ややシャッターボタンが重い?2007/12/01 11:49

FZ18で撮影 IAモード 8M
 昨日、ヨドバシカメラから電話があってようやくFZ18が入荷したとのこと。
 価格は、4万円強。カメラの質感とかみたら、7~8万円位の商品にも見えるのでこの価格帯では、大変なお買いどくだと思える。
 但し、私の様にFZシリーズの新しいのが出るたびに買い換えていたら、結局高くつく事になる。
 FZ7、FZ8から大型化しており、設計からやり直しているので、製品の安定性(つまり、改良版が次のバージョンで出る可能性等)を考慮したら、躊躇してしまうところだが、フォーミュラージャパンの試写会の印象では、殆どその心配がなく、むしろiAモードやAFロック、全体の反応速度、ズームのスムーズさ、画質等からすぐに購入決定してしまった。
 先ほどまで庭で撮影してみたが、見本品に比べて、シャッターが重いのが気になった。AF等のロックは軽いが、実際にシャッターを切る場合に2段位押し込まなければならない感じ。
 欠陥品かとも思ったが、少し重い程度なので、このまま使い続ける事にした。EOS等を使い慣れていると、この辺りに抵抗を感じる人も出てくるかも知れない。
 画像の解像度が上がっている事、マクロでの画面の鮮やかさ等が気に入った。

日本縦断その後2007/12/01 12:26

パソコン
 かなり前にオムロンの歩数計のサイトで、日本縦断に挑戦していると書いたが、12月1日現在、未だ新潟県である。
 3月3日の上巳(ひな祭り)節句に北海道を出発してから、ほぼ9ヶ月になるが、総歩行距離は、939キロに過ぎない。
 始めたときには、年末までに鹿児島に到着を目標にしていたが、これでは、再来年の事になってしまう。
 どうりで体重が減らない筈だ。

何やらゴチャゴチャ2007/12/01 15:02

FZ18で撮影 ボケ気味です。なんででしょう。
 鉄道模型のレイアウトをいじっていたらなにやらゴチャゴチャになってしまった。
 手前はNゲージ、その奥は、日本の鉄道シリーズ第3弾南海電鉄、奥は、メルクリンである。
 手前にNゲージ、奥にメルクリンを配置すると遠近感が強調される様な感じがして面白い。
 ドイツ、日本の私鉄と国鉄が同居している風景は、鉄道模型ならではかな。

