カートリッジ交換2021/08/28 08:29

最近は、アナログブームなのでYouTubeにもかなり動画があがる様になっている。今回の動画は、カートリッジの交換に関するものだが、やはり、高級になればなるほど、レコード盤から拾える情報量が多くなるみたい。アナログというのは、オカネをかければかけるほど良い音になるのが貧乏人にはかなしい。私はずっと安物のカートリッジを使っている。


https://www.youtube.com/watch?v=vY6df18tC-M&lc=UgwWfVreS9ljmSFu8eR4AaABAg.9RXiIoCet1N9RYQtjb7h9a

カラヤンのハイドン2016/02/24 10:00

よく、どこの家庭にもあったような交響曲全集のセットものをたしか12巻セットで3000円位でヤフオクで落札。24枚が3000円なのでお買い得。
こういったものは飾り物として家におかれていた場合が多いので盤質は良好。

カラヤンのハイドンも快調だ。
今では、こういった演奏を行う指揮者もいなくなりました。
ピリオド楽器が大部分で最近のハイドンは不満だなあ。

格安セット2016/02/24 09:39

格安セットで、アナログレコードを楽しむ。
レコードプレイヤーは、オーディオテクニカ(中古品)
SACDプレイヤー(SONY製、中古品)
MDデッキ(TEAC 中古品)
カセットデッキ(マランツ3HEAD)
時代物のテクニクスのプリメイン(太古品、プリアンプに改造)
6BQ5シングル(写真には写っていないが、メインのアンプ)
SPシステム(テクニクスのミニコンについていたもの)
おそらく最低ランクだと思うけれど、自作真空管アンプを接続してハイドンの交響曲を楽しんでいる。

朝からブラームス。2016/02/23 09:44

最近、また、レコードを聴きだしている。
元町高架下のお店でよい中古レコードが多く販売されているので買ってきてしまう。
再生装置は、1階のオーディオルームでは、やや本格的なシステムだが、大抵は、仕事をしながら聴くので、手製の6BQ5のシングル管球アンプ、テクニクスのプリメインを改造して、プリアンプ化したものを接続、テクニクスのプリメインの内蔵イコライザーをつかって、レコードを聴いている。レコードプレイヤーは、オーディオテクニカ。PCにつながっていて、PCにレコードの音を録音して、ファイル変換して、ITUNEで再生したりIPODに転送することも出来る。PCには、USBDACが接続されており、ピュアなデジタル信号をアナログ変換出来るので、ITUNEやインターネットラジオ等を聴くのにはよい。

今日は、カール・ベーム指揮ベルリンフィルのブラームス第1番のアナログディスクを再生中。フルオートなので手軽にあんまりレコードを痛めずに聴けてよい。プレイヤーは、ピッチ・音程を調整するのに少し苦労した。安物のプレイヤーはこの問題がつきまとう。

現代音楽とか邦人演奏家とか渋いレコード2013/01/30 21:49

ヤフオクで、国内盤ばかり、何枚か落札。
どれも、どうゆうわけか、RCAビクター盤ばかり。
現代音楽とか邦人演奏家とか渋いレコード。

その中で、朝比奈隆指揮、大フィルの1977年録音のベートヴェンの英雄交響曲。

この盤は、実は、1枚保有しているが、学生の頃、何度も繰り返して聴いたので、盤質が悪化しているので、新しいのがほしかった。アナログディスク数枚で1千円で異常に安かったが、ミントに近い状態なので、ほとんど雑音しないし、ジャケットもピカピカで染み一つない。

この演奏を聴いていた時代、ちょうど人生の岐路に立っていた時期。
音楽関係の大学を目指し、そのクラスに入っていたけれど、親に反対されて、K大の法学部に、進路変更。何も勉強していないのに日本最初の共通一次試験もパスし、2次試験も無事通過。

親は喜んでくれていたが、僕は、入学後、ガイダンスを聞いて、唖然。大学合格は序の口で、司法試験に通らなければ、なんの意味も価値もないという。それで、そういった自主学習のサークルに強制的に入ってみたけれど、もう、全くつまらない。

7月には学校に行かなくなってしまって、そのまま、乞食旅行で全国を行脚。家に帰る訳にもいかず、小豆島の祖父のアトリエ(祖父も死去し、空き家になっていた。)で、その年の冬まで過ごした。虫食いの米が数斗ほどあったので、かろうじて食いつないでいた。

翌年、ようやく家に帰り、「何が何でも、大学だけはでときなさい。」といわれた。大学は退学になっていたので、法学、商学、経済学はまっぴらごめんで、文学部を目指した。

祖父の家には、尾崎放哉や、その他、俳句関係の本が積まれており、それ以外にも堀口大学さんの詩や、祖父と友人であった竹中郁さんや、その他の人たちの著作もあったが、どうゆう訳か古典を勉強してみたくなった。叔母の家に入り浸って、源氏物語や古典作品に関連する叔母の創作をみていて、古典文学に関心が移った。

