第2楽章のギリシャ彫刻の乙女を思わせる静謐さ ― 2010/10/12 21:18
音楽室には、オーディオシステムと椅子しか置いていないので、音も良く響く。(今後、鍵盤楽器を置く予定)
CDでは、聴く態度が散漫になってしまいがちだが、どうゆう訳か、アナログレコードでは、シンフォニーが1曲終わるまで、集中して耳を傾けてしまう。
LPを聴くシステムは、増幅素子はイコライザー、ラインアンプ、パワーアンプを含めて全て管球式で、イコライザーアンプが
4本、ラインアンプが2本、そして、写真のパワーアンプが5本、合計11本の真空管を使用している。(1本は、交流→直流変換用)
半導体素子は、イコライザーアンプ及びラインアンプの電源部のダイオードを除いて、使用していない。至って丈夫で、今年で作成して12年を迎えるが、真空管は1回交換したが、まったく故障はおきていない。市販のAV機器は、7~8年が寿命だが、これは、交換部品がある限り稼動し続ける。
今日聴いたのは、ベートーヴェンの交響曲第4番(アンドレ・クリュインタンス指揮、伯林フィルハーモニー管弦楽団)。
ベートーヴェンの交響曲の中で、以前は、奇数番号を中心に聞いていたが、3、5、7、9番を聴かなくなり、その後、2番も聴かなくなった。今、好んで聴いているのは、1番、4番、8番の3曲である。
別にベートーヴェンが嫌いなのではない。奇数番は、所謂名盤が数多あって、SP時代から、古楽器演奏に至るまで聞き尽くしてしまって、少し食傷してしまった。
しかし、1、4、8番はなんど聴いても飽きない。1番は、第1~2楽章、第4楽章が良い。特に第2楽章を気分が優れない時に聴くと治療効果がある。あの幼児が、トントンと歩いていく様な感じが心の慰めになる。
8番は、第1楽章はしつこい動機の繰り返しが7番並みであるので、少しウンザリだが、あの可憐なメトロノームを模して作曲された第2楽章とユーモラスなホルンのトリオが聴ける第3楽章のメヌエットが出色の出来である。このホルンの演奏が非常に難しい。昔、オットー・クレンペラー、フィルハーモニア菅の演奏会で、デニスブレインの演奏を聴いたが、さすがに上手だった。
しかし、4番は、特別だ。
第1楽章の導入部から主題の開始のワクワクする気分。第2楽章のギリシャ彫刻の乙女を思わせる静謐さ。第3楽章は少し弱いが、圧倒的な盛り上がり、速度感を持ったフィナーレが最後のコーダに向かって、また、静かな回想に戻り、ふと我に返ったかの様にアレグロで終わるコーダ。素晴らしい。
特に4番で何が優れているかと言えば、楽器法がどの交響曲よりも優れている点である。特にファゴットやビオラ、チェロ等の中低音楽器の用法が、以前のシンフォニーに比べて進歩している。その成果は、第5~第6番にも現れているが、かなり、表面的な効果を狙っているのに対して、第4番では、あくまでもインティメートな効果を狙っている点が素晴らしい。
楽器法の工夫による地味な渋い色彩感が、この曲の静謐な古典性の価値を一層高めていると言っても過言ではない。しかし、良い演奏は少ない。大抵の指揮者は、効果を狙ってあざとく演奏してしまう。
そういった点で、アンドレ・クリュインタンスは、フランスの指揮者の良さと伯林フィルの精緻な表現技術がブレンドされて、なんの作為もなくて、自然な音楽が流れていく。
こうした「自然な演奏」は、やはり、本来のアナログレコードと真空管アンプで聴いてこそ価値が発揮されるのだと僕は思う。
当時のレコード音楽文化がどんな風であったか ― 2010/08/29 23:33
最初にかけたのが、シューリヒトのワーグナー序曲集(コンサートハウスだったか、マイナーレーベル)をかけてから、ブラームスとなった。
ワーグナーとブラームスは、同じ後期ロマン派でも全然違う。同じ、自然賛歌とも言えるジークフリート牧歌とアルトラプソディを比べてみるが良い。
ルートヴィッヒのアルトラプソディは、カール・ベームとも録音しているが、ベームの演奏は、「爺さんの子守歌」風だが、クレンペラーの場合は、凄くニヒル&クールで、全く感じが伴奏の指揮者によって変わってくる。
