また、チャイムが鳴り始めた ― 2010/09/01 09:46
新学期が始まって、また、近くの中学校の始業・終業のチャイムが鳴り始めた。
夏休み中は、野球部の練習がうるさかった。あの、ウォーというアホウなかけ声が特にうるさかったが、それも止んで大分、楽になった。
ウザイのは、校内放送である。校庭には、誰もいないのに放送垂れ流しで、1人の教員を呼ぶのに、地域数キロ四方に響く大音声で放送をするのには、呆れるというか前近代的である。
全員が携帯を持っている時代なので、教員を呼ぶ時は、携帯を使用した方が、確実である。病院の様にPHSでも良い。
兵庫県の学校教育は、道路工事と同様に、特に後進性が強いので仕方がないが、このままでは、世の中に置いていかれると思う。
なんせ、兵庫と大阪が学力テストのランクが最低なのだそうだ。
こんな中で、民主党が仕分けで、一端、廃止と決定した、学校のIT化、電子黒板の設置とかは、その後、復活、朝令暮改で、今度は、推進政策として、取り組む様だ。
作業仕分けは、旧自民党政治の禊ぎであり、否定であったが、良いものは、残さざるを得なくなった訳。
10年後には、全教科書がデジタル化されるという。つまり、IPADの様な端末に教科の全内容が収録される。この辺りの政策路線も、民主党らしく、極端である。
おそらく色々な問題が発生するかも知れないが、それなりにメリットもあるか。(線引きとかどうするのだろうか。紙の方が便利な点が一杯あるのに。)
教科書まで、デジタル化されたら、もう学者や特殊な業界以外の人間は、書籍というものに一生涯親しむことがなくなる時代がやってくるだろう。
僕が小学校の時は、馬鹿だったから、教科書を無くしてばっかりいた。あるいは、イジメで盗まれていたのかも。
(劣等人間は、自分が虐められていることさえ気づかず、当然の様に思い込んでしまう。信じられないが、それが真実なのだ。)
いずれにしても、その都度、書店とか教科書会社に電話をしたりして、代本を手に入れるのだが、どうしても無理なものがあった。
結局、社会の教科書、全部を母親がトレーシングペーパーで全部写してくれた。写すのに時間がかかるので、友人の何人かに頼み込んで、毎日、少しずつ、写し取った。
一番苦労したのは、図表であり、これだけは、出来るだけ忠実に写そうとするのだが、コピーも無い時代なので、それも、非常に大変だった。
教科書がデジタル化されれば、そういったことはなくなる。でも、新学期、新年度に配布される真新しい教科書のインキの匂いとか、ピカピカの装幀を開く喜び、そういったものが無くなってしまう。
夏休み中は、野球部の練習がうるさかった。あの、ウォーというアホウなかけ声が特にうるさかったが、それも止んで大分、楽になった。
ウザイのは、校内放送である。校庭には、誰もいないのに放送垂れ流しで、1人の教員を呼ぶのに、地域数キロ四方に響く大音声で放送をするのには、呆れるというか前近代的である。
全員が携帯を持っている時代なので、教員を呼ぶ時は、携帯を使用した方が、確実である。病院の様にPHSでも良い。
兵庫県の学校教育は、道路工事と同様に、特に後進性が強いので仕方がないが、このままでは、世の中に置いていかれると思う。
なんせ、兵庫と大阪が学力テストのランクが最低なのだそうだ。
こんな中で、民主党が仕分けで、一端、廃止と決定した、学校のIT化、電子黒板の設置とかは、その後、復活、朝令暮改で、今度は、推進政策として、取り組む様だ。
作業仕分けは、旧自民党政治の禊ぎであり、否定であったが、良いものは、残さざるを得なくなった訳。
10年後には、全教科書がデジタル化されるという。つまり、IPADの様な端末に教科の全内容が収録される。この辺りの政策路線も、民主党らしく、極端である。
おそらく色々な問題が発生するかも知れないが、それなりにメリットもあるか。(線引きとかどうするのだろうか。紙の方が便利な点が一杯あるのに。)
教科書まで、デジタル化されたら、もう学者や特殊な業界以外の人間は、書籍というものに一生涯親しむことがなくなる時代がやってくるだろう。
僕が小学校の時は、馬鹿だったから、教科書を無くしてばっかりいた。あるいは、イジメで盗まれていたのかも。
(劣等人間は、自分が虐められていることさえ気づかず、当然の様に思い込んでしまう。信じられないが、それが真実なのだ。)
いずれにしても、その都度、書店とか教科書会社に電話をしたりして、代本を手に入れるのだが、どうしても無理なものがあった。
結局、社会の教科書、全部を母親がトレーシングペーパーで全部写してくれた。写すのに時間がかかるので、友人の何人かに頼み込んで、毎日、少しずつ、写し取った。
一番苦労したのは、図表であり、これだけは、出来るだけ忠実に写そうとするのだが、コピーも無い時代なので、それも、非常に大変だった。
教科書がデジタル化されれば、そういったことはなくなる。でも、新学期、新年度に配布される真新しい教科書のインキの匂いとか、ピカピカの装幀を開く喜び、そういったものが無くなってしまう。
これが、関西大学の特色で、今も昔も変わらない。 ― 2010/09/01 11:47
文部科学省 平成22年度「大学教育・学生支援推進事業 大学教育推進プログラム」に文学部の取組が採択
