色々な食材が売っているので、つい買ってしまう2010/12/05 17:04

 NHKニュースで、白菜の値段が下がったと言っていたので、生協まで原チャリで出かける。

 全然安くなっていない。東京の主婦が、「これからは、野菜がじゃんじゃん食べられていいですね。」とか言っていたが、そんなことをしていると貧乏になってしまう。

 生協にいくと、色々な食材が売っているので、つい買ってしまうので、買い物金額が3500円を超えてしまった。勿論、2~3回分の材料なので、こんなかも知れないが、1人暮らしの場合は、コンビニ等でおかずを買う程度にしておいた方が安くつく。

 この鍋も1人で食べるので、肥るし、無駄だし、大変だ。

美味しい!簡単!白菜シーチキン鍋2010/12/06 21:59

 大阪に居た時は、常連であった立ち飲み屋、大御所酒房のKさんというお姉様(ここではそうしておきます。)に白菜を使った簡単な鍋を教えて頂いて、それが美味しいので、驚いた。

 材料は、白菜と、シーチキン缶詰と水(お湯)だけで、調味料、ダシもなにも要らない。

 シーチキンがお湯で薄まってマグロのうま味と適度の油っぽさが白菜にマッタリと溶け合って、白菜本来の美味しさを楽しむことが出来る。

 ご飯も今日は、仕事で炊いていなかったので、これは、コンビニの鰺の一夜干しご飯で、これもなかなか美味しく、鍋と合った。

 東京では、白菜の値が下がったというが、大阪では、1個五百円もする。僕が買ったのは、1/4なので、それほどではなかったが、カケラなのに高いなと思った。

 しかし、それだけの価値がある冬野菜だと思う。

僕は、こんな風に散ってしまった銀杏の方が好き2010/12/06 22:06

 今日は、午後から仕事で大阪本町の方を回ったが、御堂筋の銀杏ももう終わりに近づいている。

 しかし、僕は、こんな風に散ってしまった銀杏の方が好きで、それは、夕焼けの景色に良く合う。

 大阪の銀杏の名所は、御堂筋だけではなくて、大阪城公園の堀端の銀杏並木が素晴らしい。これは、別世界に来たような郷愁に満ちた美しさである。

 僕は、紅葉は、あんまり好きではない、銀杏が大好きである。そういえば、法然上人の幼児を過ごした菩提寺の銀杏は、今頃どうなっているのだろうか。

職探しのデータベースに今日、登録したばかりなのに2010/12/07 22:47

 今日も仕事で天王寺の方を回った。阿倍野の方も現在、再開発の最中で大分、状況が変わってしまった。特に阪堺電車の駅の感じも変わった。

 JR天王寺駅から山王町で降りていく坂の辺りは、あんまり変わっていない。アポロビルのキクヤ書店で、俳句用のノートを買った。

 写生といっても俳句をいきなり作るのは、難しく、簡単な言葉によるスケッチを印象を受けた順番にまとめて組合せを考える。

 更に、その表現に用いた言葉を凝縮及び取捨選択を行う。

 その下に横線を引いて、定型にまとめたラフなデザインを3~4句書いて推敲を行い。

 一番下に最終プランを書く。これも帰宅後、色々と吟味して俳句にまとめたらどうかと思う。いずれにしても吟行には、こういったノートを持っていった方が良いかも。

 その後、新世界をうろついて、そこから日本橋方面に向けてノロノロと歩く。久しぶりに上新電機によったが、32インチの液晶テレビの中古が2万5千円で売っていた。しかし、液晶に幾分ダメージがあるらしい。新品でも6万円位ある。42インチで9万円を切る値段のものも出ていて、かなり値頃になった感じ。

 42インチのものが欲しいが、職探しのデータベースに今日、登録したばかりなのに、自分はどうかしていると思った。

 今の会社がどうにもならなくなった時のことを考えておかねばならない。

「街道てくてく旅」でもあるまいし、馬鹿みたいの歩数が伸びた。2010/12/08 22:02

 年の瀬も押し迫って、給料が貰えるかどうか判らない会社の仕事に忙殺されている自分がなさけなくなる。この3日間の歩数は、一昨日1万2593歩、昨日1万2593歩、本日1万1546歩、合計3万6722歩と、「街道てくてく旅」でもあるまいし、馬鹿みたいに歩数が伸びた。

