野鳥の声が五月蠅くて、音楽が聞こえないことがある2010/04/07 20:03

 オーディオルーム用にオットマン付きパーソナルチェアをヤフオクで落札。価格は、3100円。

 肘掛けが欠品で新品であるが、特価での出品という。送料がかかってしまった。

 これ以外にくらしのeショップ山善で購入したラック(2個で3560円)とみんな安物の家具ばかり。

 LPレコードは、大学時代に買って聞かずに真空パックしていたミントのLP。ブルーノワルター指揮コロンビア交響楽団のマーラーの交響曲第1番「巨人」


 真空パックしていなかったのは、ジャケットの色が変わってしまったりしているが、パックをすると保存効果が高まる。

 購入して一度も聞かず30年位封印してあるLPが数百枚位あるが、これらの大部分は死ぬまで聴かないつもり。

 この「巨人」は、CDでも発売されており、デジタルリマスター盤なので価値が低く、開封して今日聴いた。

 さすがにノイズ1つなく音は鮮烈だった。残念ながらデジタルリマスターなので、音の定位感やレンジ感は、オリジナルアナログマスターに比べて落ちる。

 1960年代から遅くても1970年代初頭にかけて発売されたコロンビアレコード時代のワルターのLPで殆ど再生されていない状態の良いものの、音は、信じられない程良いと思う。

 SCDも期待したが、僕の装置が悪いのか、良質なアナログLPには、音質は劣るようだ。


 マーラーの「巨人」を初めて聴いたのは、案外遅くて、14~15歳位。

 「なんて青臭い曲なんだろう。」と思ったことを記憶している。それと、春の鬱陶しさ等が良く現れているが、あの、ダサイマーチの後のとってつけた様な終楽章で、勝利のファンファーレが金管楽器で奏されるが、これは、最大の皮肉だと思った。

 とってつけた様なイメージ、ライバルとの苦闘の末に、白いコスチュームを着てターバンを巻いた好青年が、タージマハールを背景に、美しい姫君と結ばれる勝利の音楽。(本当にそんなバカらしいイメージを浮かべていた。)

 実は、それは、虚構に過ぎない。

 この曲は、第3楽章の葬送行進曲で、コントラバスが低く響くところで終わっている。(イボイボしたユダヤのイメージ)

 「主人公は実は死んでいる。」というマーラーの作為をこの年齢で理解していて嫌な頭痛と絶望感を10代後半になったばかりの僕が経験したのだっけ。

 この葬送行進曲のモチーフは、例えば、ローマ大賞に作品を応募した時に、ブラームスにこき下ろされた。あの「嘆きの歌」と類似したフレーズである。(ブラームスも同じユダヤなのに。)

 ところで、当時の私は、フランスに留学していた叔母の影響を受けて、ランボーやラディゲとかそういった文学作品を読みあさっていたが、高校に入学して、数学の教師から教えられたサルトルやカフカの演劇作品を知ってからは、「浪漫派音楽なんてつまらん。」と思う様になって、ストラヴィンスキーやリゲティ、当時、本当の前衛であったシュトックハウゼン等を聞く様になった。

 音楽を聴くときは、部屋の窓を閉めて、隣の家に接近している窓は雨戸を閉めて暗くして聴いている。

 近所の人に変な目でみられるが、騒音公害よりはマシだと思う。

 もうすぐ、この部屋にエアコンを入れるので、夏でも聴けるが、エアコンの音が心配だ。

 それと野鳥の声が五月蠅くて、音楽が聞こえないことがある。

 へんな笑い声で鳴くような鳥がいるので、少し不気味。音楽を聴いていると鳥が集まってくるのは、なんでだろう。

叔母も同様に身体の不調に苦しんでいたのだと思う2010/03/06 14:10

母方の叔母が亡くなった。

明日はお葬式だ。

母親は、実の妹なのに葬式には出ないという。
さすが、私の母親だと思う。

実家に帰って翌朝の午前中に電話で急逝が伝えられた。

たしか、今春のNHK文化センターでも、講座を開設する予定だった位だから、急に具合が悪くなったようだ。

母親よりも3歳上だが、足腰が悪くダルマの様に肥えた母親よりも、ずっと元気・健康で梅田や三宮で油絵教室の講師をやっていた位。80歳で現役でお金を稼いでいた。

もっとも、老後の生活が苦しかった為にやむを得ず働いていたこともあり、無理をしていたのかも知れない。

叔母は画家である。

叔母の絵がヤフオクとかに出ていたり、ネットで検索すると結構、若い婦女子のファンが多いようだ。私は、叔母の作風はあんまり理解できない。

それよりも趣味でやっていたピアノにいつも関心させられていた。

祖父のアトリエ(つい最近まで叔母が使用していたが、借家で立ち退きを迫られて、追い出されてしまった)には、古い19世紀に作られたピアノがあった。このピアノは、ヤマハとかとは、ぜんぜん違うヨーロピアンサウンドをきかせてくれる。

叔母は、帝政ロシアから亡命してきたシロティの弟子の門下であり、19世紀ロマンチズムの正統を受け継いでいた。日本の教育を受けたピアニストではないので、ペダルの使い方1つしても全然異なる。

