なるほど、似たような趣味の先生なんだ2010/05/06 20:59

 5月に入ってお尻の病気がまた悪化。

 膿んで夜中でも痛いので、ついに医者へ。

 以前は、池田市の某クリニックでみてもらっていて、このお医者さんは、名医だけど、やはり、神戸市北区から池田まで、通院は大変。特に手術等をしたら悲惨なことになる。

 そこでネットで検索して、元町駅近くの某クリニックへ。

 「初診でーーす。」ということで待合いに入ると、いきなりバッハのカンタータが流れている。」

 初診のアンケート等を書き終わって、時間が余って本棚をみると、レコード芸術5月号が、あったので思わず手にとって読んでいた。

 最近のクラシック音楽のアーティストはティーレマン以外は興味がないので、この雑誌を買っていなかったで、「今は、こんな風になっとんのか」と読んでいると、ニコニコしながら先生が現れた。

 若い先生だ。
 なるほど、似たような趣味の先生なんだと思った。

 お尻は、抗生物質の塗り薬を処方されたが、治らなかったら、切開されるという。

 代金の支払いをしながら、受付のテーブルには、このビラが。

 「先生、これに出演されるんですよ。」ということで、芦屋交響楽団の団員さんだったのだ。自分も芦響に大学時代の知り合いがいることを話すと、このビラを渡された。

 神戸市の医院は、医師会かなんかの協定で、木曜日の午後は休診ということになっているが、この先生は、土日の練習時間を確保する為に月~金まで診察日で、土日、祝日は休まれている。

 こういった点で神戸というのは、なかなかおもしろい町だ。仕事の知り合いで生田に住んでいる人は、オペラ(当然、端役の後ろで歌っている人たち)をやっているし、そういった地域なので、ウマが合いそう。


 コンサートは、シンフォニーホールで、シューマンの交響曲第2番という渋い曲をやる。シューマンが頭がおかしくなってから作曲したので、第2楽章なんか、分裂症の人が幻聴を聴くようなフレーズが聞こえてくる。

 大好きだった、ジョゼッペ・シノーポリが、この曲を丁寧に精神科医領域のアナライズをして聴かせてくれたし、バーンシュタインが最晩年にユースオーケストラを指揮したとき、どうゆう訳かこの曲だった。

 今年は、シューマンとショパンの生誕200年祭なので、中期ロマンの傑作の演奏会が聞けそう。ショパンは、ラ・フォルジュルネとかそういうので、やられるが、シューマンのピアノ曲を本格的に引けるひとはいないと思う。

 個人的には、完全におかしくなったシューマンが、ヨハヒムに捧げたヴァイオリン協奏曲イ短調が大好き。第1楽章は妙にまじめなのに、最後のロンド楽章は、ヒラヒラと方向感が定まらず、どこに行くのかわからない様な曲。

 どうゆうわけか、この曲、シェリングが録音しているが、名演だ。

 シューマンの甘ーーいピアノ協奏曲は、あんまり好きではない。
 ショパンのピアノ協奏曲は、さすがにツィメルマンの指揮と演奏のCDは関心したが、これもやりすぎ。人工甘味料の固まり、昔、幼いときにチクロという甘味料があったが、あの毒性に似ている。

 ショパンは、やっぱ、あの葬送行進曲があるピアノソナタ第2番が秀作だろう。ユーゴスラビアのチトー大統領の葬儀のテレビ中継で、この曲が流れた時、1つの時代が終わったと思った。その後、バルカンの内乱の悲惨さの始まりの葬送行進曲だった。

 でも、このソナタの何よりも、すごいのは、わずか数十小節の終楽章で、これは、完全に調性を逸脱して、シェーンベルクのセリーの様に主題が螺旋の様にもつれ合って変化して、最後に静止して、思い出したかの様に主和音が、ガーンと鳴り響いて終わる。

 大昔のルービンシュタインの演奏をピアノロールで聴いた時、本当に感動した。ピアノロールで、ブラームスやマーラーの演奏とかも聴いたが、速い曲は苦手で、この終楽章もテープの遅回しの様に聞こえたことを記憶している。

