まだ、ビッグイシューの方がマシ2010/05/08 09:48

 今年で、私は、50歳になる。

 50歳と言えば、人生における活動の成績結果というか、通信簿が渡されるようなもの。

①人生の各段階のステージが、平均水準以上で、クリア出来ているか。
②生涯年収の額は、平均値以上に達しているか。不動産、預金額等。
③ボランティア、社会的活動・文化的な貢献を行い、その結果が、社会に認知されているか。

 
 人生絶対評価だと言われるが、私は、そうではなくて、やはり、社会的には相対評価になる。

 高校の進路指導教員からは、「君らの世代がどうゆう訳か最悪」と言われたことを思い出すが、「最悪」の無気力の状態にしたは、此奴らだ。

 不動産の面では、高校の同級生が、阪急宝塚沿線の豊中の駅近郊に200坪の邸宅を建てて住んでいる。この人が、やはり勝ち組だと思う。某省庁に入省して20年がすぎて、今は、関連企業に勤めているが、やはり稼ぎ頭である。

 私と年収を比べると10倍位は違うようである。資産がなくても、人生の各ステージをクリア出来ておれば、50歳としては、合格だと思う。

 私の世代は、戦後の日教組による悪しき平等教育が最高潮に達して時代であり、その結果が、僕らの世代にピークを迎えた没個性、没無気力である。

 僕の同級生で、邸宅を建てた友人以外は、日航機やJR事故で死んだり、あるいは、うだつの上がらなかった人間ばかりである。東大を出た人が1人いるが、この人も2流大学の講師どまりである。

 やはり、世の中に求められる「商品価値」を持っている人間は、僕らの受けた「日教組教育」の中では、出てこなかった訳だ。

 本当に、当時の学校教育は、ソビエト、中共、北鮮、ホーチミン政権下の北ベトナム以上の「共産社会主義的教育」が行われていた。
 それは、あたかもソビエト連邦の崩壊につながったと同じ社会的アノミー、無気力を生み出していた。

 学生も表面的には、平等の陰にかくれて、その範疇でやった様なサボタージュや不正等は、大目にみてくれるような気風があり、個性があるものは、毛沢東革命下のブルジョアの様に排除された。

 今の社会は、全く逆になっている。5月号の佛大通信の座談会の内容をみても、そうで、社会的に個性やステイタスが発揮出来ない人間は、平均以下としてみなされる社会である。

 佛大通信の編集内容もこの数年間で様変わりしたと思う。もっと、日常的な出来事が取材の中心であったのが、なにやら、特殊な、専門的な高い地位にいる人を中心に扱われており、これでは、読者の共感が得られない。

 日常のどうでも良いツマラナイことの方が、通信教育を受ける社会的弱者にとっては、共感を呼ぶのである。

 まだ、ビッグイシューの方がマシである。

 そういった意味で、小泉政権下での教育改革でかなり、教育と医療保険制度に関しては、改善されたと思う。
 「格差社会」と言われるが、実際には、「個性・能力が評価される社会」への変革が、一定の効果があげた。
 「骨太改革」は、政財界には、大きな効果をもたらさなかったが、教育面では、大きな効果を上げた。日教組を排除し、独自性、個性、才能を伸ばす教育、規制緩和により、悪しき平等主義を排除し得たからである。

 こういった教育改革の恩恵を受けた世代が世界的に活躍しているのをみると、やはり、羨ましいというかとてつもない劣等感を感じているのが実際のところ。
 芸能・文化、例えば、ショパンピアノコンクール等で日本人が優勝出来るという状況は、永遠にやって来ないと僕らの若い時代は、常識だったが、今や、バンバン入賞している。
 一方、一般的な芸術音楽への認知や理解は、僕らの若い時代と変わらない。つまり、この社会は、非常に浅く、程度の低い部分と、「宇宙人」の様に深く、専門家した部分が分かれてしまっている。
 でも、「商品価値」は他の「商品」との差別化によって、生まれるので、当然、起きるべき現象である。

 これが、グローバリティ、グローバリズムということなのか。つまり、没国家、没社会(悪い意味での平等的な集合感)は、国境の垣根を越えて広がり、全世界的に優れた人間が下層の人間を支配することで、更に文明を前進させようとしており、これは、21世紀のモノリスなのだと思う。

タイムマシンビューワーをゲット!!2010/05/08 20:32

「貴方の家、居住地域の数年前の様子が見えます。」

GOOGLE EARTHの面白機能を発見。
なづけて「タイムマシン」機能。

文字通り、地域によって情報の有無があるが、2002年から2010年までの画像を同じ地域で比較出来る。

但し、ストリートビューには、この機能は、現在のところない。

ツールバーの上のところの時計マークがタイムマシンビューワーの機能である。

実家の周囲は、増改築が呆れるほど活発なので、毎回撮影される度に近所の屋根の様子が変わっているのが判る。隣の土地に家がだんだんと建て込んできているのが判って鬱陶しい。

おうぶの家をみても、面白い。

先日、ベランダの巨大な波板を張り替えたばかりだが、この家の「過去」の様子を「タイムマシン」で観察すると、2002年、2004年のデータでは、以前に存在した筈の波板が、画面に白い形で表示されるが、2006年以降は、なくなっている。このことから波板が壊れたのは、2005年から2006年のことで、今から4年前、比較的最近まで存在していたことが確認される。

波板が壊れたのか、汚いので嫌になって外したのかは判らない。以前、記事に書いた柱のマーキング(子供の身長)は、2007年まで続いているので、前の住人は、波板が壊れた後もこの家に棲息されていたことになる。

この家の1階の雨漏りの原因は、波板がなくなって、ベランダに水がたまって、雨樋が詰まっていた(雨樋には、波板の破片がつまって水が流れなくなっていたのである。)のが原因。

おそらくは、前の住人は、少なくとも今から4年前から、雨漏りに悩まされていて、それが、この家を諦めるか、見捨てた原因になったのかもしれない。(一度も雨樋を修理した形跡がないので、放置されていたのだろう。)


推理小説家か考古学者になった気分である。

写真は、某国のミサイル基地周辺。年代別に比較することで基地の拡張の様子等を知ることが出来る。結構、そういった実用性もありそうだ。



こちらは、スパイ大作戦である。

特に都市社会学、災害社会学等を研究されている人は、都市の景観変化、開発状況、あるいは、災害による変化等のデータを得ることが出来る。
残念ながら、正確な撮影日、撮影時間を知ることが出来ないので、学術データとして、そのまま活かすことは出来ないが、参考資料位にはなるだろう。