チベット仏画とチベット音楽2010/10/02 22:16

 今日は、佛教大学四条センター(烏丸)で小野田先生の「チベット仏画を描く」の最終回の講座に出席。
 本来ならば、本日から北海道にいくはずが、飛行機便を一日遅らせた。
 おうぶの家から2時間で到着。お昼前だったので、「すきや」で昼飯を食べた後、錦市場をブラブラ。
 入り口に今まで、気づかなかったが、錦湯という銭湯があり、営業中。ちょっと見には、これが銭湯だと気づく人は少ないだろう。

 商店街では、津之喜酒舗に寄って、何点か安いお酒を買う。社長さんの髪の毛がロングヘアーになっていたので、何やら妙な感じがした。佛大のスクーリングの時は、髪の毛を短くされていた。今の方が優しい感じになっている。
 それにしても錦市場で売られているものは面白い。例えば、大阪の市場ではあまり見かけなくなったたまご屋(たまごだけしか販売されていない)さんが存在する。烏骨鶏とかウズラ等も販売されているが、京都や滋賀で生産された地たまごを中心に販売されていて、さくら卵が中心。後は,やたら海産物屋も多い。新鮮そうなサンマが食べたくなった。
 元町の中華街と同様に立ち食い向けの串物も販売されているが、人通りが多いのが食べる場所がないので、あまり買う人はいない。
 人ばかり多くて、本当に買い物をしている人は少なかった。数年前に寄った時は、もっとみんな色々買っていた。生鮮食品が多いので、ついでに買うというのが難しいみたい。
 その後は、地下街に戻り、Kotochika四条を見学。10月1日オープンしたばかり。まぁ、新しいセールス空間が出来たのは良いが、スペースに余裕がないので、大阪の地下街の様な潤い感がない。ゆっくり商品を探すというよりも、梅田の阪急や阪神に地下街といった感じ。成城石井さんがメイン。

 講座が始まる前に四条センターのロビーで開催されていたチベット絵画及びモンゴル現代アートの展覧会をみる。いろいろと初めて実物のタンカを拝見するが、凄く精密に描かれていて、筆の跡とか、そういったものが見えず、まるでCGみたい。

 輪郭線等の太さは、0.2ミリ以下なので、面相筆も難しい。彩色も立体的なので、見ていて楽しい。多羅母以外にも阿弥陀如来、釈迦如来、あるいは、その他の曼荼羅に出てくる仏様達の絵が多い。密教系の絵画には、エロチックな交合スタイルのものもあるが、全然、嫌らしさを感じなくて、やはり、仏様としてみてしまう。
 仏様達が見に纏っている金の装飾品は、細かい金粉絵の具を塗って、それを押して伸ばして固めてある。小野田先生にツブツブをみせてもらったが、数粒で数千円位はする。
 その後は、講座。僕の宿題は、描線が太すぎた様で、城野先生が呆れているのか関心しているのか、判らない。「独特ですねぇ。」と言われてしまった。
 講座が終わって、ミニミニコンサートで、チベット音楽を聴く。
 タシ・クンガ & テンジン・クンサンのお二人の出演で、クシ・クンガさんは、チベット人の様にみえるが、この人は、日本人である。

 ダムニエンの演奏は、本場の人の様。音楽の感じは、以前にも描いた様に2ビート系で、沖縄民謡と日本の東北地方の民謡が合体した様な独特の感じ。
 でも、なにか日本人のもっている古い音楽感情の琴線に触れる様な懐かしさがある。
 当日、聞かれていた人も、若い人もそれなりにタップダンスの時はノっていたが、それよりも年輩の方が、懐かしそうに熱心に聞き入っておられた。
 ダムニエンは、三味線のルーツだとされているが、僕には、もっと、西方音楽の香りがする。特に、表甲板が、分厚そうなので、三味線の様に大きく響かず、更に、サワリの音もしない。少し、ボコボコっとした音で、打楽器的、つま弾いた音の立ち上がりもやや鈍い。だから、速いパッセージは苦手な感じ。
 日本の三味線は、16世紀以降に伝来したとか言われており、伝統音楽として三味線音楽が聴かれているが、以外にも歴史は浅い。
 それよりも、ダムニエンの方が、歴史的にかなり古い時代から演奏されていたようだ。
 僕が聞いた感じでは、シリアとかイラクで演奏されるウードに似た様な感じ。
 また、楽器のネックから糸倉の部分が独特の形状をしている。こうした特長も西方的である。
 4度調弦等もむしろ西洋音楽に近い。
 中世のヨーロッパ音楽のシタールのデザインにも似ている。但し、音色は、全然似ていない。
 今回の演奏、どこの国の音楽が隠して、音声だけだと、日本のどこかの民謡と間違うばかり。
 この他、日本のお祭りの時に使用されるのに似た様な横笛もある。
 
 テンジン・クンサンの歌は、なにやらもの悲しい。恋の歌だと言われるが、やはり悲恋の伝説とかそういったものなのか。
 恋の感情で乱れる心を象徴するかの様に、わざと2人のダムニエンは、調子を一部の楽句だけずらして不協和音を発生させたり、色々な趣向、工夫が感じられた。 
 今回の演奏は、マイクロフォンを通さずに全てアコースティック演奏であった。だから、楽器の響き、倍音の本来の音が聞けてよかった。
 特に声楽は、マイクを通すと、人間の声の神性というか神々しさを殺してしまうが、テンジン・クンサンの発声は、モンゴルのホーミーとかそういったものとは異なり、日本の民謡の発声とも異なる。声を身体の部分のどこに共鳴させているのだろうか。
 良く聞くと、オクターブの倍音が鳴っているのが判る。こうした発声は、古代の宗教音楽では、世界にも共通しており、例えば、東ローマ帝国聖歌やアルメニアの聖歌等の合唱を聴いたことが有るが、男性がユニゾンで歌っているのに、オクターブと5度の音が聞こえるので、非常に響きが立体的かつ色彩的になる。
 今回の演奏では、歌手が1名だったが、これが数名で、この発声を行うと、恐らくウズの様なハモりが聞こえるのではないだろうか。
 このソノリティは、チベットの仏教音楽で演奏される金管楽器の低音にも共通したものだと思う。

 良い音楽を聴くと、演奏者の背後に神様が宿っている様な感じがするが、チベットの山の神などは、いないと思うが、そんな雰囲気がした。ある意味、俗化されていない良さが感じられた。