響きが部屋中にフワッと広がる。この「フワッと」感は、旋律とか構造重視に日本で教育を受けたピアニストに聴けない音である。

ベートーヴェンのピアノソナタもどこか宇宙の彼方から聞こえてくる様に弾いてくれる。これと同じ様な演奏様式を持っている女流ピアニストとしては、エリー・ネイという人がいて、この人のLPが私が大好きで、何度も聞いていて、叔母にも貸したところ、すごく、感激して、その日から1週間位、ピアノの前にずっと座り詰めで、ネイの真似をレコードをかけながら試みていて、「レコードを返すから」と翌週呼ばれた時に弾いて聞かせてくれたが、もう、ほとんど、ネイそっくりの弾き方になっていた。

その後、私は、人生の負け組みになって、就職に失敗してから叔母の前からは、姿を消した。

最後に逢ったのは、祖母のお葬式だった。母親とも実の姉妹なのに大層仲が悪かったので、どうしても行き来が疎遠になった。

1週間前、寝ていたら、金縛りにあった。

深い黒い森。その奥の杉木立の根元にさびしい一軒屋があって、月が煌々と屋根を照らしている。

その上をみると、人間の頭をし、カラスの羽、足は、鳥の足なのに鬼の足の様な毛が生えている。顔は、第六天魔王の様な形相で、不遜な笑いを浮かべて、「もうすぐ、そちらに行くからな。」と言った。

その直後、ゾクゾクと悪寒がして、目が覚めた。先週1週間、体がだるく、熱っぽく、口の中は腫れるし、最悪の体調が続いた。

叔母も同様に身体の不調に苦しんでいたのだと思う。

昨日、実家に帰ってきたが、叔母の訃報。
喪服類や黒ネクタイ等を実家においてきていたので、本当にタイミング見計らった様だ。


明日はお葬式、この為に実家に帰ったようなもので、偶然とは言え、言いようのない不吉な感じである。

この人が、アダ・マウロと共演してTVに出ていたのが印象に残っている2010/02/22 00:01

 ジークフリートベーレント(クラシックギタリスト)がソロを演奏しているロドリーゴのアランフェス協奏曲とカステルヌーボ・テデスコのギター協奏曲をカップリングしたLPである。

 せっかくレコードが聴ける様になったので、梅田第1ビルの中古レコードショップの店頭のバーゲン籠にあるものをゲット。価格は、200円。

 再生時のA面に針飛びというか前に進まない欠陥があったが、中性洗剤を染みこませたティッシュでそっとその箇所を拭ったら、綺麗に再生出来る様になった。カビの為らしい。

 オーケストラは、ラインハルト・ペータース指揮、ベルリンフィルハーモニーである。ペータースは、三流の指揮者だけれどもオケはベルリンフィルなので、こんなに一流のオケがバックについたアランフェスのレコードは少ない。

 ジークフリートベーレントは、1933年に生まれて、1990年になくなった割と短命なドイツのギタリスト。ベルリン生まれの生粋のドイツ人である。

 演奏スタイルは独特である。ギターの構え方からしてスペイン流の正統ではなくて、右足に胴を乗せて、ネックよりのギリギリのところで、小さく弾弦する。

 楽器は、リヒャルト・ヤコブ・ワイスバーガーというこちらもドイツであるが、ヘルマン・ハウザーの楽器が純ドイツ風(セゴビアは何故か、この作家の楽器を戦前は愛用した。)で、あったのに対して、この人の楽器は、サウンドホールは楕円形でしかもリュートの様なロゼッタが刻まれている。ヘッドにも細かな木彫がある。

 これが、スペインとはかけ離れたどちらかというリュート風の響きである。

 アランフェスも非常に早いスピードでしかもスペイン的なリズムや誇張はなくて、オルゴールを弾く様に淡々と弾き進む。第1楽章は今ひとつだが、第2楽章は、独特だが、それなりに味わいがある。但し、芸術的に優れているのは、テデスコのギター協奏曲であり、これは、南欧というよりも中欧風の正統なスタイルであり、味わいと気品がある。

 しかし、この人を持ち味を聴くならば、やはり、バッハとかヴァイス、あるいは、ジュリアーニ等の独奏曲である。前にも書いたかも知れないが、イエペスの爪音がするバッハよりも、ベーレントのバッハの方が、本格的な感じがある。

 日本民謡等の編曲もギターに残しているが、これは、ついて行けない。現代曲も色々と演奏しており、こういった意味で、今の演奏家よりも前衛的である。

 ギターの岡本太郎といったところか。異様な水ぶくれで不健康な体躯、陰気くさい眼鏡をかけた顔、手のひら等は、は虫類の様に冷たい感じがする。

 右手のフォームも殆ど手のひらが上にむいていて、ギター教師が、「その様なフォームでは、セゴビアトーン出せないよ。」と矯正する様な感じ。

 リズム感というかアクセントも独特で、チェンバロやクラビコードの様な感じ。

 この人が、アダ・マウロと共演してTVに出ていたのが印象に残っている。「ウルチマ・ラーラ」というギター伴奏付きの朗読劇であり、これは、恐ろしい程、前衛作品であった。