まだ、ビッグイシューの方がマシ2010/05/08 09:48

 今年で、私は、50歳になる。

 50歳と言えば、人生における活動の成績結果というか、通信簿が渡されるようなもの。

①人生の各段階のステージが、平均水準以上で、クリア出来ているか。
②生涯年収の額は、平均値以上に達しているか。不動産、預金額等。
③ボランティア、社会的活動・文化的な貢献を行い、その結果が、社会に認知されているか。

 
 人生絶対評価だと言われるが、私は、そうではなくて、やはり、社会的には相対評価になる。

 高校の進路指導教員からは、「君らの世代がどうゆう訳か最悪」と言われたことを思い出すが、「最悪」の無気力の状態にしたは、此奴らだ。

 不動産の面では、高校の同級生が、阪急宝塚沿線の豊中の駅近郊に200坪の邸宅を建てて住んでいる。この人が、やはり勝ち組だと思う。某省庁に入省して20年がすぎて、今は、関連企業に勤めているが、やはり稼ぎ頭である。

 私と年収を比べると10倍位は違うようである。資産がなくても、人生の各ステージをクリア出来ておれば、50歳としては、合格だと思う。

 私の世代は、戦後の日教組による悪しき平等教育が最高潮に達して時代であり、その結果が、僕らの世代にピークを迎えた没個性、没無気力である。

 僕の同級生で、邸宅を建てた友人以外は、日航機やJR事故で死んだり、あるいは、うだつの上がらなかった人間ばかりである。東大を出た人が1人いるが、この人も2流大学の講師どまりである。

 やはり、世の中に求められる「商品価値」を持っている人間は、僕らの受けた「日教組教育」の中では、出てこなかった訳だ。

 本当に、当時の学校教育は、ソビエト、中共、北鮮、ホーチミン政権下の北ベトナム以上の「共産社会主義的教育」が行われていた。
 それは、あたかもソビエト連邦の崩壊につながったと同じ社会的アノミー、無気力を生み出していた。

 学生も表面的には、平等の陰にかくれて、その範疇でやった様なサボタージュや不正等は、大目にみてくれるような気風があり、個性があるものは、毛沢東革命下のブルジョアの様に排除された。

 今の社会は、全く逆になっている。5月号の佛大通信の座談会の内容をみても、そうで、社会的に個性やステイタスが発揮出来ない人間は、平均以下としてみなされる社会である。

 佛大通信の編集内容もこの数年間で様変わりしたと思う。もっと、日常的な出来事が取材の中心であったのが、なにやら、特殊な、専門的な高い地位にいる人を中心に扱われており、これでは、読者の共感が得られない。

 日常のどうでも良いツマラナイことの方が、通信教育を受ける社会的弱者にとっては、共感を呼ぶのである。

 まだ、ビッグイシューの方がマシである。

 そういった意味で、小泉政権下での教育改革でかなり、教育と医療保険制度に関しては、改善されたと思う。
 「格差社会」と言われるが、実際には、「個性・能力が評価される社会」への変革が、一定の効果があげた。
 「骨太改革」は、政財界には、大きな効果をもたらさなかったが、教育面では、大きな効果を上げた。日教組を排除し、独自性、個性、才能を伸ばす教育、規制緩和により、悪しき平等主義を排除し得たからである。

 こういった教育改革の恩恵を受けた世代が世界的に活躍しているのをみると、やはり、羨ましいというかとてつもない劣等感を感じているのが実際のところ。
 芸能・文化、例えば、ショパンピアノコンクール等で日本人が優勝出来るという状況は、永遠にやって来ないと僕らの若い時代は、常識だったが、今や、バンバン入賞している。
 一方、一般的な芸術音楽への認知や理解は、僕らの若い時代と変わらない。つまり、この社会は、非常に浅く、程度の低い部分と、「宇宙人」の様に深く、専門家した部分が分かれてしまっている。
 でも、「商品価値」は他の「商品」との差別化によって、生まれるので、当然、起きるべき現象である。

 これが、グローバリティ、グローバリズムということなのか。つまり、没国家、没社会(悪い意味での平等的な集合感)は、国境の垣根を越えて広がり、全世界的に優れた人間が下層の人間を支配することで、更に文明を前進させようとしており、これは、21世紀のモノリスなのだと思う。