 年賀広告の営業である。
 給料は出ないのにノルマだけある。

 明日も京都に行かねばならない。この様に営業に回っていても1日1万字の原稿は必ずかかねばならないので、早朝や夜中に記事を書いており、1日16時間は、何かの形で仕事をしている。

 在宅の場合は、キリというかケジメがないし、1人暮らしなので、止めどなく仕事を続けてしまう。勿論、光熱費、パソコン代等もらえない。

 まぁ、こんな会社でも給料がもらえてローンが払えて存続してくれれば辞める必要はないのだが。それも危うい。

 やっぱ厨房相手のガレージハウスでのたこ焼き屋か。1日、40人客があれば、暮らしていける計算。

昨日からつけてる「俳句手帳」を開いてみた。2010/12/08 22:24

昨日からつけてる「俳句手帳」を開いてみた。


冬鰈脂身そっと裏返し
(立ち飲みの鰈の煮付けはうまい。日本酒に良く合う味付けだが、僕は日本酒は苦手だ。メーカー品のみ苦手)

シーチキン白菜と競り合う鍋の中
(これも大御所のおばちゃんに教えてもらった「貧乏鍋」。材料は2種類だけ、調味料もなし。)

冬列車夕陽眩しき発車かな
(今日は、三宮経由阪神電車奈良行きで、鶴橋で乗り換えて、大和高田まで仕事である。)

(例の焼き肉の鶴橋駅では..)
焼き肉の匂ひの駅にも冬はある
前列の女のブーツ皺光る(ブーツって季語かな判らない。)

沈む陽に近優りたる冬の山
山陰の紅葉葉は散り難し(以上、生駒山を越えてる時)

(昨日の天王寺の風景)
串カツの香りも冷える通天閣
ビリケンの足光増す師走かな
年の瀬の役者鬘は白々と
セロハンで季節外れの花温む

お次は、貧窮俳句集

いよいよと糧の絶えたる朝寒し
施しの列の長さに凍えける
鳰鳥の親子羨む日暮れかな
歳末のネオンは眩し蜆川
幸福の王子はかくと時計売る
地下駅の床の寒さは氷点下

通る度にカメラを向けている2010/12/09 21:07

 今日は、仕事で京都丸太町の近畿農政局へ。

 途中、平安女学院の建物があった。ここは、通る度にカメラを向けているが飽きない。

 今日も、スケッチブックを抱えたおばさん達に遭遇。

 仕事自体は、大変だが、あちらこちらに出かけることが出来るのは、楽しい。

「造る自分」2010/12/09 23:00

『坪内稔典の俳句の授業』(黎明書房)を京都烏丸のじゅんく堂で買った。電車の中で、読んでいたが、第3章の「現代俳句の世界」が面白いというか納得。

飯田蛇笏や飯田龍太、森澄雄、金子兜太等々お歴々の登場、非定型とか前衛俳句等もでてくる。

つまり、大正期から昭和時代に至るまでの近現代俳句史の世界である。

季語や定型の破壊は,何故、行われたのか、そして、その限界とは、そういった問題について、稔典先生なりの考え方で書かれている。

ここで印象的なのは、稔典先生の場合は、子規の写生の忠実な蹈襲者としての辻桃子先生等に比べて、「写生」ということについて一歩、下がって客観的にみている点である。

つまり、俳句づくりは、「写生」そのものではなくて、あくまでも「写生」は、創作の手法の1つであること、金子の初期の前衛俳句は、何故、その様な表現を生んだのか。或いは、同時代の社会派の俳句とは。

そういった問題点に触れており、興味深い。

しかし、何故、金子兜太が、その後、伝統的な俳句に戻り、現代の俳句界も、部外者からみれば、後退・退化とも言える、定型表現の世界に戻ってしまったのかということである。

これについても結論は書かれていない。但し、ヒントになるものはある。
それが、「造る自分」ということで、社会という中で、自分を絶対的存在として、切り離して考えるのか、それとも、融合して存在として考えるのかという点である。

現代の俳句という文芸は、江戸時代の昔に帰ったというか、句会の中での連衆文芸としての集団性をみせる社会的遊戯の1種となっている。つまり、こうした中では、表現理解の共有、つまり表現の普遍性ということが1つの前提条件になってしまうのである。