 アダ・マウロは西沢学園のCMにも出ていない頃で、カメラ雑誌にLAICAスナイーパーという超望遠レンズでライフルの様な引き金を引くタイプのカメラを持っている写真が印象に残っている若手の女優さんだった。

 こんな演奏の記録、LPでしか手に入らないし、200円だったら安いと思う。

DP-37F修理完了2010/02/18 22:00

 昨日は、実は、日本橋にLPレコードプレイヤー、デンオン(昔、電音、今、デノン)DP37Fの修理部品と半田コテ等を買いにいったが、うっかりと、RCAプラグを間違えてジャックの方を買ってしまって、作業を始めてから気がつく失態。
 今日は、仕事で、元町歩きだったので、神戸の電子部品のお店をネットで探したら、僅か1軒だけ存在しているのを発見。もともとは、プロ向けのお店だったのが、最近では、小売りもしてくれて、共立なんかに比べて店舗も小さいが、それだけ、ワンフロアで全ての部品が揃うメリットもある。
 プラグのお値段は、380円位。共立だと100円しなかったので、相当高いと思う。ネットにも載っていたが、やはり、近くにお店がないとこの値段でも客はありがたがるので商売になるらしい。
 早速、半田コテを久しぶりにもって、作業を始めた。ケーブルの断線なので、一番良いのは、ケーブルごと取り替えれば良いのだが、安物で8千円、高いので、2~3万円。しかも、アームがユニバーサルではないので、片方のコネクターを切って、プレイヤー側に半田で直付けする必要があるので止めた。
 ケーブルの途中での断線だと悲惨である。
 ユニバーサルタイプのアームではなくて独自仕様なので、部品交換しかないが、もう部品は販売されていない。アームの中には、合成樹脂がケーブル保護剤が使用されているが、これが、プラスティックの可塑変化でべとべとになって、断線するという故障がこの時代のプレイヤーには、実に多い。
 事前にコネクタ部分を切り離して、調べたが、幸い、ライン自体は導通があるので、プラグのみの交換を行った。
 
 無事、作業は、終わって、テスターで測定する。ショートが一番恐いので、カートリッジヘッドシェルを外して、信号側とアース側の絶縁を調べて、更に、プラグをプレイヤー内部の基盤にコードが取り付けられている部分の導通を図る。
 その後、ヘッドシェルをつけて、カートリッジのリード線を外して、コネクタの出力側との導通を調べて、Okだったので修理完了。

 メーカーにだすと1万5千円位はかかるだろう。そうなると、このプレイヤーよりも高くなるので、馬鹿みたい。
 僅か数100円の修理代である。
 ついでに自作の管球イコライザーアンプの点検を行う。もう10年以上無難に動いている。プレート電流と、ヒーター電源は外部の電源から供給されるので、電源雑音皆無。回路は、CR方式に独自の工夫を加えたもの。アメリカのアンプのNFB方式だが、これは、無帰還なので音の伸びが違う。
 NFBのアンプは、マランツでも同様に、根暗な音がするが、これは、暖かい真空管本来の音がする。
 本来ならば、位相とか歪みの原因となるコンデンサを使わずにコイルで回路を構成したいところだが、コイルが販売されていないので、コンデンサを回路につかっている。

 右側の半固定ボリウムを動かすと増幅率が変化し、MMタイプのカートリッジから、MCタイプまで対応できる。
 DL103等を再生しても雑音などでず、解像度の高い音がする。
 球イコライザーアンプの音は、スピーディでヌケが良く、滑らかで自然なのが素晴らしい。
 DP37Fで早速、スターンのバイオリンで、チャイコンを聴いている。


またまたハズレ2010/02/16 21:55

 最近は、東芝の温水洗浄便座と言い、今回のDP-37Fと言い、ヤフオクのハズレが多い様な気がする。

 ヤフオクのハシリの時期は、掘り出し物を安く買えるので魅力的であったが、最近の落札価格等をみると,リサイクルショップや新品を店頭で販売されている価格に比べて格段に安いどころか割高になっており、こうした故障品を掴まされるリスクの方が高くなっているのでご用心。

 つまり、オークションは、安いものやお得商品を手に入れる場所では、なくなりつつある。通常の販売ルートで手に入らないものを無理をして買う場所か、オークションに寄生したオンラインショップでの買い物の場と化している。

 このままでは、オークションの活用者は減るだろう。

 これまでの経緯を説明すると、

 自宅からここに持って来たLPプレイヤーGT750が、輸送中の震動の為か、回転ムラが発生して、調子が悪いので、低価格で性能が良いレコードプレイヤーを捜していたが、DP-37Fが低いスタート価格で出品されていたのを見つけて落札した。
 落札代は結構かかり1万円位になってしまった。これでは、普及型の新品のプレイヤーが買える。
 早速、届いたが、やはり、ハズレだった。

