怨念と共に滅んでいった平家の公達がまるで生きているかの様に2009/06/08 21:11

 「琵琶法師と、地霊・竜王信仰との関わりは、盲目という独特な肉体的条件によって研ぎ澄まされた感性による異界との交流を可能にすることといった背景、長い年月に亘って実現されてきたスピリチュアリティの中にある。」

 この仮説について、ラフカディオ・ヘルンの「耳無し芳一」を例に挙げて著書は、読者に説得しようと目論んでいたが、見事、その目的は、成し遂げられたと思う。

 琵琶法師の琵琶には、独特のサワリというノイズ発生装置があるが、そのノイズも異界のモノをこの世に語りで出現させる為に媒体である。

 琵琶法師は、怨念と共に滅んでいった平家の公達がまるで生きているかの様に語りによって出現させる。

 平家物語の文体は、主述の関係が曖昧になる場合や、視点導入の位置関係等にも特色があり、それは、語り物ならでは、成立事情から経験的に練られて来たものである。

 平家物語は、琵琶法師達が語りを重ねることで組み立てられてきた物語である。それは、平家琵琶という楽器の歴史をみても判る。

 琵琶法師達の故郷は九州地方である。恐らくは、平家が滅んだ西国で平家にちなむ物語を盲目の琵琶法師達が素朴に語り継ぐことでこの長編物語が形作られていったのだろう。

 平家琵琶は、雅楽琵琶とはことなり、5柱(5個のフレット)があり、それも琴柱の様に高くて、その間を抑える形態である。これは、恐らくは、西日本の盲僧琵琶にルーツを持つものだろう。深く高い柱の間を抑えることで音程が変化が自在につけられる様になり、表現の幅が広がった。(付録DVDで、俊徳丸の演目で、呪いの釘を打つ場面、最後の釘を打つ時の響きを聴いて欲しい。)

 平家琵琶は、盲僧琵琶よりも小振りで、優雅である。これは、宮中での平家語りが活発に行われた結果、形状が変化したものだろう。

 平家が滅んで、西海に沈んでいった安徳天皇の祟りともいうべき天変地異が都を襲い、寺院伽藍が崩れ落ちる等、恐ろしい出来事が次から次へと起こる。

 その霊鎮めの儀式として、大懴法院が慈円の発案によって設立される。そこには、浄土宗の聖覚や顕密の僧侶、説教師、陰陽師、験者、琵琶法師等の唱導に携わるものが一斉に集められた。

 こうした環境の中で、平家(安徳天皇)の鎮魂の為に語りモノが集大成され、やがては、覚一本等の平家物語の成立につながっていったのではないだろうか。また、琵琶法師の語りは、説教節(説教浄瑠璃)等にも影響与えていくことになる仏教芸能の多彩な隆興にも帰依していった。

 元々、モノ語りとは、こうした霊鎮めの為に非業の死を遂げた英雄や悲惨な最後を遂げた憐れな人達の為に、この世にある人達が、語り、偲ぶという行為であった。(折口信夫の国文学の発生等を参照)

 霊鎮めの語り物として、平家物語が纏まってから、琵琶法師達は、畿内はもとより、中世の地域信仰とも密接なつながりを持ち溶け込んでいった。こうした中で、琵琶法師そのものの信仰も生まれていき、蝉丸神社等とのつながりも、その例である。

 新しく生まれた語りが、在地神と、その信仰の中に融合し、根を下ろしていったのである。琵琶法師は、その特異な風貌から、シャーマニズム的な側面ももっていたのである。

 中世後期以降は、琵琶法師は、足利将軍家の庇護や制約を受けることになる。こうして琵琶法師は、江戸時代に至るまで、権力との結びつきもあり、職階制となり、他の遊芸者や散所者を差別していくことになる。
 
 同時琵琶法師によって語られる平家物語は、応仁の乱以降の中央から地方への文化の波及の動きの中で、伝播していき、東北や筑前等の琵琶法師のルーツとなっていった。

 つまり、琵琶法師の芸能はもともとは地方文化であったが、それが、中央での洗練の過程を経て、再び地方に根づくといった複雑な歴史を持った芸能であったことが、この本で初めて明らかにされたのである。

 この他、柳田や折口等が琵琶法師や浄瑠璃等の芸能をどの様にみてきたか、特に地域神との関わりの中で、位置づけ等も論じられている。

 以上、私のこの本を読んで理解した点であるが、誤解もあると思う。それでも、私なりにこの本を読んで、仏教芸能や中世軍記文学のあり方等について新しい発見をもたらしてくれた優れた著作であると思う。

 付録の映像DVDでは、盲目の琵琶法師が聞き手の私たち以外にその場にいる異界のモノ達と如何にスピリチュアルな交流をしているかがみることが出来て、興味深い。