白ロムというのがなんの為に販売されているのかやっと判った2009/06/18 23:13

CyberShotDSC-W120で撮影
 携帯電話については、結構、無知でもうPHSを始めてから、15年位は使用していながら、何も知らないというか、あんまり好きになれないまま過ぎた。

 メールでのやり取りは好きだが、電話というのは好きではない。声のみでは、相手の様子が推察出来ないからだ。メールの場合は、言葉づかいや行間の裏から相手の本音を読み取ることも出来るが、声は、それが出来ないので大変。一番、嫌なのは、シチュエーションが判らないのに電話をかけたり、受けたりすることで、特に、携帯に厳しい阪急電車の乗客なので、尚更である。

 こうした中で、白ロムというのがなんの為に販売されているのかやっと判ったというか、こんなことを知人に話したら、馬鹿にされるに違いない。以前、白ロムから住所情報を抜き出す奴がいるとか悪事の面がクローズアップされたが、結局、「中古携帯電話」ということになる。

 以前は、白ロムは、殆ど顧みられなかった。というのは、機種更新にお金が殆どかからなかったから。

、一番、右のフォーマ901isは、PHSからの乗り換えで、更新料無料であった。酷い機械で真っ赤なのはまだしも、通話中にある程度時間が過ぎると勝手にリセットがかかってしまう。iモードも同様。充電が悪いのかと思ったら、やはりハードの故障らしい。

 「修理したら結構、お金かかりますよ。」という店員に騙されたのか、まんなかの「ラクラクフォンF883i」を薦められた。

 ポイントがたまっていたので、それを使用することで実費負担なしに機種変更が出来た。これ以外のキカイでお金がかからないのは、子供用のガラクタみたいな奴ばかりだった。

 ラクラクフォンは、文字も大きく表示され、気に入っていたのだが、やはり、カメラがないので、バーコードスキャンが出来ないと困ることが増えてきたので、カメラ付きの携帯を捜していた。

 ドコモのショップで一番安いものでも2万円台、通常の最新機種で4~5万円と、まったく更新費の桁が違う。AUだと1~2万円位から機種があるのに、ドコモでは、ラクラクフォンのカメラ付きでも3万6千円位するので、諦めていた。
 そこで、白ロム。結局、ドコモカードというのが、どの携帯にも仕組まれており、これを差し替えることで、自由に使用出来るのことが、最近ようやく理解出来たので、右の901isで実験したが使えた。(ただし、壊れているので長時間使用出来ない。)
 白ロムの値段も高いもので、1~2万位するが、壊れた901isクラスの年代に製造されたものだと、3000~5000円位で販売されている。やはり傷も多いが、あんまり気にならないものもある。一番、左が白ロムを買って来たので、4980円であった。F702idという方で「黄金」というニックネームがついている。
 貧乏なので、黄金という言葉に弱く、買ってしまった。早速、使用しているが、無事に使えるようだ。
 データは、ソースネクストの携帯13で簡単に移し替えることができた。今、パケ放題は、止めている。(ラクラクフォンでiモードはやる気にならない。)
 復活するか思案中。

 このキカイにも飽きたら、また、新しい白ロムにするか、ラクラクフォンに戻るか、簡単にそれもできるのである。

戦国のゲルニカ(追記)2009/03/25 22:16

SORAで撮影
以前、岩波文庫で「おあむのものがたり」というのを読んだ記憶がある。

 戦国時代に生きる武士の妻の生活を描いた作品であるが、良くかけていると思う。実際、戦国時代の下級武士は、いくさ場とその後で、妻の共働きであった。

 本物の兜首であっても、そうでなくても首を綺麗に整えて、上官に示さないとご褒美にありつけないので、必死なのである。

 戦国女性、おあむの重要な日課は、夫が獲てきた首級の口をこじ開けてお歯黒を塗る仕事である。つまり、今川義元を思い出しても判る様に上級武士は、戦場に赴くときには、お歯黒を塗る等のオシャレをしているのである。

