路線価下落で1年で14万円の不動産価値の目減り2010/07/01 14:52

また、路線価が下がった。

おうぶの家の路線価は、48000円で、前の年から2000円も下がった。1年で、4%も下がるというのは、凄いと思う。

土地が70平米弱なので、336万円になる。1年で14万円位の下落幅になる。

このボロ家は、実際に売るとならば、老朽家屋の価値等無いに等しいので、この値段が上限。

競売等では、半値が相場なので、168万円前後になってしまう。

つまり、会社が潰れて、ローンが払えなくなった場合には、ローン残高の37%しか支払えないことになるので、残りの金を工面しないと残債が残る。

今、病気になって会社クビになったら、退職金100万円位くれるやろうか。(弟は、脳卒中になって1日5時間しか働けないが、外資系の一流会社なので、給料もらえている。羨ましいとおもう。)


生命保険を解約して解約金が100万円、貯金を叩いて、ようやくチャラになる計算。

任意売却だったら、もう少し高く売れて、残債が残らないというが、ここまで地価が下落となったら、任意売却自体も難しくなってくるだろう。第一、毎年、こんなに地価が下がっていたら、買う人なんかいないだろう。

今に競売でも売れなくなったら、ローン保障会社は、何を担保にしたらよいのか。

競売でも売れなかったら、「どうせ売れないのでお前、ここにおって、借金返せや。」という風になったら、どうなるだろうか。




地価の下落による不動産担保価値の損失で住宅ローンの審査も厳しくなることは間違いない。

取らぬ狸の皮算用2010/07/01 22:43

 久しぶりに佛大四条センターで、講座受講の申込みをした。

 小野田先生のチベット仏画の技法である。

 これは、仏教芸術コースの目玉商品である講義なのだが、残念というか不運というか、もう少し配慮して下さったらと思ったのが、小野田先生が、私が受講出来る年度に国内研修に入られておられて、1年間お休みで、代講で、絵因果経の授業になってしまった。絵因果経も面白かったが、やはり、折角なんだからチベット仏画も学んでみたかった。

曼荼羅とかチベット絵画については、金沢大学の森先生に教わって、若干の知識を得たが、仏画自体の作画法なんかは習っていない。

それで、今回の講座を申し込んだ。嬉しいことに土曜日なので、仕事を休んでいくこともない。但し、1回当たりの時間が1時間半位だと思うので、3コマでは無理と思われるので、自宅での作業が中心になって、その成果を先生にみてもらえるということだろうか。

チベット仏画は、タンカと呼ばれる。細長いものもある様なので、ちょうど床の間の掛け軸が無いので、自分で描いた絵等ヲ掛けることが出来れば楽しいと思う。

でも、取らぬ狸の皮算用だと思う。大体が、不器用なので、絵は出来ないかもしれない。

この間も当麻曼荼羅の模写なんかに挑戦したが、一瞬で断念した。

今週の土曜日に開講なので、その前に足を治さないと。
家の中の階段さえも上り下りが厳しいので、大丈夫かな。

それにしても、小野田先生とは、卒論指導(といっても通信だが)以来の出逢いである。

今朝は、寒くて目が覚めた。2010/07/02 08:54

 今朝は、寒くて目が覚めた。

 就寝前は、蒸し暑いので
ウィンドエアコンを暫く運転してから、雨戸を閉めて、扇風機を回して床についたが、夜明け頃には、寒くて、布団を被りなおした。

 部屋をみると何やら黒いもの蠢いている。何かと思ったら、体長20㎝ばかりの巨大なムカデである。

 余計怖くなって布団を被ってねた。

 前日には、アシナガバチの襲来に悩まされた。追い出そうとするが、何度でも入ってくる。この家は、昆虫、動物達にとって居心地が良いのだろうか。


 翌日、玄関に出てみると、ドアの右側の花壇に、例の黄色い花が多数咲いている。これも昨日までは咲いておらなかった。
DSC P1で撮影。

節電対策、パソコンは、Eeepcに変更2010/07/02 16:49

 おうぶの家も結構、暑いでのウインドエアコンが活躍。

 心配なのは、電気代である。温度は、28℃に設定しているが、これでも結構、ガーガーと音を立てる。

 エアコンの次に電力を消費しているのは、乾燥機、次いで、パソコンだと思う。400Wの電源がついているので、当然、これだけで部屋も暑くなる。

 そこで、3万円でだいぶ前に買ったEeePcに仕事に必要なプログラム等、全部詰め込んで、USBでキーボード、マウス、プリンター音源ボード等すべて、更に、ディスプレーを接続。

