倒産が当たり前の社会 ― 2011/01/21 10:24
「愛犬弁当」とか犬のおやつ等を中心に製造していたポチみやが倒産した。
結構、ファンが多かっただけに、残念な話。イベントとか活発にやっている会社さんなので、儲かっているかと思っていたら、大変だったようだ。最近では、企業主催のイベントとかPRにお金をかけないと一般消費者が自社商品に目を向けてくれないから大変だ。
ポチみやの商品を買っていた愛犬家って多い様で、特に小型犬向けの商品が充実していただけに、この会社が継続したもらいたい人はきっと多いはず。
僕には無縁だが、一応、エサということが関係はなくはない。こうした内需型産業が、業種に選らず、どんどんと倒産している世の中である。
倒産が当たり前の社会で、「別に会社が倒産しても恥ではないや。」「潰れても当たり前」とか、一般の零細企業サラリーマンが考え出しており、やる気を失っている現状が、更に、倒産ラッシュに拍車をかけており、もはや、倒産は、経済現象から社会現象へと、その病理を広げつつある。
まぁ、下流の人間ってそういったことを考えてしまう訳。
(株)ポチみや(世田谷区成城、設立平成18年5月、資本金7855万円)は平成22年12月27日、東京地裁より破産開始決定を受けた。負債総額は約1億9000万円。
ペットフード製造・販売会社。常食用ペットフードではなく、ペットへのお土産用商品としてクッキーを主力にジャーキーや弁当などを製造。秋田県に工場を構えていた。「ポチのおみやげ」をブランド名として、高速道路のサービスエリアや駅、空港向けに販売し、平成21年4月期は年商約8000万円をあげていた。
しかし、当初の思惑に反して売上は伸び悩み、22年4月期の年商は約4000万円まで低下。設備投資負担や各種イベント、商品PR費用などから収益も低調に推移し、厳しい経営が続いていた。販路開拓も奏功せず徐々に資金繰りは悪化、事業継続が困難となった。
なお、ペットフードの製造を担っていた関連会社の(株)ピーファクトリー(秋田市雄和田)もポチみやに連鎖する形で同時に破産開始決定を受けた。
結構、ファンが多かっただけに、残念な話。イベントとか活発にやっている会社さんなので、儲かっているかと思っていたら、大変だったようだ。最近では、企業主催のイベントとかPRにお金をかけないと一般消費者が自社商品に目を向けてくれないから大変だ。
ポチみやの商品を買っていた愛犬家って多い様で、特に小型犬向けの商品が充実していただけに、この会社が継続したもらいたい人はきっと多いはず。
僕には無縁だが、一応、エサということが関係はなくはない。こうした内需型産業が、業種に選らず、どんどんと倒産している世の中である。
倒産が当たり前の社会で、「別に会社が倒産しても恥ではないや。」「潰れても当たり前」とか、一般の零細企業サラリーマンが考え出しており、やる気を失っている現状が、更に、倒産ラッシュに拍車をかけており、もはや、倒産は、経済現象から社会現象へと、その病理を広げつつある。
まぁ、下流の人間ってそういったことを考えてしまう訳。
(株)ポチみや(世田谷区成城、設立平成18年5月、資本金7855万円)は平成22年12月27日、東京地裁より破産開始決定を受けた。負債総額は約1億9000万円。
ペットフード製造・販売会社。常食用ペットフードではなく、ペットへのお土産用商品としてクッキーを主力にジャーキーや弁当などを製造。秋田県に工場を構えていた。「ポチのおみやげ」をブランド名として、高速道路のサービスエリアや駅、空港向けに販売し、平成21年4月期は年商約8000万円をあげていた。
しかし、当初の思惑に反して売上は伸び悩み、22年4月期の年商は約4000万円まで低下。設備投資負担や各種イベント、商品PR費用などから収益も低調に推移し、厳しい経営が続いていた。販路開拓も奏功せず徐々に資金繰りは悪化、事業継続が困難となった。
なお、ペットフードの製造を担っていた関連会社の(株)ピーファクトリー(秋田市雄和田)もポチみやに連鎖する形で同時に破産開始決定を受けた。
日本経済の後進性の象徴・輸入通関統計分類 ― 2010/10/12 20:54
休日明け早々、仕事に追われて、朝8時から夕方までずっとパソコンに向かいっぱなし。
統計処理が毎月あり大変。経済や市場関係の記事を書くにも統計処理は、重要な要素。綺麗なデータが出てきたら嬉しくなる。「世の中、やはり数字なんだ。」と1人感心してしまうこともある。
佛教大学の応用社会学科でも統計処理の演習のスクーリングがあったが、なんとテストとレポートの評価が100点。高校以来、100点をとったことがなかったので、本人も驚いたが、国立人口学研究所に勤務されている担当の講師の先生も驚かれたらしい。
大学は、文系だし、統計学の授業もあったが、テキストは読んだものの、指数計算なんかは興味があったが、それ以外は、殆ど興味なし。
今の会社に見習いで入った時、新米の記者は、財務省の出先の統計閲覧室(大阪府合同庁舎内)まで出向いて、毎月、輸入通関統計の資料のフィルムをコピーして持ち帰る。
全国通関は、大したことはないが、港別通関は、全国の全ての津々浦々の税関を調べ上げる。それも品目数が20品目以上あるので、品目番号コード表を参照しながら、ほとんど3時間以上かけながら、マイクロフィルムを複写する。
