「夢の超特急」、もはや、過去の言葉に ― 2008/08/19 22:44
夢の超特急こと、新幹線ひかり号(0系)が開通式を行ったのは、1964年。
当時のTV放送を記憶している。正面のヘッドライトを目映いばかりに輝かせながら、疾走するひかり号を上空から捉えた映画ニュースであった。
夢の超特急の名称は、私が誕生した1960年頃には、既に出ており、2歳か3歳位に買ってもらった絵本やオモチャにも登場。
当時は、車両の塗装も決定しておらず、最初に手にしたオモチャは、東北新幹線か何かの様な草色で、近鉄特急の様なストライプが入っていた。
最後に0系に乗車したのは、山陽新幹線のこだまであったが、車両のマテリアル等は、さすが昭和レトロという部分があったが、基本的な構造は、現在でも変わっておらず、40年以上も前の設計の機械としては、日本の技術開発の奇跡ともいうべき先端性を示している。
右は、雷鳥号である。この車両で小学校の修学旅行に最寄りの駅から乗車して、京都駅経由で伊勢路に向かったのを今でも鮮やかに記憶している。
0系・雷鳥号ともお別れの時が近づいている。
それでも0系で新大阪→博多を出張に行きたいとは、思わない。やはりレールスターに乗りたい。
当時のTV放送を記憶している。正面のヘッドライトを目映いばかりに輝かせながら、疾走するひかり号を上空から捉えた映画ニュースであった。
夢の超特急の名称は、私が誕生した1960年頃には、既に出ており、2歳か3歳位に買ってもらった絵本やオモチャにも登場。
当時は、車両の塗装も決定しておらず、最初に手にしたオモチャは、東北新幹線か何かの様な草色で、近鉄特急の様なストライプが入っていた。
最後に0系に乗車したのは、山陽新幹線のこだまであったが、車両のマテリアル等は、さすが昭和レトロという部分があったが、基本的な構造は、現在でも変わっておらず、40年以上も前の設計の機械としては、日本の技術開発の奇跡ともいうべき先端性を示している。
右は、雷鳥号である。この車両で小学校の修学旅行に最寄りの駅から乗車して、京都駅経由で伊勢路に向かったのを今でも鮮やかに記憶している。
0系・雷鳥号ともお別れの時が近づいている。
それでも0系で新大阪→博多を出張に行きたいとは、思わない。やはりレールスターに乗りたい。

最近のコメント