能勢口にアパートを借りてもらって、そこで受験勉強していた。勉強中にこのエロイカを何度も聞いていたのが、想い出。

受験は、今度は、K大文学部は、共通一次の足切りにさえ逢った。私学も有名なところはことごとく落ちて、中堅どころに私学に高い月謝を親に出してもらって通い出した。

今度は、幸いに友人にも恵まれ、中堅大学にしては、よい教授陣だったので、古典への探求心も満足させてもらっていた。

でも、僕が、高校を卒業をして音楽(作曲)の道に進んでいたならば。当時は、武満徹等、後衛であり、シュトックハウゼンやシゲティ、ケージ、三善等が一流だったと思う。

これらのレコードを聴いて昔のことを想い出してしまった。

クレンペラーのブル82012/11/03 11:39

オットー・クレンペラー指揮ニューフィルハーモニア管弦楽団
ブルックナー交響曲第8番ハ短調

ノヴァーク版(第2稿)による演奏だが、随所にクレンペラーによる改訂、改竄、省略がされている。

 1981年8月に発行された『ブルックナー』青土社によると、この演奏について、宇野功芳氏は、「あまりにもひどい。クレンペラーによるフィナーレのおそるべく勝手なカットの故に名前を挙げておきたい。(同じように改訂版を使用しているが、名演奏を繰り広げている)クナッパーツ・ブッシュは、本能的にブルックナーとつながるものをもっている指揮者だが、クレンベラーはブルックナーと無縁の指揮者といわざるを得ないのである。」と述べている。

 更に宇野氏は、このLPレコードのライナーノーツを執筆されており、そこにおいて、クレンペラーが、終楽章のカットについて、「ブルックナーのあまりにも旋律の多様がこの楽章を混乱したものにしており、それらを明解にする為に、カットを実施したのである。」というコメントを紹介している。

 果たして、どうなんだろうか。実際にフィナーレを聴いてみると、あまりに、非音楽的というか機械的に録音後にカットしたようにしかきこえない。実際、この様に楽譜を切り取った後で、演奏しようにも、非常に不自然なので、アンサンブルにも乱れが生じるし、演奏自体が困難な筈であるが、この録音は、平然と演奏を続けている。

 つまり、全曲をカット無しに演奏した後で、録音をカット編集した様にしかきこえない。更に、カット後の収録時間が、クレンペラーの超スロー演奏の為に、カット無しで演奏された他の指揮者よりも長時間に及んでいることで、このカットを含めてもLPレコードの収録時間内に演奏を収めるのは、難航したと思われる。

 おそらく、プロデューサーのウォルター・レッグ氏あるいは、エンジニア等から、もう少し速いテンポで演奏して欲しいと言われたのではないか。しかし、クレンペラーは頑として譲らず、彼のテンポで演奏を続けたに違いない。

スタッフ:「これでは、収録時間内に入らないですよ。」
クレンペラー:「じゃあ、勝手にすればよい。」
とのやりとりがあり、クレンペラーの指示する箇所をカットしたのだと思われる。

となれば、クレンペラーのもともとの収録テイク(テープ)が残されており、ノーカット版等が出てくる可能性もあるような気が。

しかし、それならば、何故、宇野氏が紹介されているようなクレンペラーの見解が述べられたのだが、やはり、収録時間に入れなければならないので、演奏を仕方なくカットしたとは言えなかった。当時の世界最大のレコード会社EMI、フィルハーモニア管弦楽団のスポンサーに対して、その様なことを言明することが出来なかった事情がある様な気がする。

演奏自体は、第1~第3楽章は、素晴らしい。特に第2楽章のスケルツォの第1主題の終わりから、第2主題に移行する時のテンポの落とし方が実に素晴らしい。カラヤンが、クレンペラーのテンポを真似て第2楽章をウィーンフィルで録音しているが、音楽が弛緩してしまったが、クレンペラーの場合は、こんなに遅いテンポなのに音楽が生きている。

仕方なく第4楽章は、僕も聴かないことにした。MDにダビングして繰り返し再生しているが、それは、第3楽章までで終えているのだ。

第2楽章のギリシャ彫刻の乙女を思わせる静謐さ2010/10/12 21:18

 仕事が終わると、一杯やりながら、アナログレコードを聴くのが、最大の楽しみである。

 音楽室には、オーディオシステムと椅子しか置いていないので、音も良く響く。(今後、鍵盤楽器を置く予定)