スクーリングの帰路に考えた事12007/12/02 23:05

まだ、銀杏の残る佛大前。IXYDIGITAL70で撮影
 今日は、佛教大学の冬季スクーリングだった。物語絵巻や定朝等、藤原氏と関係の深い文化事例を中心に学ぶことが出来て深い感銘を受けた。
 帰路の電車の中で、色々な思索にふけったが、その一部を2回に分けて書いてみる。
 藤原氏の日本文化史の中での最大の特色としては、やはり、日本で初めて氏族による文化ブロジェクトを実現させた事が挙げられる。
 古代社会における文化ブロジェクトは、現代社会の経済プロジェクトに匹敵する重要な役割を果たしていた。
 藤原氏以前は、律令政治の中で、天皇家を中心とした官僚システムで文化プロジェクトが運用されていたが、平安時代以降は、中央集権制が緩み、藤原氏がその中核を担う様になっていく。
 例えば、以前、女樂(舞楽)を調査した事がある。節会(大嘗祭)に舞われる舞楽は、内裏寝殿の北東側にあった内教房と言う役所が運営し、予算も皇室から計上されていた。
 しかし、三代実録を読んでいくと、既に、10世紀の初め頃には、何度も天災に見舞われ、衣装や太鼓等の大きな楽器が失われ、それを補充する予算もなかった。
 こうした、状況に応じて藤原氏摂関家が予算を出す様になり、宮中舞楽も「私楽」としての性格を持つ様になる。
 この内教房は、古今和歌集の編纂にもかかわった紀貫之の祖先等も関係し、宮中サロンの一角としての役割も担っていたが、藤原氏の台頭により、文化面での摂関の独占が行われる様になっていく。
 紫式部日記にも実は、大嘗祭の女樂に関する記述が見られるが、これは、偶然ではないと考える。
 その理由として、源氏物語の若菜下の巻にはこうした女楽を思わせる紫の上、女三宮等の光源氏の私邸六条院での女性のみの合奏の場面があるからだ。
 女樂が終わった後で、光源氏が古今和歌集の序文にこと寄せた言葉を発する場面があるが、これは、こうした文化的な情勢の変化が彼の言葉に象徴されているのではないかと私は考える。
 ここでの彼の言葉には、本来伝えられる文化的伝統があべこべに伝えられてしまった事を暗示させられる部分がある。これは、具体的には、女三宮の降嫁、もっと深い意味では、本来、宮家(皇室)が引き継ぐべき、文化伝統を源氏が引き継いでいると言う事、あるいは、詩教、毛詩国風序文に見られる賢女(賢妻)の本来あるべき姿があり、つまり、本来は、女三宮が様々な紫の上等に思いやりをかける事が本来の正妻のあり方なのに全く逆の状況となっている皮肉等。実に多くの暗喩が彼の言葉に見られる。
 実は、こうした言葉の背景には、実は、源氏物語が藤原氏による文化プロジェクトとして企画されたと言う事情が見えてくる。
 私が、行ったコンピュータによる源氏物語全巻の統計調査の結果、少なくとも数人の人々によって執筆されている可能性が高い事が判った。
 更に、源氏物語の作者、紫式部が書いたとされる部分は、文章統計学の手法を駆使して、紫式部日記の文章と統計的に見て類似性が指摘出来る部分は、若紫巻、夕顔巻等の本の一部分であると言う事が高い確率で言える事を発見した。(佛大国文学会で発表した。)
 更に、紫式部日記自体が、こうした藤原氏による文化プロダクションに参画していた紫式部の公式ブログの様なものであったと考える。
 こうして、藤原氏の財力を背景に、王朝文化を代表する物語作品の企画が実行された。この物語は、藤原一族の女性の規範として読まれていった。
