FZ100が8月中旬に発売2010/07/31 10:03

 例によってパナソニックからメールがきて、FZ100が8月中旬に発売されるという。

 FZシリーズは、コンパクトデジカメの商品系列の内で、性能追求に特化したもので、各社のハイエンドコンパクトカメラの先駆的存在。

 実際に、EOSとかCASIOのEXP500等の他機種とFZ5を持参して、奈良公園で写真の撮り比べを行ったが、僕の撮影技術では、一番、良い結果を得られたのが、FZであった。

 特に確実性を要求される仕事・取材写真の分野では、これに敵うカメラはない。

 僕もFZ5、FZ7、FZ28と使って来たが、懐具合から、FZ32とか後継機種は買わず、FZ28どまりとなっている。

 FZ28は、AF追随が遅いことを除けば、使用していて不満はなかった。でも、やはり、液晶部分を可動式であればとか、動作速度等に不満があった。

 FZ100は、そのネーミングの通り、これまでのFZシリーズと一線を画したカメラで、24倍光学ズームやハイビジョンムービーの撮影機能(マニュアル補正が出来る)、あるいは、高速連写機能、可動式の液晶等、従来機種から改善された点も多い。

 デジタル1眼と比べると、レンズ交換が出来ないことや、CMOSセンサーの大きさと性能位なもの。画素数は、1400万画素モードなので、EXズームがこれまでよりも効いて、なんと50倍ズームが可能。

 実際の評価は、現場で撮影してみなければ判らないが、このカメラを持って再び鈴鹿に行ってみたい。

 それにしてもパナソニック、ソニーと新製品が目白押しで、どれもお金がないので買うことが出来ず、残念だ。

三谷先生と「現代文學論群」2010/07/31 10:29

 実家に戻ると、紫野81号が届いていた。

 同窓会誌で、住所変更届けを出していないので、実家の方に毎回届けられている。先日の郵趣と違って、防水ビニールの簡易封筒に入っているので、雑誌が傷まなくて良い。

 郵趣の場合、未だに第3種郵便(印刷物)なので、一部開封が条件なので、あんなに雨に濡れやすい訳。

 先日、第4種郵便の悪用事件があったが、実際に宅急便(レター便)との価格差でみると、メリットがあるのは、第4種郵便までで、第3種の場合は、大量に送付する場合、クロネコメール便等宅急便会社のメール便の方が、コスト的には有利だし、古くさい条件(規制)もない。

 毎回届くのが楽しみな紫野であるが、今月は、国文(近代文学)の三谷憲正先生の記事が載っていた。三谷先生のお弟子さんで、通信の国文学科出身の方で、大学院は通学過程に進学されたが、博士号を取得して、愛知県の大学の教授に就任された青木先生という方がおられる。この方は、三谷先生と同じく太宰治の研究に関しての権威でもあられる。

 三谷先生は、他の文学部の先生と異なり、非常にゼミ生を大事にされており、卒業論文等もゼミ生のものは、優劣を問わず、毎号、几帳面に『現代文學論群』にまとめて残されている。

 僕が関西大学に提出した卒論は破棄されて残っていないことを考えると、どんなに先生は学生を大事にされているかが判る。

 佛教大学に提出させていただいた論文は、修士論文を除いて全て優秀論文の賞をいただいているので、大学に保存されており、希望者は、自由に閲覧することができる。

 佛教大学には、本当にお世話になったと思っている。昨日、100周年の寄付金事業への協力の書類を提出した。9月から毎月2500円ずつ40回、合計10万円の寄付をすることになる。

 非常に少ない額ではあるが、先生方の様に100万とか200万をポンとキャッシュで寄付することは出来ないし、毎月、少額ずつ、飲み屋に行くのを1回我慢すれば、捻出出来る額を支払い続けることで、少しでもお世話になった佛大には、恩返ししたいと考えている。

 佛教大学の先生方は、全て少人数教育の効果なのか、それとも法然上人の精神が活かされているのか、学生に対して非常に親切である。自分にもし、子供がいて、日本文学を研究したいならば、迷わずに佛大に進ませる。

 偏差値の高い大学はいくらでもあるが、文学という研究分野と将来の就職の厳しさを考えると、少しでも学生のことを考えてくださる先生方がおられる大学を選んだ方が賢明だと思う。

ポスト2010/07/31 10:43

 昨日、寄付金の書類を投函したのが、このポストである。

 僕が子供の頃に使用されていたもので、まさか、飾り物のポストだとヤバイので、調べてみると、回収時刻等も貼られており、「実用品」ということが判った。

 このポスト、郵便物が入れやすいし、頑丈なので、投函する時に安心感がある。今のものは、薄ぺっらいアルミ製の箱なので、ジュースの自販機と同様に放火とかされたら、中身の郵便物は台無しになる。