この曲の最後の部分で、「アーメン」で終わるが、ベームの場合は、いかにも素朴な信仰の幸福に満ちた感じだが、クレンペラーの場合は、「アーメン」が何やら苦渋に満ちた終わり方の様に聞こえる。
ゲーテの冬のハルツ山紀行という詩を音化されたものだが、ハルツ山というのが、魔物が住む山なので、クレンペラーの終わり方が本物かも。
ゲーテの詩については、ドイツ文学の権威、芳賀先生に習ったが、ドイツ文献学の凄さというかすさまじさばかりが記憶に残っており、肝心のゲーテの作品のイメージがない。
そんな話とは別にこのEMIのLP盤のレコード袋がこんなカラフルな紙製のものが入っていた。
これをみると、当時のレコード音楽文化がどんな風であったか、その雰囲気が判ると思う。軽音楽でもオペレッタでも凄く愉しい時代であったことが判る。
今、現在、CDやDVD等を購入して、こんな楽しい雰囲気に浸れないので、今の若い人達は気の毒だと思う。
カミーユ・モラーヌの歌 ― 2010/06/22 21:09
こういった湿気のある風が吹く日の朝に聴くには良い曲かも。
このLP、300円だった。
歌詞カードがついていないから、それとも、あまりにも渋い選曲だからか。
音質は普通。
曲目は、
1.優しい歌op.61~後光に囲まれた聖女さま(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
2.優しい歌op.61~暁の光は広がり(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
3.優しい歌op.61~白い月(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
4.優しい歌op.61~ぼくは不実な道を歩いていた(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
5.優しい歌op.61~ほんとに,ぼくはこわいくらいだ(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
6.優しい歌op.61~おまえが消えてゆくまえに(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
7.優しい歌op.61~さて,それは在る明るい夏の日のことだ(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
8.優しい歌op.61~ねえ,どうだい?(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
9.優しい歌op.61~冬は終わった(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
10.伴奏op.85-3(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
11.夜曲op.43-2(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
この中で、白い月は、良く叔母が、ピアノを弾きながら歌っていた。僕は、フランス語が分からないので、なにやら物憂げな曲だなーと思った程度。
フォーレの作品は、レクイエムとかパバーヌ等、あるいは、少し渋くなるが、ヴァイオリンソナタ等もあるが、やはり、本命は、歌曲集だろう。
パンゼラのSPの復刻も良く聴いていたが、モラーヌの方が、現代的というかニヒル。
パンゼラは、甘い声で、メロディーによりかかるが、モラーヌは、歌詞の方に傾斜している。
しかし、サンボリズムの詩は、私には高尚過ぎる。
竹中郁とか、祖父の家に来ていたが、よくサンボリズムについて話していたっけ。
お金がないのに散財してしまいました ― 2010/05/17 22:17
