10.すべて人はかならず歌をよむべきものなる内にも、学問をする者は、なほさらよまではかなはぬわざ也2009/12/31 09:46

○さて、上にいへるごとく、二典の次には、万葉集をよく学ぶべし。みづからも、古風の歌をまなびてよむべし。すべて人はかならず歌をよむべきものなる内にも、学問をする者は、なほさらよまではかなはぬわざ也。歌をよまでは、古の世のくはしき意(こころ)、風雅のおもむきはしりがたし。

 さて、これまで述べてきた様な古事記、日本書記の次には、万葉集をよく学ぶべきことだ。そうして、自分でも(万葉集の様な古代人の心を宿した)古風な歌を学びて詠んでみることだ。総て、人はかならず歌をよむべきもの(古今集の仮名序の様に)なる中にも、学問をする人間は、尚更、歌を詠まなくてはどうしようもない。歌を詠めなくて、どうして古き世の風雅の心を知ることが出来ようか。


○万葉の歌の中にても、やすらかに長高くのびらかなるすがたをならひてよむべし、又、長歌をもよむべし。

 万葉集の歌の中では、安らかにのびのびとした歌風を学んで詠んでみなさい。また、長歌を詠んでみなさい。

 現代の国文学の研究、古典の学修の中で、特に欠けているのは、こうした古代の作品の心を実践して自分でも和歌や物語を書くなどの創作活動を行うことである。折口信夫氏は、まさに、20世紀の研究者の中で、この宣長の教えを実践した数少ない人である。

 折口氏の長歌も素晴らしい。かの『死者の書』は、小説として構想されたものよりも、宣長の教えそのままに、長歌を詠む過程で、その叙情性と叙事性を結合せしめ、イメージが小説として、結実したのだと思う。

 現代では、万葉集の朗読、朗唱活動がこうした行いに結びついていると思われる。
 
 佛教大学の田中みどり先生や深沢彩子先生達の朗読活動は、私たちの万葉集、いにしへ心を蘇らせてくれると同時に、古代文学の研究に、新たなインスピレーションを与えてくれているのだと思う。

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