後醍醐天皇2011/02/03 23:37

 後醍醐天皇の建武の新政は、日本史上数すくない「奇跡」である。

 例えば、13世紀も終わり近づいた時に起こった「元寇」で神風が吹いたこと、これは、仏教芸術史でも習ったが、国家の危機存亡なので、降三世夜叉明王に祈祷を行う。その結果、奇跡の神風が吹いたということになっているが、最近の海底考古学の発掘調査でもたしかに大暴風が吹いたことは確認されているが、当時の船乗り達も、この天候異変に気づかない筈もなく、危険を避けて停泊や上陸が出来なかった。つまり、それだけ、海岸の防衛戦が強固であったということで、これは、奇跡というよりも戦略的勝利ということになるだろう。

 一方、それから五十年後の後醍醐帝の挙兵は、西国だけで、二十万騎、全国合計で四十~五十万騎兵の北条氏、幕府軍に尊氏が加勢したといっても、僅か十五万騎で勝利したのは奇跡である。

 後醍醐帝は、勿論、それだけの兵を有してはいなかったが、この帝王の「文化的求心力」によって、多くの武士が帝側に加勢することになり、幕府軍に打ち勝った。

 つまり、プロパガンダの勝利である。更に、そのメディアとしては、皇子を各地に派遣したことが大きい。つまり、人間がプロパガンダの宣伝媒体の役割を果たした。

 しかし、この奇跡も長続きはせず、3年で終わった。つまり、どこかの国の内閣と同じで、マニフェストの不履行と宣伝以外の実際の求心力にかけたのである。

 また、地方行政について具体的なビジョンを示さなかったのが、支持の低下要因である。

 同様の「革命」が行ったのが、明治維新であるが、これは、本質的に異なる。1人の帝王の求心力というよりも、藩閥の実質的戦略の勝利である。つまり、戦力・兵力が幕府軍に優ったことや、建武新政の失敗の轍を活かして、地方行政について、廃藩置県で、分断を阻止して、集権化に成功したから長期政権の維持に成功した。

 権力支配のメディア力と言えば、やはり、ナチスドイツであろう。当時考えられるあらゆるメディアを活かして、「文化的求心力」で人心を掌握したのである。しかし、ソビエト侵攻で敗北した。これは、単なる兵站作戦の失敗とか気象条件の認識の欠如とかいろいろ言われるが、対ソビエト戦では、ナチスは、メディア戦争に敗れて、「文化的求心力」を失ったのである。

その良い例が、ショスターコビッチの交響曲第7番「レニングラード」である。この初演の楽譜がマイクロフィルムに収められて、ナチスの手を逃れて世界各国に送られて、アメリカで、トスカニーニによって初演された。それ以外にもソビエトは、ラジオ放送を駆使して、人民に戦争の貫徹と勝利を呼びかけたのである。

 こうしたソビエトのメディア攻勢にナチスドイツは敗れたのである。

 ナチスドイツは、優れた技術力を持っており、テレビ放送は、連合国陣営に先駆けて実用化に成功していたのにかかわらず、実際のメディア戦争に役立てられることはなかった。

 テレビ放送のメディア力を戦略に徹底的に活かしたのは、アメリカである。

 今、エジプトのムバラク政権が崩壊に瀕しているが、これは、中東地域の非王政国を中心にした「インターネット革命」という新たなメディア革命が、独裁政権の崩壊に導いたのである。

 この歴史的事実・奇跡は、既にテレビが世界のメディアの主役の座から追われたことを意味している。

 ムバラク政権が、国内のテレビ放送局を軍にいち早く掌握させて「メディア支配権」を確保しようとしたが、その効果もなく、「インターネット革命」、つまり、メディア戦争の敗者となった。

 この様に古今東西を問わず、メディアというのは、歴史的奇跡を産み出すが、その後の政権維持について、そのメディア世界の理想を実現すべく、実質的なシステムを構築し得るか否かが、革命政権の長期化の条件になるようだ。

 日本は、今年7月か地デジに変わる。しかし、地デジというのは、こうしたテレビ→ネットというメディアの主流の変化の中で、時代遅れとなっており、地デジに拘るよりも他の国の様にネットワークテレビ、メディアが中心にならない限り、この国のグローバルな「文化的求心力」は、更に低くなり、一層の凋落を招くのではと危惧している。

コメント

トラックバック