日本の生存条件・縮小社会が目指すもの2010/08/24 08:36

 鈴蘭台駅付近の100円ショップで購入。
 しっかりと出来ており、図案も簡素ながら趣味も良い。

 100円である。これだけの細工がされていて100円では、工賃はおろか材料費も出ないだろう。

 きっと、これを内職か何かで作っている方は、10円も手間賃もらっていないのでは。

 100円ショップで売られている商品って、中国製とかそんなのかと思われるが、もはや、中国で作っても、輸送費・人件費を含めると、そんなに安い値段では出来ない。

 実は、かなりの部分が日本で作られている。障害者施設とか、あるいは、超低賃金労働で、日本の低賃金労働者の方が、中国人よりも安くなってきている。

 社会保障、健康保険とかそういったものを除けば、人件費はどんどん圧縮出来る。

 縮小社会・縮小経済の中で、日本の労働者は、近代以前に逆戻り。
 でも、長い目でみれば、その方が良いかも。
 
 だから、最低賃金制度とかそうゆうのがむしろ、日本の雇用促進のブレーキとなっている。

 一番良いのは、企業/法人税を1/3に減税し、消費税を25%、最低賃金、社会福祉、年金制度とかそういったものを廃止すれば、雇用が日本に再び戻ってくる。

 福祉がなくなっても格差が拡大するので、中流以上におれば、大丈夫。下層・下流は、まさに賃金奴隷といった存在になるが、それが、縮小社会の目指すものだと思う。

 現在の国宝とか文化財とか呼ばれているものは、大抵が、その様な下流の名もないモノどもが低賃金で生産したものである。エライ人が制作者として名が残っていても、実際に作業を行ったのは、そういった人民である。

 下流の視点からみれば、文化史、美術史の視点も大きく変わってくるだろう。

ドラキュラ映画をみる様2010/08/24 19:43

おうぶの里は、夕暮れ時には、涼風が立ち始めます。
近所の人たちは、日が沈むこの時間帯にお散歩する人が増え始める。

自分もその一人で、お酒のアテを買いに行くというのが、ホントかな。

帰りに近くの医院とデイサービスセンターの前に鳥の群れみたいなのが無数乱舞しているのをみた。

近寄ってみると、なんと体調7~8センチ位のコウモリである。ツバメに似た飛び方で、宙返りしたりして、すごい。

でも、ドラキュラ映画をみる様で、気味が悪い。生まれて初めてこんなのをみました。

写真は、暗いので無理。

中古住宅購入と役割期待2010/08/24 22:18

 
 中古住宅を買う時に注意しなければならないのは、以前にどの様な人が居住して、地域社会においてどの様な役割期待を果たしていたかということである。

 オーナーが賃貸に出していた場合もあり、私の家もそうだが、借家人とオーナーの二重の役割期待を、そういった家を買った場合には、そのまま引き受ける羽目になる。

 「負の役割期待」が課せられていた場合は厄介だ。

 前のオーナーが地域社会から敵視されていたり、実際にその様にみられても仕方がないことをしていても、買った本人とは、関係がないと言っても、そうは行かないのが、地域社会の怖いところである。

 つまり、前のオーナーに着せられたラベリングと役割をそのまま背負い込む形になる。

 新しくこの家を買った人間にとっては、青天霹靂だが、隣人に取っては、当然のことになる。

 従って、中古住宅の購入者は相当の負担を受けることになる。
 それは、ショック症状に似た位、凄まじいものである。

 今後、どんどん中古住宅の流通が増えてくると思われるが、不動産の資産価値にのみ関心が向きがちで、その家が、その地域でどの様な社会的な位置づけがされていたかについての調査・検証は皆無である。