タイムマシンビューワーをゲット!!2010/05/08 20:32

「貴方の家、居住地域の数年前の様子が見えます。」

GOOGLE EARTHの面白機能を発見。
なづけて「タイムマシン」機能。

文字通り、地域によって情報の有無があるが、2002年から2010年までの画像を同じ地域で比較出来る。

但し、ストリートビューには、この機能は、現在のところない。

ツールバーの上のところの時計マークがタイムマシンビューワーの機能である。

実家の周囲は、増改築が呆れるほど活発なので、毎回撮影される度に近所の屋根の様子が変わっているのが判る。隣の土地に家がだんだんと建て込んできているのが判って鬱陶しい。

おうぶの家をみても、面白い。

先日、ベランダの巨大な波板を張り替えたばかりだが、この家の「過去」の様子を「タイムマシン」で観察すると、2002年、2004年のデータでは、以前に存在した筈の波板が、画面に白い形で表示されるが、2006年以降は、なくなっている。このことから波板が壊れたのは、2005年から2006年のことで、今から4年前、比較的最近まで存在していたことが確認される。

波板が壊れたのか、汚いので嫌になって外したのかは判らない。以前、記事に書いた柱のマーキング(子供の身長)は、2007年まで続いているので、前の住人は、波板が壊れた後もこの家に棲息されていたことになる。

この家の1階の雨漏りの原因は、波板がなくなって、ベランダに水がたまって、雨樋が詰まっていた(雨樋には、波板の破片がつまって水が流れなくなっていたのである。)のが原因。

おそらくは、前の住人は、少なくとも今から4年前から、雨漏りに悩まされていて、それが、この家を諦めるか、見捨てた原因になったのかもしれない。(一度も雨樋を修理した形跡がないので、放置されていたのだろう。)


推理小説家か考古学者になった気分である。

写真は、某国のミサイル基地周辺。年代別に比較することで基地の拡張の様子等を知ることが出来る。結構、そういった実用性もありそうだ。



こちらは、スパイ大作戦である。

特に都市社会学、災害社会学等を研究されている人は、都市の景観変化、開発状況、あるいは、災害による変化等のデータを得ることが出来る。
残念ながら、正確な撮影日、撮影時間を知ることが出来ないので、学術データとして、そのまま活かすことは出来ないが、参考資料位にはなるだろう。



ほとんど病気が悪化しない特効薬、グリベックの存在を知った2010/05/09 10:33

 叔母がなくなって2ヶ月が過ぎたが、今でも、あの別人の様に痩せた死に顔が忘れられない。

 私、私の母同様に太ってミジンコの様な体型が、スラッと別人の様になって、まるで、そのままで死んではみっともないから、死に支度として、ダイエットしたかのよう。

 でも、今日、毎日新聞朝刊をみて、同じ病気の患者さんが同じ様なやせ細った顔をされているのをみて、この病気の恐ろしさをしった。

 同時に服用すれば、ほとんど病気が悪化しない特効薬、グリベックの存在を知った。
http://www.gsic.jp/cancer/cc_21/cml/cr.html

 叔母も主治医も当然、この薬の事は知っていたと思うが、80歳を過ぎていて、微少な年金、国保という経済状態から、使用を断念したのかもしれない。

 確かに治療効果はあるが、エイズの薬と同様に、服用を1度でも中止したら、病勢が一気に加速して死に至ることもある。

 この薬、たった1錠で3000円(保険適応)を超える。最新の薬なので、それだけ、開発費がかかっているという理由で、薬価が馬鹿高い。高額医療費還付金を入れても月間で12~13万円の薬代がかかってくる。

 年金生活者の場合は、生活費を超える金額の薬で、死ぬまで飲み続けなければならないとなれば、それは、「一生の貧困」が約束されたようなもの。

 新聞でも問題とされていたのが、高い薬価であるが、もし、薬価に上限が設置された場合には、製薬会社は、新薬の開発を諦めるので、資本主義の世の中では、貧乏人は、いずれにしても、高額な薬の使用をあきらめねばならない。


 叔母は、絵描きであった。いわゆる「芸術文化産業」の担い手である。この芸術産業では、米の流通における百姓と同じで、最も、報酬が低いのが、生産者、一番高いのは、誰かということになるが、やはり、「学者先生」だろう。

 どこかのブログでもみたが、某アカボスの場合、著書の印税、講演費用、大学の給料(私学の教諭の給与の中では、年間1000万円以上とみられる)、その他諸々の雑収入で、贅沢三昧の暮らしをしている人もおり、それがブログでも自慢気に書かれている。