空いていれは良いが、発表日は、3台しかない端末に人が並んでいる。僕の様に400枚位コピーをとる人間がおれば、後ろに並んでいる人がブツクサ文句を言い始めて、喧嘩にもなりかねない。
しかもコピー代は、1枚10円、だから、1万円札の両替が必要になる。最初の内は、まず、近くの銀行で両替してから閲覧室に行かねばならなかった。最後の方になって事務所で両替をしてもらわなければならなかった。
全部コピーがとりおわると、事務所にいって、領収書を発行してもらう。枚数を記入する用紙に書き込んで、それと引き替えに領収書をもらう。勿論、コピー代は自分持ちで後で会社で精算してもらうので、給料日前に大抵発表があるので、悲惨だった。
会社にもどって、これを最初は手作業で分類をやっていたが、数日、夜9~10時までの残業になる。それも、大抵、コピーの取り漏れがあって、その部分を再び取りにいかないと、資料は完成しない。
新米の仕事だったが、実は、会社の中で、一番熟練がいる仕事だったので、みんないい加減にやっていた。私は、それが許せない性分だったので、会社で埃を被っていたFACOM9456で統計処理のプログラムを組んで、入力、分類、出力を自動化した。もう20数年前のことだ。
しかし、処理速度があまりにも遅く、汎用のプログラムがとろかったので、ラップトップのPC9801LVを自腹で購入して、それにクイックBASICで分類集計プログラムを組んで、処理をすると凄く処理が速いので、「これからは、オフコンよりもパソコンの時代や。」と思う様になった。
統計処理は新米の仕事とされていたが、新しく入って来た人はみんな退職して、先輩もみんな辞めてしまったので、未だに自分がこの仕事をやっている。
でも、今では、財務省の輸入通関統計がインターネットで閲覧出来て、必要な品目の分類出力、CSVデータでのダウンロードも可能、勿論、費用は無用。昔と比べたら天国と地獄の差。
http://www.customs.go.jp/toukei/srch/index.htm
しかし、農産物の場合は、関税による分類なので、細部の品目別の輸入データは得られないので、最近では、農林水産省の機関である植物防疫所の統計データベースを活用している。
http://www.pps.go.jp/TokeiWWW/src1200.jsp;jsessionid=F92372B9C5D73D2E4C0DA7E229FECC91?mode=2&doc=1
輸入通関統計は、月単位で、しかも2ヶ月遅れだが、こちらは、気の毒な係員の人が毎週土日に集計して月曜日に毎週、新しいデータがアップロードされている。勿論、月間、年間集計も出る。ここまでデータが新しいと実際のビジネスにも大変有効だと思う。
財務署の輸入通関統計は、もう30年以上も以前の分類のまま。最近の経済情勢の変化や特に輸入では、国内の消費需要の変化に対応しなくなっている。
こんな風に旧式なデータによって白書類が作成されているので、日本という国は、後進国にどんどん追い抜かされていくし、何時までも戦後経済の残影を引きずった輸出主導型の産業形態から転換出来ず、日本経済の後進性を露呈することになっているのだと思う。
統計処理が毎月あり大変。経済や市場関係の記事を書くにも統計処理は、重要な要素。綺麗なデータが出てきたら嬉しくなる。「世の中、やはり数字なんだ。」と1人感心してしまうこともある。
佛教大学の応用社会学科でも統計処理の演習のスクーリングがあったが、なんとテストとレポートの評価が100点。高校以来、100点をとったことがなかったので、本人も驚いたが、国立人口学研究所に勤務されている担当の講師の先生も驚かれたらしい。
大学は、文系だし、統計学の授業もあったが、テキストは読んだものの、指数計算なんかは興味があったが、それ以外は、殆ど興味なし。
今の会社に見習いで入った時、新米の記者は、財務省の出先の統計閲覧室(大阪府合同庁舎内)まで出向いて、毎月、輸入通関統計の資料のフィルムをコピーして持ち帰る。
全国通関は、大したことはないが、港別通関は、全国の全ての津々浦々の税関を調べ上げる。それも品目数が20品目以上あるので、品目番号コード表を参照しながら、ほとんど3時間以上かけながら、マイクロフィルムを複写する。
空いていれは良いが、発表日は、3台しかない端末に人が並んでいる。僕の様に400枚位コピーをとる人間がおれば、後ろに並んでいる人がブツクサ文句を言い始めて、喧嘩にもなりかねない。
しかもコピー代は、1枚10円、だから、1万円札の両替が必要になる。最初の内は、まず、近くの銀行で両替してから閲覧室に行かねばならなかった。最後の方になって事務所で両替をしてもらわなければならなかった。
全部コピーがとりおわると、事務所にいって、領収書を発行してもらう。枚数を記入する用紙に書き込んで、それと引き替えに領収書をもらう。勿論、コピー代は自分持ちで後で会社で精算してもらうので、給料日前に大抵発表があるので、悲惨だった。
会社にもどって、これを最初は手作業で分類をやっていたが、数日、夜9~10時までの残業になる。それも、大抵、コピーの取り漏れがあって、その部分を再び取りにいかないと、資料は完成しない。
