クララ・シューマン ― 2010/07/29 22:57
デュッセルドルフに赴任している知人からメールが来た。
「今年は、シューマン生誕200年という記念すべき年なので、ここでも色々な演奏会が開かれているよ。」という。
誠に羨ましいが、駐在は、僅か1名、それでも欧州各地で、情報収集をしなければならないのも大変なので、そういった息抜きがあっても良いと思う。
ドイツ切手のパケットを整理していて、やはり、見つけたのが、このクララ・シューマンである。
クララと出会った当時、ロベルト・シューマンは、駆け出しの音楽家で、ピアニストを志望していた。
彼は、薬指なにかを痛めて演奏家を断念して、作曲家になったが、クララの父親は、シューマンとの結婚を反対した。
ピアノの弟子でもあったから、ロベルトの不健康というか、独特の個性にも気づいていて、結婚もうまく行かないと思ったのだろう。
親の反対を押し切って結婚したクララは、自らも作曲家というか音楽家志望であったが、夢を棄てて、夫に尽くした。
この辺りは、グスタフ・マーラーの妻、アルマ・マーラーとも似ているが、アルママーラーは、実に奔放な性格だし、夫に作曲を禁じられても、チェムリンスキーの門下生として、歌曲集を発表したり、画家と浮気さえもしている。
アルママーラーの歌曲集を聴く機会があったが、20世紀初頭の作品としては、時代遅れの感もあるが、当時としては、師匠のチェムリンスキーより優れた領域には達していた。
「自由な女」、アルマに比べて、クララは実に慎ましかった。
クララは、ロベルトとの結婚後よりも、ロベルトが、狂い死にしてから、子供たちを食べさせる為に、演奏家として復帰した。
ブラームスとの親好を深め、彼にとって、クララは、永遠の女性となった。
ブラームスが晩年に最後に作曲した管弦楽曲である二重協奏曲の草稿をクララに見せたが、「つまらない作品」と批評されて、晩年の彼は悲嘆の底に沈んだ。
そうして、いかにも陰気なオルガンの為のコラール集等の一連の宗教音楽を作曲したりする訳だ。
クララは、思ったことを、ずけずけという、気性の強いしっかりとした女性であった。
ロベルトもこの16歳当時のクララのギリシャ彫像の様な美しさにだけ惹かれたのではなくて、やはり、気丈なところにマザコンを刺激されたのかも知れない。
話は変わるが、10年位前の夏の日に、偶然にも診察したもらった女医(歯科医)の先生が、クララそっくりの美貌なので驚いた。
この人は、美貌とは裏腹に、男勝りの歯科医として、時には、残忍・冷酷な腕前をみせてくれる。超音波メスで歯茎を切り裂いた時に、血が出ようが、患者が痛がろうが、外科的治療に集中する。
クララ・シューマンそっくりだ。
欧米人の血が流れているのだろうか。
あまりにも不思議なので、歯科医院が閉まるのを待って、遠くから、この人を観察しようとして、知らないふりをして、医院の前を通り過ぎようとしたことがある。
歯科の診察は、顔を近づけてやらざるを得ないが、どうゆう訳か、顔には覆いが掛けられなかったので、こんな美しい人を身近にみる幸運に恵まれたのである。
そんな時に、男ならば、どんな風に感じるだろうか。大理石の彫像の様な白い肌、それが仄かに青白さが、本当に美しいものの不健全さを感じさせる。
紫式部の歌にも「ちかまさりする桃の花」という表現があるが、近くでみれば、その美しさが際立つ。
後で知ったことだが、その頃には、最初のお子さんがお腹の中にいたそうだ。そういった時に女性は、最高の美しさが見せるのかも知れない。
乙女から女に変貌する瞬間にみせる妖しい爛熟である。
それから、もう10年以上も経っていて、あの不思議な程の目まぐるしい様な美しさからは、幾分、遠のいてしまったが、クララ・シューマンの切手をみる度に、その美しさを想い出さざるを得ないのである。
