紀元1世紀に記されたアビダルマを読む ― 2009/09/04 23:43
「シルクロード文字を辿って」という展覧会が京都国立博物館で9月6日(日)まで開催されている。
拝観料は、一般大人で1200円。もうすぐ会期終了になるので、午後8時まで参観可能な最後の金曜日である今日、京都まで出かけてきた。
実に素晴らしい!!!
特に佛教大学で仏教学や仏教文化、仏教芸術を学ばれている方は是非、みてほしいと思う。きっと松田先生は、全員にみてくる様にと言われていると思う。
それ位、重要な展覧会だと思う。
シルクロードと言っても、紀元一世紀頃から12~13世紀、チベット仏教を含めて広汎な時代が扱われている。
大部分は、経典類であるが、これが凄い!!
シルクロードは、多種多様な文化が交流したところであるので、言語文化や文字の種類は驚く程多い。しかし、国際宗教である仏教を根底に各種の言語が結集し、1つの文化を形成した。
同じ仏典でもそれぞれ別の言語で表記、表現しなければならないので、辞書、音義の必要性が生じた。
日本にも玉篇や、新選字鏡、名義抄等多種多様の古辞書、音義、節博士、訓点が伝えられているが、そのルーツは恐らくシルクロードで生まれたのだと思う。
経典は、万国共通のテキストであった。各種言語で表現される経典の冒頭に経典内に登場する文字の発音、音義の凡例を記した。
おそらくこれが、玉篇等に発展する音義・辞書の最初であると考えられる。最初は経典に付随されたものであるが、それが徐々に独立していき、経典の一部を抜き出したりして、辞書が形成される様になった。
同じ経典でも、同じ地域にサンスクリット表記から、ウイグル文字、ソグド文字、西夏文字、漢字等多種多様の写本が存在したのがシルクロードの文字世界の特色である。
この展覧会はロシアの探検隊が収集した資料が中心であるが中には、非常に貴重なものもある。
釈尊が入滅されて600年位しか経過していない時に貝葉に記されたアビダルマ仏典や法句経、阿含経典等は、非常に重要である。つまり、大乗仏教の初期の時代の仏典を今回の展示で見ることが出来た。
しかし、これらの貝葉で描かれた文字は私には判読出来なかった。さすがにサンスクリット文字が読めない時は、非常にガッカリした。
大慈恩寺にある三蔵法師の伝記がもともと漢文で記されていたものが、西夏語に翻訳されたもの。漢訳仏典がチベット語で書かれた裏紙の表面に描かれる等、まさに、文字と人種の坩堝である。
大般若経、大般涅槃教、法華経、維摩経、華厳教等々、ジャータカ、仏教説話等多種多彩な仏教文化の宝庫である。
こうしてみると、漢訳仏典があって本当に良かったと思った。とにかく法華経でも華厳経でも阿含経でも私には、6~7割は経典の内容が理解出来るので、その資料、経典の重要性が理解出来るである。
その中で印象に残ったのが、8~9世紀に写された「月上女経」、「仏説諸福田経」、「大宝積経」等である。これらは、非常に読みやすい書体で書かれていた。
福田思想は、シルクロードの仏教思想、仏教文化の根幹を成す思想である。これは、「旅人に水と食事を」という布施をほどこすことで来世には恩恵を受けるという考え方である。
この福田思想は、中国文化にも受け継がれ、9~10世紀頃に成立した陽明文庫本孝子伝にも引用されている。西域で行われていた仏教思想が中国→日本へと伝来したのである。
佛教大学の中世文学の黒田彰先生は、その著書や講義でも福田思想について扱われた。私も通信大学院のゼミで先生の講義を受けたが、その時に池見先生も見学にいらしていて、黒田先生から福田思想と日本の佛教思想との関係等についての意見を求められていたのが想い出される。
また、ホータンからは、経典類と主に仏画も出土しており、それらの如来や菩薩の図像は、ニヤ遺跡と同様の鉄線描で描かれていた。更に、詳しい文様をみると、グプタ朝唐草が発見出来たりして、シルクロードの仏教文化全体の広がりを知るために貴重な展覧会であった。
また、女人の変成男子に纏わる経典も展示されていた。その内容を読み進めると、女人往生の為に必要な経典として法華経、無量寿経、薬師如来に纏わる経典等が挙げられていた。
面白いのは、文字や経典が理解出来ない女人でも、変成男子となり、往生の本懐を遂げる為には、阿弥陀仏や薬師如来等の名号を唱えれば良いという内容が記されていた。
これは、道綽、善導、法然と続く浄土教と専修念仏の思想にも結びつくものであり、お念仏のルーツとして、女人往生が大きな役割を果たしていたのでないかと考えるに至った。
帰路、図録が2000円であったが、惜しげもなく買って帰った。
今日は、経典三昧の一日であったが、非常に有意義であった。
本当に経典が読めて理解できることの大切さを改めて悟った。
また、こうした経典を読んでいると、仏教学概論で習った上座部仏教や大乗仏教の思想に出てくる仏教語の大部分が登場した。参考書や教科書等でこれらの「言葉」をいくら暗記してもつまらないが、経典を読んでその中にこれらの「言葉」が出てきたら、「なる程!」と気づかせられることも多く、仏教理論を学ぶ場合も、実際に同時代に記された仏典・経典を読み学ぶことが、第一であると思った。
拝観料は、一般大人で1200円。もうすぐ会期終了になるので、午後8時まで参観可能な最後の金曜日である今日、京都まで出かけてきた。
実に素晴らしい!!!
