大阪モノレールは素晴らしい!!2009/03/18 00:03

 CO2の排出抑制、交通の混雑等から、都市公共交通のあり方が注目されており、特に鉄道は、地球に優しい交通機関として、利用が奨励される様になってきた。

 しかし、JR福知山線の事故にみられる様な安全リスクの問題、大手私鉄経営にみられる様な、営利を優先するあまりに乗員も乗客も人間疎外の状況に追い込まれている暗いイメージ。こうして、本来は、安全で明るい通勤・通学の場である電車が今や、人身事故の現場となるケースも後を絶たない。

 一方、大阪や京都地下鉄等市営鉄道経営の採算赤字の問題等、色々な問題が山積されている。

 実際に大手私鉄線をラッシュ時に利用していて、「タルイなー、不便だなー」と思いながらも皆さん我慢して乗車しているのが現状ではないだろうか。

 結局、私鉄の発展史の中で、郊外住宅地がスプロールしていくのに同調して鉄道網が大阪都心を焦点として拡大していったが為に、周辺の都市開発が進めば進むほど、乗車・通勤時間が長くなっていく。こうした乗客離れを防ぎ、自社の乗客数を確保する為に、無謀・無理な運行スケジュールが立てられて、その挙げ句にJR脱線事故の様な事件を引き起こしてしまうジレンマに陥っているのが、今の鉄道経営の現状である。

 都市・住宅開発や商圏の展開と無縁のところにある市営鉄道は、慢性的に赤字である。鉄道経営だけを独立させて採算が成り立たないのが実情である。こうして、第3セクターの問題やら、利用者がこうした不便さから逃れる為にマイカー通勤が発達して、車社会が一層、酷くなっているのが、現代の交通社会の姿である。


 こんな中で、大阪モノレールは、ギネスブックに掲載される程の長距離路線でありながら、このアンケート結果の様に4項目で顧客の満足度が70点以上を達成している。
 人々は、今や、何も「満員電車」に乗車しなくても、クルマに乗らなくても、生活都市圏を自由に、快適に移動出来ることを知ったのである。

 大阪モノレールの工事は、1980年代から開始され、私が関大の学生時代に阪急千里線山田駅の近くに居られる先生の元にクラシックギターを習いに毎週通っていたが、自宅から2時間近くかかってしまうので、「早く蛍池までモノレールが開通せんかなー。そうしたら大学通学もめちゃくちゃ楽になるのに。」と思っていた。
 弟は、満員電車を嫌って、バイクで自宅から関大に通学していたが、交通事故に遭ってしまった。まさに、通学地獄である。モノレールが出来ていたら、こんな目に遭わずに済んだのに。結局、待ちに待ったモノレールが開通するまでに、それから20年近く経過してしまった。

 ところが、このモノレールの開通当初、私鉄が満員電車になる時間帯、夕方6時~7時でもガラガラであった。

 当時は、蛍池から千里方面に出かけるのにも十三まで出て、千里山線の乗り換える客が多かった。しかし、実際に試しに乗車してみると、見かけの様なトロさはなくて、むしろ阪急等よりもずっとスピーディに目的地に到達することが出来ることが判って、乗客数が増えていった。そうして、利用度が上がるにともない顧客の評価もこのグラフの様に上昇しているのである。

 大阪モノレールがヒットした要因としては、その速度だけではないと思う。路線設定がこれまでの鉄道経営、計画にみられなかったものである。それは、焦点である大阪都心を経由せずに阪急宝塚生活文化衛星都市圏と千里山ニュータウンを中心とする生活文化衛星都市圏、茨木・高槻、門真、守口の京都近郊に至る生活文化衛星圏を周円的に直接、結合したことが挙げられる。

 これで都市近郊の居住者の生活交流が、大阪都心を経由せずに実現する様になった。こうした鉄道計画は、大手私鉄が、大阪都心を中心とした集権的な経済圏を結合し、住宅地を開発していったやり方とは、全く異なる。つまり、住宅や土地、百貨店の顧客確保の為の鉄道経営ではなくて、住民の生活文化が優先されている。