「今年は、シューマン生誕200年という記念すべき年なので、ここでも色々な演奏会が開かれているよ。」という。
誠に羨ましいが、駐在は、僅か1名、それでも欧州各地で、情報収集をしなければならないのも大変なので、そういった息抜きがあっても良いと思う。
ドイツ切手のパケットを整理していて、やはり、見つけたのが、このクララ・シューマンである。
クララと出会った当時、ロベルト・シューマンは、駆け出しの音楽家で、ピアニストを志望していた。
彼は、薬指なにかを痛めて演奏家を断念して、作曲家になったが、クララの父親は、シューマンとの結婚を反対した。
ピアノの弟子でもあったから、ロベルトの不健康というか、独特の個性にも気づいていて、結婚もうまく行かないと思ったのだろう。
親の反対を押し切って結婚したクララは、自らも作曲家というか音楽家志望であったが、夢を棄てて、夫に尽くした。
この辺りは、グスタフ・マーラーの妻、アルマ・マーラーとも似ているが、アルママーラーは、実に奔放な性格だし、夫に作曲を禁じられても、チェムリンスキーの門下生として、歌曲集を発表したり、画家と浮気さえもしている。
アルママーラーの歌曲集を聴く機会があったが、20世紀初頭の作品としては、時代遅れの感もあるが、当時としては、師匠のチェムリンスキーより優れた領域には達していた。
「自由な女」、アルマに比べて、クララは実に慎ましかった。
クララは、ロベルトとの結婚後よりも、ロベルトが、狂い死にしてから、子供たちを食べさせる為に、演奏家として復帰した。
ブラームスとの親好を深め、彼にとって、クララは、永遠の女性となった。
ブラームスが晩年に最後に作曲した管弦楽曲である二重協奏曲の草稿をクララに見せたが、「つまらない作品」と批評されて、晩年の彼は悲嘆の底に沈んだ。
そうして、いかにも陰気なオルガンの為のコラール集等の一連の宗教音楽を作曲したりする訳だ。
クララは、思ったことを、ずけずけという、気性の強いしっかりとした女性であった。
ロベルトもこの16歳当時のクララのギリシャ彫像の様な美しさにだけ惹かれたのではなくて、やはり、気丈なところにマザコンを刺激されたのかも知れない。
話は変わるが、10年位前の夏の日に、偶然にも診察したもらった女医(歯科医)の先生が、クララそっくりの美貌なので驚いた。
この人は、美貌とは裏腹に、男勝りの歯科医として、時には、残忍・冷酷な腕前をみせてくれる。超音波メスで歯茎を切り裂いた時に、血が出ようが、患者が痛がろうが、外科的治療に集中する。
クララ・シューマンそっくりだ。
欧米人の血が流れているのだろうか。
あまりにも不思議なので、歯科医院が閉まるのを待って、遠くから、この人を観察しようとして、知らないふりをして、医院の前を通り過ぎようとしたことがある。
歯科の診察は、顔を近づけてやらざるを得ないが、どうゆう訳か、顔には覆いが掛けられなかったので、こんな美しい人を身近にみる幸運に恵まれたのである。
そんな時に、男ならば、どんな風に感じるだろうか。大理石の彫像の様な白い肌、それが仄かに青白さが、本当に美しいものの不健全さを感じさせる。
紫式部の歌にも「ちかまさりする桃の花」という表現があるが、近くでみれば、その美しさが際立つ。
後で知ったことだが、その頃には、最初のお子さんがお腹の中にいたそうだ。そういった時に女性は、最高の美しさが見せるのかも知れない。
乙女から女に変貌する瞬間にみせる妖しい爛熟である。
それから、もう10年以上も経っていて、あの不思議な程の目まぐるしい様な美しさからは、幾分、遠のいてしまったが、クララ・シューマンの切手をみる度に、その美しさを想い出さざるを得ないのである。
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