特に佛教大学で仏教学や仏教文化、仏教芸術を学ばれている方は是非、みてほしいと思う。きっと松田先生は、全員にみてくる様にと言われていると思う。
それ位、重要な展覧会だと思う。
シルクロードと言っても、紀元一世紀頃から12~13世紀、チベット仏教を含めて広汎な時代が扱われている。
大部分は、経典類であるが、これが凄い!!
シルクロードは、多種多様な文化が交流したところであるので、言語文化や文字の種類は驚く程多い。しかし、国際宗教である仏教を根底に各種の言語が結集し、1つの文化を形成した。
同じ仏典でもそれぞれ別の言語で表記、表現しなければならないので、辞書、音義の必要性が生じた。
日本にも玉篇や、新選字鏡、名義抄等多種多様の古辞書、音義、節博士、訓点が伝えられているが、そのルーツは恐らくシルクロードで生まれたのだと思う。
経典は、万国共通のテキストであった。各種言語で表現される経典の冒頭に経典内に登場する文字の発音、音義の凡例を記した。
おそらくこれが、玉篇等に発展する音義・辞書の最初であると考えられる。最初は経典に付随されたものであるが、それが徐々に独立していき、経典の一部を抜き出したりして、辞書が形成される様になった。
同じ経典でも、同じ地域にサンスクリット表記から、ウイグル文字、ソグド文字、西夏文字、漢字等多種多様の写本が存在したのがシルクロードの文字世界の特色である。
この展覧会はロシアの探検隊が収集した資料が中心であるが中には、非常に貴重なものもある。
釈尊が入滅されて600年位しか経過していない時に貝葉に記されたアビダルマ仏典や法句経、阿含経典等は、非常に重要である。つまり、大乗仏教の初期の時代の仏典を今回の展示で見ることが出来た。
しかし、これらの貝葉で描かれた文字は私には判読出来なかった。さすがにサンスクリット文字が読めない時は、非常にガッカリした。
大慈恩寺にある三蔵法師の伝記がもともと漢文で記されていたものが、西夏語に翻訳されたもの。漢訳仏典がチベット語で書かれた裏紙の表面に描かれる等、まさに、文字と人種の坩堝である。
大般若経、大般涅槃教、法華経、維摩経、華厳教等々、ジャータカ、仏教説話等多種多彩な仏教文化の宝庫である。
こうしてみると、漢訳仏典があって本当に良かったと思った。とにかく法華経でも華厳経でも阿含経でも私には、6~7割は経典の内容が理解出来るので、その資料、経典の重要性が理解出来るである。
その中で印象に残ったのが、8~9世紀に写された「月上女経」、「仏説諸福田経」、「大宝積経」等である。これらは、非常に読みやすい書体で書かれていた。
福田思想は、シルクロードの仏教思想、仏教文化の根幹を成す思想である。これは、「旅人に水と食事を」という布施をほどこすことで来世には恩恵を受けるという考え方である。
この福田思想は、中国文化にも受け継がれ、9~10世紀頃に成立した陽明文庫本孝子伝にも引用されている。西域で行われていた仏教思想が中国→日本へと伝来したのである。
佛教大学の中世文学の黒田彰先生は、その著書や講義でも福田思想について扱われた。私も通信大学院のゼミで先生の講義を受けたが、その時に池見先生も見学にいらしていて、黒田先生から福田思想と日本の佛教思想との関係等についての意見を求められていたのが想い出される。
また、ホータンからは、経典類と主に仏画も出土しており、それらの如来や菩薩の図像は、ニヤ遺跡と同様の鉄線描で描かれていた。更に、詳しい文様をみると、グプタ朝唐草が発見出来たりして、シルクロードの仏教文化全体の広がりを知るために貴重な展覧会であった。
また、女人の変成男子に纏わる経典も展示されていた。その内容を読み進めると、女人往生の為に必要な経典として法華経、無量寿経、薬師如来に纏わる経典等が挙げられていた。
面白いのは、文字や経典が理解出来ない女人でも、変成男子となり、往生の本懐を遂げる為には、阿弥陀仏や薬師如来等の名号を唱えれば良いという内容が記されていた。
これは、道綽、善導、法然と続く浄土教と専修念仏の思想にも結びつくものであり、お念仏のルーツとして、女人往生が大きな役割を果たしていたのでないかと考えるに至った。
帰路、図録が2000円であったが、惜しげもなく買って帰った。
今日は、経典三昧の一日であったが、非常に有意義であった。
本当に経典が読めて理解できることの大切さを改めて悟った。
また、こうした経典を読んでいると、仏教学概論で習った上座部仏教や大乗仏教の思想に出てくる仏教語の大部分が登場した。参考書や教科書等でこれらの「言葉」をいくら暗記してもつまらないが、経典を読んでその中にこれらの「言葉」が出てきたら、「なる程!」と気づかせられることも多く、仏教理論を学ぶ場合も、実際に同時代に記された仏典・経典を読み学ぶことが、第一であると思った。
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