 最近、彩都開発をめぐって、これまで、敵対・競合的態度をとり、南茨木には、急行さえも停車させなかった大手私鉄企業が、モノレールに近づいてきている。しかし、私鉄経営は、利用者よりも自社利益が優先するので、その辺りを十分に警戒すべきである。つまり、本来のモノレールの輸送キャパシティー以上の顧客動員を計画しているので、利用者の利便性や安全が阻害される懸念がある訳だ。

 それよりも、現状のモノレール路線を更に北進させ、亀岡辺りまで伸ばして、京都とリンクし、京都の生活文化圏と北摂生活圏を直接結合すれば、関西の都市生活者の暮らしは、一層豊かになると考えている。結局は、内需主導の時代の消費経済の拡大という資本主義的な利益さえももたらすだろう。

 実際に明治時代には、この様な計画が立てられていたが、私鉄の経済優先主義に打ち消されて、そのままの状態が100年以上も続いているのである。それが、江戸時代には、関東と互角もしくはそれ以上の存在であった関西経済の隆盛から地盤沈下につながっていったと私は常々考えている。

何が、「サムライJAPAN」だ。2009/03/18 22:17

 WBC日本対韓国戦の結果が、帰宅中に電車内の人が読んでいるスポーツ紙に既に掲載されている。

 ダルビッシュが打たれたことよりも、イチローの不調の方を悪く書いている新聞が多い。

 顔をしかめてサラリーマンのオジサンが広げている新聞を顔が真っ黒けでスポーツのし過ぎ(恐らく野球か)で痩せている少年が覗き込んでいる。
 「なんで、イチローばかり悪者扱いされるやろうか?」と言いたそうである。

 少年はオジサンが降りると、5年3組のお別れの文集(恐らくクラスの仲間と作ったのだろう。)を屈託のない笑顔で読んでおり、先ほどの暗い表情はどこかに消えてしまった。


 こうした光景をみると、「坊や!これが日本の兵隊さんだ。覚えておくんだぞ。」と終戦後、アメリカ占領軍の進駐を控えて、天皇陛下の御紋章が刻まれている銃身を鏨で削り落としている兵隊を目の前にしながら、少年に話しかけている老人の姿が浮かんできた。

 『折口信夫の晩年』の著者、岡野弘彦氏が作品の中で書いていた光景である。

 実に悔しいが、韓国人にとっても、日本に負けることは、人間の存在そのものが否定される程、悔しいことなので、愛国心をかけて、選手は日本に、それこそ必死に立ち向かっていることを日本人は忘れて、油断していたのだ。

 民族の気概を賭けた、これは戦いである。そうして、1000年以上の歴史を持つ、日本と朝鮮との宿命的対決に今回は負けたのである。

 ダルビッシュの投げたボールには失投というものはなく、全て指示された通りの投球だ。つまり、ダルビッシュがどのコースがボールを投げてくるのか全て読まれていた。それ程、韓国人のバッターには迷いがなかった。

 日本人には、やはり、「皇国の興廃この1戦にあり!」」といった覚悟が欠けており、イチローの表情にも迷いがみられていた。

 何が、「サムライJAPAN」だ。 

 日本人の勝負弱さは、太平洋戦争の後半以降、顕著となっている。命を賭けた戦いであるのだが、何か、迷いというものが感じられ続けている。

 それは、こうした国運をかけた戦(いくさ)に、象徴される鎌倉武士以来の本地垂迹信仰に基づく、日本人の精神力というものが、今や失われてしまったことが、この国の60年間の敗北の歴史につながっているのだと思う。

 技術力で負けたというよりもやはり、国家が一丸となって団結する精神力というものがなくなっている為に、日本人が弱くなってしまったのだと少年の表情をみていて感じた次第である。