 CDでは、聴く態度が散漫になってしまいがちだが、どうゆう訳か、アナログレコードでは、シンフォニーが1曲終わるまで、集中して耳を傾けてしまう。

 LPを聴くシステムは、増幅素子はイコライザー、ラインアンプ、パワーアンプを含めて全て管球式で、イコライザーアンプが
4本、ラインアンプが2本、そして、写真のパワーアンプが5本、合計11本の真空管を使用している。(1本は、交流→直流変換用)

 半導体素子は、イコライザーアンプ及びラインアンプの電源部のダイオードを除いて、使用していない。至って丈夫で、今年で作成して12年を迎えるが、真空管は1回交換したが、まったく故障はおきていない。市販のAV機器は、7~8年が寿命だが、これは、交換部品がある限り稼動し続ける。

 今日聴いたのは、ベートーヴェンの交響曲第4番(アンドレ・クリュインタンス指揮、伯林フィルハーモニー管弦楽団)。

 ベートーヴェンの交響曲の中で、以前は、奇数番号を中心に聞いていたが、3、5、7、9番を聴かなくなり、その後、2番も聴かなくなった。今、好んで聴いているのは、1番、4番、8番の3曲である。

 別にベートーヴェンが嫌いなのではない。奇数番は、所謂名盤が数多あって、SP時代から、古楽器演奏に至るまで聞き尽くしてしまって、少し食傷してしまった。

 しかし、1、4、8番はなんど聴いても飽きない。1番は、第1~2楽章、第4楽章が良い。特に第2楽章を気分が優れない時に聴くと治療効果がある。あの幼児が、トントンと歩いていく様な感じが心の慰めになる。

 8番は、第1楽章はしつこい動機の繰り返しが7番並みであるので、少しウンザリだが、あの可憐なメトロノームを模して作曲された第2楽章とユーモラスなホルンのトリオが聴ける第3楽章のメヌエットが出色の出来である。このホルンの演奏が非常に難しい。昔、オットー・クレンペラー、フィルハーモニア菅の演奏会で、デニスブレインの演奏を聴いたが、さすがに上手だった。

 しかし、4番は、特別だ。

 第1楽章の導入部から主題の開始のワクワクする気分。第2楽章のギリシャ彫刻の乙女を思わせる静謐さ。第3楽章は少し弱いが、圧倒的な盛り上がり、速度感を持ったフィナーレが最後のコーダに向かって、また、静かな回想に戻り、ふと我に返ったかの様にアレグロで終わるコーダ。素晴らしい。

 特に4番で何が優れているかと言えば、楽器法がどの交響曲よりも優れている点である。特にファゴットやビオラ、チェロ等の中低音楽器の用法が、以前のシンフォニーに比べて進歩している。その成果は、第5~第6番にも現れているが、かなり、表面的な効果を狙っているのに対して、第4番では、あくまでもインティメートな効果を狙っている点が素晴らしい。

 楽器法の工夫による地味な渋い色彩感が、この曲の静謐な古典性の価値を一層高めていると言っても過言ではない。しかし、良い演奏は少ない。大抵の指揮者は、効果を狙ってあざとく演奏してしまう。

 そういった点で、アンドレ・クリュインタンスは、フランスの指揮者の良さと伯林フィルの精緻な表現技術がブレンドされて、なんの作為もなくて、自然な音楽が流れていく。

 こうした「自然な演奏」は、やはり、本来のアナログレコードと真空管アンプで聴いてこそ価値が発揮されるのだと僕は思う。

当時のレコード音楽文化がどんな風であったか2010/08/29 23:33

 午前中は、実家にいて、レコード三昧だったけれど、クレンペラーのブラームスの交響曲第4番、フィルハーモニア菅とアルトラプソディ(メゾソプラノは、あのルートヴィッヒ)のLPレコード。

 最初にかけたのが、シューリヒトのワーグナー序曲集(コンサートハウスだったか、マイナーレーベル)をかけてから、ブラームスとなった。

 ワーグナーとブラームスは、同じ後期ロマン派でも全然違う。同じ、自然賛歌とも言えるジークフリート牧歌とアルトラプソディを比べてみるが良い。

 ルートヴィッヒのアルトラプソディは、カール・ベームとも録音しているが、ベームの演奏は、「爺さんの子守歌」風だが、クレンペラーの場合は、凄くニヒル&クールで、全く感じが伴奏の指揮者によって変わってくる。

 この曲の最後の部分で、「アーメン」で終わるが、ベームの場合は、いかにも素朴な信仰の幸福に満ちた感じだが、クレンペラーの場合は、「アーメン」が何やら苦渋に満ちた終わり方の様に聞こえる。