 その後、100年以上を経て、院政期に入って国宝源氏物語絵巻が制作されたが、それには、藤原忠通と大きなつながりを持っていた村上源氏・源師時が関わりを持っていた事が知られる。つまり、源氏物語絵巻も藤原氏の物語事業の記念モニュメント的な性格を持つものなのだ。
 こうした藤原氏の物語メディアプロジェクトの最後を飾るのが、春日権記絵巻である。これも藤原氏の歴史的優位性を象徴する様な説話が長編として編まれている。14世紀の建武の新政の直前に企画されたと言う文化的状況が如実に反映されている。

スクーリングの帰路に考えた事22007/12/02 23:49

図書館前の中庭の紅葉は、今年は特に綺麗。IXYDIGITAL70で撮影
 藤原氏は、平等院や法性寺、鳥羽離宮等の様々な寝殿造りの庭園を持った浄土大寺院を造営していく。
 この様な浄土大寺院の造営は、財力のみならず、文化的な総合力が必要になってくる。
 特に浄土教寺院の場合は、阿弥陀如来等の仏像以外に荘厳を含めた多様な工芸技術を要求される。
 古代前期には、律令政治の元で国家が事業として行っていた大規模寺院の造営は、藤原氏の手にとって換わられる。
 これらの藤原氏の造寺、造仏プロジェクトを支えていたのが、仏師集団である。
 最初に登場した康尚は、定朝の父であるが、彼の代表作である京都同聚院の不動明王像は、画期的な作品であった。
 特に顔の彫りの精緻さ、均衡の採れた体躯、表情の気品の高さは、同時代の作品群の中で、群を抜いている。
 彫刻としての立体性の強調よりも、その質感、マテリアルを重視した点で異彩を放っている。
 例えば、ベロッキオ作の聖画の中で、特別な光彩を放つ、ダ・ビンチが徒弟時代に描いた天使像の様に異様な程の才能を感じる。
 つまり、康尚は、天才肌の仏師であったと言えよう。
 彼の息子の定朝は、父親の仕事を手伝う内に頭角を現し、法成寺金堂の大日如来像、五大明王の造像の功績で法橋に任じられるが、これは、仏師が僧綱位につく事は、当時としては異例の昇格・待遇であった。
 藤原道長が、この位を定朝に与えた理由は、明らかではないが、藤原氏による造像・寺院プロジェクトはその財力を誇示する為に益々巨大化していった。
 寄せ木造りの大がかりの仏像を一方で、繊細さを要求される荘厳と一緒に纏めるには、仏師グループ全体の緻密な連携が必要になる。彼のこうしたプロジェクトリーダーシップが評価されたのだと私は考える。
 藤原氏が、こうした文化事業の組織的実践に高い評価を与えて重視して来た事は、前回書いた通りである。それだからこそ、その頭領である定朝の組織運営力を評価されて高い地位を得る事が出来たのだろう。
 今、平等院鳳凰堂の阿弥陀仏は、最近修復されて美しく荘厳な姿を見せている。
 でも、私が一番好きななのは、雲中供養仏である。平等院ミュージアムにある一体一体を眺めてみると、「ああ、あの不動明王像」が。」と思わずつぶやいていた。
 時代を超越した精緻な彫刻技術は、定朝の父、康尚が発明したものであり、定朝が率いる仏師集団の中に康尚の技術を受け継いだ制作者がいた事をうかがわせる。
 しかし、その技術伝承もどうやら1世代で終わってしまったらしく、その後は、精緻な彫刻技術は姿を消してしまったようだ。
 藤原氏による造寺プロジェクトも13世紀の平等院の修築を契機に全く衰微してしまうのだ。