 早速、手持ちのレコードをかけてみたが、 どうしても右チャンネルが鳴らない。

 出品者は、動作確認をしたのだろうか。古いものだし、これを送り返すだけでも気が重い大きさなので、修理することにする。

 1984年にこのターンテーブルが新発売されて、結構、話題の商品だった。

 ダイレクトドライブのターンテーブルは、プラス・マイナスのサーボ制御がついている。通常のダイレクトターンテーブルは、片側で制御するので、回転の精度がどうしても落ちるという。更に、フルオートであるのは、当然で、アームも制御されており、通常の重力制御ではなくて、電子的に針圧も印可、コントロールする。
 木目調の美しいキャビネットも良い。

 当時は、パナソニックの様な銀色のキャビネットが流行だった。木目調は、デンオンか、パイオニア位のものだった。

 店頭でカタログをもらったが、結局、SONYのCDプレイヤーD50(当時は、発売されたばかりなので、安物でも数万はした。)を選んでしまって、このターンテーブルは買えずしまい。
 FMファンにこの両機種のレビューが掲載されて、長岡鉄男氏が、DP-50の音の方が良いと軍配を下したのである。

 「同じ位の価格帯の商品だが、断然、D50の方が良い。」
 
 この言葉を信じてDP-50を買ったが、ひどく薄っぺらい音だし、直ぐに故障して、2~3回修理したが、また、故障した。

 それで、CD自体に嫌気が指して、その後、CDは聴かず、日本橋の露店で見つけたLPプレイヤーDP-1000をずっと使っていた。(今では、オークションでは、DP-1000の方がずっと人気があって、2万円から3万円位で落札されているという馬鹿みたいな話。)
 1989年のレコード芸術誌に私が投稿した記事が掲載されている。
 (この時代、LPは滅亡の危機にあった。今の様な時代がくるとは思わなかった。
 ところで、今回、入手したこのDP-36Fの故障の原因を突き止めようとした。カートリッジの為かと思って、SHUREのMMカートリッジに交換した。かじかむ指先と老眼にはつらい作業。
 それでも同様に右チャンネルがならない。当然、自作のアンプ等も点検したが問題はない。 この手のもので一番恐い故障は、カートリッジからアームから出力端子の経路の中での断線で、こうなるとアーム交換以外に方法はない。
 このキカイは、電子制御のアームでユニバーサルタイプではないので、交換するのは、相当難しいと思われる。
 裏蓋を外してみて調べる。家の呼び鈴が壊れているので、修繕の為に実家から持ってきたテスターを使用して導通を図ってみる。

 RCA端子の先端部(信号が通る部分)とアームの根元の端子(ここに出力コードが半田付けされている。)の導通(抵抗値)を測定。当然、左チャンネルは正常だが、右チャンネルはアース側は正常だが、信号側は、導通がない。
 これで故障の原因がハッキリした。ケーブルの断線である。この場合は、外付けのケーブルを交換することで動作する様になる筈なので、治しやすい故障だと判ってやれやれ。
 早く、故障を直して、LPレコードを再び楽しみたい。昔の憧れの機種で。



300Bでは、ブラームスのソナタは確かに説得力があって聞こえるが、フランス近代とかバッハ等は、どうだろうか2009/11/22 22:11

 今日は、ちょうど10年前に組み立てた300B真空管アンプに灯を入れてみた。20世紀の最後の年に作られたアンプである。

 エレキットのTU-300B(初期バージョン)で、組み立てには、基盤を使用する。価格は、5万円位だったと思う。

 基盤に直接、真空管のソケットを半田付けしているキットなので、どうしても真空管の熱の影響を受けてしまう。

 熱で膨張と収縮を繰りかえして樹脂の部分が劣化し、基盤に張り付いている銅メッキ部分が剥がれてしまうのである。

 だから、耐久性の面で問題があると思ったが、なんとか持ち堪えている。

 ただし、1回修理とNON-NFBに改造をしている。
 NON-NFBにすると高域特性が落ちるが、より300Bらしい音が聴ける。基盤からNFB回路用の抵抗を抜き取るだけである。

 修理は、300Bのバイアスコンデンサがどうゆう訳か電圧に耐えきれず破裂し、高電圧タイプに交換。

 もともとの基盤の部品は、ニチコンの耐電圧ギリギリのものだったので、これでは、何か一時的に高電圧がかかった場合に破裂する可能性もあると思った。

 その後は、無事に動いていてくれて、修理はしていないが、コンデンサ破裂事故の影響か、中国製の300B(もともとキットについていたもの)の片方の調子が悪くなったので、ソブテック製に交換。ペアでたしか1万5千円位。今では、こんな値段で300Bは買えない。

 この修理は、8年位前だから、その後は、ずっと無難で来ていることになる。電圧増幅管のソケットの接触が悪い位のもの。

 電子製品で10年位たつと、電解コンデンサーの性能が落ちてくるので交換が必要になってくるが、最近、大阪日本橋のパーツショップでも真空管アンプ用の高電圧タイプのコンデンサが殆ど販売されていないので保守が困難になった。

 300Bは、2A3と一緒の直熱管(3極管)と呼ばれるもっとも原始的なタイプで、戦前に開発された。4本足ソケット。この足をソケットに差し間違えると大切な真空管がおしゃかになる。