 ここまで贅沢を自慢されると虫酸が走る

 「芸術産業」では、「担い手・生産者」に寄生する方が、ずっと割が良いようだ。

 叔母が少しでも良い薬が使えて、1年でも長生き出来ておればと悔やまれてならない。

 こんなに貧乏では、どうにもならないが。

 社会的弱者をクイモノにする医薬・医療業界と、大学教育産業との共通点が感じられなくもない。

ブッダ物語2010/05/09 10:57

先日、櫻井市のブックオフで購入した「ブッダ物語」を読了した。

東京大学の中村元先生が書かれただけあって、内容は、アホでも判る様に簡単である。

馬鹿な学者が書いた本ほど、判りにくいというのは、本当だと思う。

先生の著書で、ブッダのことば、ブッダ最後の旅、浄土三部教、そして、あの仏教学大辞典を所有しているが、いずれの本も必要不可欠な書物となっている。

ブッダ物語と言えば、釈迦の生涯を描いた本と思いがちだが、そうではない、「ブッダの物語」なのだ。

ブッダは、悟りを開いたものだということなので、過去にも何度も生まれ変わって、2500年前には、釈迦となってこの世に現れたという。

これは、まぎれもない大乗仏教的なブッダの生涯観と言えよう。

スリランカとかそういった原始・部派仏教の伝統が残る地域では、ブッダ=釈迦なのだが、大乗ではそうではない。

つまり、大乗では、輪廻転生が前提になるが、原始仏教では必ずしもそうではない筈。

中村元先生は、大乗仏教の立場なので、釈迦の悟りは、悟りを得て涅槃の境地に達することは、すなわち輪廻・転生のカルマからの解脱を意味することになる。こうなると、四諦は、大乗的悟りに至る煩悩を払いのける「過程」として認識される。

一方、原始仏教では、松田先生によれば、「アートマンが存在しないのならば、輪廻転生も存在しない。」ということが、ブッダの教えだという。大乗とは、根本的に異なる。

つまり、アートマンの存在を認めないのだから、そもそもみんなが恐れる生涯を超えて永劫に続く苦しみ等、存在する筈がないというのである。

大乗仏教的なブッダ観の中で四諦は、あくまでも「過程」的な扱いだが、原始・部派仏教では、「四諦を認識・実践することこそ、ニルバーナ」という事になる。

松田先生は、原始仏教と大乗仏教の逆転についてもいろいろとふれられ、様々な仏伝(古今東西の作品、文学も含めて)を俯瞰され、本来のブッダを言ったことと全く逆のことを言っている本、作品もあることを示唆されていた。

そうなのかは、僕には判らないが、この本自体はわかりやすく、大乗仏教の日本人が知るべき「ブッダの姿」はこれで良いのかもしれない。

とんだ母の日2010/05/09 22:16

グリベックは、血液の癌の特効薬ということだが、
医療制度とかそういったことを批判するよりも、
叔母の病気を知っていたら、僕は、どんなことをしても
この薬を手に入れて叔母を長生きさせてやりたかった。

残念ながら、叔母がこの病気と一年間闘病していたのを
知ったのは死後だったが、もし、早い段階で知っておれば、
グリベックのことを知って、高くても、使ってみる様に、
叔母に勧めたろう。

1年前に自宅に叔母が来たらしい。その時に、母には、
病気や薬のことを言わなかったが、お金を貸して欲しい
と言っていたという。きっと、グリベック治療に必要なお金
を確保する為だったに違いない。

母は、何も知らずに「なんてがめついんだろう。」と言って
いた。

残念ながら、この話も僕は知らされなかった。
もし、知っていたら、このぼろ家などは買わずに自分の
財産を全て、叔母の薬の為に使っても良かったし、
カードローン限度額まで借りてでも、500万円位用立てる
ことが出来たら、少なくとも3年間分の薬が買えた筈だ。

当然、僕の生活や生涯は滅茶苦茶になるが、それでも
叔母に生きていて欲しかった。

少なくとも自分よりも「生きている価値がある」つまり、
他人のお役に立っている人間だったので、こういった時
には、自分を犠牲にしてでも、助けるのが、親族と言う
ものだろう。

