尾無し雀のチーちゃん2010/05/19 20:42



雀にご飯の食べ残しというかワザと1口分とっておいたものを分け与えるのが日課。

写真等採れば良いのだが、面倒くさいのでほったらかし。

食堂の裏の戸のすぐ側までやって来て食べる。煮物、焼き物、炊飯の匂いを嗅ぎつけて偵察の雀がやってくる。コイツはすばしっこくて憎たらしい。

今日の様な雨の日はガツガツしている。外で餌が採りにくいからだろうか。

全部で、10数羽位来る。この間、NHKで雀が減少したとか言っていたが、この辺りは、築年が古い戸建てとかヤブが多いので、雀の格好の繁殖地であり、猛禽類、ネコ、イタチが雀を狩る猟場でもある。

毎日、気になるのが、「尾無しのチーちゃん」である。1匹だけノロノロとしているというか、最後までしぶとくご飯を食べている小柄の雀がいるので、みると、尻尾が完全にない。

 「退化したのかも。」

とにかく程度が低い子供で、チーチーと悲しげな声で鳴く。チュンチュンとは言えない。


そんな筈はなくて、ネコ、イタチに捕まりそうになって尻尾だけ抜けるかなにかしたのだろう。

つまり、この雀は、「日航機状態」で、通常ならば、ダッチロールでしか飛べる筈がないのだが、器用に餌だけ食べ終えると、飛び去っていく。

但し、ドンクサイ。コイツの為に1口分だけご飯を残していて、1羽になった時に投げ与えるのだが、もたもたしている内、他の雀に採られてしまう。

その内、尻尾が再生して生えてくるのか、一生、このままなのか、或いは、生存競争に生き残ることが出来ずに死んでしまうのか。

 見守っていきたい。

三流国だから勝てた日露戦争2010/05/19 21:58

先日紹介した『日露戦争兵器大事典』を読んでいるが、「何故、日本は、ロシアに勝てたのだろうか。」という点を考えながら読んでいる。

まず、太平洋戦争の日米の国力格差と、日露の国力格差は、太平洋戦争時には、日本は、ほぼ欧米先進国に背を並べる位にまで国力が強くなっていたが、日露戦争当時は、世界の3~4流国であり、その点、大国ロシアを相手に戦争をするのは、太平洋戦争以上に無謀なことであった。

実際、初期の国民1人当たりに課せられた戦費負担は、第2次世界大戦を凌ぐ、過酷な状況であった。

ロシアは、スエズ運河を遙々横切って来たから弱いというが、それは、アメリカも同様に太平洋を渡って侵攻してくるのだから一緒。

つまり、「大国を相手に無謀な戦をしたので、日本は負けたのだ。」と巷でよく言われることは、間違いだと思う。

交戦期間2年以内であれば、日露戦争と同様の条件になる筈。

ところが、太平洋戦争では、開戦後1年強経過した昭和17年にはミッドウエイ海戦で、初めてアメリカとの総力海戦で負けて、一度も艦隊決戦で勝利することもなく、敗戦への道を歩んでいく。

その点、日露戦争は、旅順港、黄海、日本海海戦と主要な海戦について、物量・兵力のハンディをものともせず、互角もしくは圧勝していく。

これは、何故なんだろう。

私は、兵器のクオリティ及びメンツにとらわれない用兵(兵器)の戦術にあると考える。

日本海海戦の主力艦は、連合艦隊(第1艦隊)の主力は、本来は、戦艦6隻の筈が、2隻がロシア軍の機雷で沈没、戦艦は、三笠、敷島、富士、朝日の4隻に過ぎず、バルチック艦隊の戦艦7隻には遙かに及ばない。

多くの戦史研究所では、東郷元帥と、秋山参謀の優れた戦術によって勝利したとされているが、たしかに、その様な面もあるが、やはり、兵器(艦船)のクオリティと訓練、戦意の格差であると思う。

ロシア艦隊は、さすがに自国の国力を誇示する為に自国の造船所で建造した最新鋭戦艦で構成されていたが、1つ1つの技術、性能は優れていても、一国で、当時の「最先端工業技術の結晶」である戦艦を開発するとなれば、長所も短所も出てきて、特に、はるばるヨーロッパから航海してくる間に綻びが広がる。

また、当時のロシアは、重工業力は、欧米先進国と互角であったが、基礎工学、材料工学(鋼材)、火薬等の部門では、劣っていた。それでも「皇帝の軍隊」としての誇りから、自国の技術、独自性に拘り続けたのである。

特に問題なのは、強力な火力を装備する為、装甲や船体の構造設計に無理があったと言われる。集中砲火を浴びると実にあっけなく沈む。

一方、当時の日本は、初めから、自力で戦艦を建造出来る気はなく、無理だと自覚していたので、システム思考とアウトソーシングでハンディを克服しようとした。

連合艦隊は、6・6艦隊を基本としているが、それぞれの艦艇に求められる性能について、標準仕様を作り、その仕様を元にイギリスやフランスの企業に発注したのである。

これらの標準仕様を元に造船企業各社にコンペ(受注競争)を実施して、英国の各造船企業の長所、材料調達力、鋼材や設計、機関、火力、防御力等を競わせ、最高の戦艦を揃えた。