 直熱管の音は、GT管やMT管等の近代真空管に比べて、素直で素朴であると言える。

 僕たちの世代は、子供時代は、真空管時代でGT管、MT管全盛期で、カラーTVでさえ真空管で動いていた時代。

 だから、GT管、MT管の方がいわゆる「真空管の音色」でレトロ感があるが、直熱管・ST管の音は、最近の製造技術・回路技術(特に直流点火・IC等を利用した定電圧回路)のおかげで、こちらの方が何か、新しく聞こえる。

 2A3も、こちらは、回路設計からシャーシー加工まで完全自作のものを組み立てた。ちなみにこの300Bも2A3もシングル回路。これ以外に高級品・大出力タイプで、プッシュプルという電力増幅管をステレオで4本使用したタイプもある。

 2A3も300Bも開発年代は近く、どちらも直熱管であるが、そのスタイル、音色から、2A3は、「球女王」、300Bは、「球王」と呼ばれている。

 2A3は、この写真の300Bよりもスラリとしたタイプである。同じ楓マークのソブテック(ロシア製)を使用しているが、繊細(分解能が良い)、レンジ感が広く、ややハイ(高音)のバランスが高く、ハイファイな音がする。

 一方、300Bは同じソブテックでも、高音の繊細さやレンジ感はないが、重心が下の方にあるグラマラスかつゴージャスな音が特徴。300Bは昔からトーキー映画のアンプに映画館等で使用されていたが、たしかに映画や映画音楽、ジャズ等に向いた感じだと思う。

 ジャズは絶対300Bだと思う。

 私の場合、最近、部屋が狭くなって、やむなくデノン製の小型SPを使用しているので、トーンコントロールでバランスを補正しないとクラシック音楽等はまともに聴けないので、デノンのプリメインアンプからプリアウトの出力を300Bアンプにつないで聴いている。

 やはりLPレコードを聴きたいもので、DL103RというDENON製カートリッジなので、自作の昇圧トランスを通して、デノンのプリメインのフォノイコライザーで増幅されてライン出力させている。

 さすが、総て同一メーカー、デノンのカートリッジ、プリアンプ、SPシステムなので、バランスが採りやすく落ち着いた再生音である。

 その中で、300B管球パワーアンプが縁の下の力持ちで音楽を支えている。今日は、LPレコードは、3枚位聴いた。雨の日なので、江藤俊哉さんのヴァイオリンによるブラームスのヴァイオリンソナタ1番等を最初に聴いた。

 やはり、ヴァイオリンの再生音は、LPレコードに限る。1979年の録音だが、エルマンを彷彿とさせるガルネリウス・デルジェスの音が部屋一杯に広がる。

 300Bでは、ブラームスのソナタは確かに説得力があって聞こえるが、フランス近代とかバッハ等は、どうだろうか。少し、疑問に残った。

 その後、フルトヴェングラーのブライトクランク(疑似ステレオ)のベートーヴェンのシンフォニーやリストの交響詩レ・プレリュードを聴く。

 フルトヴェングラーの命日が近づいている。
 実に雄大、深遠な音場が広がる。ステレオよりもずっとステレオらしい。

 その後、音源をCDに切り換えて色々と聞いた。エルネスト・アンセルメによるサンサーンスとフランクの交響曲。ノリントン指揮のモツレクやアベ・ベルム・コルプス、葬送行進曲、ムラビンスキー レニングラード交響楽団のショスターコビッチの交響曲第4番や第6番(戦後直ぐのモノラルでメロディア盤)を聴く。

 CDの場合は、LPに比べてやはり、音の広がりが今ひとつ。案外にノリントンの演奏が300Bでは、メリハリ良く再生されていた。

 このアンプを今後も大事に使用していこうと思っている。

賢治の「運命交響曲」2009/06/04 09:46

 NAXOS8.111003「ヴィルヘルム・フルトヴェングラー初期録音第2集」を聴いている。

 このCDには、1926年にフルトヴェングラーが初めて録音したベートーヴェン交響曲第5番ハ短調「運命」が収載されている。

 フルトヴェングラーの戦前の「運命」の録音は、たしか3~4種類(ライブを含めて)存在したと思うが、この録音は、フルトヴェングラーが音質等出来映えに難色を示して、直ぐにお蔵入りとなり、SPレコードとして市販された時期は案外短かった。直ぐに1937年録音の「運命」がこれにとって換わった為。

 たしかにこの1926年の「運命」は、一応、電気録音であるが、マイク録音ではなく、アメリカのブランスウィック社が開発した「ライトレイ録音」という方式で録音されている。これは、トーキームービーが最初に登場した時に採用された音声収録システムであり、原音は振動板に伝えられ、その振動板から伸びる針がフィルムに軌跡を刻む。再生する時は、その軌跡に光を当てて、その光の強弱を電流信号の変化に換えて、増幅するといったシステム。

 従って、音質は、マイク録音に比べてレンジは狭く、1929年辺りから使用され出した電気録音方式(マイク)に比べて、かなり落ちる。

 しかし、このCDは、ノイズは少なく、マイクは、オンマイクであり、各楽器の音が、鮮明に聞き取れるので、エコーが加わった後年の録音に比べて、フルトヴェングラーの指揮の特色は一層露わにされる。

