二条城の夕焼け2006/06/05 20:58

高感度モードで撮影したので粒子が荒れている。赤色を強調

久しぶりに京都に先週末出かけた。二条城の近くのホテルに泊まって、周囲を散策していたら、綺麗な夕焼けに出会ったので、IXYDIGITAL70で撮影した。結構、露光等が難しい。

今夜も木星2006/06/06 23:39

110㍉反射 LV20㍉ EXP505コリメート、ムービーモードで撮影250枚コンポジット

梅雨時の晴れ間と梅雨入り前の晴れ間なのか、とにかく晴れたので、木星を撮影してみた。ちょうど撮影時の午後11時前には、大赤斑がやや右よりの真ん中に現れる筈なので期待して撮影したが、今回も駄目だった。思ったより気流の動きが大きく、透明度もそれ程高くないので、ぼやけている。

月面2006/06/08 08:49

EXP505 コリメート LV20㍉、望遠側で撮影

月面の写真は、望遠鏡の収差とかコントラストとか分解能等光学系の特徴がモロに出てくる。やはり110㍉反射はコントラストが低く、ボケ気味の画像である事が判る。収差が大きいのでモノクロの写真の方がこの様に目立たないようだ。

もうすぐ祇園祭2006/06/17 11:37

CANONのIXYデジタル高感度モード撮影、フラッシュを炊かないでもこの程度撮れますが、画面が荒れます。

大学通信教育のスクーリングに通っていると言えば、「ああアソコの学生さんか。」と思われる方もあるかも知れません。家からは、直接通学する事が出来るのですが、5時起きが死ぬほどつらいので、何時も前日に京都に宿泊しています。今回の宿は、京都の三条通りに面したところにあるので、三条通りの散策が出来ます。この通りは、古い京都の雰囲気が残っていて、近代建築(京都文化博物館とか中京郵便局)なんかを見る事出来るし、庶民的で色々とおいしい食事が出来る商店街とか楽しい街です。京都文化博物館には、祇園祭りに使用される山鉾が展示されていました。

ポストモダニズムとグローバル社会2006/06/23 09:16

「ポストモダニズムとグローバル社会」について、先日、佛教大学四条センターで、同大の丸山教授が一般市民向けに行っているセミナーを聴講する機会を得た。ここで問題になるのは、モダニズムについて、丸山先生は、近代市民革命の延長と捉えていた事である。つまり、ポストモダニズムは、近代市民社会の行き詰まりから生まれた状況であると定義づけしている事であるが、私の考えでは、、丸山先生が指摘している近代市民社会から現代に至るまでに、次の⑦つの段階を考える。

①ブルジョア市民革命(社会科学の黎明期)→②資本主義経済革命→③帝国主義(植民地経済)→④マルクス主義革命→⑤2つの世界大戦後の東西2大陣営の対立と企業資本主義の発展→⑥社会主義陣営の崩壊と国際資本主義の勝利→⑦グローバル型国際資本主義社会

丸山先生のモダニズムは、①~⑤・⑥の辺りの段階を指していると考えられるが、私は、もし、ポストモダニズムと言う概念があるとすれば、⑤の段階に限定されると思う。⑥~⑦については、最近のほんの15年間での変化である。

ポストモダニズムは、丸山先生は、⑦を指しているのだと思う。大きな変革経てポストモダニズムを志向したパラダイム変換を主張される丸山先生に対して、私は、段階的な因果関係を経て、社会は変化している様に思う。つまり、「ポストモダニズム」と言う言葉で、現代社会を説明する事は、私には、とても難しい様に考えられる。

グローバル社会の定義については、「グローバリゼーション」に基づく社会とする事が妥当だと思うが、グロバリぜーションについては、生産・流通・消費までを含む経済活動が国家の枠を超えて社会的規模で展開される事を意味するとしている。

この説明で、丸山先生は、ネーションステーツ(国民国家)の概念を出された。これは、18~19世紀の比較的同質的な国民が他の支配を受けないで主権国家を形成した場合を示しているようだが、実際には、近代市民社会形成の段階で日本の様な極めて同質性が高い国民国家がどれだけ存在しただろうか。結局、絶対主義王政・ブルジョワジーによる支配権力によって制度的にまとめられたに過ぎないと思う。   ネーションステーツが崩壊してくるのは、先ほどの②の段階からだと私は思う。つまり、近代資本主義の発展には、国民国家を超えた資本の交流が前提条件になってくるからだ。③は、国民国家と国際資本主義の矛盾を解消する為に生まれた社会システムであるが、結局、永続的には動作しなかった。結局、⑥に至るまでこの矛盾は続く事になる。

⑦の段階では、国民国家と社会システムの分離が一層進んだ段階であると考えられる。しかし、実際には、国際資本主義の主導権を握っているのは、米国資本であり、グローバリゼーションの名を借りた巨大資本による国際支配の世の中に変わりつつあり、これに対抗しようとしているのが、EUや中国、あるいは、北朝鮮と言った国ではないのだろうか。