 結構、サクサクと動いている。すべてシリコンディスクで、HDDを使用していないので、アクセスは速い。

 問題なのは、やはり、ディスク容量が極貧なことで、外付けを使わないとなると、ファイルのダイエットが大変。

 それでも、大抵のアプリがインストールできて、ワンセグTVもみらてしまう。

 外で仕事する時は、eモバイルをもっていけば、家でやっている仕事をすぐに持ち出せる。

 そういったメリットもあると思う。

 これで夏を越そうと思う。

大腿骨頭壊死症2010/07/02 21:17

美空ひばりが、大腿骨頭壊死症にかかって、手術をしたというの
をだいぶ前に聞いた。

大腿骨の真ん丸の関節の部分の血流が悪くなって壊死する病気とか。

先日の整形外科で、右側の大腿骨の関節の一部に固まりの様なできものができているを発見された。ごく小さいが、痛みを与えるには、十分だという。

最悪の場合は、内視鏡手術だという。(痛そう)

この病気の原因としては、アルコール中毒、ステロイド剤の副作用だという。アルコールは、毎日、ビール1リットルがかかせない位であるが、ステロイド剤は、別の医者でもらっている痔の薬の「強力ポステリザン軟膏」がやばいかも。

これには、ステロイド剤が使用されているので、抗炎症効果がある。副作用を調べてみると、局部的に使用するので、通常のステロイド服薬の場合の様な副作用はまずないという。

しかし、肛門に注入して使うので、肛門は座薬が入るところだから、経口服薬よりも吸収性が高い様な気がする。

この副作用だったらやばい。だって、痔の医者でこの薬をもらうまでは、足は、そんなに痛くなかった(痛風を除いては)

医者にステロイド剤が入っていないボラザG軟膏に代えてもらう様に頼んでみようかと思う。

ツウィッターというと、オーディオスピーカーシステムユニット2010/07/02 21:34

Twitterを始めた。

http://twitter.com/

ツウィッターというと、オーディオスピーカーシステムユニットで、10khz以上の高音を出す小型なスピーカーのことをどうしても思い出してしまう。

囀るという意味で、擬音語だったのでは。
つぶやくのと囀るのとでは違う。囀りに近いのは、マウスのクリックj音で、チュンチュッチこと雀がよく仕事をしているとツゥィッターしている。

ところで、昔、佛大社会学部の通信スクーリング実習でお近づきになったOさんが始めたので、僕も入ってみた。

Oさんのプロフィールは、写真も経歴もキラキラしていると思った。
写真は花鳥園で撮影したのかな。
格好よく撮影できていると思った。

Oさんにつられて入ってみたが、まず、システムが理解できない。まず、返信とリツイートの意味が判らない。また、フォローと、リストとかもわかりにくい。

フォローとかリストとかされることでどういった意味があるのだろう。

それにしても短歌俳句位のちいさな「つぶやき」って何の意味があるのだろう。

本音をチロッといいたいとかそういうことかな。

誰か、意味を教えてほしいと思う。

たとえば、ネット通販とか、オークションとかで、「この商品をつぶやいてみませんか。」とかある。

僕は、「つぶやく」よりも「ぼやく」方が好きな関西の「デブ&はげ&めがね」の3醜(悪)をすべて備えたおっさんなので、つぶやくっていう柄ではない。

プロフィール登録で、最初、あほみたいに本名で登録してしまったけれど、やばいのでやめた。別に検索されたくないし、知り合いの人の場合は、判るので、必要ない。

アバターも設定しないとだめというのが、ハゲのマークにした。
この方がおもろいやろう。

アンガを単位とした如来の構成は、まさに一念三千2010/07/03 23:46

 今日は、佛教大学四条センターの講座、チベット絵画の技法を受講。

 先生は、小野田先生と場野先生、それと安藤先生のお弟子さんの院生の方が来られていた。

 如来とか菩薩の絵を描くのだが、多羅母を私は、選択した。これは、身体の線が、屈曲して書きにくそうだが、美しいと思った。

 仏画といってもただ、写していくのと違うところに奥深さがある。

 描かれようとする尊格のもつ、指の長さが輪郭線を引く場合の基本単位となる。

 この基本単位の比率の組み合わせによって、輪郭の基本線が決まって、全体の構図が成立する。

 非常に微細な小さな単位が偉大な如来や菩薩の描画に結びついていくところも面白さがある。

 また、比率が決まっていることで、誰でも「正しい」仏様が描ける仕組み。

 実際には、基本線と微妙な曲線や線の太い、細い等の調整が難しい。

 多羅母(観音様?)の場合は、身体が曲がっているが、その角度も対角線と線分の比率で決定されるので、「先生、分度器で測定するのですか。」と質問して、僕は失笑をかった。