 また、ベルリンフィルも黄金メンバーでナチスがユダヤ人の楽員を追放する以前の一糸乱れないアンサンブルを聴くことが出来る。

 演奏を技術面から評価すると非常に優れたもので、戦前、戦後を通してみてもトップクラスであると思う。また、フルトヴェングラーの指揮も、この頃は、霊媒師の様な感じではなくて、明確にタクトを振っていたと思われ、アインザッツ等も綺麗に揃っている。

 ところで、この1926年録音のフルトヴェングラー指揮交響曲第5番のSPレコードを聴いていたのである。

 宮沢賢治は、昭和2年にレコード交換会を開催しているが、その折りにもベートーヴェン第5交響曲という名称がみられる。(「運命」というタイトルはない。)この時の第5交響曲は誰の演奏であった判らない。昭和2年というのは、1927年にあたる訳で、フルトヴェングラーが最初の第5の録音を行ったのが、1926年であるので、このSP版の事ではない筈だ。
http://www.kanzaki.com/music/cahier/schicksal0407
 宮沢賢治のSPレコード収集レパートリーがWEBで発表されている。
http://www32.ocn.ne.jp/~tsuzu/operetta-kenjisp.html

 この中で、J.パスターナック指揮ビクター・コンサート管弦楽団の第5がリストにあるが、1916~1917年録音とあるので、これの盤か、1913年録音のアルトゥール・ニキッシュ指揮ベルリンフィルのSPである可能性がある。

 このCDも賢治のコレクションの中にあり、POL60024/08という5枚組みのSPである。友人に寄贈したとされている。
 賢治は、1933年に亡くなっているので、この1937年録音のフルヴェン「運命」を耳にすることなく世を去っている。
 賢治がもし、1940年頃まで在世しており、この録音を聴いたら、どんな感想を述べただろうか。1930年代は、ビクター赤盤の時代に入り、どんどん名曲がSPレコードで発売された時代であった。きっと、長生きして、綺羅星の様な演奏家の名録音を聴きたかったに違いない。


 事実、宮沢賢治は、この時代にしては驚くほど広範囲のコレクションをしており、当時の現代作曲家であったR..STRAUSの交響詩ドン・ファンや死と浄化といった作品も含まれているし、ドビッシーの牧神の午後等のフランス音楽も含まれている。

 面白いのは、結構、オタクレパートリーであるストコフスキー指揮のイッポリトフ・イワノフの管弦楽組曲「コーカサスの風景」があり、この中の酋長の行列等は、賢治の童話、メルヘンの世界にぴったりだ。

イメージの世界・唯識の世界に左右される私たち2008/12/27 22:56

 これまでの再生装置及びソースの周波数分布(スペアナ)の測定を行って来たが、残念ながら、ノイズレベルが測定出来ないのでダイナミックレンジ、歪み等については、測定結果には、反映されていない。

 CDとLPのソースの周波数測定結果の比較では、「そうみれば、その様にみえるかなー」という程度で、聴感上に感じられる両者の違い程の相違点は見いだせず、むしろ、「CDとかLPとか先入観を持っているから、そんな風に聞こえるのかな。」とも考えたくなる。

 しかし、超高域のダイナミックレンジの測定データがあれば、かなり的確な比較が出来ると思う。つまり、前回、「CDはレンジは伸びていないが、ピークレベルが高い」と指摘したが、CDは、超高域では、帯域の上限は、急峻に落ちているが、LPは、徐々に下降していくが、同時にノイズレベルが増すので、ダイナミックレンジは狭くなるといった見方も出来なくはない。スペアナでは、20Khzという人間の聴覚の限界レベルでのノイズか楽音かを分離して見せることが出来ない。

 また、比較に用いたデータもサンプリング周波数44100Khz以下(WAVファイルの上限)の制約があるので、20Khz以上の超高域でLPがどの様に周波数分布をしているかを知ることが出来なかった。

 いずれにしてもCDやLPといったソースの違いよりも、アンプやスピーカー等の再生装置による違いの方がずっと大きく、聴感上の変化は、再生装置による違いが影響している可能性が高い。

 今回は、スピーカーを取り替えて周波数を測定できなかったが、おそらく、この違いによる聴感上の変化が最も大きいだろう。アンプによる違いは、聴感上もハッキリ判る程であるが、スピーカーの違いはもっともっと大きいだろう。

 「デジタルだから音がキツク嫌で、アナログだから人間らしくウォームな音がする。」というのは、どうやらイメージの世界の様だ。

 但し、アナログイメージ志向の人が、「少しでもまったりした音を。」とトランジスター式アンプ(直流・交流を選ばず)やMOS-FETアンプ、あるいは、デジタルアンプから、古風なノスタルジーと、視覚的イメージの楽しさに溢れた真空管アンプ、例えば300Bシングル等にアンプシステムを交換したとする。

 そうすれば、再生帯域とダイナミックレンジが、半導体に比べて格段に狭いので、高級なCDやトランスポート、SACDプレイヤー等で、最新の録音(特にオーケストラやジャズフルバンド等の大編成)と組み合わせると、超高域や超低域でクリップが生じるので、「高域では刺激的な音のみが目立ち、それにしては、情報量が低い」という評価が生まれる可能性がある。