ロッスム社のユニバーサルロボット2007/12/04 20:18

 ロボットと言う言葉、アイザック・アシモフや最近、映画化された「アイ・ロボット」が、語源というか印象に残りがちだが、実は、チェコスロバキアの作家、カレル・チャベックの作品「R・U・R(ロッスムのユニバーサルロボット)」と言う三幕からなる戯曲がオリジンである事実を知る人は少ないだろう。
 右の女性は、人間ではない。スラというロボットだ。
 時代は、近未来という事になっているが、戯曲の中の生活文化の様式は、ヨーロッパの1920年代に一番近い。少し、東欧風、スラブ風の感じもする。それは、スラの服装や髪型を見ても明らかだ。
 主な登場人物は、R・U・R(ロッスムのユニバーサルロボット社)社長のハリー・ドミン、ファブリ技師、ガル博士、ハレマイエル博士、ブスマン領事、ロボットのマリウス、スラ、ラディウス、ダモン、ロボット1~4号である。
 既に戯曲に描かれた時代のグローバルな資本主義競争は、限界まで来ていた。そうして、サバイバル競争に生き残る為には、人間よりもずっとコストが低く、しかも、誰もが嫌がる仕事をするロボットが求められていた。
 R・U・Rのロボットは、コンピュータのウインドウズの様に国際規格化され、全世界のシェアを独占。既に35万体のロボットが製造され、熱帯地方等の過酷な労働条件にも耐え抜く等あらゆる仕様の「製品」が産み出されていた。
 ヒューマノイド型ロボットは、最初は、無機的な材料で製造された。しかし、人間以上に過酷な労働を強いようとすれば、最も、問題となったのは、耐久性の低さであった。こうして、バイオヒューマノイドが産み出された。「万能細胞」の技術を応用されたスラの様な人間以上に人間らしいロボットは、組織の再生能力を持ち、人間の様な産毛さえ生えているが、耐久性は、抜群だった。
 ガル博士は、ナチス時代のマッドサイエンティストを思わせる風貌だ。ニュルンベルグ党大会当時の様な制服を着ている。
 こうして、ロボットは、下層労働者以下の過酷な労働を余儀なくされる様になっていった。
 その後は、ソビエト社会主義革命が辿ったのと同じ経過を辿る様になっていく。
 つまり、ある日、バイオヒューマノイドは、反乱を起こし、革命は成功、ロボット国家が誕生する。
 この辺りは、「人造人間キャシャーン」に似ている。生体解剖を思わせる凄惨な場面も見られる。
 ロボット達は、人間の卵細胞の様な増殖力を持たないので、バイオ再生には、人間の生命力が搾取の対象となる。人間は、生殖用の飼育動物と化していく。
 それにしても凄い作品である。SFというよりも社会主義小説である。
 19世紀後半から20世紀初頭の資本家と労働者の対立は、階級闘争と言う形で考えられて来た。しかし、構造主義の台頭と共に、社会システムの中での装置としての労働や労働者のあり方が考えられる様になった。
 つまり、「労働行為」は、資本家の直接搾取の対象と言う考え方から、資本主義の階層社会システムの中で、社会装置(キカイ)としての位置づけが行われる様になる。
 装置(キカイ)としての労働者が、すなわち、チャベックが象徴的に産み出したロボットなのだ。
 この作品の後半には、人間の労働者とロボットの対立が描かれる。
 また、構造的搾取の歪みが、差別・搾取・階層間闘争の多重性と言う形で具現化する事をこの作品は示している点が、特に注目される。
 佛教大学応用社会学科で、環境社会学という科目を履修したが、水俣病がレポートの課題であった。
 一般的には、水俣病は環境問題、企業のモラル等の考え方で捉えられていたが、実は、チャベックのロボットと同じ体質を持った社会の構造病理の位置づけとして、応用社会学の検証・考察の対象となる。つまり、この点に社会病理を見いだし、その分析を行う必要があるのだ。
 この公害問題が発生した地域の企業城下町としての社会のあり方、公害病で更に追いやられる立場となった被害者と隣接の地域住民は、同じ様に実は、企業の地域搾取の対象とされて来たが、お互いに反目、対立しあう様になる。
 こうした対立が、幾重にも重なった複合的社会病理の元凶となっていく。
 この「多重の病理」がすなわち大きな問題である事を気づかなければならないと指導教員から教えられた。
 チャベックのロボットは仮想社会である。そうして、こうした社会労働問題の矛盾をこの戯曲によって、1920年代の時代閉塞の社会風潮の中で、大衆に訴えようとしたのだと考える。
 現代、我々も実は、チャベックのロボット社会とは、無縁ではない。
 バイオ技術が急速に発達し、ヒューマノイド時代の私たちの今後の歩む道とのオーバーラップしている部分を感じざるを得ない。