 このポストは、おうぶの僕の家から、親和女子大の方におりて、その麓のタバコ屋さんの前に置かれている。
 
 このポストみて、夏の風情を感じて、その向こう側の自販機でジュースを買って飲んでしまった。

PCM音楽放送事業が終了(訂正)2010/07/31 12:41

PCM音楽放送事業中止

実家に届いている郵便物の中で、音楽専門・衛星デジタルラジオのMUSICBIRDからのものがあった。

内容は、PCM音楽放送事業自体を中止せざるを得なくなるというもの。

契約者数の減少にともない収益状況が悪化する中で、専用のチューナーに使用されている暗号コード解除のチップ自体が、新しい製造されておらず、新しいチューナーを販売、購入することが既に出来なくなっていることや、暗号コードを運用している会社との契約が、2011年7月24日で終了し、延長される予定はないという状況が示されている。


PCM放送のリスナーを対象にSPACEDIVA移行への勧誘広告(半額サービス)も入っていたが、これは、当然申し込まない。

ミュージックバードの放送事業自体は、2011年7月31日23時59分59秒で終了となっている。
http://www.musicbird.jp/musicbird/index.html

それにしてもアンテナの手間を除けば、高音質の音楽が非常に安いコスト聴くことが出来て、パソコンにそのままデータを保存すれば、CDも購入しないで済んでいたのに、残念だ。

訂正:うっかりものの、僕は、この通知が今年のものだと思っていたが、良く文面をみると、2011年ということで後、1年間期間があることになる。
不注意で、このブログを読んでおられる方に、誤解を招いたかもしれないので、お詫びしたい。

河童の嘆き2010/07/31 20:41


 先日の河童忌では、この芥川龍之介の晩年の作品を読んだが、難解であった。

 この短編の原型という原話形は、日本の古典の数々の説話にみられる異境訪問譚であろう。

 つまり、古くは、古事記にみられる黄泉の国説話、あるいは、時代は下って、浦島太郎、あるいは、物語では、宇津保物語の俊陰等にみられる。

 説話の場合は異境訪問に、作家(説話にはもともと考えにくいことだが)の意図は、みられず、伝説、あるいは、民族の創意と呼ばれるものだろう。

 しかし、芥川が昭和時代を迎えた近代小説にこの様な手法をとったのは、やはり、それなりの意図があったろう。

 上高地から穂高に登山の途中に主人公は、河童の国に迷い込んでしまう。昏睡して倒れていた彼を河童の医者が丁寧に手当をする。そこは、人間世界の縮図さながらである。

 表現は、暗喩に満ちていて非常に判りづらいが、印象では、鳥獣戯画等の世界にみられる感じ。

 鳥獣戯画では、恐らくこの作品が書かれた古代から中世の転換期の世相が様々な暗喩をもってイコノグラフィアを構成している。

 公家の文化から武士の文化に移ろう中で、様々なおかしな社会現象が生まれた。旧来の秩序は失われ、あべこべの世界(武士が威張り、公家が従属する)が出現している。

 芥川の作品で、描かれた河童の世界は、大正時代というリベラリズムから、昭和という日露戦争時代に逆戻りのアナクロの世相の中で、希望を奪われた人間世界があたかも「水底の鏡」の様に映し出されていく、自由恋愛とフェミニズムは、河童の無邪気さとも捉えられるが、既に、この作品が描かれた時代は、それを自由に表現できない状況に変わりつつある。それを皮肉る為に河童の世界でもやはり言論弾圧が起きて河童の民衆の反感を得る描写も描かれる。

 芥川の描いた河童の世界の文体は非常に理解しづらい。読者は、譬喩・暗喩の連続なので、それぞれの言葉の裏の意味をつなぎ合わせて河童の世界像を組み立てていかねばならないのである。アナグラム的な表現さえもみられる。

 これとは対照的に、主人公が人間世界に戻ったところでは、平易な文章で表現されており、そこに水道の水を伝ってひょっこりと現れる河童の姿には、実像がなく影として描かれている。

 芥川の晩年の作品の文体のわかりにくさは、彼の初期・中期の作品とは対象的である。この文体の変化を彼の精神病(分裂症)の影響だとの見方もあるが、私は、それは間違っていると思う。

 言論弾圧が厳しさを増す中で、社会批評とか、時代の閉塞感と人間の絶望といったテーマをわかりやすく、直接的に表現出来る時代は、とうに去っていたのである。