色々と神戸の悪口を書いてしまったが、買い物なんかは、結構楽しんだりしている。
神戸のヤマダ電機の裏にあるリズムボックスという中古CD店では、LPレコードも販売している。
最近、団塊の世代が馬鹿みたいに急に、レコードをステータスとして集め出したので、良いレコードが安い値段で手に入れられなくなってしまった。ディスクJJ(大阪駅前第1ビル店)でも、300円位の良いレコードがなくなってしまった。

このクリュインタンス指揮のフォーレの「レクイエム」は、CDも持っているが、このジャケットのアートに惹かれて、ついつい買ってしまった。買値は、780円位。音盤の状態が悪くても、ジャケットを買ったのだから良い。でも、当然、LPレコードを聴く「専用の部屋」で試聴はしてみて、その印象等も書いてみたいが。
こちらは、ウラッハのクラリネットが聴けるウエストミンスター盤のモーツアルトのクラリネット五重奏曲他である。こちらは、音が抜群に良いと評判になった。こちらも復刻CDを持っているが、モノラルだけれど、音が異常に生々しい。以前、実家で、CDを聴いていたけれども、滅多に感心しない母親が、「生演奏みたいや。」と驚いていた。LPだったら、もっと音が良いだろう。

これは、レコードと違うが、日露戦争の兵器がこれまで、これほど詳細に扱われた書物はなかったので、つい買ってしまった。価格は、1260円。
日本海大海戦の時の主要艦の詳細なデータが記されている。軍艦だけでなくて、航空機を除いて(偵察用飛行船はある)大抵の兵器について小銃から、巨大な大砲まで、実に詳しい解説で唸らされる。
また、ロシア艦隊についても、内部事情を含めて解説されている。

私の子供の頃は、太平洋戦争の兵器関係の本はあったが、日露戦争に関する兵器の解説書はなかった。この時代の兵器は、私たちが考えている以上に進歩しており、高度な水準に達していたことが判る。
「打倒ロシア!」の戦に勝利した栄光の兵器達である。ここには、日本の失われてしまった輝かしい帝國陸海軍の姿をうかがうことが出来る。
野鳥の声が五月蠅くて、音楽が聞こえないことがある ― 2010/04/07 20:03
肘掛けが欠品で新品であるが、特価での出品という。送料がかかってしまった。
これ以外にくらしのeショップ山善で購入したラック(2個で3560円)とみんな安物の家具ばかり。
LPレコードは、大学時代に買って聞かずに真空パックしていたミントのLP。ブルーノワルター指揮コロンビア交響楽団のマーラーの交響曲第1番「巨人」
真空パックしていなかったのは、ジャケットの色が変わってしまったりしているが、パックをすると保存効果が高まる。
購入して一度も聞かず30年位封印してあるLPが数百枚位あるが、これらの大部分は死ぬまで聴かないつもり。
この「巨人」は、CDでも発売されており、デジタルリマスター盤なので価値が低く、開封して今日聴いた。
さすがにノイズ1つなく音は鮮烈だった。残念ながらデジタルリマスターなので、音の定位感やレンジ感は、オリジナルアナログマスターに比べて落ちる。
1960年代から遅くても1970年代初頭にかけて発売されたコロンビアレコード時代のワルターのLPで殆ど再生されていない状態の良いものの、音は、信じられない程良いと思う。
SCDも期待したが、僕の装置が悪いのか、良質なアナログLPには、音質は劣るようだ。
マーラーの「巨人」を初めて聴いたのは、案外遅くて、14~15歳位。
「なんて青臭い曲なんだろう。」と思ったことを記憶している。それと、春の鬱陶しさ等が良く現れているが、あの、ダサイマーチの後のとってつけた様な終楽章で、勝利のファンファーレが金管楽器で奏されるが、これは、最大の皮肉だと思った。
とってつけた様なイメージ、ライバルとの苦闘の末に、白いコスチュームを着てターバンを巻いた好青年が、タージマハールを背景に、美しい姫君と結ばれる勝利の音楽。(本当にそんなバカらしいイメージを浮かべていた。)
実は、それは、虚構に過ぎない。
この曲は、第3楽章の葬送行進曲で、コントラバスが低く響くところで終わっている。(イボイボしたユダヤのイメージ)