新米の仕事だったが、実は、会社の中で、一番熟練がいる仕事だったので、みんないい加減にやっていた。私は、それが許せない性分だったので、会社で埃を被っていたFACOM9456で統計処理のプログラムを組んで、入力、分類、出力を自動化した。もう20数年前のことだ。
しかし、処理速度があまりにも遅く、汎用のプログラムがとろかったので、ラップトップのPC9801LVを自腹で購入して、それにクイックBASICで分類集計プログラムを組んで、処理をすると凄く処理が速いので、「これからは、オフコンよりもパソコンの時代や。」と思う様になった。
統計処理は新米の仕事とされていたが、新しく入って来た人はみんな退職して、先輩もみんな辞めてしまったので、未だに自分がこの仕事をやっている。
でも、今では、財務省の輸入通関統計がインターネットで閲覧出来て、必要な品目の分類出力、CSVデータでのダウンロードも可能、勿論、費用は無用。昔と比べたら天国と地獄の差。
http://www.customs.go.jp/toukei/srch/index.htm
しかし、農産物の場合は、関税による分類なので、細部の品目別の輸入データは得られないので、最近では、農林水産省の機関である植物防疫所の統計データベースを活用している。
http://www.pps.go.jp/TokeiWWW/src1200.jsp;jsessionid=F92372B9C5D73D2E4C0DA7E229FECC91?mode=2&doc=1
輸入通関統計は、月単位で、しかも2ヶ月遅れだが、こちらは、気の毒な係員の人が毎週土日に集計して月曜日に毎週、新しいデータがアップロードされている。勿論、月間、年間集計も出る。ここまでデータが新しいと実際のビジネスにも大変有効だと思う。
財務署の輸入通関統計は、もう30年以上も以前の分類のまま。最近の経済情勢の変化や特に輸入では、国内の消費需要の変化に対応しなくなっている。
こんな風に旧式なデータによって白書類が作成されているので、日本という国は、後進国にどんどん追い抜かされていくし、何時までも戦後経済の残影を引きずった輸出主導型の産業形態から転換出来ず、日本経済の後進性を露呈することになっているのだと思う。
「つきまとい」これは、妖怪の様につきまとう犯罪 ― 2010/09/13 23:06
兵庫県警に登録して、管内での事件発生の場合は、都度、携帯メールに入る様になっている。
最近、川西市での犯罪が増えている。神戸市北区の場合は、所謂、アブナイ犯罪とひったくりが多い。
但し、気になるのは、「声かけ事例」という奴。
別に猥褻な恰好とか、露出している訳でなくて、児童、生徒に、「アイスクリーム食べへんか。」と声をかけただけで、声かけ事例になる。
このサイトのオーナーも県警に登録しているとみられる。
http://pub.ne.jp/robisuke/
これでも、「声かけ」とか「つきまとい」とかあるが、声かけというのは、子供に声をかけては行けない。特に危なそうな僕の様な中高年は、気をつけないといけない。
「つきまとい」これは、妖怪の様につきまとう犯罪であるが、これも、例えば、家から駅までがちょうど通学路なので、子供の後を歩いているだけで「つきまとい。」
近くの中学の子供が、家に爆竹を投げ入れて遊んでいるのをみかねて、「声をかけ」ると、声かけ事例で、近所の人に後ろ指を指される羽目に合う。
まず、怪しくない恰好、なるべく人目につかない様に外を歩く。子供には、声をかけない。前を歩いている女性とか、子供がいた場合には、通りの反対側から追い抜く。
電車車内では、人と目を合わせない様にする。目があっただけで、痴漢とか駅員、車掌を呼ばれることがある。
どうりで、電車の中で、サングラスをかけている人が多くなったと思った。
最近、川西市での犯罪が増えている。神戸市北区の場合は、所謂、アブナイ犯罪とひったくりが多い。
但し、気になるのは、「声かけ事例」という奴。
別に猥褻な恰好とか、露出している訳でなくて、児童、生徒に、「アイスクリーム食べへんか。」と声をかけただけで、声かけ事例になる。
このサイトのオーナーも県警に登録しているとみられる。
http://pub.ne.jp/robisuke/
これでも、「声かけ」とか「つきまとい」とかあるが、声かけというのは、子供に声をかけては行けない。特に危なそうな僕の様な中高年は、気をつけないといけない。
「つきまとい」これは、妖怪の様につきまとう犯罪であるが、これも、例えば、家から駅までがちょうど通学路なので、子供の後を歩いているだけで「つきまとい。」
近くの中学の子供が、家に爆竹を投げ入れて遊んでいるのをみかねて、「声をかけ」ると、声かけ事例で、近所の人に後ろ指を指される羽目に合う。
まず、怪しくない恰好、なるべく人目につかない様に外を歩く。子供には、声をかけない。前を歩いている女性とか、子供がいた場合には、通りの反対側から追い抜く。
電車車内では、人と目を合わせない様にする。目があっただけで、痴漢とか駅員、車掌を呼ばれることがある。
どうりで、電車の中で、サングラスをかけている人が多くなったと思った。
「劇場社会」での役割 ― 2010/08/24 22:38
