苦しみから逃れるには世を捨てる以外にない2011/03/01 09:16

 間もなく、叔母の1周忌になる。姉の葬式にも出なかった母親であるが、毎年、この時期に飾っている小さな紙製の雛人形を今年は、飾っていないところをみると、やはり、悲しさが心の底に広がっているようだ。

 僕にとっても叔母唯一の親族の中での理解者であっただけに、未だに、その空虚な気持ちは消えない。

 この年齢になって何故、人は結婚するのか理解出来る様になった。それは、社会的な立場や子孫を残すということだけでなくて、単身では、肉親の看取り(介護)や死別の苦しみに耐えられないからである。

 生老病死の苦しみから逃れるには、一切の交わりを立って出家する以外にないが、僧侶なのに妻帯が当たり前の今の日本仏教では、その様な場が提供されていないので、無理である。

 タイとかビルマに帰化して、僧侶になる以外になく、まさに水島上等兵の世界である。結局、戦友とか死者を弔うにも、今の日本の出家・在家共に、世俗のシガラミと離れることが出来ないので、水島上等兵は、ビルマの地に骨を埋めることにしたのだと思う。

○折り紙の雛も飾らぬ一周忌

隠れた発達障害2011/03/01 09:32

 今、「隠れた発達障害」が大きな問題になって来ている。特に精神面での発達に関する医学的知識が乏しかった時代に幼年期を迎えた今の50歳以上の世代に、適合するケースが多いという。

 現在の乳幼児期の検診でさえも10%程度が、検診の網を擦り抜けてしまうという。

http://outlandos.blog.eonet.jp/outlandos_damour/2008/08/post-2cc2.html

 特に軽度の発達障害については、その異常の判定が難しい。特に対人関係の疎外については、例えば、それ程、親しくない人とのコミュニケーションについては、うまく行っても、より深い交流・親好の段階で躓いてしまうのである。

 まさに僕である。

 結局、そうした発達障害を秘めている人格というのは、割と社交的なイメージがあり、見知らぬ人にも、抵抗なく接することが出来るが、一度、その交流の輪の中に入ってしまうと孤立してしまう。

 一般の人達は、発達障害と思わないから、それは、自分中心とか、協調性の欠如とかそういった風の評価をされる。

 特に企業の中で、この様な状況が起きれば悲惨であるし、人命を預かる様な職種、例えば、車両の運転士、医師、警察官等にその様な精神的な欠陥・疾病が潜んでいた場合には、大変なことになる。

 僕も、一度、検査を受けてみようと思う。

雨漏りと靴の水漏れ2011/03/01 23:56

今日も、大阪に出かけたが、鵯越えの辺りは、一面の霧の様なものが立ちこめていた。そういった中を電車が走り抜けていくのは、やはり、面白いと思う。

静かに降っている雨の様だが、2階の天井に雨漏りを発見。早速、M産業さんに、連絡したが、また、出費が嵩んでしまうだろう。

雨漏りは、何が何でも治さないと、全てが駄目になってしまうので、大変。借金しても治すべきであると思う。

靴も水漏れを発見で、今日、買い換えた。1足2千円。この靴は、凄く良い時と悪い時がある。同じメーカーなのに不思議だと思う。

○陋屋に未だ居座る春炬燵
○春泥に靴をとられし夕まぐれ
○新しき靴さえ濡れて春の雨
○玉筋魚の皿一杯に陣取りて
○山越えの春霧に線路消え
○松ヶ枝の春雨に濡れ匂い立つ