http://www.kansai-u.ac.jp/mt/archives/2010/08/22_4.html
「関西大学文学部では、1学科多専修制による一括入学、初年次教育の充実、2年次専修分属、19の専修領域におよぶ幅広い学び、専修ゼミによる卒業論文作成をとおした深い専門的探求など、継続的に改革を進め、現在、多様な領域の総合性と課題探求の独創性を培う教育課程を実現しています。本取組は、このような教育課程のもとで、学生自身の気づきと主体的な学びを促すことによって、多様な社会の中で生きる力(学士力)をより効果的に培い、約2万字(400字原稿用紙50枚程度)におよぶ卒業論文の作成過程を通じて文学士を実質化するために、初年次教育から専修ゼミを学びの中心にした学びの環境作りをめざします。」
この文章、日本語なのか、何が書いてあるのか全くワカランし、具体的なことが一切書かれていない。某政党のマニュフェストでもあるまいし、文科省のご機嫌取りの為に適当に文章を並べたものに過ぎない。
ここには、実際の学部生への思いやり等も微塵もない。これが、関西大学の特色で、今も昔も変わらない。
果たして、「学士力」とはなんぞや。また、また、「文学士の実質化」って、どんなこと、今までは、「空」の存在だっていう訳なんだろうか。
学生を馬鹿にしている。前回の記事で僕が書いた通り、1回生からの専門教育を充実させるらしいが、具体的に何を行うのか。
「気づきと主体的な学び」そんなのは、もともと基本であり、日々の教育の中で実践されるものである。
「多様な社会の中で生きる力」(学士力)というが、具体的には、どんな「力」を指すんだろうか。
こんなハッキリしない教育方針の大学の出身者を僕が、経営者だったら、採用したくないなぁ。
http://www.kansai-u.ac.jp/mt/archives/2010/08/22_4.html
「関西大学文学部では、1学科多専修制による一括入学、初年次教育の充実、2年次専修分属、19の専修領域におよぶ幅広い学び、専修ゼミによる卒業論文作成をとおした深い専門的探求など、継続的に改革を進め、現在、多様な領域の総合性と課題探求の独創性を培う教育課程を実現しています。本取組は、このような教育課程のもとで、学生自身の気づきと主体的な学びを促すことによって、多様な社会の中で生きる力(学士力)をより効果的に培い、約2万字(400字原稿用紙50枚程度)におよぶ卒業論文の作成過程を通じて文学士を実質化するために、初年次教育から専修ゼミを学びの中心にした学びの環境作りをめざします。」
この文章、日本語なのか、何が書いてあるのか全くワカランし、具体的なことが一切書かれていない。某政党のマニュフェストでもあるまいし、文科省のご機嫌取りの為に適当に文章を並べたものに過ぎない。
ここには、実際の学部生への思いやり等も微塵もない。これが、関西大学の特色で、今も昔も変わらない。
果たして、「学士力」とはなんぞや。また、また、「文学士の実質化」って、どんなこと、今までは、「空」の存在だっていう訳なんだろうか。
学生を馬鹿にしている。前回の記事で僕が書いた通り、1回生からの専門教育を充実させるらしいが、具体的に何を行うのか。
「気づきと主体的な学び」そんなのは、もともと基本であり、日々の教育の中で実践されるものである。
「多様な社会の中で生きる力」(学士力)というが、具体的には、どんな「力」を指すんだろうか。
こんなハッキリしない教育方針の大学の出身者を僕が、経営者だったら、採用したくないなぁ。
ディテールを描く段階でやはり、描き手の癖というか個性が出てしまう ― 2010/09/01 21:25
今日も引き続き宿題の続き。
一番左が自分が描いたもの。
真ん中が、輪郭描写の手本
右が全体の線描の手本。
大まかな肉付けを終わって、手指とか、あるいは衣装とかそういったものののディテールを描いていく。
ディテールを描く段階でやはり、描き手の癖というか個性が出てしまうので、手本と似ていない部分も出てくる。
あんまり細かく描いてしまうと、塗装とか大変なので、これくらいの方が良いかも。
光輪の一番外の部分が用紙の都合でカットされてしまっている。
これって仏様の絵ではヤバイかも。
久しぶりに線描にしろ絵を描く楽しみを味わえたので、それで良いと思っている。
土曜日の講座に持参して、どの様なことを師匠に言われるのかが気になるなぁ。
一番左が自分が描いたもの。
真ん中が、輪郭描写の手本
右が全体の線描の手本。
大まかな肉付けを終わって、手指とか、あるいは衣装とかそういったものののディテールを描いていく。
ディテールを描く段階でやはり、描き手の癖というか個性が出てしまうので、手本と似ていない部分も出てくる。
あんまり細かく描いてしまうと、塗装とか大変なので、これくらいの方が良いかも。
光輪の一番外の部分が用紙の都合でカットされてしまっている。
これって仏様の絵ではヤバイかも。
久しぶりに線描にしろ絵を描く楽しみを味わえたので、それで良いと思っている。
土曜日の講座に持参して、どの様なことを師匠に言われるのかが気になるなぁ。
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