母親にこの薬のことを話したら、泣いていた。
とんだ母の日だった。

アサリ採り2010/05/09 22:48

 八日目の蝉の最終回、無事にみることが出来た。ラストシーンが良かった。あんな夕陽は、最近はみたことがない。

 小豆島に預けられている時に、アサリ採りに祖母が夕方の海に連れていってくれた。

 夕飯は、毎日、祖母がアサリ採りにいって、味噌汁の具にしたり、佃煮にするのが日常だった。

 アサリ採りが終わって、大きな夕陽が海に沈むのをみながら、どうゆう訳か、「壇ノ浦の平家」、「船幽霊の話」や「極楽浄土」、昔、この浜からお坊さんが船出して、極楽に向かった話等、色々なものがたりをしてくれたことを記憶している。

 祖母は、毎日、ヒヨコの様に、僕が泣いていたので、色々と慰めてくれた。

 時々、従兄が小豆島の家に泊まりに来た。叔母がフランスに絵の勉強に行くというので、従兄も、預けられていた。六ヶ月位だった。従兄は、学校に行かせてもらっていたが、僕は駄目だった。祖父に気に入られていたので、放してもらえなかったのか、戸籍の問題か何かがあったのかも知れない。

 フランスにいる叔母から小包が従兄の元に届けられて、エッフェル塔の模型とか、自動車の模型等を見せびらかされるをみて寂しい思いをした。

 僕は、チョコレートを1個もらっただけ。しかし、これが、ブランデーチョコだったので、後で、フラフラになった。

 夜には、従兄とテレビをみた。なんと子供部屋にテレビをおいてもらっていたので、ウルトラQ等を一緒にみた。

 憎たらしい従兄だったが、やがて別れる時が来た。フランスから帰国した叔母が向かいに来たのだ。

 叔母は、僕のことが可哀想になって、色々と気を使ってくれたが、所詮、「他人の子供」である。

 従兄が、この島から出られると聞いて、どんなに羨ましかったことか。俊寛の様に足摺して悔しく、水木から坂手港に向かうバスが出た後もその後を走って追いかけたものだ。

 その日の夜は、祖父も気遣って、島の料亭にご馳走を食べに連れていってくれた。島で暮らす内に、魚料理が好きになっていた。

 島のあちこちに言ったが、お寺参りやお遍路はしなかった。祖父が抹香臭いことが大嫌いだったから。また、祭やその他の行事に参加させてもらえず、島の子供社会から僕は、隔離されていた。

 僕は影の様な子供だった。

 それから2年が過ぎて、ようやく両親のもとで暮らせる様になったが、嬉しがって、わあわあ泣いたら、父親が、「男がそんな風になくもんではない。みっともない奴だ。」と足蹴にしたので、余計、悲しくなった。

 川西に帰ってきたら、島の生活とは全く違っていた。近所の子供とも打ち解けられず、ドラマで言っていた「ここには、青い空も、海も、擦り傷の様な電線があるばかり。」という台詞は良く出来ていると思う。

 あんなに嫌だった島が恋しくなった。

 また、いつの間にか、弟が生まれており、ずっと一緒に暮らしていた弟だけを父親は可愛がった。

 映画に出ていたフェリーターミナルは、岡山に日生向けのフェリーなので、土庄港なのだろうか。僕たちが幼い時は、神戸から坂手港行きの水中翼船と、関西汽船が出ていた。
 
 船が好きで、どんなに高速艇が揺れても酔わないし、近所の漁師に沖まで漁に連れていってもらったり、祖父と一緒に釣り船に乗って、沖合でエンジンが故障したり、色々な目にもあった。

 ところで、八日目の蝉の最終回は、大人になった薫ちゃんが、子供の時に似ていないのが残念だった。しかし、安物のドラマの様に、涙の再開ではないのが面白かった。

このキカイの吹き出し口に嫌でも接近していることになるが、当然、音がうるさい2010/05/10 22:12

 おうぶの里は、冬寒く、夏暑いかなと思って、1階には、本格的なエアコンをつけたが、1階の部屋自体を使用せず、この四畳半に籠もりきりになっているので、ここにパソコンや色々な装置を置いていたら、先日、大変暑くて、夜も蒸し暑いような日があったので、我慢出来ずにウインドウエアコンを購入。