「主人公は実は死んでいる。」というマーラーの作為をこの年齢で理解していて嫌な頭痛と絶望感を10代後半になったばかりの僕が経験したのだっけ。
この葬送行進曲のモチーフは、例えば、ローマ大賞に作品を応募した時に、ブラームスにこき下ろされた。あの「嘆きの歌」と類似したフレーズである。(ブラームスも同じユダヤなのに。)
ところで、当時の私は、フランスに留学していた叔母の影響を受けて、ランボーやラディゲとかそういった文学作品を読みあさっていたが、高校に入学して、数学の教師から教えられたサルトルやカフカの演劇作品を知ってからは、「浪漫派音楽なんてつまらん。」と思う様になって、ストラヴィンスキーやリゲティ、当時、本当の前衛であったシュトックハウゼン等を聞く様になった。
音楽を聴くときは、部屋の窓を閉めて、隣の家に接近している窓は雨戸を閉めて暗くして聴いている。
近所の人に変な目でみられるが、騒音公害よりはマシだと思う。
もうすぐ、この部屋にエアコンを入れるので、夏でも聴けるが、エアコンの音が心配だ。
それと野鳥の声が五月蠅くて、音楽が聞こえないことがある。
へんな笑い声で鳴くような鳥がいるので、少し不気味。音楽を聴いていると鳥が集まってくるのは、なんでだろう。
叔母も同様に身体の不調に苦しんでいたのだと思う ― 2010/03/06 14:10
明日はお葬式だ。
母親は、実の妹なのに葬式には出ないという。
さすが、私の母親だと思う。
実家に帰って翌朝の午前中に電話で急逝が伝えられた。
たしか、今春のNHK文化センターでも、講座を開設する予定だった位だから、急に具合が悪くなったようだ。
母親よりも3歳上だが、足腰が悪くダルマの様に肥えた母親よりも、ずっと元気・健康で梅田や三宮で油絵教室の講師をやっていた位。80歳で現役でお金を稼いでいた。
もっとも、老後の生活が苦しかった為にやむを得ず働いていたこともあり、無理をしていたのかも知れない。
叔母は画家である。
叔母の絵がヤフオクとかに出ていたり、ネットで検索すると結構、若い婦女子のファンが多いようだ。私は、叔母の作風はあんまり理解できない。
それよりも趣味でやっていたピアノにいつも関心させられていた。
祖父のアトリエ(つい最近まで叔母が使用していたが、借家で立ち退きを迫られて、追い出されてしまった)には、古い19世紀に作られたピアノがあった。このピアノは、ヤマハとかとは、ぜんぜん違うヨーロピアンサウンドをきかせてくれる。
叔母は、帝政ロシアから亡命してきたシロティの弟子の門下であり、19世紀ロマンチズムの正統を受け継いでいた。日本の教育を受けたピアニストではないので、ペダルの使い方1つしても全然異なる。
響きが部屋中にフワッと広がる。この「フワッと」感は、旋律とか構造重視に日本で教育を受けたピアニストに聴けない音である。
ベートーヴェンのピアノソナタもどこか宇宙の彼方から聞こえてくる様に弾いてくれる。これと同じ様な演奏様式を持っている女流ピアニストとしては、エリー・ネイという人がいて、この人のLPが私が大好きで、何度も聞いていて、叔母にも貸したところ、すごく、感激して、その日から1週間位、ピアノの前にずっと座り詰めで、ネイの真似をレコードをかけながら試みていて、「レコードを返すから」と翌週呼ばれた時に弾いて聞かせてくれたが、もう、ほとんど、ネイそっくりの弾き方になっていた。
その後、私は、人生の負け組みになって、就職に失敗してから叔母の前からは、姿を消した。
最後に逢ったのは、祖母のお葬式だった。母親とも実の姉妹なのに大層仲が悪かったので、どうしても行き来が疎遠になった。
1週間前、寝ていたら、金縛りにあった。
深い黒い森。その奥の杉木立の根元にさびしい一軒屋があって、月が煌々と屋根を照らしている。
その上をみると、人間の頭をし、カラスの羽、足は、鳥の足なのに鬼の足の様な毛が生えている。顔は、第六天魔王の様な形相で、不遜な笑いを浮かべて、「もうすぐ、そちらに行くからな。」と言った。