 そうした人達は、「やっぱり、アナログは、アナログ、LPレコードだよ。」とブラックディスクの再生にのめり込んでいく。当然、LPは、再生周波数レンジは広く、ダイナミックレンジは狭いという特性を持っているので、真空管アンプでも、「クリップしない安全圏の範囲内」で歪みが少ない音で再生出来るだろう。

 「やっぱり、LPの方が音が澄んでいるよ。」などと言いかねない。

 こうして、ますます、LPレコード再生と真空管アンプの組合せの評価が高まっていく訳である。

 また、最近のスピーカーシステムは、タワー型、行灯型等の狭い住居空間の事情を反映して、低音再生に不向きなものが多いので、歪んだ高域のみが強調されるので、余計にその様な傾向になるだろう。


 実際には、SACD、CD、LPでも再生帯域は、巷で言われている程の差はないのである。

 むしろ、アンプとスピーカーシステム、そして、録音そのものの良否の影響の方が聴感の印象を左右する。そういった点を考えると、注意しなればならないことは、次の通りとなる。

①良い演奏、良い録音のアルバムを選ぶ。
②十分な再生帯域とレンジがある装置を利用する。
③聴く前からイメージにとらわれない。(デジタル、アナログのソース上の物理的な特性の差異は、私たちが考える程大きくはない。)

③が特に難しいだろう。私たちは、「唯識」の世界に生きて、イメージに左右される動物・人類なのだから。

以上が一連の測定実験で覚ったことである。

「LPの音って本当にいいの?」 波形を分析してみた(一部修正)2008/12/27 15:07

 「CDの音は冷たく、LPの音は暖かい。やっぱりアナログだ。」という声が多い。
 果たして事実なんだろうか。
 SSW(シンガーソングライター)のスペアナ機能を使用して測定してみた。

 装置は、次の通り

 CD SONYCPD-XE700+PARASOUND DAC-800
 LP YAMAHAGT750+DL103R(デンオンMCカートリッジ)+自作フォノイコ(12AX7A4本構成、回路は、CR型をベースに独自設計、電源回路は、外付けでケーブルで供給しているので、ノイズは皆無)
http://fry.asablo.jp/blog/2008/11/16/3938943

 CDとLP共にラインレベルの信号をサウンドブラスターDigital Music SX経由でPCにデジタル信号で取り込んで、録音ソフト「超録」でWAVファイルに変換して収録(44100HZ ステレオ16bit)
http://fry.asablo.jp/blog/2006/12/29/1080341
 そのデータをSSWのアナログオーディオトラックに読み込んで、レベル調整して、再生、スペアナを測定している。

 録音ソースは、
 ショルティ指揮シカゴ交響楽団
 マーラー交響曲第5番(1970年3月録音)
 CDは、ポリドールF35L-50039CD国内初発盤)
 LPは、DECCA414-321-1(輸入外盤オリジナル)
(LPの状態は、極めて良好、ノイズは皆無に近い)

 第1楽章葬送行進曲(極めてダイナミックスが大きい)を通して録音、再生を行った。

 全く同じアナログのオーケストラ録音を
CDとLPで、パワーアンプを通さずにラインレベルで波形測定を行った。

 波形の比較

10K-20K
 CDは、ダラ下がりだが、幾分ピークレベルは、大きい。LPは、やや下降気味のカーブだがレンジが伸びている。CDに比べて,LPのピーク信号レベルはやや小さい。つまり、小さな信号レベルでは、LPの方が高域レンジ感がある。CDは、大きな信号レベルでは、高域感が強調されるが、信号レベルが下がるとそれ程ではない。

 この辺りが、LPの音に繊細感、デリカシーが感じられる理由かも知れない。

4K-10K
 CD、LP共に大きな違いはみられない。

2K-4K
 LPの方が幾分レベルが大きいものの、違いという程ではない。

1K-2K
 LPの方がレベルが大きめで起伏が大きい。CDは、レベルは幾分小さめで、起伏が小さい。

400HZ-1K
 両者に大きな違いはみられない。CDの方がややピークレベルが大きい。

200-400HZ
 両者には大きな違いはない。

100-200HZ
 LPの方がレベルが大きめとなっている、波形も山形推移となっているのに対して、CDは、くぼんでいる。つまり、LPの方が強調される傾向となっている。

100HZ以下
 CDは、100HZに山がある。LPは、ダラ下がりだが、40HZ以下まで伸びており、むしろレベルは高い目、CDは、40HZ以下はダラ下がり。

 こうしてみると、LPの方が、超高域10K~2OKのレベルが高く、高域、中高域には、両者の違いはあまりみられず、中低域では、CDの方が強調される傾向がある。低域では、LPの方がレベルが強い目である。つまり、LPは、ドンシャリ型でワイドレンジ志向、CDは、中高域重視のかまぼこ型となっている。

 但し、両者のリマスターの段階での違い、LP用マスターを作る際のリミッターやイコライザー処理(あんまり行われていないような気がする。)、カッティングマシンの音質(帯域特性)、再生カートリッジの特性、イコライザーの設計と性能等があり、単純な比較は難しい。

