するよりも、
叔母の病気を知っていたら、僕は、どんなことをしても
この薬を手に入れて叔母を長生きさせてやりたかった。

残念ながら、叔母がこの病気と一年間闘病していたのを
知ったのは死後だったが、もし、早い段階で知っておれば、
グリベックのことを知って、高くても、使ってみる様に、
叔母に勧めたろう。

1年前に自宅に叔母が来たらしい。その時に、母には、
病気や薬のことを言わなかったが、お金を貸して欲しい
と言っていたという。きっと、グリベック治療に必要なお金
を確保する為だったに違いない。

母は、何も知らずに「なんてがめついんだろう。」と言って
いた。

残念ながら、この話も僕は知らされなかった。
もし、知っていたら、このぼろ家などは買わずに自分の
財産を全て、叔母の薬の為に使っても良かったし、
カードローン限度額まで借りてでも、500万円位用立てる
ことが出来たら、少なくとも3年間分の薬が買えた筈だ。

当然、僕の生活や生涯は滅茶苦茶になるが、それでも
叔母に生きていて欲しかった。

少なくとも自分よりも「生きている価値がある」つまり、
他人のお役に立っている人間だったので、こういった時
には、自分を犠牲にしてでも、助けるのが、親族と言う
ものだろう。

母親にこの薬のことを話したら、泣いていた。
とんだ母の日だった。

アサリ採り2010/05/09 22:48

 八日目の蝉の最終回、無事にみることが出来た。ラストシーンが良かった。あんな夕陽は、最近はみたことがない。

 小豆島に預けられている時に、アサリ採りに祖母が夕方の海に連れていってくれた。

 夕飯は、毎日、祖母がアサリ採りにいって、味噌汁の具にしたり、佃煮にするのが日常だった。

 アサリ採りが終わって、大きな夕陽が海に沈むのをみながら、どうゆう訳か、「壇ノ浦の平家」、「船幽霊の話」や「極楽浄土」、昔、この浜からお坊さんが船出して、極楽に向かった話等、色々なものがたりをしてくれたことを記憶している。

 祖母は、毎日、ヒヨコの様に、僕が泣いていたので、色々と慰めてくれた。

 時々、従兄が小豆島の家に泊まりに来た。叔母がフランスに絵の勉強に行くというので、従兄も、預けられていた。六ヶ月位だった。従兄は、学校に行かせてもらっていたが、僕は駄目だった。祖父に気に入られていたので、放してもらえなかったのか、戸籍の問題か何かがあったのかも知れない。

 フランスにいる叔母から小包が従兄の元に届けられて、エッフェル塔の模型とか、自動車の模型等を見せびらかされるをみて寂しい思いをした。

 僕は、チョコレートを1個もらっただけ。しかし、これが、ブランデーチョコだったので、後で、フラフラになった。

 夜には、従兄とテレビをみた。なんと子供部屋にテレビをおいてもらっていたので、ウルトラQ等を一緒にみた。

 憎たらしい従兄だったが、やがて別れる時が来た。フランスから帰国した叔母が向かいに来たのだ。

 叔母は、僕のことが可哀想になって、色々と気を使ってくれたが、所詮、「他人の子供」である。

 従兄が、この島から出られると聞いて、どんなに羨ましかったことか。俊寛の様に足摺して悔しく、水木から坂手港に向かうバスが出た後もその後を走って追いかけたものだ。

 その日の夜は、祖父も気遣って、島の料亭にご馳走を食べに連れていってくれた。島で暮らす内に、魚料理が好きになっていた。

 島のあちこちに言ったが、お寺参りやお遍路はしなかった。祖父が抹香臭いことが大嫌いだったから。また、祭やその他の行事に参加させてもらえず、島の子供社会から僕は、隔離されていた。

 僕は影の様な子供だった。

 それから2年が過ぎて、ようやく両親のもとで暮らせる様になったが、嬉しがって、わあわあ泣いたら、父親が、「男がそんな風になくもんではない。みっともない奴だ。」と足蹴にしたので、余計、悲しくなった。

 川西に帰ってきたら、島の生活とは全く違っていた。近所の子供とも打ち解けられず、ドラマで言っていた「ここには、青い空も、海も、擦り傷の様な電線があるばかり。」という台詞は良く出来ていると思う。

 あんなに嫌だった島が恋しくなった。

 また、いつの間にか、弟が生まれており、ずっと一緒に暮らしていた弟だけを父親は可愛がった。

 映画に出ていたフェリーターミナルは、岡山に日生向けのフェリーなので、土庄港なのだろうか。僕たちが幼い時は、神戸から坂手港行きの水中翼船と、関西汽船が出ていた。
 
 船が好きで、どんなに高速艇が揺れても酔わないし、近所の漁師に沖まで漁に連れていってもらったり、祖父と一緒に釣り船に乗って、沖合でエンジンが故障したり、色々な目にもあった。

 ところで、八日目の蝉の最終回は、大人になった薫ちゃんが、子供の時に似ていないのが残念だった。しかし、安物のドラマの様に、涙の再開ではないのが面白かった。