 高原といっても標高300~400メートル位では、夏場は下界と変わらない。精々、風が涼しい程度。

 僕は、本当に辛抱がないというか我慢できない意志薄弱なので、エアコンが欲しくなった。
 
 本当ならば、ちゃんとしたエアコンをつけたいのだが、2階も昔風の間取りで、六畳間と3畳、四畳半が振り分けになっているので、大きなエアコンが置けないし、電源が来ていないので、エアコンの設置工事代は、最悪10万円以上(新たに電源を増設する場合)かかるいうので、断念。

 取り付け工事は自分で簡単にできる。電源は、普通の電源で可能というフレーズと、あまりの安さ、ヤフオクで1万2千円から1万5千円位が相場(中古品)なので、そうなると通常のエアコンの4~5分の1程度の値段なので、つい買ってしまった。

 ウインドウエアコンでベストは、コロナでこれは、省エネと音が小さいらしい。新品で4万円位からある。ヤフオクにはあんまり出ていない。トヨトミとか、モリタとかそういった聞いたこともないマイナーなメーカーのものは安い。

 これは、モリタで4年前のモデル。窓枠部品に若干へたったところがあるが、それ以外は、問題なし...と思っていたが、無事動作したが、凄い音である。おうぶ中学校の騒音もこれでかき消されてしまうので、昼間の使用は好都合かも。

 よく冷えるし、機能的には問題がないが、やはり、1個のボデーに、送風機、室外機、コンプレッサーの部品が詰まっているので、大きな音が出て当然。

 また、この手のキカイは、木造建築の場合は四畳半が冷房能力の限界。この部屋の様に北向きでも、電気代がかからないのは、この大きさの部屋まで。

 狭い部屋しか使えないとなると、このキカイの吹き出し口に嫌でも接近していることになるが、当然、音がうるさい。

 音が目立たなくなる広い部屋は、鉄筋で密閉されていない限りは、冷えないので意味がない。

 騒音問題だけがネックだと思う。45dbだというが、実際には、軽く60dbは越えていると思う。特にに温度センサーが働いて、コンプレッサーが動作を始める時の音が、大型ロボットが稼動を開始する様な凄い音がする。

 それと、吹き出し口からお線香の匂いがしてきた。きっと前の使用者は、佛壇のある部屋で、このキカイをずっと動かしていたのか、それともお寺さんか、あるいは、霊安室...だったら嫌だと思った。

 中古品なので仕方がない。煙草の匂いがせんだけでもまし。

 安物買いの銭失いにならなかったら良いが。

一番おもろい相場ニュース2010/05/11 11:16

 
 関西商品取引所の理事長さんをやられている岡安商事がやっているオカヤスチャンネルというのをみてみた。

 仕事ネタで申し訳ないが、金融とか株式とか穀物市況の真面目な内容を、このお姉ちゃんが喋ると、無茶苦茶面白い。

 クロッププログレスで舌を噛むかなと思った思った通り。この他、「中央銀行」とそういうのが発音が難しい。

 とにかく滅茶苦茶、間違って、支離滅裂になるところも面白いが、本人は、真面目に原稿を読んでいるのだと思う。

 以前、NHK神戸放送局で間違ってばかりいるアナウンサーのお姉ちゃんがいて、出てくるのを楽しみしていた。

 「初出場」→「ハツチュチュジョー」と変化したり、「中央区」が「チューーオク」になったりして、凄く面白かった。
 このお姉ちゃん、可愛かったので、取材レポートもやっていたが、外されてしまった。やはり、これだけトチルと向いていないと思われたらしい。


 「間違いも愛嬌」 それに類似した面白さか。

 穀物市況と為替の記事を書いて辟易していたところに、このニュースをみて感動した。

 内容的には、日経ネットとか商社レポートよりも妥当で簡潔で判りやすいので、参考になる。
http://www.soubalife.com/aggre_09/okayasu-channel.htm

天然の藤の花2010/05/11 13:33

 おうぶの家の谷向こうの山をみるとうっすらと紫色にみえる。

 よくみると天然の藤の花が咲いている。ところ、どころ疎らなのが風情がある。

 この左側に猛禽類の巣があって、時々、近所の雀や小鳥等を狙いにやってくる。

 先日、ウインドウエアコンの設置の工事をやっていたら、ネコがやってきて、様子を偵察している。

 このネコも猛禽類を怖がっている。たしかに、デカイので、ネコでは、勝てないかも。