 死後1日近く経って死後硬直が解けるのを待って、この作業を行うが、本当に大変な作業だったと思う。

 ところで、

 大阪城天守閣では、戦国時代のいくさ屏風の展示がされている。いずれも大抵が江戸時代以降に描かれたものである。特に有名かつ悲惨なのは、大阪夏の陣屏風である。例の松平さんが、司会をつとめた歴史番組で、「戦国のゲルニカ」と命名された作品であるが、実にむごたらしい悲惨な光景が描かれている。

 不思議なのは、美しい装飾ともにこんなむごたらしい光景が描かれていることで、どの様な場で鑑賞したのだろうか。

いわば、総金属製のEOSのようなもんだ2008/12/04 09:31

IXYDIGITAL70で撮影。
 イカロス出版(2008年11月刊、税込み1500円)、この本は、1998年に出版されたものの、増補改訂版。
 O系がなくなるので、急遽、出版された。面白いのは、O系がなくなるのは、21世紀早々と予想されていたが、実際には、それから8年程、生き延びたということ。
 衝動買いした理由は、右の見開きページの前照灯と、空調吹き出し口の写真が買いたい心を直撃した。
 0系の模型やオモチャ等で育って来たが、この前照灯の赤・オレンジの色と白いフェース、青いスカートは、最高の取り合わせだと思う。新鋭機では、レールスター等素晴らしい車両もあるが、この優雅なデザインには及ばない。
 この新幹線が走り出した頃には、国内旅客航空便は、当然、プロペラ機であり、しかも、YS11も完成しておらず、バイカウントという飛行機がメインであった。
 イギリスビッカース社の航空機で、ターボプロップ機。低空の視界が良いので、これで羽田に到着する時には、当時、未だ帆走していた帆掛け船の漁船等をみながら、着陸態勢に入るのが見えた。
 国産機の開発技術が無い時代にこれだけの工業製品を開発することが出来たのは、奇跡だと思う。
 特に見開きの中央部の空調吹き出し口の写真であるが、「金属製でノスタルジーを誘う」とあるが、当時は、こういった方法での車両空調ダクト設計自体が斬新であり、今でも新素材ではあるが、空調システムは、この技術が踏襲されている。
 内装パネルは、全て金属製だが、現在の様な組み合わせの技術はなかったので、全てビス止めであった。そのビス1本にしても新幹線専用のものが新開発された。
 また、車両外装に使用された沈頭ビョウは、零戦等、戦前の日本開発の航空機の技術が応用されている。
 座席以外の内装は全て総金属製。
 さぞかし重たい車両だったと思う。のぞみ等に乗車してトンネルを通過すると、空気圧で車両が変形しているのを壁際の席では感じられるが、この車両は、しっかりしている。
 座席は非常に狭くて、これで東京まで3時間強の乗車はつらいものがあったが、新幹線の基本システムは、44年前に既に完成していたと言っても過言ではない。
 凄いのは、従来の車両開発は、車両独自の性能を考慮して設計されるが、0系では、新幹線という交通システムを新たに創造するという観点から、総合システムとして設計された点である。
 全て40年後を予見した工業製品と言える。いうならば、現在、合成樹脂製のEOS一眼レフが金属カメラの時代に総金属製で技術を結集して作り上げられたようなもんだと思う。

葉っぱ2008/12/03 09:00

 庭には、山桜、しだれ桜、紅葉、杉などの針葉樹等数本植わっているが、残念ながら地球温暖化の影響か樺の木は枯れてしまった。
 そうなると、もっとも目立つのは、梅の木である。白梅で、一番、花が咲くのが遅いくせに、ボウボウと凄い勢いで花の後の若葉から青々とした葉が上に突き出すように伸びている。
  この樹も晩秋の冷え込みには、お手上げで、落葉が続いて、毎日のようにやせ細っていく。黄色に紅葉した落ち葉を拾い上げてみると、まんまるの葉っぱの表面側には、細かい毛が一面に生えていてザラザラとしている。
 なんとなく愛着を覚えて、スキャンしてみた。不思議なのは、角の様に突き出た部分で、果たしてなんの役割をしているのだろうかと思う。
 この樹が真っ裸になる時、寒さの冬本番がやってくる。