 ゲーテの冬のハルツ山紀行という詩を音化されたものだが、ハルツ山というのが、魔物が住む山なので、クレンペラーの終わり方が本物かも。

 ゲーテの詩については、ドイツ文学の権威、芳賀先生に習ったが、ドイツ文献学の凄さというかすさまじさばかりが記憶に残っており、肝心のゲーテの作品のイメージがない。

 そんな話とは別にこのEMIのLP盤のレコード袋がこんなカラフルな紙製のものが入っていた。

 これをみると、当時のレコード音楽文化がどんな風であったか、その雰囲気が判ると思う。軽音楽でもオペレッタでも凄く愉しい時代であったことが判る。

 今、現在、CDやDVD等を購入して、こんな楽しい雰囲気に浸れないので、今の若い人達は気の毒だと思う。

カミーユ・モラーヌの歌2010/06/22 21:09

今日は、カミーユ・モラーヌの歌でフォーレの歌曲集を聴いた。
こういった湿気のある風が吹く日の朝に聴くには良い曲かも。

このLP、300円だった。

歌詞カードがついていないから、それとも、あまりにも渋い選曲だからか。

音質は普通。

曲目は、

1.優しい歌op.61~後光に囲まれた聖女さま(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
2.優しい歌op.61~暁の光は広がり(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
3.優しい歌op.61~白い月(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
4.優しい歌op.61~ぼくは不実な道を歩いていた(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
5.優しい歌op.61~ほんとに,ぼくはこわいくらいだ(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
6.優しい歌op.61~おまえが消えてゆくまえに(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
7.優しい歌op.61~さて,それは在る明るい夏の日のことだ(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
8.優しい歌op.61~ねえ,どうだい?(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
9.優しい歌op.61~冬は終わった(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
10.伴奏op.85-3(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
11.夜曲op.43-2(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)

この中で、白い月は、良く叔母が、ピアノを弾きながら歌っていた。僕は、フランス語が分からないので、なにやら物憂げな曲だなーと思った程度。

フォーレの作品は、レクイエムとかパバーヌ等、あるいは、少し渋くなるが、ヴァイオリンソナタ等もあるが、やはり、本命は、歌曲集だろう。

パンゼラのSPの復刻も良く聴いていたが、モラーヌの方が、現代的というかニヒル。

パンゼラは、甘い声で、メロディーによりかかるが、モラーヌは、歌詞の方に傾斜している。

しかし、サンボリズムの詩は、私には高尚過ぎる。

竹中郁とか、祖父の家に来ていたが、よくサンボリズムについて話していたっけ。

お金がないのに散財してしまいました2010/05/17 22:17

 色々と神戸の悪口を書いてしまったが、買い物なんかは、結構楽しんだりしている。

 神戸のヤマダ電機の裏にあるリズムボックスという中古CD店では、LPレコードも販売している。

 最近、団塊の世代が馬鹿みたいに急に、レコードをステータスとして集め出したので、良いレコードが安い値段で手に入れられなくなってしまった。ディスクJJ(大阪駅前第1ビル店)でも、300円位の良いレコードがなくなってしまった。

 このクリュインタンス指揮のフォーレの「レクイエム」は、CDも持っているが、このジャケットのアートに惹かれて、ついつい買ってしまった。買値は、780円位。音盤の状態が悪くても、ジャケットを買ったのだから良い。でも、当然、LPレコードを聴く「専用の部屋」で試聴はしてみて、その印象等も書いてみたいが。

 こちらは、ウラッハのクラリネットが聴けるウエストミンスター盤のモーツアルトのクラリネット五重奏曲他である。こちらは、音が抜群に良いと評判になった。こちらも復刻CDを持っているが、モノラルだけれど、音が異常に生々しい。以前、実家で、CDを聴いていたけれども、滅多に感心しない母親が、「生演奏みたいや。」と驚いていた。LPだったら、もっと音が良いだろう。

 これは、レコードと違うが、日露戦争の兵器がこれまで、これほど詳細に扱われた書物はなかったので、つい買ってしまった。価格は、1260円。

 日本海大海戦の時の主要艦の詳細なデータが記されている。軍艦だけでなくて、航空機を除いて(偵察用飛行船はある)大抵の兵器について小銃から、巨大な大砲まで、実に詳しい解説で唸らされる。

 また、ロシア艦隊についても、内部事情を含めて解説されている。

 私の子供の頃は、太平洋戦争の兵器関係の本はあったが、日露戦争に関する兵器の解説書はなかった。この時代の兵器は、私たちが考えている以上に進歩しており、高度な水準に達していたことが判る。

 「打倒ロシア!」の戦に勝利した栄光の兵器達である。ここには、日本の失われてしまった輝かしい帝國陸海軍の姿をうかがうことが出来る。