その直後、ゾクゾクと悪寒がして、目が覚めた。先週1週間、体がだるく、熱っぽく、口の中は腫れるし、最悪の体調が続いた。
叔母も同様に身体の不調に苦しんでいたのだと思う。
昨日、実家に帰ってきたが、叔母の訃報。
喪服類や黒ネクタイ等を実家においてきていたので、本当にタイミング見計らった様だ。
明日はお葬式、この為に実家に帰ったようなもので、偶然とは言え、言いようのない不吉な感じである。
この人が、アダ・マウロと共演してTVに出ていたのが印象に残っている ― 2010/02/22 00:01
せっかくレコードが聴ける様になったので、梅田第1ビルの中古レコードショップの店頭のバーゲン籠にあるものをゲット。価格は、200円。
再生時のA面に針飛びというか前に進まない欠陥があったが、中性洗剤を染みこませたティッシュでそっとその箇所を拭ったら、綺麗に再生出来る様になった。カビの為らしい。
オーケストラは、ラインハルト・ペータース指揮、ベルリンフィルハーモニーである。ペータースは、三流の指揮者だけれどもオケはベルリンフィルなので、こんなに一流のオケがバックについたアランフェスのレコードは少ない。
ジークフリートベーレントは、1933年に生まれて、1990年になくなった割と短命なドイツのギタリスト。ベルリン生まれの生粋のドイツ人である。
演奏スタイルは独特である。ギターの構え方からしてスペイン流の正統ではなくて、右足に胴を乗せて、ネックよりのギリギリのところで、小さく弾弦する。
楽器は、リヒャルト・ヤコブ・ワイスバーガーというこちらもドイツであるが、ヘルマン・ハウザーの楽器が純ドイツ風(セゴビアは何故か、この作家の楽器を戦前は愛用した。)で、あったのに対して、この人の楽器は、サウンドホールは楕円形でしかもリュートの様なロゼッタが刻まれている。ヘッドにも細かな木彫がある。
これが、スペインとはかけ離れたどちらかというリュート風の響きである。
アランフェスも非常に早いスピードでしかもスペイン的なリズムや誇張はなくて、オルゴールを弾く様に淡々と弾き進む。第1楽章は今ひとつだが、第2楽章は、独特だが、それなりに味わいがある。但し、芸術的に優れているのは、テデスコのギター協奏曲であり、これは、南欧というよりも中欧風の正統なスタイルであり、味わいと気品がある。
しかし、この人を持ち味を聴くならば、やはり、バッハとかヴァイス、あるいは、ジュリアーニ等の独奏曲である。前にも書いたかも知れないが、イエペスの爪音がするバッハよりも、ベーレントのバッハの方が、本格的な感じがある。
日本民謡等の編曲もギターに残しているが、これは、ついて行けない。現代曲も色々と演奏しており、こういった意味で、今の演奏家よりも前衛的である。
ギターの岡本太郎といったところか。異様な水ぶくれで不健康な体躯、陰気くさい眼鏡をかけた顔、手のひら等は、は虫類の様に冷たい感じがする。
右手のフォームも殆ど手のひらが上にむいていて、ギター教師が、「その様なフォームでは、セゴビアトーン出せないよ。」と矯正する様な感じ。
リズム感というかアクセントも独特で、チェンバロやクラビコードの様な感じ。
この人が、アダ・マウロと共演してTVに出ていたのが印象に残っている。「ウルチマ・ラーラ」というギター伴奏付きの朗読劇であり、これは、恐ろしい程、前衛作品であった。
アダ・マウロは西沢学園のCMにも出ていない頃で、カメラ雑誌にLAICAスナイーパーという超望遠レンズでライフルの様な引き金を引くタイプのカメラを持っている写真が印象に残っている若手の女優さんだった。
こんな演奏の記録、LPでしか手に入らないし、200円だったら安いと思う。
DP-37F修理完了 ― 2010/02/18 22:00
ユニバーサルタイプのアームではなくて独自仕様なので、部品交換しかないが、もう部品は販売されていない。アームの中には、合成樹脂がケーブル保護剤が使用されているが、これが、プラスティックの可塑変化でべとべとになって、断線するという故障がこの時代のプレイヤーには、実に多い。