火星がやって来ました。2007/12/06 00:15

LUMIXFZ7で撮影。コントラストを上げてあります。
 2年ぶりに火星とご対面!
 今年は、中接近という事で、2年前や何万年ぶりかの大接近と言われた4年前に比べてあまり、火星は大きくならない。
 夜半頃には、北東の高い空で輝いている赤い星がそれ。
 しかし、最接近を数日後に控えた火星は、115㍉反射の中倍率で見ても十分に大きい。
 久しぶりにカメラで撮影してみた。機材は、LUMIXFZ7の動画機能で、ビデオ画像をRegistax4で処理した。
 模様がある程度写っていると思う。
 それにしても先月の病気の影響で撮影開始するのが遅れてしまった。

注)写真を解像度が高いものに換えた。LUMIXFZ7での1枚撮影だが、大シルティスが良く見えるのでこの方が良いだろう。

『3万年の死の教え チベット「死者の書」の世界』2007/12/07 00:02

『3万年の死の教え チベット「死者の書」の世界』(角川ソフィア文庫)

 この世に「死者の書」と呼ばれる書物はいくつかあるが、エジプトのオシリス神にちなむもの、折口信夫の「死者の書」の様に古代の貴人の御霊を象徴的に蘇らせて過去の世界に読者を誘おうとするもの等様々である。
 この「3万年の死の教え」は、チベットの死者の書を扱ったもので、日常的にチベットの仏教で信仰されている如来蔵思想に基づく「バルド・トドゥル」と言う経典に書かれている内容を最初は、1.老僧と弟子の小僧、死者、家族の関係を通して、体験的に描き、2.ユングの心理世界に通じる人類共通の深い心理と瞑想の経験、そして、3.カルマ・リンバの発見の記述で構成されている。
 最初の体験記では、ある家の長男が臨終を迎え、老僧のチベット経典に基づく臨終儀式・作法の解説が中心となっている。
 チベットでは、「死」は、終局を意味せず、1.生命存在のバルド、2.死のバルド、3.心の本性のバルド、4.再生のバルドで構成された世界を移動する事に過ぎない。解脱出来ない魂は、1→4の過程を繰り返し続ける。
1.死の第一段階は、呼吸の停止だが、身体の内部では気脈は保たれている。
2.やがて気脈は、頭頂部と臍部からの2つの気脈がぶつかり、バースト状態となる。ここで、生前、ヨーガの訓練をしておれば、パニックに陥いる事なしに、次の段階に進む事が出来る。死後も常に心を冷静に保っておかなければならない。「バルド・トドゥル」はこの為に教えなのだ。
3.透明な光に導かれる様に意識は、死者の身体から分離していく。
4.この段階に至っても、死者は聴覚だけは生きており、老僧の言葉を聞くことが出来る。
5.1~2の過程を経ていよいよ3の心のバルドへと移っていく。
6.あらゆる意思の根源の光が現れる。同時に様々な邪念も生まれる。大日如来や阿弥陀如来等の光と一体化出来れば、解脱への道をたどれるが、それが出来なければ、4.の再生バルトへと移行する。ところが、これらの正しい光、死者にとっては、グリーンや白色の極めて強烈な光なので、恐怖感に先に捕らわれる。だから、正しい光を見極める為にも生前から修行が必要なのだ。
5.再生バルドでは、再び生命バルドに転生する為に幾つかの試練がある。そこで死者は、六道の内、何に生まれ変わるのかが決定される。日本の閻魔の様なヤーマ神が支配する世界だ。
 こうして見ると、日本人の場合は、臨終後、三途の川を渡り、いきなり、2~4を飛ばして、5の再生バルドに入ってしまうが、チベットの場合は、それまでの過程の方が重要なのだ。
 死者の多くが、心の本性のバルドであらゆる生命の根源である「原光」と融和・合体出来ないで終わってしまう。この融和を行う為には、人は、生前から瞑想を行い清らかな光を見分ける力が必要である。
 その根底には、先ほど述べた如来蔵の考え方がある。大乗仏教の中心思想である中観や唯識思想が統合された考え方である。
 人の意識の最も深いところにあるアーラヤ識は、バルドの境界を越えても存在し続ける。また、それは、心のバルドの「原光」に導かれようとする方向に仕向ける働きを持つ。それがあらゆる生命体が持っている仏性であり、菩提心に結びつく。
 この本の「3万年の死の教え」という副題は、こうした、「心のバルド」が死を越えた人間の存在の深い根底にあり、それを瞑想を続ける事で「光」として会得出来ると言う考え方が、チベット以外のオーストラリアの現住民族等にも見られ、それを象徴する絵画も描かれている事を指摘する。
 人間の思考は、「言葉」によって行われる。人類が言葉を会得してからおよそ3万年以上が経過していると考えられる。言葉が生まれてから人類の最も深い思考は、死と再生と自らの意思との関わりへの探求であったと考えられる。それが、この本の著者が訴えたい事なのだと私は考える。
 実は、この「死者の書」は、NHKの特集番組として映像化されている。しかし、映像化されたTVを見るよりも、この本の方が雑念なく、老僧と少年の静かな対話を通じて、チベット仏教の深い世界に入っていける。
 ところで、如来蔵の思想に一番近いと考えられるのが、手塚治虫の『ブッダ』の最初の覚りの場面であり、この場面では、ブッダは、あらゆるこの世の生命が一つの大きな光から生まれて来ている事を知る事になっている。手塚のブッダの覚りは、チベット仏教に近いのだろうか。
 この本は値段は安いが、チベットの仏教絵画の基礎的なものは、如来、菩薩、曼荼羅と殆どが収められており、その精神的背景を知る事が出来る点でお勧めだと思う。特に佛教大学の仏教芸術コースでは、仏教絵画の実習の授業を選択でとる事が出来る。私は、選択しなかったが、チベット仏教の観音菩薩の仏画を描く事が出来る。観音菩薩は、再生バルドに入って既に絶望的な状態となっている死者を、慈悲の心でポア(救済)して下さる有り難い存在である事もこの書物には描かれている。

