名古屋風デザイン力 非洗練の美2011/02/03 22:39

名古屋というのは、大阪にない別の意味でのパワーがある街だと思う。

それを僕は、敢えて、「名古屋力」と呼ぶことにする。
その象徴は、やはり、金の鱐だし、豪華絢爛、戦国趣味である。

信長の安土城は、名古屋趣味というよりも、もっと個性的な趣味。
そこには、支配者の孤独が感じられる。

名古屋趣味というのは、やはり、中村の生まれの秀吉の趣味
だと思う。そこには、無垢の純粋さ・喜びに満ちた豪華趣味だと思う。

こうした気質は、名古屋人に代々受け継がれていく、そうして、
西洋近代建築を取り入れる際にも、京都とか神戸、大阪と違った、
洗練とはほど遠い趣味性を発揮する。

例えば、名古屋県庁近くの庁舎の建物である。それ程、古くはなくて、せいぜい大正末期から昭和初期の建築であるが、やはり凄い。

凄すぎる.....

文様の執拗なリフレインの繰り返し、くどすぎる装飾。
関西人の目からみれば、やはり違和感があるが、久屋大通駅の名古屋の市街地のメッカという点から、みれば、これでも地味な感じなんであろうか。

執拗な程の文様への拘りは、例えば、関西では、浄土真宗の大谷派の近代建築にみられるものと共通している。

真宗系の近代建築はもっと、模様は緻密で蕁麻疹の様に密集して配置しているが、この名古屋の近代建築は、棊子麵の出汁風の隙間というかアッサリしたしたところもある。

しかし、これは、手抜きではなくて、一つの空間の考え方であろう。
しかし、わびさびの芸術感とはほど遠い洗練されていないものである。

それでも魅力を感じるのは僕だけなんだろうか。

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