 次回は、9月の講座なので、それまでに肉体の輪郭線までを所定の用紙に描いてこなければならず、それが宿題。

 最後に先生が翻訳された「チベット絵画の技法と素材」と、特製DVDを販売していただいた。価格は、合計で3千円。

 これから読むが、面白そうな内容である。

 但し、僕はひねくれているので、次の様な疑問点を持った。

・たしかにプロポーションを守ることで正統な尊格を伝承出来るというメリットはあるかもしれないが、仏画を描くという作業そのものが修行であると考えると、その基本単位の比率で構成するということ自体に意味があるのではないか。

 また、たまたま角川文庫ソフィアで、仏教の思想5「絶対の真理」(天台)を読んでいるが、マハーカーラ(摩訶止観)の中で、「一念三千」という言葉がある。

 一念とは、宇宙を構成する最小・微少単位で、原子・分子みたいなもので、これらが、必然的な因果によって組み合わされ、構成され、最後には、大宇宙を構成するという考え方。

 これを仏画に置き換えると、まず、画面の中心点が宇宙の始めであり、構図を決定する最小単位が(1念)、その組み合わせてで最後には、如来(宇宙)を表現出来るという点につながるのではないかと思う。

 また、同時に如来全体像が宇宙の存在そのものであると同時に、それぞれを構成しているアンガ(指の太さ)の個々の存在も全体の総意として機能しているという考え方である。つまり、本覚思想の全ての有情が仏性を持っているという考え方にも通じる。一即多、多即一である。

 チベット仏画を描くということは、まさに「一念三千」を体験する行為として、僕も、この修行にチャレンジすることにする。

それにしても京都は暑い2010/07/04 00:02

 もう、昨日のことになってしまったが、佛大四条センターでの仏画教室を受講する為に久しぶりの京都だった。

 テープかなんかで、祇園祭のお囃子が流れていた。

 驚いたのは、その暑いこと。

 おうぶの家に比べて5~6℃位高いと思った。雨でこんなんだったら、どうなるか。

 「雨水が湯やんけ。」と思った。

 但し、烏丸通りの裏にはおいしくて安い店もおおく、560円でコーヒー付きの昼ご飯。

 京都は、神戸に比べて格段に物価が安いし、お店も気楽入れてゆったりまったりです。

 京都も神戸と同じくらいに狭隘な敷地であるが、京都人の方が、神戸っこよりも、商売が上手だと思った。

 神戸はたしかに贅沢で良いものもあるが、「お客さんにお店を利用することで得られる安らぎとかアメニティ」という考え方に欠けている。

 この辺りが大阪よりも更に洗練されていないと思う。

 四条センターでは、久しぶりに卒論の指導をしていただいた小野田俊蔵先生にお目にかかったが、「断髪」されており、あのチベットのグルの様な雰囲気はなくなって唖然。

 付属幼稚園の校長先生をさせられて、父兄に不審がられない様に、断髪しなければならなかったらしい。

 でも、あの髪型では、チベット・モンゴル音楽のコンサートは無理だろう。

おい!まだ届かんぞ!(怒)2010/07/05 11:13

ゆうぱっくの遅配で食べ頃のサクランボ等の風味が損なわれたとして、荷主側では、訴訟にもなりかねない状況となっている。

配達の遅れは、既に先週の1日から目立ち始めたが、事態は更に悪化、4日には、荷物の到着日の目処も立たない状態に。

http://www.asahi.com/national/update/0704/TKY201007040286.html

日通のペリカン便との統合による混乱が原因となったが、これは、同じ運送業だから、設備統合すれば、問題なく事業は継続出来ると見た甘さが原因。

ゆうパックは、あの親方日の丸時代の郵便小包事業から発展した事業。日通もペリカン便は、日通という老舗運送会社の鉄道運送事業が、、トラック輸送業と合体して、クロネコとか佐川急便等の競合他社の宅配便との競争の中で、ペリカン便として模様替えした事業。

つまり、郵便小包事業(〒事業の一環)と宅配便事業(流通サービス業)という一見類似している様にみえるが、全く別の業種が統合したことによるトラブルだ。

郵便小包事業は、速度よりもコンプライアンスを重視した輸送事業、一方、宅配便は、スピード配達を前提としたサービス業なのである。

つまり、輸送事業とサービス業がそのまま合体しても、その配達情報網等の点からみても、そのまま統合事業として包含することは難しい。

僕は、ペリカン便を良く利用していたが、ゆうパックは、ヤフオクで落札しても配達の郵便局員が不親切であることや外部請負が多いことから、なるべくゆうパックにしないで欲しいと御願いしていた。

