ダライ・ラマの宇宙論と(蓮華)化生のつながり2008/04/16 23:48

 今週の日曜日に仏教美術史のテキスト履修の最終試験がある。
 安藤佳香先生は、蓮華化生という、先生に出逢うまでは、殆ど馴染みがない言葉を使われたので、非常に新鮮であった。
 「化生」という概念は、例えば、霊木化現仏という言葉があるが、この「化現」とはどうことなるのか等も気になる。
 レポートには、インド神話のビシュヌ神がブラフマーと産む際に臍から茎が伸びて、そこから蓮華が開花し、その上にブラフマーが産まれたという事になっている。
 こうしたことから見れば、ビシュヌ神は、宇宙の外にいる事になる、ブラフマーは創造神であり、宇宙そのものを創造された。
 先日、紹介したダライ・ラマ『科学への旅』では、宇宙論が紹介されているが、宇宙そのものが、生命の総体であるとの概念があり、つまり、地球やその他の天体を形作っている物質も、私たちの身体も同じ根源から出来ているという概念である。
 アビダルマの「四生」説を引かれ、1、胎生(母胎から産まれる。2、卵生(卵から産まれる。)3、熱と湿り気が産まれる。(虫等のことか)、4,忽然と産まれる(化生)という事になり、化生の概念も四生説に挙げられている。
 チャーンドラキルティは、「感覚ある生の世界は心から生じる。」
 と定義しているが、これは、心→意図→行為→発生という業(カルマ)に属している。
 チャーンドラキルティは、龍樹中論の後継者とされているが、「空」については、4つの位相が存在するとしている。
①形あるものは空である。それは、現象世界が空であるという考え方
②空は実に形あるものである。
③形あるものは、空以外のものではない。
④空は形あるもの以外ではない。
 結局、「空」は、私たちが意識している現象の中に存在し、様々な実体に変化をするという事になる。つまり、実体はあるが、形はないという状態が「空」という事になる。
 実体が現象として意識されるのが宇宙であり、生命である。
 空論に至れば、アビダルマの四生は生命の誕生のみにとらわれる事なく、あらゆる事情に当て嵌まる事である。つまり、1~3迄は、何らかの前段階の変化過程を経て、実体が現象として意識される存在となるが、4は、その前段階を経ずにそのまま実体化するという事になる。
 インド神話では、ブラフマーが蓮華の花の上に誕生したが、その根源を遡ろうと茎の中に入ってみたが、何も判らなかったという話もある。
 つまり、実体が無い段階では、意識できないので、そうなってしまうのである。
 実体はないが、心意を受けて、ある一定の方向のエネルギーの段階(宇宙の生命エネルギー総体)というべきものを経て、命・霊現あるものと認識される実体を表すというのが、発生の過程である。
 そうなれば、蓮華化生も蓮華は、単なるエネルギーの変換器に過ぎない。
 霊木化現仏は、心意(霊木についている神威)を受けて、樹木の過程を経て、仏として誕生するという事になり、4生説で忽然と姿を現すというには、少し異なるが、プロセス自体には、大きな違いはない。
 安藤先生のグプタ朝唐草に見られるエネルギーの奔流は一定の渦巻き状のベクトルを経て収斂し、実体化するもので、これは、(宇宙の生命エネルギーの総体が一つの方向に動き始めた段階)を示している。
 写真の真ん中は、安藤先生のグプタ朝唐草の東伝から拝借したものであるが、ダライ・ラマやチャーンドラキルティの考えによれば、右側の宇宙の生成のエネルギーの流れも見ようによっては、位相は同じであるという事になる。
 仏像の姿も化生理論で見れば、エネルギーが一時的にその様な姿に変換、化現しているという見方になるのだろう。
 そして、生命も宇宙も全て、1つの源につながっている。そう、あのビシュヌ神から発生された心意である。

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