屏風絵三昧2007/12/07 23:12

LUMIXFZ18で撮影
 今日は、天王寺美術館で開催されている「BIOMBO/屏風 日本の美」を見る機会を得た。
 入場者は少なく、ゆっくりと作品を鑑賞する事が出来た。
 11世紀平安末期から17~18世紀までの約700年間の屏風絵の歴史を見る事が出来た。
 平安末期の屏風絵は、なかなか保存状態が良いものは少ないが、国宝山水屏風は、源氏物語絵巻の画中画として描かれている山水画の姿をそのまま見る事が出来る貴重な作品である。この時代の山水画、近景には、人物が描かれていても、背景の山水と調和し、決して、表面に突出した描かれ方をしない。
 日本における山水画の歴史は水墨画に始まるといっている人もいるが、平安時代には、山水の描かれ方、日本独自の技法が出来ていた事が判る。
 中世に入って、十界図屏風等の宗教的な主題による作品や、日月山水図屏風等の作品が展示されていたが、これらは、宗教儀式にも使用されたと見られ、独特の世界観を大きな画面で示している。平安時代の山水の描かれ方に比べて山の稜線の形等、雄大で見事に象徴化された精神的な風景を表現している。
 その後、室町時代に入って狩野派の四季花鳥図があるが、これらは、写真や印刷物で見れば、つまらないが実物を見ると、鳥の羽毛や、花弁等、実物と見まがう程精緻に描かれている。
 桃山時代に入ると、洛中洛外図、風俗絵、豊国祭礼図、関ヶ原合戦図、阿国歌舞伎図屏風、京大阪屏風、住吉大社図屏風等の景観図の展示が多くなる。
 これらは、屏風の大画面を活かして仮想の近世都市空間を再現している。雄大な地形等の構図を示すスケール感のある描写と、町人や祭礼、寺社の内部等の細密描写が同居している。
 本来は、スケールが異なり、表示する事が出来ないディテールと景観図の同居を可能にしているのが、金色の雲である。この雲のおかげで、全体と細部の調和が見事に採れている。
 特に住吉大社図の白砂青松の表現は実に瑞々しく美しい。こうした屏風があれば広々とした気分に浸れるだろうと思った。
 現代で一番似ているのは、ジオラマである。屏風は角度が変えられる為に立体的に絵を見せる事が出来る。この事もリアリティにつながっていると思う。
 次に目にとまったのは、私が現在研究している源氏物語図屏風である。橋姫、若菜下、柏木等の様々な巻を描いた図を金泥と金雲を配して配置し、屏風として仕上げている。これも金雲のおかげで、源氏物語全体を俯瞰しつつも、全体を1双の屏風絵として仕上げている。
 こうして見ていくと、時代を経るに従って屏風絵の表現の方向性が変化していく。これは、屏風が使用される生活スタイルが年代を経るに従って変化して来た為と考えられる。
 平安期には、寝殿造りの家屋で部屋の仕切として用いられる様になった。この為、屏風絵は、あくまでも装飾品としての色彩が強い。中世以降は、寺院内部に配置され、密閉された空間でも屏風が配置される様になる。作品内容も宗教的主題や、あるいは、山水画を扱っていても、何か超現実的な描画手法が感じられる。
 近世以降は、書院造りの屋敷や城郭の広間等、外界から閉ざされた空間で飾られる様になる。権力を誇示する為の豪華さや装飾品としての役割に加えて、自然や都市景観というものを外界から隔てた存在として、バーチャルに体験するメディアツールとしての役割も担う様になり、ディテール描写の精度も上がっていく。
 この他、世界史の教科書にも登場したレパントの海戦等の西洋画、南蛮屏風等もあり、これはこれで、近世文化の一つの側面を伝えており、興味が持たれた。
 ひとしきり屏風を鑑賞した後は、一階の常設展を鑑賞する事にする。
 常設展では、特集展示「中国の彫刻 山口コレクションを中心に」であり、多くの石窟招来像が展示されていた。ケースにも入れられず、これらの仏達をつぶさに鑑賞出来る事は有り難い事だった。
 特に中国の魏晋南北朝時代から唐時代にかけての仏像彫刻が中心であった。
 特に量的には、北魏、東魏、西魏時代の如来像(頭部)、釈迦、阿弥陀三尊像、観音菩薩像が多かった。
 西暦400年から500年代の中国は、インドからチベットを経て仏教が伝来し、最初の隆盛期を迎えた時代で、多くの大乗仏典の翻訳が行われた。
 当時の庶民には、現世利益の面で、観音信仰が活発であった為に、全長数メートル以上の他の菩薩や如来像に比べて遙かに巨大な石像が造られたものと思われる。
 一方、如来像は、三尊像が多く、大きさは、光背を含めて高さは、40~60センチ、幅は、20~30センチ、奥行きは、15センチ程度の小型なものが多かった。
 蓮台の下の台座や、厨子の回りには、蓮華化生や釈迦の前世の説話等を描いた線刻画が刻まれているが、例えば、中世文学の黒田彰先生の著書『孝子伝の研究』に収載されているような図像も見られ、北魏から西魏の表現様式の共通性が確かめられた。
 また、多くのこれらの如来像は、どの仏様か尊格を見極める事が難しく解説にも具体的な如来名が書かれていなかった。
 非常に暗い照明の部屋に仏様達だけが、光を当てられている立っている。
 こうした如来や菩薩の姿を殆ど誰もいない展示室でじっくり眺めていると何やら心の安らぎが感じられる。
 ゆっくりと歩んでいくと、ある三尊像の前で足が止まった。非常に穏やかな柔和な表情の仏様である。何か女性的なものが感じられる。蓮台の下の台座、あるいは光背の部分には文字が刻まれている。
 ゆっくりと文字を追っていくと、ある学僧が、母親の供養の為に阿弥陀三尊像を造らせた事が書かれていた。裏には、仏説阿弥陀経が刻まれていた。
 1500年の時空を隔てて、仏像が私に語りかけ始めたようだった。

