水道漏れが起こっている住宅で、床に貯まった水を掻い出しているようなもの2011/03/31 10:13

 原発事故での汚水除去作業は、いくらやっても事態は進展しない。冷却水は常時注水する必要があるので、いくらでも漏出してくる。

 水道漏れが起こっている住宅で、床に貯まった水を掻い出しているようなものである。漏水箇所を調査し、コーキング剤を充填する作業が必要である。

 東電社員で決死隊を編成するか、ロボットに委せれば良い。

 先日、紹介した、iROBOT社の製品は、こうした役割、十分に果たせる機能を持っている。米軍が数千台、イラクやアフガンの投入している機種で、敵のアジトを襲撃、爆破する際の先遣隊の役割を持っており、兵士の背中に背負って運搬出来るが、1屯以上の牽引能力を持っている。

 上部のランチャーには、偵察カメラ、ファイバー、充填用ノズル、ドリル、銃砲類まであらゆるものを載せることが出来る。
 http://www.irobot.com/gi/ground/710_Warrior

 もうロボットは戦場では、必要不可欠な存在であり、第1次世界大戦の航空機並みの戦術的価値を持っている。

 余談は、別にして、これらを投入すれば、タービン建屋位には、容易に侵入出来るし、排水作業はもとより、漏出箇所の断定、あるいは、格納容器内にも侵入可能である。

 前にも書いた様に対症療法では、事態は解決しない。東電会長も認めた様に、廃炉決定なので、「復旧」→「解体」へと対応が変化した。

 役立たずの東電から日米同盟の軍に権限を委譲して、原子炉解体、放射能封じ込め作戦を展開した方が、事態は早急に解決するだろう。

近畿地区は最悪である2011/03/31 11:24

 今後、日本からの輸出品は、工業製品、食品を問わず、放射能安全マーク等の貼付が必要になるかも知れない。

 つまり、輸出通関時に放射能検査を行って、検査証票を発行することは、既に日本貨物検数協会神戸支部等でも実施されている。

 それもその筈で、この図をみていただきたい。
http://www.nikkei.com/news/image-article/dc=1;g=96958A9C93819595E1E2E2E0EA8DE1E2E2E1E0E2E3E39793E3E2E2E2;bf=0;ad=DSXBZO2587391030032011I00002;R_FLG=0;z=20110331

 よくも、まぁ、こんなに原発が乱立していること。こんな妙な国は、日本以外には、いくら資源小国だと言っても、これだけの数の原発が本当に必要なのだろうか。

 地球温暖化への対応で原子力の有効性を昨年辺りから民主党政府とか民間企業が馬鹿みたい言っていたが、温暖化の実害よりも放射能汚染の方が嫌である。

 近畿地区等は最悪である。あの狭い若狭湾に御浜、大飯、高浜と合計8基の原子炉が稼動している。この記事もどれかの原子炉で、発電された電力を使用して稼動しているPCによって書かれている。ここに津波や地震(こちらの方が可能性が高い)が来た場合は、文字通り、万事休すである。こうなると、北海道にでも逃げる以外にないが、こちらも津波や地震の恐怖はついて回る。でも原発被害よりは、マシである。

民主党政府は、原発からバイオとかそんなことに方向転換を示唆している(菅総理の思いつき発言)が、バイオマスや風力で原発の発電能力を補える筈がない。

30年程前に、ソフトエネルギーという本(講談社新書)を読んで、将来、こんな時代が来ると思ったが、そこに既に書かれていることは、ソフトエネルギー(バイオマス、風力、太陽光)と、ハードエネルギー(原子力、火力、水力)とは、もともと別の範疇になり、相互にエネルギーの代替効果を期待することは無駄であるという。

 結局、夏は、クーラーを我慢し、冬は厚手の服を着て、気密性の高い部屋で過ごす以外にない。

 EV車なんて、もっての他である。

事業仕分けで、多くのダム建設が中止になったのは、民主党の原子力推進政策の影響である。水力発電所を建設するにも限界があるし、工場、家庭用の燃料電池の普及の徹底を図り、太陽光を含めて電気は、供給されるものから、水と酸素等の資源を元に、ユーザー自身で創り出すものにしなければならないのだろうか。

三月尽2011/03/31 11:34

暦の上では、三月晦、三月尽である。

三月尽は、中世和歌文学では、特別の意味を持つ。春が終わり、夏を迎える季節の転換点である。

美しさをただただ愛でるだけの平安朝和歌から、諸行無常の仏教的な末世思想に色濃く染まった中世の人達は、この季節の移ろいに特別の感情をもったようだ。

ブログを書き出して5年が経過した。5年前には、母親も元気であったが、今は、自分のことは自分で出来るが、寝たきりに近い状態。

食事も作る側から作ってもらう側に換わった。父親の方がもともと料理が上手なので、別に気にしていないようである。

「お母さん、何も出来なくなったね。」ということをこの間も話していたが、それでも、両親が揃っている家は恵まれているのかも。今回の震災でも片親、あるいは、両親ともなくなった子供さんも多い。あるいは、ある小学校では、気象庁の津波予報(3メートル)を信じて、校庭に集合して点呼している最中に数十メートルの津波が押し寄せて、児童の半数がなくなったところもある。

あるいは、避難所で、水や食事を譲り合って暮らす内に、体調が悪くなり、せっかく地震から助かったのに、その後の過酷な避難生活でなくなった人もいる。

○母のみになりぬと言ひし遅き春
○家も消え子も亡き庭に梅咲けり

とにかく、このブログもこれで終わりである。

☆5年間、この様なくだらないブログをみていただいてありがとうとざいます。(尚、ブログ記事の整理上、一ヶ月間は閲覧は出来ますが、記事の更新はこれで終わりです。)