ご飯雀2008/11/20 09:18

Coolpixs S600で撮影。高感度モード、デジタルズーム
 いつも食事をしている時にこうして家の中を覗いてくるので、「ご飯雀」と読んでいる。
 果物類の時は四十雀やヒヨドリ、澱粉系、ラーメン、焼きめし等特に脂っこい食べ物の時は、「ご飯雀」がやってくる。
 匂いが判るのだろうか。何時もスクラップ撮影に利用しているNIKONのコンパクトデジカメでさっと撮影したので、鮮明でない。
 ちゃんと撮影しようとすると直ぐに逃げてしまう。

チベットの十二支について「レッツ学校!」で学ぶ2008/10/28 22:43

「レッツ学校!」に嵌っていることは、先日取りあげた。
http://fry.asablo.jp/blog/2008/10/27/3851713
 この学校の授業内容は極めて豊富である。しりとり遊びを通じて、ボキャブラリーが増えていく。
 物語ごっこもあり、好きな物語(小説)は、ネコやウサキャラに聞かれて、「源氏物語」と答えると、「主人公は誰?」「敵役は、誰?」と聞かれて光源氏とか柏木等とか適当に回答していくと、生徒達が勝手に源氏物語を「ゆるキャラ風」の物語に作り替えてくれる。
 教養講座では、十二支を覚える遊びがある。まず、十二支を暗記して、それから時刻や年号等をあてていく遊び。
 その中で、中国の十二支には、ネコは登場しないが、チベットやタイの十二支には、登場するとあり、「フーーーーン」と思ってインターネットで調べてみると、
以下の解説が出てきた。
http://www.massangeana.com/mas/cgi-bin/iroiro.cgi/lingua/etc/dizhimao.html
 どうやらガセネタらしい。チベット語での、ネコは、 zhi mi, zhum bu, byi la などというらしい。でも卯がネコという記述は正しくないという。
 世界中に卯がネコとされているというのがあるらしいが、単なる発音の類似ということらしい。
 本当かな。
 単なるゲームだから、ジョークとして考えれば良いと思う。
 それにしても、ここに出てくる動物学校の生徒達は、実は、思考パターンは大人である。だから、大人の言葉をどんどん教え込んでいくと、朝の登校時等、とんでもない会話が聞けたりして、面白い。

「レッツ学校!」に嵌る2008/10/27 23:23

PSPのゲームは、リッジレーサーに嵌っているが、ほのぼのとしたゲームを求めて、体験版でダウンロードしてみて結構、面白かったのが、どこでも一緒シリーズ「レッツ学校!」
 動物の学校の先生をゲーマーが臨時に務めるという設定で生徒の質問に答えていくことで、コミュニケーションが進展するというゲーム。
 校舎は、1970年代風のデザイン。
 私が小学校に通っていた時は、校舎は全て木造、机も椅子も全部ムクの木材。
 今頃、あれだけの机を木材加工したとすれば、何億というカネがかかるだろう。
 たわいない遊びであるが、このゲームの面白さは、生徒達に教えた言葉や知識等をこれらの可愛い生徒さん達が応用して、会話を作り上げる点であり、言葉遊びの面白さでもある。
 キャラクタは、猫、ウサギ、カエル、ロボット等があるが、ウサギのキャラクターが時々情緒不安定になるので面白い。
 まぁ、単なる暇つぶしのゲームだけれど、漢字の読みの問題は結構難しい。
 大の大人がこれで遊んでいて、横からガキどもに覗かれたら、凄く恥ずかしいと思う。

体調など2008/10/12 23:26

 引き続き体調等悪い。

 右腹が張ったような感じがして微熱もあり、身体がだるい。
 先々週の金曜日に超音波エコー等で見てもらって異常が
 ないとの診断の様だが、やはり気分が悪い。

 しかし、耐えられないほどではない。 
 特に空腹時に痛むことが多い。

 食事をしたら、痛みが消えてしまうので、怖いと思う。
 空腹を避ける為に、どんどん食べるので更に太ってしまった。
 大学も卒業して、仕事にももとから目標にするもの等ないので、余計に毎日の暮らしが憂鬱なので、そういった心理的な面も影響しているのかも知れない。
 もう血液検査の結果が出ている筈なので、連休明けにでも医者に行くつもりである。

