結局、それぞれのポリシーで、「元伊勢」の地がどこにあるかを、決めておけばよいのだと思う。2009/11/17 22:49

 今日、京都三井ビルにある佛教大学四条センターで斎藤英喜先生の講演を聴く。

 会場は、驚く程の満員で、先生の人気の高さは凄い。

 テーマは、「京都に棲まうアマテラス」なかなか面白い内容だった。

 中世・応仁の乱前後の京都は、疫病が流行った。戦乱と流行病を鎮める為に、伊勢の地からアマテラス大御神を祀った神明社が分霊され、京都市内各地に作られていく様になる。

 主なものでも、高松神神社、粟田口神明社、頼政神明、日降神明、伊勢大神宮、榊宮、朝日神明、高橋神明、宇治神明、そして、吉田神社(写真)である。

 興味深いのは、必ずしも総てが伊勢本宮の許可を得て分霊されたものではなくて、無断のものや了解を得ていないものもみられた。特に粟田口神明社は、公式の御願ではなくて唱聞師によるいかがわしいものとして避難されたようだ。

 結局のところ、都に多くの神明社が分霊されることでお伊勢さん、特に内宮の神威が損なわれることを心配したようだ。

 いくつか社をみせていただいたが、共通しているのは、縦横の千木削ぎ方の形状で、内宮と外宮とでは、当然異なるが、先生は指摘されなかったが、総ての千木が「通し千木」であるということが神明社としての権威を示している。

 色々と神社建築を研究したが、通し千木がおける社は、豊明様式(伊勢の権威)を示す社に限定されており、出雲大社、住吉大社でも置き千木である。

 最大の権威である吉田神社は、卜部家の権威を示し、中世吉田神道(吉田兼倶)の元祖となったところである。卜部家のシンボルでる亀甲(占いに用いた)をシンボル化した社殿の屋根の形状、内宮と外宮が合成された千木、そして仏教との習合さえも示す宝珠である。

 結局、中世伊勢神道は、応仁の乱前後の神明社の勧請が大きなきっかけになった事を示唆しており、日本神道史の中でも重要な出来事だった。

 京都の神明社については、先生によれば、未だ総てが解明されていないということで、これらの調査を進めていくことで、新たな中世神道の姿を浮かび上がらせることで出来るかも。

 でも、中には、ビルの谷間に小さなお社があるだけだったり、結構、チャッチイものが多い。それそれで面白みがあるので、一度、調査してみようと思う。

 講義の後半は、所謂、「元伊勢」について。「元伊勢」については、古くは、日本書記に典拠があるが、特に、丹後の国、籠神社は、伊勢外宮祭神のトヨウケとも関連が深く、中世神道の展開の中で、外宮勢力によって、「元伊勢」の権威が、天御中主大神に神威にフューチャーアップされた経緯がある。

 「元伊勢」とは、伊勢神宮にアマテラスがお祀りされる以前に最初は、大和、近江、美濃、そして伊勢の地に辿り着く経緯の中で、日本書記の記述にはない、その途中に、丹後吉佐宮に立ち寄った伝承を含めて言われる信仰である。

 「元伊勢」の地をめぐって、現在でも福知山市大江町と京都府宮津市にあったと主張する人達が峻烈な対立抗争を繰り広げている。明治政府が、正統な「元伊勢」として認定した大江町を主張する人も多い。

 今年の5月に、このブログにも書いたが、京都府立丹後郷土資料館(ふるさとミュージアム丹後)で開催された文化財講座「アマテラス神話と中世伊勢信仰」(講師、佛教大学 斎藤英喜先生)を受講する為にはるばる天橋立まで日帰り旅行した。
http://fry.asablo.jp/blog/2009/05/23/4320615

 その折りにも「大江町説」を主張される人が、当日の先生が提示された資料である「倭姫命世記」「御鎮座伝記」、「御鎮座次第記」、「丹後國一宮深秘」等の資料が、「果たして正統な根拠あるのか、疑問であると。」と、鋭い反論をされた郷土史家風の人が恐かったことを覚えている。

 結局、中世伊勢神道、元伊勢信仰に纏わる資料については、独自資料であり、日本の文献史等を俯瞰しても、独自資料の正当性を証明することは、新たな資料の発見か、あるいは、籠神社等を発掘して、元伊勢伝承を裏付ける様な祭祀施設等が発見されれば、証明が可能であるが、現状では、その様なことは不可能であるので、学問的実証することは出来ないと思う。

 結局、それぞれのポリシーで、「元伊勢」の地がどこにあるかを、決めておけばよいのだと思う。

 先生は、抜け目なく、「詳しいことは、私が書いた『読み替えられた日本神話』を参考にして下さい。立ち読みではなくて、本当に買って下さいよ。」と宣伝された。

 講座が終わると外は真っ暗で、冷たい雨が未だ降り続いていた。今日聴いた、「元伊勢」のお話は、今年5月から半年の間をおいて、斎藤先生が新たな結論を提起してくれたと思うので、今年の神道・神話に関する学習の私なりの締めくくりになったのではと満足した。