どの程度、水が貯まるかと言えば、メダカが飼える位である2010/06/24 09:07

 屋根の棟の漆喰塗り替えをお願いしたM産業から施工前と施工後の写真と3年保証書が送られてきた。

 漆喰の塗り替えとラバーコーティングの効果がどうか判らないけれども、6月に入ってからの雨の日は、雨が降っていること自体があまり気にならなくなった。

 左側の写真では、漆喰が劣化し、崩れ落ちそうになっている(工事屋さんはそう言っていた)のが、白く変わっている。

 しかし、素人目には、塗り過ぎというか、谷の上にある地点から家の屋根を観察すると、何やら瓦に白い物が目立っており、前よりも状態が悪くなった様にも見える。

 でも、プロのいうことを信じる以外にない。

 下は、ベランダの写真であるが、左が施行前、右が施工後である。防水効果は、良好だが、ベランダ自体が2度ほど傾斜している為に向こう側に水が貯まる。

 施行前の写真をみても判る様に、黒ずんだところが水が貯まるところである。

 施工後も当然、同じ様に水が貯まるし、防水の為に、貯まった水は、日照による蒸発にまかせる他はない。恐ろしいことに施行前は、ベランダ床に染みこんで、ヘビーな雨でも1日で乾燥?していたが、施工後は、乾く前に2~3日はかかる。

 どの程度、水が貯まるかと言えば、メダカが飼える位である。このまま池にしてメダカを飼ってみようかとも思う。(冗談である。)

 仕方がないので、雨が降る度にベランダに帚を持ち出して、ドレン(排水口)がある向きに水を掻き出して処置している。簡単な作業で直ぐに終わるが、やはり面倒臭い。

 家というのは、こんな風に色々と厄介な問題が起こる。

 1階の雨戸の修理というかサッシ交換は、あまりにも高いお金がかかるし、戸袋除去で、家の意匠が完全に変わってしまうし、階上にも影響が出ないかと心配なので、一端は、断っている。

 一番良いのは、雨戸だけを交換する方法。但し、枠が歪んでいるので、それにサイズを合わせる必要がある。

 雨戸が終わったら、先日の波板を支える支柱が風で飛んだ後の補修とか、外壁塗装とか、外の塀の補強と、フェンス張りと色々ある。

 お金があれば、一発で全部やれるのにと思うが、僕の収入では、誤魔化し誤魔化しやる他はない。

 今回、総額490万円の家を買ったが、1000万円位の家でも築年が耐震基準に満たないのが大部分で、大きな品質の差はなくて、立地条件とかそれ位の差。

 この家よりもボロイ家もある。もし、1000万円(うち現金500万円)位あったら、500万円のローンを組んで、残りの500万円の現金で、家全体に手を入れて好きな様にリフォームした方が、最初から1000万円の家を買うよりも、結果的には良い家になる。

 最初から満足出来る家となれば、やはり、3000万円が最低ラインなので、生涯年収等と現在の経済情勢等から考えると、中小零細企業のサラリーマンでは無理。

 外部環境を捨て去って、内装、リビングアメニティを追求した新築マンションを3500万円位で買う方が良いかも。

 但し、管理費とか、老朽化した時の問題、近隣騒音等の問題がつきまとう。

 何もかも良い家ってないんだと自分に言い聞かせている。

梅雨の晴れ間で、空は真っ青2010/06/24 14:05

 今日は、梅雨の晴れ間で、空は真っ青。

 久しぶりのさっぱりした天気なので、布団は干すは、ベランダの掃き掃除、更に、今日は、窓ガラス拭きまでやってしまった。

 実家で親元にいた時は、そんなことは殆どしなかったが、ここでは、色々なことをしなければならない。

 窓を綺麗に拭き終わって、部屋から外をみたら、谷向こうの鮮やかな緑の景色が更に迫って来る感じで、癒されます。

 写真の黒い線は、網戸とサッシの枠。

 窓の拭き掃除をしていたら、下向かいの家では、朝顔の蔓を這わせる為のネット張り作業をオジサンがやっていた。

 最近、近所では、朝顔ブームで、あちらこちらでネットを張っている。

 僕もやろうかと思うが、朝顔の苗もないし、ネットもないので、ヨソのをみて楽しむことにする。

 朝顔は、窓の目隠しにもなるし、風情もあるし、日よけにもなるし、良いと思う。

大原野にその家はあった2010/06/24 20:43

叔母も亡くなり、家の歴史を知っている人も殆どなくなった。

叔母には、もう少し長生きしてもらって家の歴史を聞いて置きたかった。

母方の祖父の系統に由来する私の奇妙な苗字の由来は、このおうぶの家の近くにも千年家というのがあるが、それに匹敵する古い家が明治まで存在したという伝説にある。

先日、某市町村史の編纂に由来する文書を調査していたところ、私の家に伝来していた文書から5件が収載されていることが判った。

それで、家が大原野神社に由来することが判った。14世紀の南北朝の争乱を避けて、この地に移住し、牛頭馬頭を祀ったのが、始まりらしい。

14世紀には、特に牛頭馬頭信仰が強かった。気象が不安定である一方で、近世農法の発達で、灌漑や施肥技術が発達し、農村経済に余裕が出来た時代である。

それから1世紀後には、戦国の争乱に入るが、それは、皮肉にも農村の生産力の進歩で、地方経済に余剰が出来て、それが、戦や収奪の対象になった訳。

私の家は、それからなんと6世紀もその場所に存在し続けたという。
名主として、この地域と収める大名に仕え続けたらしい。

その家に恐らくもともと棲んでいた一族の方が、今、地元で、音楽ボランティア活動をしている。ジャズサックスを吹かれている。祖父にそっくりな風貌である。そういえば、弟も諏訪にある外資系企業の研究所に勤務しているが、脳卒中で倒れるまでは、ライブハウスで毎日の様に演奏活動をしていた。

やはり血は争えないものである。
ようは絵描きの祖父といい、ちゃらんぽらんなところもあるらしい。


僕は、その人にあって、家に伝わる様々な逸話・伝説等を聞きたいと思っている。

でも、その人、家の歴史なんかに興味ないかも。農家でアマリリスを栽培し続けていて、その収入で音楽ライブなんかをやっているらしい。