システム思考、標準仕様、アウトソーシングという20世紀後半の手法が1904年という、それよりも50年以上前に先取りされていたのである。

日露戦争は、史上初の近代国家間の総力戦で、近代兵器の登場の晴れ舞台だったので、いずれは、世界大戦の時代がやってくることを予想していた欧米先進国、軍需兵器産業ともにその戦闘の結果に注目していた。

優秀な兵器を日本に買わせて、戦争に勝ってもらうと自国の兵器が他の国にも販売出来るし、実戦性能を知る最高の機会であったから、実に手抜かりなく、日本のオーダーメイドに応えた。

また、実は、当時の連合艦隊は、太平洋戦争の様な大艦巨砲主義ではなくて、むしろ、情報収集力、機動力を重要視していた。

この為、水雷艇をロシアよりも多く揃えた。

当時の魚雷は、速力、航続力がなかった。30ノット近い速力で回避出来ない速度を得ようとすれば、敵艦に800メートル程度まで近接する必要があり、被害も多かった。また、3000メートルという航続距離の限界では、16ノットしかだせず、簡単に回避されてしまう。

そこで、水雷艇による奇襲戦法を行い、実際、水雷艇艦隊で、実にロシア戦艦2隻を撃沈している。

また、綿密な作戦計画に加えて最新式の艦船用無線を開発、偵察や命令伝達に活用したことも迅速な戦闘に結びついた。

当時は、マルコーニ社の原始的な無線機が主流でタイタニック号が登場する1911年頃よりも7年前であり、艦船用無線機を実用化していた国は少なかった。

この様な意外な面が日本海海戦の勝利に結びついたとみられる。つまり、既に簡単な電子戦争の時代に入っており、戦艦同士の砲撃戦の時代は、実は、既にこの時代から時代遅れになりつつあったのだ。

陸軍部隊の使用した武器もロシア軍に比べて、機銃等を含めて圧倒的に劣っていたが、一部の攻城砲等は、外国製品の模倣であったので、ロシア軍から奪った大砲や弾丸をそのまま転用したり、太平洋戦争では、信じられないようなことをやっていた。

太平洋戦争時の火砲は、日露戦争時代よりもさして進歩していなかったのは驚くべきことだ。

海外の技術模倣を止めて、オリジナリティを追求したが為に、「生きた化石」の様な時代遅れの状態になってしまった。そのことは、ソ連軍とのノモンハンでの戦闘で、思い知らされた筈だが、それでも帝國陸軍は、この欠点を認めようとしなかった。

ところが、日露戦争の時代の日本軍は、こうしたメンツよりも戦に勝つことが優先なので、兵器を略奪して、その略奪兵器のみで組織した部隊さえも存在した。特に弾丸の略奪は、日本軍の物資不足を補うのに大きな役割を果たした(奉天会戦)

残念ながら、日本がロシアに勝利して、「帝國」としての誇りやメンツを持つ様になってからは、失われてしまった。

階級志向が幅を効かせる様になり、戦艦と駆逐艦、まして輸送艦では、値打ちが異なるとか、兵卒と将校では、命の価値さえもが全く異なる等、限られたブルジョア貴族が将校となり、旧農奴等下層階級中心に構成された兵士を指揮していた日露戦争のロシア軍の様な状況に、第2次世界大戦時の日本は陥っていたから、戦争に負けたのだと思う。

それは、今の日本の状態にも当て嵌まる。経済大国としてのメンツに拘り、過剰品質やオリジナリティの追求に走る中で、実際的な戦闘力が失われてしまって、後進国との市場競争に敗れ続けているのである。

日本が、メンツを棄てて、再び日露戦争時代のハングリー精神に戻った時、真の国力が発揮出来るのだと思うのだが。

写真は、帝國連合艦隊旗艦「三笠」、イギリスの造船所で当時では最高の技術で製造された。

段々、仲間ハズレに2010/05/19 22:18

 夕方にピンポーンと呼び鈴がなった。

 はて、誰だろうかと思ってみると、赤ちゃんを抱いた、お母さんが、門の前に立っている。

 「最近、越して来られたんでしょう。新しいところに馴染むのは大変でしょう。奥さんいますか? ○○家庭の会のお誘いに来たのだけれど。」

 という。つまり、ウチが地域コミュニティから孤立しているのを見かねて、近所の奥さんがお誘いにやってきたのだが、

 「1人です。」(独身であると指を1本出す。)

 そうすると、決まり悪そうな顔をして去っていった。
 雨なのに赤ちゃんを抱いて大変だ。

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 戸建てで、1人で棲むって、やはり、近所の目からみたら不気味とか危ない様な感じがあるのだろう。

 先日の事件等もあり、子供がいる奥さん同士で話し合ったことらしいが、僕には、関係ない。

 どんどん孤立が深まっていく。

 犬コロでも飼っていると買い主どおしで仲良くなることもあるのだろうが、家を空けることもあるので、犬等買えないし、第一、散歩が面倒臭い。