前項で「負の役割期待」について述べたが、実際に地域社会の特性として、「劇場社会」といった問題点が浮かび上がる。
つまり、「正義の味方」と「悪役」が存在して、「悪役」を退治する「演劇性」を無意識の内に地域社会は求めているのである。
これは、実は、広域伝達・開放性の特性を有しているとみられがちなマスコミ、メディアの場合もそうで、社会の状況をそのまま取材・表現・伝達するのではなくて、「脚色」を余儀なくされているのである。
つまり、マスコミ・メディアは、ムラ社会以下の代物なのである。
実際に、容疑者「○○」と呼び捨てされる場合、無罪が判明した時には、「○○」さんに変わって、更に涙のインタビューの結果、悪玉から善玉に切り換えられる。
あの松本サリン事件の時の主犯と疑われた人もそういった例である。
気の毒に実際には、被害者で奥さんも亡くなっているのに、「劇場社会」は、その様な仕打ちをするのである。
梨本さんも芸能記者として、一時は、容赦ない「悪役記者」のラベリング・役割期待をされたこともあるが、癌で亡くなった途端に正義の味方に変わる。
あるいは、大韓航空・大量虐殺のテロリストの主犯格とした逮捕された女が今は、善人を演じて、国賓待遇された「キム元死刑囚」もその様な例である。
全て、「劇場社会」での役割を演じることが期待されている。軽井沢の鳩山別荘で演じられたパファーマンスは大きな効果があった。
社会の持つ「劇場性」は、日頃の日常生活への欲求不満を解消する役割がある。
近代以前の社会の場合は、魔女裁判やキリシタンへの拷問等、社会の劇場性の替わりに「宗教的犠牲・生贄」社会であったが、近代以降は、「劇場社会」が、「新時代の生贄」を求めているのである。
世の中・社会を平穏無事に生き抜くには、なるべく「社会の劇場性」からかけ離れたところで暮らすのが良いが、うっかりすると巻き込まれる可能性もある。慎重な行動が必要になってくる。
江戸時代の庶民の様に「上見て暮らすな下見て暮らせ。」で無難を心がけた善良な町民、農民、下層階級として生きるのが人間の知恵だと思う。
つまり、「正義の味方」と「悪役」が存在して、「悪役」を退治する「演劇性」を無意識の内に地域社会は求めているのである。
これは、実は、広域伝達・開放性の特性を有しているとみられがちなマスコミ、メディアの場合もそうで、社会の状況をそのまま取材・表現・伝達するのではなくて、「脚色」を余儀なくされているのである。
つまり、マスコミ・メディアは、ムラ社会以下の代物なのである。
実際に、容疑者「○○」と呼び捨てされる場合、無罪が判明した時には、「○○」さんに変わって、更に涙のインタビューの結果、悪玉から善玉に切り換えられる。
あの松本サリン事件の時の主犯と疑われた人もそういった例である。
気の毒に実際には、被害者で奥さんも亡くなっているのに、「劇場社会」は、その様な仕打ちをするのである。
梨本さんも芸能記者として、一時は、容赦ない「悪役記者」のラベリング・役割期待をされたこともあるが、癌で亡くなった途端に正義の味方に変わる。
あるいは、大韓航空・大量虐殺のテロリストの主犯格とした逮捕された女が今は、善人を演じて、国賓待遇された「キム元死刑囚」もその様な例である。
全て、「劇場社会」での役割を演じることが期待されている。軽井沢の鳩山別荘で演じられたパファーマンスは大きな効果があった。
社会の持つ「劇場性」は、日頃の日常生活への欲求不満を解消する役割がある。
近代以前の社会の場合は、魔女裁判やキリシタンへの拷問等、社会の劇場性の替わりに「宗教的犠牲・生贄」社会であったが、近代以降は、「劇場社会」が、「新時代の生贄」を求めているのである。
世の中・社会を平穏無事に生き抜くには、なるべく「社会の劇場性」からかけ離れたところで暮らすのが良いが、うっかりすると巻き込まれる可能性もある。慎重な行動が必要になってくる。
江戸時代の庶民の様に「上見て暮らすな下見て暮らせ。」で無難を心がけた善良な町民、農民、下層階級として生きるのが人間の知恵だと思う。
日本の生存条件・縮小社会が目指すもの ― 2010/08/24 08:36
鈴蘭台駅付近の100円ショップで購入。
しっかりと出来ており、図案も簡素ながら趣味も良い。
100円である。これだけの細工がされていて100円では、工賃はおろか材料費も出ないだろう。
きっと、これを内職か何かで作っている方は、10円も手間賃もらっていないのでは。
100円ショップで売られている商品って、中国製とかそんなのかと思われるが、もはや、中国で作っても、輸送費・人件費を含めると、そんなに安い値段では出来ない。
実は、かなりの部分が日本で作られている。障害者施設とか、あるいは、超低賃金労働で、日本の低賃金労働者の方が、中国人よりも安くなってきている。
社会保障、健康保険とかそういったものを除けば、人件費はどんどん圧縮出来る。
縮小社会・縮小経済の中で、日本の労働者は、近代以前に逆戻り。
でも、長い目でみれば、その方が良いかも。
だから、最低賃金制度とかそうゆうのがむしろ、日本の雇用促進のブレーキとなっている。
一番良いのは、企業/法人税を1/3に減税し、消費税を25%、最低賃金、社会福祉、年金制度とかそういったものを廃止すれば、雇用が日本に再び戻ってくる。