 しかし、日常的に感じているLP再生への私の印象である「情報量が多い」という要素、例えば、超高域でのレベルが強いことで、楽器の倍音、定位、分離等に影響してくるし、重低音の充実感、中高域の刺激感の少ない自然な再生音という状況について、ある程度、波形分析で説明出来ると思う。

 それにしても、今回の測定の結果、自作のレコード用のイコライザーアンプが非常にフラットで優秀な特性を有していることが確認出来て満足している。

CDの音が悪い理由2008/11/07 09:28

PENTAXDLで撮影
「CDプレイヤーの音が悪い。」という論議は、1990年代の初めには、行われており、それから殆ど進展をみないまま20年近く経過する内に、ほぼステレオLPレコードが音楽メディアの中心を占めた期間に匹敵するだけの時間が流れている。
 その後、殆どCDの再生フォーマットは、変わらずにI-Podの様な圧縮タイプの携帯音楽プレイヤー中心の時代となっている。
 「CDの音が悪い理由」としては、従来から、DA(アナログ→デジタル)コンバートの段階で生じるという説が有力で、その理由として、
①サンプリング周波数の上限である20Khz以上をカットしているから。
②DA変換時の量子化ノイズの影響。
③ピックアップ時のエラーやジッターの影響
の3点が指摘されて来た。
①については、例えば、高音域をカットしているLPレコードのイコライザーやあるいは、最近では、MP3等やMDのLPモード等の圧縮フォーマットが挙げられるが、これで、実際に高音域がカットされているからといって音が特に悪くなったと感じることはない。
②量子化ノイズが悪いとすれば、音楽のみならず、映像、デジカメの写真全てのデジタルメディアの質が劣化しているというが、実際に量子化補正が行われているものとそうでないものと比べて素人には、殆どその違いは分からない。
③ジッター補正のやり方としては、様々なやり方あるし、クロック周波数を揃えるといった方法もあるが、音の違いは判らない。
 これらから、以上の3つの理由はどれも当て嵌まり難いことになる。

 これらの理由から、私は次の様な考え方を持っている。
「CDの音質劣化要因は、DAコンバーターではなくて後段の回路にある。」


CDの信号は、次の順序でアナログ信号化される。
①信号読み取り→信号補正→DA変換→ローパスフィルター→ライン(アナログ)信号
 私は、この中でローパスフィルターがくせ者だと思っている。ローパスフィルターは、DA変換の際に生じたというか、元々の読み取り信号の中に残っている人間の可聴域以上の信号を強力に除去する回路である。この回路は、レコードのイコライザー等と同様のCR回路であるが、その数十倍の威力を持っている。高級製品では、数段もこの回路が構成されており、その回路を透過した信号に更に、波形補正の信号加工を行っている。
 ローパスフィルターの回路は、最近では、オペアンプであり、ディスクリート(1つ1つの部品を組み立てた)ものではない。回路形式は、NFB(ネガティブフィードバック)方式である。
 この回路がCDの音を「殺して」いるのだと思う。特にNFBは、負帰還補正であるが、高級なものでも周波数毎の位相の違いに完全に対応していない。原信号に匹敵する強さの逆波形を干渉させることが不必要な音を消し去る仕組みであるが、抗ガン剤と一緒でもともとの信号の健全性も阻害する。 
 私は、レコードのイコライザーも自作しているが、NFBは避けて、CR方式を採用している。この場合は、能率が悪いが、位相の狂いが少なくと済むというメリットがある。更に半導体回路では、透過性が悪い(電子の速度が遅い)ので管球(真空管式)を採用している。真空管式の場合は、透過性が良いので、レコード等の微細信号をうまく再現出来る。

 現在、アナログレコード(LPレコード)ブームとなっているが、NFBの半導体式のイコライザー(レコード再生用アンプシステム)は、CDよりも音が悪いと感じる場合が多い。特にMCカートリッジの場合は増幅段数が多いので余計にその様に感じる。

 さて、写真は、真空管式CDプレイヤーでEKJAPANという会社のキットを組み立ててものであるが、なかなか音は良い。CDモジュール部を分解してみた。
http://www.asahi-net.or.jp/~ZZ2T-FRY/cdp.htm
 その結果、DAコンバータから出た直後の信号をそのまま真空管増幅回路に導いていることが判る。つまり、ローパスフィルターを通していないか出来るだけ簡素化して、そのまま透過性の良いアナログ回路によってライン信号に変換しているのである。
 この信号を拡大してみると、やはり、原信号に含まれるノイズがある程度、残留していることが判る。これ自体はマイナス要因だが、高級なCDプレイヤーに比べて音が生き生きと再生されるのである。
 最近まで、このキットは何回もバージョンアップして発売されているが、現在は、発売中止となっているようだ。これは、中国製のポータブルCDプレイヤーのピックアップユニットをそのまま流用しているが、ポータブルCDプレイヤーの生産台数が激減した為に中国製のユニットが入手難となっている為。
 それにしても真空管CDプレイヤーと真空管アンプとの組合せは絶妙である。