『夢の棲む街・遠近法』(山尾悠子,1982,三一書房)2009/03/28 23:12

『夢の棲む街・遠近法』(山尾悠子,1982,三一書房)

 佛教大学の斉藤英喜先生のブログ
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=504046&start=11&log=200903&maxcount=18

 「腸詰宇宙」の神話世界の記事で、紹介されていたこの本、是非とも読んでみたくなり、EeePCを川西市立図書館に持参し、このブログを表示させて、更に館内の検索システムで該当図書を探し出した。閉架であったので、係の人に出庫してきてもらう。

 こうゆう時にEeePcは、本当に便利、凄く軽いので、鞄に入れても重さが気にならないし、スタンバイモードを入れるとバッテリーは、数時間も保つので、本当に本を持ち運びしている様な感覚で使用出来る。やっとモバイルノートが、「拡張脳」としての機能を発揮し出した。

 この腸詰宇宙とは、山尾の「遠近法」の中に記載されている文章の中で書かれている。

 PC9801の時代にTOKIO(トキオ)という街づくりシュミレーションゲームがあった。これは、東京都に新しい宇宙区が誕生し、ゲーマーが区長さんになって街を開発していくものであった。

 その街の構造が、「腸詰宇宙」描かれたものと類似している様な気がする。この宇宙は、円柱の中央が空洞で天地が開いている。

 そして、トキオの街区と同じ様に無数の回廊が存在して、その内側に人々が棲んでいる。トキオの場合は、人工重力の為に回転している円柱の内部に人間が住む仕掛けだが、この場合は、違うらしい。

 世界の構造が中空の円柱形なのである。つまり、結果的には、空間は、クラインの壺と同じ閉ざされた空間を表現している。

 これは、境界も表裏の区別ももたない曲面の一種で、トポロジーで扱われる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%A3%BA
 
 中学の時(数研でトポロジーを研究していた)にクラインの壺の概念模型を作ってみた。その展開図自体が数学の問題の様なものである。結局、3次元と4次元時空の境界線の構造を現している。

 それは、一見すると棘皮動物の様な構造を有している。つまり、Holothuroidea的な様態なのである。

 なぜ、山尾がこんな宇宙を考えたのだろうか。それは、山尾の描く「夢の棲む街」は、実は、時空の隔たりを越えた4次元空間であり、夢に棲む人間や動物達が自由に時空を行き来出来るからだ。

 山尾の文章は、その4次元世界を3次元的視点から透写した空間を描いているので実に不気味である。

 この「腸詰宇宙」は、ナマコの消化管の様に、1つの循環系を示している。山尾の文章によると、その時空の特殊性は、回廊を支えている「人像柱」に表現される。
 「それは上下対象なので、ある朝目覚めた時に、砂時計を逆さまに置き換える様に上下が入れ替わっていたとしても、人々は、それに気づくことはないだろう。」
 つまり、その宇宙に棲む人々は、時間の経過には気づかない。
 しかし、それは、飛翔と落下が一致し、太陽の折り返す頂上の極みと奈落の底の闇の極みが対照する世界である。
 そうして、生と死、光と闇が循環することで世界の調和が保たれている。
 
 その後、こういった世界に棲まっている人間達のイニシエーション等も描写されている。この辺り、ジョージ・ルーカスの「THX-1138」的な悪夢の世界だと思う。

 光と闇、清と濁が一つの構造体として成り立つ世界観は、例えば、平田篤胤の霊の真柱の瓢箪型宇宙・世界観にもみられ、人間の世界観の根底にある奇妙な共通要素の様な気がしないでもない。

 こうした観点からみれば、やはり、神話の世界を研究されている斎藤先生のお眼鏡に適う本であったのだろう。

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