福祉がなくなっても格差が拡大するので、中流以上におれば、大丈夫。下層・下流は、まさに賃金奴隷といった存在になるが、それが、縮小社会の目指すものだと思う。
現在の国宝とか文化財とか呼ばれているものは、大抵が、その様な下流の名もないモノどもが低賃金で生産したものである。エライ人が制作者として名が残っていても、実際に作業を行ったのは、そういった人民である。
下流の視点からみれば、文化史、美術史の視点も大きく変わってくるだろう。
しっかりと出来ており、図案も簡素ながら趣味も良い。
100円である。これだけの細工がされていて100円では、工賃はおろか材料費も出ないだろう。
きっと、これを内職か何かで作っている方は、10円も手間賃もらっていないのでは。
100円ショップで売られている商品って、中国製とかそんなのかと思われるが、もはや、中国で作っても、輸送費・人件費を含めると、そんなに安い値段では出来ない。
実は、かなりの部分が日本で作られている。障害者施設とか、あるいは、超低賃金労働で、日本の低賃金労働者の方が、中国人よりも安くなってきている。
社会保障、健康保険とかそういったものを除けば、人件費はどんどん圧縮出来る。
縮小社会・縮小経済の中で、日本の労働者は、近代以前に逆戻り。
でも、長い目でみれば、その方が良いかも。
だから、最低賃金制度とかそうゆうのがむしろ、日本の雇用促進のブレーキとなっている。
一番良いのは、企業/法人税を1/3に減税し、消費税を25%、最低賃金、社会福祉、年金制度とかそういったものを廃止すれば、雇用が日本に再び戻ってくる。
福祉がなくなっても格差が拡大するので、中流以上におれば、大丈夫。下層・下流は、まさに賃金奴隷といった存在になるが、それが、縮小社会の目指すものだと思う。
現在の国宝とか文化財とか呼ばれているものは、大抵が、その様な下流の名もないモノどもが低賃金で生産したものである。エライ人が制作者として名が残っていても、実際に作業を行ったのは、そういった人民である。
下流の視点からみれば、文化史、美術史の視点も大きく変わってくるだろう。
リサイクル、リサイクルといっても不採算業種でしかない。 ― 2010/08/20 10:04
旧自民党政権下に制定されたバイオマス・ニッポン総合戦略は、民主党政権にも引き継がれており、バイオマスタウンだとか、コミュニティが各地で誕生している。これらは、食品リサイクル法等とも連携し、環境保全、持続可能な農業、農業と他の産業分野の結合で、新しい産業形態(6次産業化)等が期待されている。しかし、実際には、これらの事業をビジネスとしてみれば、リサイクル費用は割高で、ファーストフードやレストランチェーンとか、大手食品企業等では、必要であるが、採算面では期待していないのが、現状となっている。こうなってくるとリサイクル関連の企業は、もっと悲惨であり、赤字覚悟、あるいは、ギリギリの採算で運営されているのが現状となっている。今年に入って、一層、国内の内需関連産業は悪化しており、もともと苦しい状況だったリサイクル関連産業・企業の倒産が続出している。このリサイクルシステム企業も、政策のテコ押しもあり、将来が期待されていたが、結局、事業継続を断念せざるを得なかった。
リサイクル、リサイクルと国や行政、あるいは、NPOが口を揃えていっているが、リサイクルというのは、ビジネス的にみれば、付加価値産業なのだが、今の日本の「社会力」では、「付加価値化」ということ自体が無理になっているので、こんな風になっている。可哀想に、倒産した会社では、代表者が疲れてしまって、急逝され、廃業を余儀なくされている。
また、最近になって公共事業費削減で、自治体も、こうした事業への出資については、消極的になっている。最初には、色々と干渉してきて、予算の関係で、お金を無理に助成しておいて、政権が変わると途端に助成が打ち切られては、もう、「民」は、「官」を信じることが出来なくなる。
中国人の様に抜け目なく、付加価値化を進める様な国民であれば、こうした産業も伸びるかも知れないが、品質、安全、衛生問題で今度は影響が出てくる。
リサイクルしてはいけないというのは、事実かもしれない。
僕は、この会社がリサイクル関連の企業が集まった展示会に出店されていたので良く知っている。
☆☆☆
(株)フードサイクルシステムズ(上尾市、設立平成3年6月、資本金6000万円、従業員5名)は8月4日、東京地裁から破産手続開始決定を受けた。負債総額は約1億7000万円。有用微生物群販売及びゴミ再資源化装置販売業者。ハンバーグチェーン店や自治体などに販路を形成していたが、平成16年2月期に不良在庫圧縮を行うなどで約4700万円の赤字を計上していた。
以降、債務超過が続き金融機関の与信は低下、その後は生ゴミ処理機の売れ行きが悪化し業容縮小しての経営に陥っていた。こうした中、22年6月には代表者急逝により事業継続が不可能となり、今回の手続となった。
リサイクル、リサイクルと国や行政、あるいは、NPOが口を揃えていっているが、リサイクルというのは、ビジネス的にみれば、付加価値産業なのだが、今の日本の「社会力」では、「付加価値化」ということ自体が無理になっているので、こんな風になっている。可哀想に、倒産した会社では、代表者が疲れてしまって、急逝され、廃業を余儀なくされている。