「造る自分」を社会と切り離した場合には、「同人誌」というメディア媒体を通じて読者、俳句仲間との交流があるが、今の同人というのは、あくまでも句会での直接交流が中心で、同人誌は、あくまでも、「機関誌」としての役割になっているのである。

そうなると、表現は、不定形とか前衛とかそういったものは成り立たなくなっている。

ひらったくいえば、「変わり者」は、排除されるのである。

こうした流れ、現代のクラシック音楽の流れと類似している。つまり、古典派、ロマン派、後期ロマン、ネオロマン、現代、前衛という流れは、実に俳諧・俳句の歴史に非常に類似している。

特に20世紀に入るとクラシック音楽は、王侯貴族の遊戯的側面から離れて、社会と切り離された純粋な自己表現の場となり、普遍性よりも、絶対的表現価値を求める動きに変化していった。

その行き着くところが、1950年~1960年代のジョン・ケージやシュトックハウゼン、あるいは、リゲティとかいった連中で、彼らの音楽は、完全に孤立しており、超俗的であった。しかし、結局は、廃れていったのである。

クラシック音楽の場合は、再び聴衆との交流、社会と融合した自己表現の世界に戻った要因は、音楽メディアの発達であった。つまり、新たな音楽商業主義、メディア融合により、独立的な個性の表現よりも、一般に理解しやすい表現、普遍性が求められる様になっていった。

こうした、調整、あるいはリズムさえも破壊の限りを尽くし、最後には、ジョンケージの様に「音の実在」さえも捨て去り、時間の経過のみが音楽とする「禅」の様な世界から、誰もが理解出来る調性、リズム、歌、和音等の音楽に回帰してしまったのである。

結局、こうした流れの中で、「俳句」、「音楽」も本来の芸術ではなくて、大衆文芸・芸術、第2芸術といった見方もあるが、それは、社会性と芸術・文芸の連携を肯定するか否定するかの立場に違いに他ならない。

 松ぼっくりジョンケージを気取りたる

☆☆☆
今日の俳句、何かエロイイメージが浮かんだので、俳句らしきものを造ってみた。(またまた夢の世界である。)

氷層の緑青蹴散らす冬氷河
ヒーターで色香増したる網タイツ
バニー嬢ワイン注ぐ手寒さ知る
瑠璃色の爪暖炉求めて動くなり
天道虫お日様捜す冬の朝
黄金の隈取りの雲霜降らす
鬼ごっこ鵯(ひよ)の加勢で負けにけり

胃カメラ検査異常2010/12/10 13:11

 今日の午前中は、近くのほくと記念こやまクリニックというところで、胃カメラ検査を受けた。

 当初は、麻酔をしてから検査をするということだったが、睡眠時無呼吸であると申告すると、麻酔無し(喉の痺れ薬のみ)でやった。

 以前にも検査をやったことがあるが、そのときは、大層辛くて、1秒でも早く終わって欲しいと思ったが、昔のことで、最近では、医療機器の進歩からカメラも小さくなっていると言われていたが、そんなことはなかった。

 OLYMPUS製のカメラである。このメーカーカメディアシリーズというデジカメを販売していた時にもあんまり印象が良くなかったが、今回、カメラを飲んで余計にそう思った。(おりんぱすのカメラなんか買うものか。)

 今回は、比較的簡単に飲めたが、その後、何がトラブったのか、異様に検査時間が長い。時計をみると、挿入後、10分以上経過している。喉の痺れが取れてきて苦痛になってきた。
 
 担当医によると、食道と胃のつなぎ目の部分に異常が見つかったので、今から組織の採取を行うと言う。たしかにポリープ状のものがモニターに写っている。

 「ブッチ」と切断して標本を採取、そうしたら、血がどっと吹き出したので、急に腹が痛くなった。

 胃の入り口の部分の撮影の場合は、カメラを胃の底の方に押しつけて、それからUターンして上部を撮影することになるので、胃の痛みとか嘔吐きが酷くなる。


 「エッエッ」と何回もなる。「はぁーい深呼吸して楽にしてー」と看護師さんが言われるが、その通りにすると余計に苦しくなった。

 「ウゲェ、なんとかしてくれー。」

 唾を吐き出すようにすると楽になった。つまり、吐くという行為の反動で、嚥下反応も起こるので、エヅキが収まる。AVでのイ○○○○等の場合もきっとこんな風なんだろうな。つらいだろうと思っていたら、検査が終わった。