丸山先生によれば、ポストモダニズムとは「これまでの近代社会を規定していた秩序の崩壊と新しいパラダイム」とする事が意味しているようだが、私は、単なるエントロピーではないかと思う。時代の潮流を捉えるには、もはやマックスウェーバー以来の理論社会学の枠組みでは、説明する事は困難になっているのかも知れない。

自己と他者で認識されるユニバース2006/06/28 22:31

現在組み立てているロボット、相互コミュニケーションが出来る事を夢見ながら。

佛教大学四条センターで開催されているシリーズ「社会学とは何か」の第1回は、社会学の黎明期についての歴史的説明と、社会学の最も基本概念となる「社会的相互行為と社会関係」についての説明だった。


「社会的相互行為」とは、「人は、誰でも1人では、生きる事は出来ず、他者との相互関係の中で自己存在を認識する。」と言う性質からスタートしている。初めて出逢った人(赤の他人、仮にAさんとする。)は、自分が起こしたモーションに対してどの様な反応を返してくるのか予測出来ない。


この状態は、Aさんの状況も認識出来ていないが、「Aさんが自分をどうみているのか。」について、Aさんの反応・行動を通して知る事も出来ない。つまり、相互の自己と他社が認識出来ない状態となっている。しかし、試行錯誤で相互コミュニケーションを行う事によって、Aさんの反応が予測出来る様になる。


人間は、この様な相互認識行動を無数に繰り返す事で、ついに「一般化された他者」を認識する事が出来る様になると同時に「一般化された他者によって認められた自己の存在」を認識出来る様になってくる。この様な相互行為のパターン化が行われる中で、共通規範、シンボルコミュニケーション、価値の共有といった段階を経て、ついに自己が存在する社会の中での役割取得→役割認識を経て一定の役割期待を担う事になる。


最近、視覚・触覚・聴覚の知覚を持ち、それに対して一定の反応を示す、自律行動型のロボットが登場して来たが、この様なロボットの反応を見ていると、相互コミュニケーションが成立している様に感じられていまう。人間との相互コミュニケーションを通して、そのロボットの個性さえもが生まれると言う事である。


ロボットとの相互コミュニケーションは既に可能であり、今後の社会では、役割期待をロボットに担わす事が可能になる。シンボルコミュニケーションまでは、可能として、価値の共有の段階の実現までは、難しいが、人間とロボットとの相互コミュニケーションを通じて新しい世界が開ける可能性も示唆している。


横道に逸れてしまったが、この理論で前提となっているのは、①人は、自己のみで自己の存在を客観的に認識する事が出来ない。②人の認識世界は、相互認識を前提に存在し、相互認識無しでの自己の絶対世界は存在しないと言う点である。つまり、世界(ユニバース)は「相対世界」でしかあり得ないと言う点である。更に、その「相対世界」と言うのは、相互コミュニケーションの範囲内に成立すると言う点である。


地球から宇宙に広がるグローバルコミュニケーションでは、直接認識による相互コミュニケーションよりも、メディアが介在したコミュニケーションが可能になる中で、「世界(ユニバース)の中の自分」の相対世界の認識範囲は、情報技術の発展で飛躍的な拡大を見せたが、決して無限ではなくて限界がある。面白いのは、この様な相互コミュニケーションによる相互認識理論を仏教の世界観を説明する時に用いられている先生がいらっしゃることである。


佛教大学の通信スクーリングで、仏教の世界観、中央に巨大な山、須弥山が存在し、風輪・水輪・金輪と重なった上にあり、高さは八万由旬(ゆじゅん・途方も無い距離を示す)で、周囲には同心円状に七重の山が存在し、更に、その周囲には、人間が住む世界が存在していると言う荒唐無稽な世界観を説明された。


「先生は、本当にこの様な世界があると信じているのか。」との私の質問に対して、「私たちが世界と信じているのは、自己(相互)認識の届く限りの極狭い世界に過ぎない。私達の認識の外にも世界があり、仏陀が見ておられる。」と言った様な回答であっと思うが、例えば、私たちが認識している世界の外にも世界が広がっている信じる事が出来れば、その様な世界の存在について肯定的な見方も出来るであろうと言った事だろうと思う。


自己と他者のコミュニケーションを超えたユニバースが認識出来る様になると言う事は、「悟りに達した真の覚者のみ。」と言う事になる。人智を超えた世界の存在認める事、これがすなわち、宗教と言う事なのか。私には、信じがたい事だと思う。

木星です。2006/06/29 22:45


今日は、梅雨の晴れ間か真夏を思わせるような暑さだった。
南の空に木星が輝いていたので、久しぶりに撮影してみた。
6㎝屈折での撮影(EXP505 400枚コンポジット)。
大赤斑は確認出来ず。