 しかし、実際に生活してみると、家の状態よりも、そういった地域社会が、新たな住人をどの様な目でみられるかが重要になる。

 これが実は、家の状態とか坪数とか景観とかそういったことよりもずっと重要なのである。

 だから、中古住宅に住む場合には、思い切ってリフォーム、あるいは、再建築をすべきである。
 
 徹底的に以前の住民のイメージを破壊して、新しい色で塗り替えるべきである。

 イエのイメージが変わってしまうことで、前の住人に被されていたラベリングや役割期待をある程度、払拭することが出来る。

 だから、僕は、玄関のドアをウルトラマリンで塗装したのである。

 自分の様な人間が悲惨で、前の状態のままの家で住んでいたら、以前の住民と同じ色眼鏡で見られかねない。

 特に、どうして、こんなに状態や環境の良い住宅が安い値段で売られているかという点で見過ごされがちなのが、自殺、心中とかそういった問題ではなくて、先住者がかって受けていたラベリングなのである。

 ラベリングと役割負担に耐えきれずに家を手放す場合もある訳だ。

 つまり住みにくいイエというのは、家の状態だけではなくて、近隣との関係も含まれてくることになる。

 やむを得ず、中古住宅を購入してそのまま住む場合には、やはり、近所を回ってそういった点まで聞き取り調査することが必要だが、それが、難しいのである。

 不動産取引の場合は、自殺とか心中とか重要な問題については、告知しなければならないが、近隣との関係の良否等については、報告義務がない。

 本来は、ここまで不動産屋は、すべきなのである。

 こうした点を考えると、家は、新築の方が良いということになる。そうなれば、近隣との関係が悪くなってもそれは、本人の責任ということになる。

 マンションの場合は、それぞれの家にそれ程、特色はないが、一戸建ての家は家の景観=住人の人格・個性と同一視されてしまうという危険を孕んでいる。

「劇場社会」での役割2010/08/24 22:38

 前項で「負の役割期待」について述べたが、実際に地域社会の特性として、「劇場社会」といった問題点が浮かび上がる。

 つまり、「正義の味方」と「悪役」が存在して、「悪役」を退治する「演劇性」を無意識の内に地域社会は求めているのである。

 これは、実は、広域伝達・開放性の特性を有しているとみられがちなマスコミ、メディアの場合もそうで、社会の状況をそのまま取材・表現・伝達するのではなくて、「脚色」を余儀なくされているのである。

 つまり、マスコミ・メディアは、ムラ社会以下の代物なのである。

 実際に、容疑者「○○」と呼び捨てされる場合、無罪が判明した時には、「○○」さんに変わって、更に涙のインタビューの結果、悪玉から善玉に切り換えられる。

 あの松本サリン事件の時の主犯と疑われた人もそういった例である。
 気の毒に実際には、被害者で奥さんも亡くなっているのに、「劇場社会」は、その様な仕打ちをするのである。 

 梨本さんも芸能記者として、一時は、容赦ない「悪役記者」のラベリング・役割期待をされたこともあるが、癌で亡くなった途端に正義の味方に変わる。

 あるいは、大韓航空・大量虐殺のテロリストの主犯格とした逮捕された女が今は、善人を演じて、国賓待遇された「キム元死刑囚」もその様な例である。

 全て、「劇場社会」での役割を演じることが期待されている。軽井沢の鳩山別荘で演じられたパファーマンスは大きな効果があった。

 社会の持つ「劇場性」は、日頃の日常生活への欲求不満を解消する役割がある。

 近代以前の社会の場合は、魔女裁判やキリシタンへの拷問等、社会の劇場性の替わりに「宗教的犠牲・生贄」社会であったが、近代以降は、「劇場社会」が、「新時代の生贄」を求めているのである。

 世の中・社会を平穏無事に生き抜くには、なるべく「社会の劇場性」からかけ離れたところで暮らすのが良いが、うっかりすると巻き込まれる可能性もある。慎重な行動が必要になってくる。

 江戸時代の庶民の様に「上見て暮らすな下見て暮らせ。」で無難を心がけた善良な町民、農民、下層階級として生きるのが人間の知恵だと思う。