事前にコネクタ部分を切り離して、調べたが、幸い、ライン自体は導通があるので、プラグのみの交換を行った。



またまたハズレ ― 2010/02/16 21:55
ヤフオクのハシリの時期は、掘り出し物を安く買えるので魅力的であったが、最近の落札価格等をみると,リサイクルショップや新品を店頭で販売されている価格に比べて格段に安いどころか割高になっており、こうした故障品を掴まされるリスクの方が高くなっているのでご用心。
つまり、オークションは、安いものやお得商品を手に入れる場所では、なくなりつつある。通常の販売ルートで手に入らないものを無理をして買う場所か、オークションに寄生したオンラインショップでの買い物の場と化している。
このままでは、オークションの活用者は減るだろう。
これまでの経緯を説明すると、
自宅からここに持って来たLPプレイヤーGT750が、輸送中の震動の為か、回転ムラが発生して、調子が悪いので、低価格で性能が良いレコードプレイヤーを捜していたが、DP-37Fが低いスタート価格で出品されていたのを見つけて落札した。
早速、手持ちのレコードをかけてみたが、 どうしても右チャンネルが鳴らない。
出品者は、動作確認をしたのだろうか。古いものだし、これを送り返すだけでも気が重い大きさなので、修理することにする。

当時は、パナソニックの様な銀色のキャビネットが流行だった。木目調は、デンオンか、パイオニア位のものだった。
店頭でカタログをもらったが、結局、SONYのCDプレイヤーD50(当時は、発売されたばかりなので、安物でも数万はした。)を選んでしまって、このターンテーブルは買えずしまい。
「同じ位の価格帯の商品だが、断然、D50の方が良い。」
それで、CD自体に嫌気が指して、その後、CDは聴かず、日本橋の露店で見つけたLPプレイヤーDP-1000をずっと使っていた。(今では、オークションでは、DP-1000の方がずっと人気があって、2万円から3万円位で落札されているという馬鹿みたいな話。)
(この時代、LPは滅亡の危機にあった。今の様な時代がくるとは思わなかった。

RCA端子の先端部(信号が通る部分)とアームの根元の端子(ここに出力コードが半田付けされている。)の導通(抵抗値)を測定。当然、左チャンネルは正常だが、右チャンネルはアース側は正常だが、信号側は、導通がない。
300Bでは、ブラームスのソナタは確かに説得力があって聞こえるが、フランス近代とかバッハ等は、どうだろうか ― 2009/11/22 22:11
エレキットのTU-300B(初期バージョン)で、組み立てには、基盤を使用する。価格は、5万円位だったと思う。
基盤に直接、真空管のソケットを半田付けしているキットなので、どうしても真空管の熱の影響を受けてしまう。
熱で膨張と収縮を繰りかえして樹脂の部分が劣化し、基盤に張り付いている銅メッキ部分が剥がれてしまうのである。
だから、耐久性の面で問題があると思ったが、なんとか持ち堪えている。
ただし、1回修理とNON-NFBに改造をしている。
NON-NFBにすると高域特性が落ちるが、より300Bらしい音が聴ける。基盤からNFB回路用の抵抗を抜き取るだけである。
修理は、300Bのバイアスコンデンサがどうゆう訳か電圧に耐えきれず破裂し、高電圧タイプに交換。
もともとの基盤の部品は、ニチコンの耐電圧ギリギリのものだったので、これでは、何か一時的に高電圧がかかった場合に破裂する可能性もあると思った。
その後は、無事に動いていてくれて、修理はしていないが、コンデンサ破裂事故の影響か、中国製の300B(もともとキットについていたもの)の片方の調子が悪くなったので、ソブテック製に交換。ペアでたしか1万5千円位。今では、こんな値段で300Bは買えない。
この修理は、8年位前だから、その後は、ずっと無難で来ていることになる。電圧増幅管のソケットの接触が悪い位のもの。