トマソン? 「空」天井から見た世界。2007/12/08 14:50

FZ18で撮影、最大広角であれば、天井の全てが画角に入ってしまう。
 写真は、天王寺美術館の近くにある「空間天井」だ。
 本来、屋根がある部分は全て素通しになっており、空が見えている。
 これは、何の役にも立たない「トマソン物体」なのか、それとも、何か他の深い意味があるのだろうか。
 「空」は、スクリーンと一緒で、晴天には青空が、曇りの日には、鬱陶しい雲が、夜には、星天井に変化する。
 この空天井は、融通無碍に変化し続けるが、それでも、その内側と外側を区別し続ける。
 大乗仏教の「空」は、スクリーンの様なものだというが、境界があるスクリーンである。
 アナログの項目で書いた事があるが、やはり、この「空」は、次元の「境界膜(スクリーン)」であると、すれば、その先には何があるのだろうか。
 人間には、時間を認識する客観的な器官は存在していない。つまり、人間の「識覚」の限界を超える事、それは、時間の概念を抜け出す事である。
 「縁起」は、「論理」であり、「論理」は、時間のシーケンシャルな変化が前提で存在している。
 つまり、時間の概念を抜け出した時には、「縁起」は、消滅する。「これから来るもの」も、「いま、目の前に見えているもの」も、「過ぎ去ったもの」も関係なくなる。
 すなわち、「縁起」が消滅し、人は、「因果」からも解き放たれ、苦しみからの「解脱」も可能になり、「涅槃寂静」の境に至る事が可能になる。
 ところで、往生するという事は、すなわち、解脱し、仏となる事である。だれでも往生すれば、仏になれるが、実際に、この様な有情もの達(全てのものが仏性を有している)がいく事になる「浄土」から「人間世界」を見れば、凄いことになるだろう。
 観音菩薩は、この境界を乗り越えて、人間界の「音」を聞く事が出来る菩薩である。
 彼から見たこの世は、人間の「識」・「思考」が始まってから遙かな未来までが、連続して、並列的に存在している。解脱・往生する前の自分や両親、あるいは、遙かな先祖、はたまた、子孫達の姿まで見る事が出来る筈である。
 但し、菩薩自体は、アーラヤ識は別として、既に、因果による「我」を失っているので、自分自身や生前に縁(えにし)があった人達の存在には気がつかないだろう。
 その慈悲による救済の対象と映っても、それ以上の対象には成り得ないのである。