また、最近になって公共事業費削減で、自治体も、こうした事業への出資については、消極的になっている。最初には、色々と干渉してきて、予算の関係で、お金を無理に助成しておいて、政権が変わると途端に助成が打ち切られては、もう、「民」は、「官」を信じることが出来なくなる。
中国人の様に抜け目なく、付加価値化を進める様な国民であれば、こうした産業も伸びるかも知れないが、品質、安全、衛生問題で今度は影響が出てくる。
リサイクルしてはいけないというのは、事実かもしれない。
僕は、この会社がリサイクル関連の企業が集まった展示会に出店されていたので良く知っている。
☆☆☆
(株)フードサイクルシステムズ(上尾市、設立平成3年6月、資本金6000万円、従業員5名)は8月4日、東京地裁から破産手続開始決定を受けた。負債総額は約1億7000万円。有用微生物群販売及びゴミ再資源化装置販売業者。ハンバーグチェーン店や自治体などに販路を形成していたが、平成16年2月期に不良在庫圧縮を行うなどで約4700万円の赤字を計上していた。
以降、債務超過が続き金融機関の与信は低下、その後は生ゴミ処理機の売れ行きが悪化し業容縮小しての経営に陥っていた。こうした中、22年6月には代表者急逝により事業継続が不可能となり、今回の手続となった。
1戸建て独身というのは、変質者にみられるらしい ― 2010/08/19 16:28
昨日は、気が滅入る様なことがあったので、ブログはお休み。
人間なんて信じられませんな-。
ところで、1戸建て独身というのは、変質者にみられるらしい。
http://www.unkar.org/read/money6.2ch.net/estate/1136469913
ここに書かれていることは、概ね当たっていると思う。
そういえば、今日、ゴミ当番が回って来たが、生憎、その日は、仕事で出なければならないので、無視するか、サボる以外にない。
こうして点を考えても独身者は、無責任な賃貸ワンルーム暮らしが優雅。
但し、50過ぎたら下り坂なので、家賃が支払い続けられなくなり、生活のグレードダウンがつらいだろう。
今の戸建て暮らしも十分にグレードダウンだが、最初から、こうゆう風に慣れておくのも良いかも知れない。
今の家を買う時に一番、重視したのは、やはり、ご近所さん。最初は、お隣の人がやや気になったが、気さくな良い人でよかった。向かい3軒両隣もまずまず。
庭木に水をやっていると、先方様から挨拶して下さる場合もある。
ゴミ当番は回って来たが、町内会はどうなっているのか気になる。入ってもどうせろくなことがないと思うが、入らなきゃヤバイ面もあると思うので、仕方がない。
どこに言っても、人間・人間・人間だらけ。
人嫌いの僕には、つらい世の中だと思う。
人間なんて信じられませんな-。
ところで、1戸建て独身というのは、変質者にみられるらしい。
http://www.unkar.org/read/money6.2ch.net/estate/1136469913
ここに書かれていることは、概ね当たっていると思う。
そういえば、今日、ゴミ当番が回って来たが、生憎、その日は、仕事で出なければならないので、無視するか、サボる以外にない。
こうして点を考えても独身者は、無責任な賃貸ワンルーム暮らしが優雅。
但し、50過ぎたら下り坂なので、家賃が支払い続けられなくなり、生活のグレードダウンがつらいだろう。
今の戸建て暮らしも十分にグレードダウンだが、最初から、こうゆう風に慣れておくのも良いかも知れない。
今の家を買う時に一番、重視したのは、やはり、ご近所さん。最初は、お隣の人がやや気になったが、気さくな良い人でよかった。向かい3軒両隣もまずまず。
庭木に水をやっていると、先方様から挨拶して下さる場合もある。
ゴミ当番は回って来たが、町内会はどうなっているのか気になる。入ってもどうせろくなことがないと思うが、入らなきゃヤバイ面もあると思うので、仕方がない。
どこに言っても、人間・人間・人間だらけ。
人嫌いの僕には、つらい世の中だと思う。
ゲゼルシャフトの哀しさ ― 2010/07/08 20:38
「裏表の無い人間はいない」と以前、書いたが、実際、人間というのは、二律背反する様な欲求・意志が拮抗して、個性(人間性)を形成しているのだと思う。
これは、組織集団としての人間性、集団行動にも当て嵌まってくる。
つまり、集団としての「個性」は、その二律背反と拮抗によって形成されている。
類人猿等、人間よりもやや劣っているとされている「動物」では、これに本能と意志との拮抗も含まれてきて、人間にもそういった面があるが、動物が品下るに連れて、本能が行動原理に優先される様になる。
今日の午前中は、アリの行動を観察していた。「蟻の巣ころり」の効果をみる為だ。
本能による行動には裏表はない。従って、軍隊アリの集団も本能によって形成される為に、ゲマンインシャフトとかゲゼルシャフトとかの区別もなく。機械的に行動しているだけだ。
人間の場合は、特に、社会学では、軍隊とスポーツが研究の対象にされやすいが、一見、個人の格闘技に見える大相撲だってゲゼルシャフトの世界である。