蝶の道とオニユリの花2008/07/24 00:01

NIKON COOLPIX600で撮影
 今日帰宅してみたら、佛大から論文受理の知らせと審査料3000円の領収書が届いていた。
 ということは、不備無く受理されたということで、慌ててやったので、事務のミスがないか心配したが、これで一安心。
 後は、口頭試問。
 主査は小野田俊蔵先生、副査は誰だろうか。
 源氏物語のことを理解していない先生ばかりの前で、論文を説明するとなれば、恐らく大変だろうと思う。
 通信生なので、恐らくは形ばかりの試問だと思うが、それでも不安だ。
 口頭試問の1週間位前までは、卒論のことなどは忘れていよう。
 それにしても、あんな長文の論文を暑い暑い夏の日に興味もないので読んで下さる先生には、頭が下がる。
 例え、仕事といっても嫌だろうと思う。
 修士論文の時は、上野先生だが、返って来たものをみると、至る所に鉛筆で書き込んであり、最初から、最後まで丁寧に読んで下さっているのには敬服した。

 写真は、今日、駅までの道の途中に咲いているオニユリの花をみかけたので、パチリと。
 この花を見ると、盛夏といった感じがする。この花が咲いている坂道から自宅の庭の杉の梢、そして、百合が咲いている場所から、温室にかけてが、蝶の道となっている。
 この間の三連休ずっと、庭を眺めてみたら、黒揚羽、青条揚羽、その他(タテハ蝶みたいなやつ。)等が次々と現れたが、不思議なことに同じ道筋で飛んでいく。

融通念仏宗のお葬式2008/07/08 20:25

 今日の奈良県は、集中豪雨であり、一部で床上浸水等もあったようだが、観音様の御利益か、生前親しくしていた人のご配慮なのか、近鉄電車にのって桜井駅に到着すると雨はパタッとやんだ。

 斎場は、駅から40分近く歩く、桜井市音羽山観音寺の麓の市営斎場。

 音羽山観音寺は、1200年以上続く由緒あるお寺で、当初は、法相宗、後にに台密、その後は、12世紀頃には、融通念仏宗のお寺となった。
 十一面観音菩薩が祀られていることで有名なお寺。

 仕事柄、この20年近くで、40回ものお葬式に参列したが、さすがに生前親しくしていた方のお葬式は、ご遺族の有様を見るにつけても悲しさが一層増す。
 
 お葬式でやはり興味があるのは、宗派・地方によって儀式・焼香のシキタリが微妙に異なる点で、本当は悪いと思っていながらもつい、興味を持って観察してしまう。

 今回は、融通念仏宗で初めてお目にかかるお葬式。

 称名念仏の元祖という宗派で、開祖、良忍上人は、比叡山で修行され、後に下山して、称名念仏を広めた。

 永久5年に阿弥陀仏の示現(恐らく感得に近い奇跡であろう)を受け、法然上人同様に念仏の中では、観想念仏よりも称名念仏の方が一般衆生が極楽往生する最も近道であることを覚られたのだろう。

 良忍上人は、特に円頓戒(我が佛大の学長先生の専門領域)を重んぜられた。戒を重んじた点で、古い教派仏教の伝統を受け継いでいる。

 お葬式の時にどの様な経典が読まれるかも興味の対象であるが、法華経、感無量寿経等が読経された。私の好きな仏説阿弥陀経は読まれなかったのは残念。

 読経と一緒にドラ、太鼓等賑やかでこれは、真言宗のお葬式にも共通している点であり、やはり、お葬式のシキタリというのは仏教文化だと思う。

 今日は、本当に心から焼香させていただき、ありがたいお葬式だと思った。

 式の中で、諸行無常という言葉が何度も使われたのが印象に残った。

 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、ああ南無阿弥陀仏