佛大通信教育部の紹介ビデオ2010/12/25 16:22

佛大通信教育部の紹介ビデオが出来た。

http://media.bukkyo-u.ac.jp/ext/tushin-net01.wmv

なかなか良いビデオだと思う。
もっと前から出来ていたらと思う。これで学生さんが増えてくれたら良い。

A先生が、先日、僕がブログに書いた迦瑠羅と不動明王像についてお話されている映像が印象的だった。
http://fry.asablo.jp/blog/2010/11/25/5537761

少しだけ霊鳥としての迦瑠羅のお話をされている。

『国語・国文学図書総目録』2010/12/25 16:38

 1冊でも研究書を著していたら、先生扱いでいろいろな本の宣伝が出版社から送られてくるが、『国語・国文学図書総目録』は、毎年刊行されているが、国内で、現役で出版されている研究資料や研究所の全てが網羅されているので、研究者必携の書だと思う。

 これが無料サービスで送られてくるなんてありがたいことだと思う。

 源氏物語の項目を捜したが、新しい写本の注釈やDVD等で目を曳いたものがあるが、高価で手が出ない。それ以外には、片桐先生と関大の山本先生との共著の伊勢物語の研究書等が唯一、成果と言えるものかもしれない。

 この総目録、年々薄くなっていく様な気がする。それだけ、国文離れが続いているようだ。僕も、この目録を精一杯活用して、色々な研究を続けられたら思うが、もうそれも諦めている。

 1千万位の研究資金があれば、この総目録に1個か2個位載せる様な研究成果が挙げられるのに、年末ジャンボが当たらない限りは無理だな。

春星忌(訂正)2010/12/25 17:37

今日は蕪村忌(春星忌)である。
(訂正 旧暦なのを勘違いしていた。)

蕪村の俳句、現代人の感性に近く良いと思う。
でも、芸術性とか考えたら芭蕉の方が上かな。

真空管300Bでベネディット・フェルラーリ・デラ・ティオルバのカンタータ「この鋭いとげ」を聴いている。今から330年前に書かれたマドリガーレのいくつかを聴いていると、なにやら寂しいような暖かいような気持ちになる。

ロボットの眼孔寂し春星忌

家に帰って、母親をみていると、私は、途方に暮れることがある2010/12/25 23:11

 母親に年賀状のことを話したら、叔母がなくなった場合は、欠礼がふさわしいのではないかと言われて、調べたら、結局、2親等までの不幸の場合で、叔母の場合は3親等になるので、年賀状を出しても良いようだ。

 絵描きの叔母がなくなって、とうとう叔母と母親は姉妹なのに20年近く口を聞くことなく、葬式にさえも出なかった。

 それでも、心の中では、悲しんでいるようだ。だから、年賀状の話が出たのだと思う。

 当然、母親は、年賀状、欠礼ということになるが、大体、母親が年賀状を出しているのをみたことがない。だから、喪中葉書等も出さなかった。

 海外に1人だけ友人がいるようだが、クリスマスカードが届いていた。今は、その方も作曲家のご主人を亡くされて、あまり連絡してこられなくなった。

 母親が元気な時には、古典の会というのがあって、木曜日毎に参加していたが、それもいかなくなって、たまに「心配しています。」という葉書が届いたりする。

 家に帰って、母親をみていると、私は、途方に暮れることがある。私よりも頭は、しっかりしていて、タレントの名前とか、時には、自分の言動に対して鋭い指摘をしてくることもある。しかし、ボヤッとしている時もある。身体は、歩くのがやや不自由だが、目も耳も口も達者。

 スローローリスみたいで、夏等は、蚊や蠅を素手でさっと捕まえるといった敏捷な動作もする。

 何時起きて、何時寝るということはなく勝手気ままに暮らしている。

 最近では、本もあまり読まなくなったようだ。ミジンコみたいに肥えているが、そういうと、凄く怒る。昼間は、夜行動物の様に寝ていることが多い。目眩がする時もあるが、医者には行かない。

 どうしたら良いのか、79歳の父親が自転車で坂を上って買い物に行ったり、洗濯をしたり、料理をしたりするが、僕が家にいなくなっても、日常の世話や会話はするが、親しいという状況でもないようだ。むしろ自分の方が良く話す。

 こうした母親の姿をみるのがつらくて、家を出たが、こうして実家にいると、放っておけないと思ったりする。

 父親が先に亡くなって母親1人になったら、僕が面倒をみなければならないが、この家では、自分には無理だ。おうぶの家に来てくれたら、近くに医者も薬局も日常の買い物が出来る場所があるので、実家よりも便利だが、家がぼろいので、母親が嫌がるだろう。

 老人向けにリフォームする経済力等自分にある筈がない。そうなれば、おうぶの家を売り払って、こちらで世話する以外にないだろう。

 母親が先になくなった場合には、父親はしっかりしているので、自分と気が合わないので、1人で暮らしていくだろうが、案外に寂しがり屋の点があるので、結局、弟の家にいくことになるだろう。

 そうなってもらったらありがたいと思う。
 弟とももう、20年近く口を聞いていない。

 滅茶苦茶だと思うが、それが身の回りの状況だ。

 こうした身内の状況を考えると、僕が先に死ぬことが出来ればなぁと思う。独身なので、誰にも迷惑をかけずに死ぬことが出来る。

 出来れば、死にたいものだ。
 今は、それをお酒で誤魔化しているが、それも、無理になってきた。