 ちらっとかすめたのが、あの「白い巨塔」の第1バージョンの佐々木庸平の病名、噴門部癌である。組織病理検査の結果が出るまで10日間。

 実は、数年位前に、健康診断で、胃のレントゲン透視をやった時に胃の上部に異常が発見されたので、何度も寝返りを打たされたのを覚えている。「要検査」という判定だったがほったらかしにしていた。

 それからだいぶ経過しているので、もし、悪性であれば、とうに発症しているだろうしとも考えたりしている。

 10日後に結果が出るという。悪性ならば最低である。
 
 ①会社倒産の危機
 ②癌→死
 ③この年齢で結婚も出来ぬ人生の落伍者
 ④住宅ローン

 ①②④はセットで解決する。つまり死ねば、あれほど、認可を得るのに苦労した団体信用保険で、ローンはちゃらになるし、会社もどうも関係なくなる。

 最悪のケースは、癌の治療に費用がかかって生き残って、結局は、重症化して数年後に死ぬというパターンで、これは、保険に入っていても、周囲には迷惑がかかるし、住宅ローンも払い続けて、それも駄目ならば。死の床につきながら破産手続きをしなければならなくなる。

 そうして、結局は、最後に③が残る。

 結局は、その日、その日を一生懸命に生きて、標準的なライフステージを都度クリアしていく努力を怠ると自分の様になる。

 若い人は、自分の程度の低いブログをみて、自らの幸せを感じるとともに、「平均的な人生」が歩める様に日々努力して欲しい。

 両親が生きているうちに死ねば、葬式してくれる人がいるので、それだけが救いである。

ローコストカメラ監視システム2010/12/11 10:53

 民主党が富裕層を対象に扶養家族控除の廃止を検討している。

 人口構成の僅か3%であるが、納税額構成では、結構な割合を占めているので、これらの階層の増税を実施することで、年金の国庫補助及び子供手当の上乗せを考えているという。

 この政策自体は、妥当であると思うが、今の世の中どうかしている。いくら零細企業に勤務しているといっても第1線の現役社員が、胃カメラ等の検査費用を満足に支払えないというのは、おかしな世の中だと思う。

 こうゆう訳で、ぼろ家のセキュリティ計画は、金銭的に困難になっている。

 お金をかけずに家を防犯カメラで監視する方法がある。それが、WEBカメラの遠隔操作の活用だ。

今回、試してみたのが、liveCature2というソフト。

http://www.forest.impress.co.jp/lib/pic/video/vdocapt/livecapture.html

インストール、カメラの設定も簡単。インストールすると自動的にノートパソコンの内蔵カメラや外付けのUSBカメラ等を自動的に認識してくれる。

システム設定画面で、WEB上の動画配信を選択して、IPアドレスを設定する。これも、構内のネットワークでのアクセス用のアドレス及び、インターネット経由のアドレスを設定可能。

実際に動作させてみたが、構内の設定では、その無線LANシステムからは、外部アドレスでのアクセスは不可能であるが、別のモデムとか、Eモバイル等を通すと接続出来る。

動画表示は、JAVAで行っているので、JAVAのインストールが必要。

結局、前にID-01の制御システムをやったが、あれは、ブルートゥースであったが、これは、その換わりに有線・無線LAN経由で画像を送信する仕組み。

割と簡単に設定できる。使用したノートパソコンは、省電力、長時間連続稼働可能のEeePCを使う。これは、HDDディスクではなくて、大容量メモリでシステムが動作しているので、HDDの消耗とか耐久性等を考える必要がなくて、こうした使い方には、最も適している。

但し、防犯的にはどうかと思う。つまり、侵入されたら、稼動中のPCを発見されてしまう訳で、そうなると、大事な情報を盗まれる可能性もある。更にLANからのPCへの侵入等、セキュリティ面で問題がある。

だから、これに活用するPCは、省電力タイプで、内容を暴かれても問題がないものにする必要がある。