クレンペラーのブル82012/11/03 11:39

オットー・クレンペラー指揮ニューフィルハーモニア管弦楽団
ブルックナー交響曲第8番ハ短調

ノヴァーク版(第2稿)による演奏だが、随所にクレンペラーによる改訂、改竄、省略がされている。

 1981年8月に発行された『ブルックナー』青土社によると、この演奏について、宇野功芳氏は、「あまりにもひどい。クレンペラーによるフィナーレのおそるべく勝手なカットの故に名前を挙げておきたい。(同じように改訂版を使用しているが、名演奏を繰り広げている)クナッパーツ・ブッシュは、本能的にブルックナーとつながるものをもっている指揮者だが、クレンベラーはブルックナーと無縁の指揮者といわざるを得ないのである。」と述べている。

 更に宇野氏は、このLPレコードのライナーノーツを執筆されており、そこにおいて、クレンペラーが、終楽章のカットについて、「ブルックナーのあまりにも旋律の多様がこの楽章を混乱したものにしており、それらを明解にする為に、カットを実施したのである。」というコメントを紹介している。

 果たして、どうなんだろうか。実際にフィナーレを聴いてみると、あまりに、非音楽的というか機械的に録音後にカットしたようにしかきこえない。実際、この様に楽譜を切り取った後で、演奏しようにも、非常に不自然なので、アンサンブルにも乱れが生じるし、演奏自体が困難な筈であるが、この録音は、平然と演奏を続けている。

 つまり、全曲をカット無しに演奏した後で、録音をカット編集した様にしかきこえない。更に、カット後の収録時間が、クレンペラーの超スロー演奏の為に、カット無しで演奏された他の指揮者よりも長時間に及んでいることで、このカットを含めてもLPレコードの収録時間内に演奏を収めるのは、難航したと思われる。

 おそらく、プロデューサーのウォルター・レッグ氏あるいは、エンジニア等から、もう少し速いテンポで演奏して欲しいと言われたのではないか。しかし、クレンペラーは頑として譲らず、彼のテンポで演奏を続けたに違いない。

スタッフ:「これでは、収録時間内に入らないですよ。」
クレンペラー:「じゃあ、勝手にすればよい。」
とのやりとりがあり、クレンペラーの指示する箇所をカットしたのだと思われる。

となれば、クレンペラーのもともとの収録テイク(テープ)が残されており、ノーカット版等が出てくる可能性もあるような気が。

しかし、それならば、何故、宇野氏が紹介されているようなクレンペラーの見解が述べられたのだが、やはり、収録時間に入れなければならないので、演奏を仕方なくカットしたとは言えなかった。当時の世界最大のレコード会社EMI、フィルハーモニア管弦楽団のスポンサーに対して、その様なことを言明することが出来なかった事情がある様な気がする。

演奏自体は、第1~第3楽章は、素晴らしい。特に第2楽章のスケルツォの第1主題の終わりから、第2主題に移行する時のテンポの落とし方が実に素晴らしい。カラヤンが、クレンペラーのテンポを真似て第2楽章をウィーンフィルで録音しているが、音楽が弛緩してしまったが、クレンペラーの場合は、こんなに遅いテンポなのに音楽が生きている。

仕方なく第4楽章は、僕も聴かないことにした。MDにダビングして繰り返し再生しているが、それは、第3楽章までで終えているのだ。

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