『近世念仏往生伝』2010/08/15 10:35

 浄土教仏教芸術の中で中核的な位置を占めているのが、「往生伝」、「往生説話」である。
 我が国の説話文学の中でも「往生説話」が占める割合が多いし、中将姫伝説等も当麻曼荼羅に関わり合いがあると同時にこれも「往生説話・伝説」のジャンルに入ってくる。
 「往生説話」については、仏教芸術(芸能・絵伝)的な要素もあるし、浄土経教義の解釈・実践にも絡んでくる。
 平安時代に慶慈保胤が編纂した『日本往生極楽記』は、平安中期の往生譚を編集したものであるが、その中心となっているのは、聖徳太子、皇族、僧等で、中心は、上流階級で、一般平民は含まれていない。

 「4年前の佛教大学のスクーリング(春期)の時に神居先生に鳳凰堂の堂内を案内していただいた。あの橋の様なところが渡る時に一筋の風が吹いて蓮の花びらが池に落ちて緑色の水面に波紋が広がった。その後、堂内に入ると、雷鳴がとどろき始めたが、やがて、強烈な稲光が格子窓から差し込んで来た。そうしたら、瞬間的に『九品往生図』が鮮やかな色彩で蘇って来た。」

 平等院の鳳凰堂の扉の内面には、観経に説かれた「九品往生・来迎」の諸相を著した絵画が描かれている。それは、臨終行儀にまつわるものである。
 ①臨終に生ずる様々な魔障を取り除く。
 ②来迎仏は、浄土への道を示す先達である。
 ③臨終正念により愛心を滅する。

 この日頃の観相念仏も重要であるが、臨終行儀にあり方で、往生の有様も階層化されている。
 こうして、貴族や上流階級では、来世でも豪華・優雅な暮らしを求めて、上品中生の往生を目指して、浄土信仰に努める。

 当時の往生伝をみても、この時代の往生の理想は、断末魔の苦しみや永遠に続くかと思われる程の病苦、つるぎで身を裂かれる様な臨終の苦しみを経ても、しっかり臨終行儀・観相を守れば極楽往生がかなうという考え方であった。

 つまり、死の苦しみも、極楽往生への修行過程であるので肯定的に受け止めなければならないという考え方で、これは、中世の西欧カトリックの思想にも似ており、ある意味、宗教的な「死のエロス」という考え方にも結びつく。

 法然上人が浄土宗を開宗してからは、庶民にも極楽往生が可能になるという思想となり、観相念仏から称名念仏に変化してくる。

 こうして観相(図)を中心とした臨終行儀によって、往生が定まるのでは、なくて、あくまでも「選択本願」による極楽往生に変化してくる。

 法然上人が当麻曼荼羅を鑑賞したという逸話も残っており、観相図も信仰の中で、重要な役割を果たしたとみられるが、徐々に信仰形態は庶民化してくる。

 そうして、日頃の「念仏」を中心した平常の生活が重要になってくる。つまり、臨終往生も「死のエロス」の劇的なものではなくて、あくまでも日常的なものとして、捉えられる様になっていく。

 近世以降には、浄土宗の後に成立した浄土真宗の影響も受け、更には、時宗、一向宗等念仏を中心した諸派の信仰も併存していく。戦国時代の一向宗は、念仏・殉教と中世以前の往生の姿勢を受け継いでいくが、浄土宗、真宗ともに、もっと、日常的なものを指向する様になっていく。

 江戸時代に入ると、戦乱もなくなり、寿命あるいは、病没による極楽往生が中心になってくる。

 浄土教の「庶民化」に伴い、念仏中心の生活は、庶民にとっては、同時に、「明日に礼拝・夕べに感謝」、「質素・実直・勤勉」の生活実践でもあり、これを日常実践しておけば、どんな人間も極楽往生がかなうことは間違いないが、それよりも、「死の苦しみ」から逃れて無事に往生することが、信仰の中心テーマとなる。

 『近世念仏往生伝』は、降円が著したものであるが、一般庶民を中心とした念仏・往生の様子が収集・編纂されている。文体も平易な和文に変化していく。

 「人生の終わりの時期が近づいたある篤農家が、阿弥陀来迎の夢をみる。『わしは、もうすぐ極楽往生するじゃろう。』」と家族に告げる。しばらくして、体力が衰えて死期を悟る。病床に伏して家族に暇乞いする。数遍の念仏を唱えた後に、眠る様に息を引き取る。」といった様な説話が中心となる。

 中世以前の往生伝に比べて奇譚は少なく退屈であるが、「死の苦しみと恐怖から逃れること」それが庶民の切実な願いであったのだろう。

 善導大師が、「命終の時に臨んで、心転倒せず、心錯乱せず、心失念せず、心身の諸の苦痛なく、身心快楽にして、禅定に入るがごとく、聖衆来迎したまへ、仏の本願に乗じて、阿弥陀仏国に上品往生せしめ給へ。」と「発願文」を書いているが、近世浄土教の信者達は、まさに、この様な往生を目指した。

 ところで、釈迦は、どの様な入滅の有様だったのだろうか。

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 『ブッダ最後の旅』(中村元著、岩波文庫)には、釈迦は涅槃に臨んで、初禅定に入られて、第二禅、第三禅、第四禅・・・空無辺処非想非非想、滅想受定、そして、ニルバーナの境地に入られた後、再び逆の道筋を通って、初禅に戻られて、再び第二禅、第三禅、第四禅、そして、入滅という道筋をとられた。

 釈迦は、直進的に、禅定→非想非非想→滅相受定→入滅という道筋をとらなかった。

 これは、既に、釈迦が現世にて、既に仏であったことを示す臨終の有様であったという事を示しているのか、あるいは、死の苦しみ(釈迦であるが故に耐えられたが、一般の人間にとても耐えられない苦しみ)を禅定で打ち消した後、静かに入滅していったのかということになるが、どの様に解釈してよいのか判らない。

 いずれにしても釈迦でさえも、この様な有様で往生されるのだから、ましてや一般の衆生は、往生がかなうだけでもありがたいと考えざるを得ないのかもしれない。

 人間は、やはり苦しまなければ死ねないので、今日の様なお盆の日には、それだけ、祖先や最近の亡くなった人の霊を慰めなければならず、そうすることでいくらか、自分の死への恐怖を和らげることにつながることになるのかもしれない。

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