ゲゼルシャフトの場合には、「行動規範」が中心にあり、その構成員には、「役割期待」が被せられる。
横綱の「役割期待」は、強いだけではない。
表舞台でも、プライベートでも、横綱としての「役割期待」が課せられている。この「役割期待」を理解しなかったというか受け入れなかった朝青龍は、排斥されたのである。
例の朝青龍排斥の先導的や役割を果たした小説家が、ファンであったのは、野球賭博に興じていた大関を始め、他の親方達であったのだ。
日本相撲協会→親方制度→力士というピラミッド構造にあって、二律背反的な矛盾を内部に包含しながらも、組織の「構成員」としての「役割期待」を果たして「役割演技」をしている限りは、「国技」の担い手として、国民やスポンサー企業に、賞賛・尊敬されていたのだ。
この様な国技、軍隊、スポーツ、そして学校の場合でも、二律背反あるいは、多層的な意志・行動・欲求が拮抗する形で、存在しているが、その内部矛盾の「捌け口」として、反社会・組織的行動を隠匿的にやってしまうのである。
例えば、相撲では、イジメ(例のリンチ事件)や野球賭博・・・・・様々な事柄が起こり、組織の中で、「暗黙的」に認知されて来たのである。
戦前の中国東北部の守備をしていた関東軍もその1つの例である。
日本の国民の楯になる筈の最強をうたわれた関東軍が、ソビエトの国際法違反による侵攻と北方領土占領行為に全く対抗出来なかったのも、残念ながら、組織内部の腐敗、反統制的な状況を抱えていたからである。
日本の師団の中で、最も組織的行動に優れた「最強の軍団」だからこそ、こんな状況なのも、実は、社会学の集団組織の原理では、必然性があることである。
その様な傾向は、行動規範が強固・命令系統の強制的な要素が強い集団や社会程、強まる。
スポーツの場合でも、封建的な統率性が強い相撲な様な国技、あるいは、監督を頂点に先輩・後輩の軍隊よりも堅固なピラミッド構造を形成している野球部等で不祥事が発生しやすい。
最初に書いた通り、二律背反する意志の拮抗は誰にもある。
「スポーツで鍛えられた強い心が、人間を正しい方向に導く」といった考え方は、甘いというか合理的ではない。人々は、厳しい訓練や修行を健全なことだとして賞賛するが、なんら解決策にならないのである。
人間の本質を見抜かれていた釈迦がかつておっしゃられた通り、いくら厳しい修行を行っても、解脱にはいたらないのである。
これは、組織集団としての人間性、集団行動にも当て嵌まってくる。
つまり、集団としての「個性」は、その二律背反と拮抗によって形成されている。
類人猿等、人間よりもやや劣っているとされている「動物」では、これに本能と意志との拮抗も含まれてきて、人間にもそういった面があるが、動物が品下るに連れて、本能が行動原理に優先される様になる。
今日の午前中は、アリの行動を観察していた。「蟻の巣ころり」の効果をみる為だ。
本能による行動には裏表はない。従って、軍隊アリの集団も本能によって形成される為に、ゲマンインシャフトとかゲゼルシャフトとかの区別もなく。機械的に行動しているだけだ。
人間の場合は、特に、社会学では、軍隊とスポーツが研究の対象にされやすいが、一見、個人の格闘技に見える大相撲だってゲゼルシャフトの世界である。
ゲゼルシャフトの場合には、「行動規範」が中心にあり、その構成員には、「役割期待」が被せられる。
横綱の「役割期待」は、強いだけではない。
表舞台でも、プライベートでも、横綱としての「役割期待」が課せられている。この「役割期待」を理解しなかったというか受け入れなかった朝青龍は、排斥されたのである。
例の朝青龍排斥の先導的や役割を果たした小説家が、ファンであったのは、野球賭博に興じていた大関を始め、他の親方達であったのだ。
日本相撲協会→親方制度→力士というピラミッド構造にあって、二律背反的な矛盾を内部に包含しながらも、組織の「構成員」としての「役割期待」を果たして「役割演技」をしている限りは、「国技」の担い手として、国民やスポンサー企業に、賞賛・尊敬されていたのだ。
この様な国技、軍隊、スポーツ、そして学校の場合でも、二律背反あるいは、多層的な意志・行動・欲求が拮抗する形で、存在しているが、その内部矛盾の「捌け口」として、反社会・組織的行動を隠匿的にやってしまうのである。
例えば、相撲では、イジメ(例のリンチ事件)や野球賭博・・・・・様々な事柄が起こり、組織の中で、「暗黙的」に認知されて来たのである。
戦前の中国東北部の守備をしていた関東軍もその1つの例である。
日本の国民の楯になる筈の最強をうたわれた関東軍が、ソビエトの国際法違反による侵攻と北方領土占領行為に全く対抗出来なかったのも、残念ながら、組織内部の腐敗、反統制的な状況を抱えていたからである。
日本の師団の中で、最も組織的行動に優れた「最強の軍団」だからこそ、こんな状況なのも、実は、社会学の集団組織の原理では、必然性があることである。
その様な傾向は、行動規範が強固・命令系統の強制的な要素が強い集団や社会程、強まる。
スポーツの場合でも、封建的な統率性が強い相撲な様な国技、あるいは、監督を頂点に先輩・後輩の軍隊よりも堅固なピラミッド構造を形成している野球部等で不祥事が発生しやすい。