電子製品で10年位たつと、電解コンデンサーの性能が落ちてくるので交換が必要になってくるが、最近、大阪日本橋のパーツショップでも真空管アンプ用の高電圧タイプのコンデンサが殆ど販売されていないので保守が困難になった。
300Bは、2A3と一緒の直熱管(3極管)と呼ばれるもっとも原始的なタイプで、戦前に開発された。4本足ソケット。この足をソケットに差し間違えると大切な真空管がおしゃかになる。
直熱管の音は、GT管やMT管等の近代真空管に比べて、素直で素朴であると言える。
僕たちの世代は、子供時代は、真空管時代でGT管、MT管全盛期で、カラーTVでさえ真空管で動いていた時代。
だから、GT管、MT管の方がいわゆる「真空管の音色」でレトロ感があるが、直熱管・ST管の音は、最近の製造技術・回路技術(特に直流点火・IC等を利用した定電圧回路)のおかげで、こちらの方が何か、新しく聞こえる。
2A3も、こちらは、回路設計からシャーシー加工まで完全自作のものを組み立てた。ちなみにこの300Bも2A3もシングル回路。これ以外に高級品・大出力タイプで、プッシュプルという電力増幅管をステレオで4本使用したタイプもある。
2A3も300Bも開発年代は近く、どちらも直熱管であるが、そのスタイル、音色から、2A3は、「球女王」、300Bは、「球王」と呼ばれている。
2A3は、この写真の300Bよりもスラリとしたタイプである。同じ楓マークのソブテック(ロシア製)を使用しているが、繊細(分解能が良い)、レンジ感が広く、ややハイ(高音)のバランスが高く、ハイファイな音がする。
一方、300Bは同じソブテックでも、高音の繊細さやレンジ感はないが、重心が下の方にあるグラマラスかつゴージャスな音が特徴。300Bは昔からトーキー映画のアンプに映画館等で使用されていたが、たしかに映画や映画音楽、ジャズ等に向いた感じだと思う。
ジャズは絶対300Bだと思う。
私の場合、最近、部屋が狭くなって、やむなくデノン製の小型SPを使用しているので、トーンコントロールでバランスを補正しないとクラシック音楽等はまともに聴けないので、デノンのプリメインアンプからプリアウトの出力を300Bアンプにつないで聴いている。
やはりLPレコードを聴きたいもので、DL103RというDENON製カートリッジなので、自作の昇圧トランスを通して、デノンのプリメインのフォノイコライザーで増幅されてライン出力させている。
さすが、総て同一メーカー、デノンのカートリッジ、プリアンプ、SPシステムなので、バランスが採りやすく落ち着いた再生音である。
その中で、300B管球パワーアンプが縁の下の力持ちで音楽を支えている。今日は、LPレコードは、3枚位聴いた。雨の日なので、江藤俊哉さんのヴァイオリンによるブラームスのヴァイオリンソナタ1番等を最初に聴いた。
やはり、ヴァイオリンの再生音は、LPレコードに限る。1979年の録音だが、エルマンを彷彿とさせるガルネリウス・デルジェスの音が部屋一杯に広がる。
300Bでは、ブラームスのソナタは確かに説得力があって聞こえるが、フランス近代とかバッハ等は、どうだろうか。少し、疑問に残った。
その後、フルトヴェングラーのブライトクランク(疑似ステレオ)のベートーヴェンのシンフォニーやリストの交響詩レ・プレリュードを聴く。
フルトヴェングラーの命日が近づいている。
実に雄大、深遠な音場が広がる。ステレオよりもずっとステレオらしい。
その後、音源をCDに切り換えて色々と聞いた。エルネスト・アンセルメによるサンサーンスとフランクの交響曲。ノリントン指揮のモツレクやアベ・ベルム・コルプス、葬送行進曲、ムラビンスキー レニングラード交響楽団のショスターコビッチの交響曲第4番や第6番(戦後直ぐのモノラルでメロディア盤)を聴く。
CDの場合は、LPに比べてやはり、音の広がりが今ひとつ。案外にノリントンの演奏が300Bでは、メリハリ良く再生されていた。
このアンプを今後も大事に使用していこうと思っている。







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