モニターカメラが、実は、向かいの家や通行人を撮影しているのではないかという猜疑心を生む2010/10/25 22:05

 今日のクローズアップ現代は、「監視カメラ社会」

 佛大の社会学の演習で、ストリートカメラについての論争もあったが、やはり賛否が分かれた。

 臨床社会学でみれば、実は監視カメラも社会病理の1現象に過ぎない。

 相互の信頼関係が崩れた時には、「相互監視」というのが一般化し、当然の様に監視カメラが置かれる。

 これらは、中世ヨーロッパの監視台とか、関所と同じ社会的機能を持っている。中世ヨーロッパでも歴然と街頭監視は行われていた。ブリューゲルの版画等をみれば、嫌という程出てくる。

 中世は懲罰社会だったので、晒し台とか懲罰刑具が設置されている場所には、当然の様に見張り台があり、これらは、罪人はおろか、一般市民までもが監視の対象となっていた。

 だから、監視カメラについては、ヨーロッパでは、異常に神経質である。日本には、その様な歴史文化的背景がないので、案外無神経である。

 例えば、僕の家にも防犯警報機がつけられているが、これだけでは安心出来ないので、玄関の前から門柱までのモニターカメラをつけたいと思っている。

 でも、今日のテレビでは、モニターカメラが、実は、向かいの家や通行人を撮影しているのではないかという猜疑心を生む。

 こうして、更に近隣関係は、ギクシャクとして悪化する。この番組をみてから、監視カメラは、室内に置くことに考え方を変えた。

 安全・安心の対策が新たに猜疑心を生み、近隣関係の崩壊を招き、コミュニティ崩壊の「隙間」から犯罪者の侵入を許してしまうことにつながりかねない。

 社会学の授業で、ある先生がおっしゃられていたが、監視カメラで、犯罪の発生率は抑えられるどころか、むしろ、一層、深刻な死角の中で、怖ろしい凶悪化が進むというのである。

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