一度、配達遅れから配達局にクレームの手紙を送ったこともある。

駄目続きのゆうびん会社の事業で、唯一評価出来たのが、EXパック。これは、素晴らしいシステムであったが、残念ながら廃止されてしまった。

何事も悪い面ばかりが残っていくのが、今の日本社会の行き詰まりの原因だと思う。

死と再生、消えたものが生まれ変わる様2010/07/05 18:10

 早速、土曜日の小野田先生のチベットタンカの講座の時に購入したDVDを鑑賞。

 なんとナレーションは入っておらず、延々とチベット音楽がバックに流れる。

 この音楽が珍しいし、楽しい。最初は、日本の追分に近い様なものから盆踊り等を思わせる様な音楽でリズムが独特である。2拍子系のものが多かったような。

 男声のみから男女、女声のみもあるが、驚く程、音域が広い。女声は、同じ旋律をオクターブのユニゾンで歌うのだが、高域は、もう人間の声としては、限界で鳥の声に近い。

 楽器は、打楽器、鉦、弦楽器は、撥弦楽器、フィドルの様なもの。日本の三線に近い音色もある。

 ソノリティは、昭和30年代以前の幼い時に耳にした、昔の日本民謡もこんな感じだったかなという様な、つまり、NHK化されて角がとれて画一化、音に「カド」が無くなってしまったイミテーション音楽が、今は、日本の「民謡」となっている。

 「和太鼓があるじゃないか。」といったって、スポーツみたいになって、どの地域の和太鼓合奏を聴いても、僕には、同じ様に聞こえてしまう。

 全国画一化で地域性もなにもない。(そういえば、佛大の大御所、関山先生も同じ様なことを話されていた。)

 元々の日本民謡は、このDVDのバック音楽に聴ける様に、それぞれの独特の響き・ソノリティを持ったものだと思う。
 つまり、ザラザラしたところが残っているのである。

 話は脱線してしまったが、肝心のタンカの制作工程である。

 今回の仏様は、アミターユスである。

 「光明遍照」なので、キラキラしている。日本の仏画の阿弥陀仏では、例えば、真宗の絵では、光の筋が大海軍旗の様に四方に伸びているが、チベットのタンカでは、そんな感じではない。しかし、初々しさを持った独自の美しい姿には、惹かれる。

 日本の阿弥陀像の様に象徴化されておらず、独自の精緻な様式化が、その存在の必然性を生み出している。

 さて、タンカの制作工程は、木枠づくりは出てこないが、木枠にはるキャンバスの布の端を縫って、竹籤を纏り縫いするところから、、先日の講座でも教えていただいた様に対角線を引き、コンパスで直角を出して、方形枠を作図するところから始まる。

 膠と白い顔料が混合されて表面をラミネート塗装されたキャンパスは、非常に丈夫で、表面を叩くと、太鼓の様だ。

 作図は、ユークリッド幾何学で中学校の時にまなんだのと同じやり方。四隅に二等辺三角形を描いて、その中心線の交点を結ぶと直角がでる。

 その後、その枠を基準に基本単位を組み合わせて、グリッドの様な線を引き。更に、仏の輪郭中心線を作画する。

 鉛筆で、仏の輪郭を描いていくところは同じだが、やはり、複雑な作業である。

 その後、輪郭基準線を決定して墨で輪郭を入れていく。

 輪郭が仕上がったら、ぼかしの部分とベタの部分の塗装。

 怖いと思ったのは、折角、詳細な部分まで描いておきながら、朱色のベタで全て塗りつぶしてしまう。

 つまり、一度、折角、輪郭線で生まれた仏が消えてしまう。

 僕は、幼い時から線画は得意だったが、塗装で失敗してしまうことが多かった。
 アミターユスの顔が朱でべた塗りされた瞬間に僕だったら、「ああ、しまった」と思うだろう。

 しかし、ここでは、大体のベタとボカシ塗装の作業を終わり、べた塗りが十分に乾いた後で、詳細を再び輪郭線を入れてかきおこしていく。

 キャンバスが、非常に丈夫で、白い顔料と膠の下塗りされているので、直ぐに乾くし、滲みが少ないので、思い切ったベタ塗りが出来るのだと思う。普通の画用紙だと、「失敗」である。

 輪郭線が「復活」すると、アミターユスこと、無量光寿仏の姿が再び現れる。

 まるで、死と再生、消えたものが生まれ変わる様であり、DVDをみていて、この部分が一番感動した。

 目の部分には、白を入れていれると一層、仏の生命感が増す。

 しかし、驚いたのは、ディテールの仕上げに驚く程の手間と時間がかかる点で、尊像よりも、黄金のネックレスとか荘厳の方の描画が大変な手間。

 金箔を入れていくが、更に立体感を出す為に角筆でレリーフを行っていく。まるで本物の黄金装飾そのもの様な存在感が生まれる。

 こうして気が遠くなる様な時間を経て、アミターユスの像が完成する。

 チベット仏画絵師は、大変な手間と低賃金でこの作業を長い歴史と共に続けて来たのだ。