最初に書いた通り、二律背反する意志の拮抗は誰にもある。
「スポーツで鍛えられた強い心が、人間を正しい方向に導く」といった考え方は、甘いというか合理的ではない。人々は、厳しい訓練や修行を健全なことだとして賞賛するが、なんら解決策にならないのである。
人間の本質を見抜かれていた釈迦がかつておっしゃられた通り、いくら厳しい修行を行っても、解脱にはいたらないのである。
どんな人間にも表裏明暗があって、当然なのである ― 2010/06/29 22:11
家の入り口の前に割れ鏡が裏向けに置かれていた。
大分前にも家の裏に置かれていたのを発見した。
全部、小さなカケラである。 案外、カラスの悪戯かも知れない。
呪われる理由等ないと思うのだけれども、何か、自分が居ると、黒魔術の邪魔になるとかそういったことがあるのだろうか。(笑)
鏡の呪いは、小さな鏡に向かって、呪いたい相手を念じて、その鏡を割って、それを相手の側に置く。気づかれなくても良いというか長い間気づかれない方が呪いの効果があがるので、あんな風にこれみよがしに置いてあるのは、嫌がらせかも知れない。
よそ者の癖に図々しいと思われているのだろう。
気にしないことである・・と自分に言い聞かせる。
というかどんな人間にも表裏明暗があって、当然なのである。
悪意の類推を重ねていくと、被害妄想が攻撃性に転化して、秋葉原事件みたいになってしまう。
物事は、良い方に考えないと、実際に悪いことが起きるものだ。
ブロック塀を除去した後、手当をしていないので、一層、家が殺伐としているので、人間というのは、殺伐とした有様をみると、潜在的に拒否反応が生じて、色々な問題に結びつくので、心した方が良いかも。
例えば、通りで一軒だけ荒れた家があれば、そこがどんどんゴミ捨て場みたいになっていて、その家を中心にやがては、通り全体が蝕まれていく訳である。
大分前にも家の裏に置かれていたのを発見した。
全部、小さなカケラである。 案外、カラスの悪戯かも知れない。
呪われる理由等ないと思うのだけれども、何か、自分が居ると、黒魔術の邪魔になるとかそういったことがあるのだろうか。(笑)
鏡の呪いは、小さな鏡に向かって、呪いたい相手を念じて、その鏡を割って、それを相手の側に置く。気づかれなくても良いというか長い間気づかれない方が呪いの効果があがるので、あんな風にこれみよがしに置いてあるのは、嫌がらせかも知れない。
よそ者の癖に図々しいと思われているのだろう。
気にしないことである・・と自分に言い聞かせる。
というかどんな人間にも表裏明暗があって、当然なのである。
悪意の類推を重ねていくと、被害妄想が攻撃性に転化して、秋葉原事件みたいになってしまう。
物事は、良い方に考えないと、実際に悪いことが起きるものだ。
ブロック塀を除去した後、手当をしていないので、一層、家が殺伐としているので、人間というのは、殺伐とした有様をみると、潜在的に拒否反応が生じて、色々な問題に結びつくので、心した方が良いかも。
例えば、通りで一軒だけ荒れた家があれば、そこがどんどんゴミ捨て場みたいになっていて、その家を中心にやがては、通り全体が蝕まれていく訳である。
近畿農業・農村6次産業倶楽部 ― 2010/06/23 22:05
近畿農業・農村6次産業倶楽部というのが行政主導で結成され、加入者を募集している。
農業生産者や団体、あるいは、企業、観光、消費者団体、大学、行政等の連携を通じて、農林水産物の高付加価値化を進めると共に、産業の創出と地域の活性化を図り・・・・の内容。
一応、情報誌で記事を書いているので、入れてもらうべく、会社で申込みを行った。
近畿というのは、残念ながら、毎日、統計資料とかまとめているので良く判るが、既存型の農業が、どんどん廃れていっている地域である。
それでも消費地が近い為に、結構、ユニークな農業生産をやられて頑張られている方も多いし、例えば、佛教大学でも地域の農家と連携して、独自ブランドのお酒を作ったり、多角的な展開を行っている。
つまり、農村との交流事業も6次産業の範疇に入っており、それは、地域活性化というコトバで片付けられがちだけれでも、新たな商品やサービスの開発、教育(インターンシップ)との関連等の接点も多い。
農業と言えば、農村地域で行われていると考えられがちだが、「野菜工場」とか全然、農家と関係無い地域でも農業生産が行われているし、難波にある高層ビルの屋上では、貸し農園があって、サラリーマンとかOLが野菜を作っていたり、こうした産業も6次産業としての農業の展開に含まれると思う。
7月27日に設立総会が開催されるという。
http://www.maff.go.jp/kinki/seisaku/6zi_sangyo/club/6jiclub.html
農業の6次産業化というのは、私の考えでは、近接する住民、産業、研究機関等のインターフェースシステムの開発が成否を分けると思うので、佛大の方なんかも参加されたら面白いかも。
佛大公共政策学科の浜岡先生にもお知らせしようかな。
そこで、また、何かユニークなことがあれば、ここにも難しくならない程度に書いて行きたい。
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