菩提心2011/01/26 09:54

 昨日の法然忌、僕は、すっかりと忘れて仕事に追われていた。これではイケナイと思う。風花が舞う寂しい日であったが、法然忌に相応しい日であったと思う。

 法然上人が母親と別れて比叡山に入って半世紀以上、一度も再開することはなかった。

 激しい母親への憧れが、純粋な専修念仏の探求の道に昇華されていったのだと思う。

 その様な菩提心については、江戸時代の説教浄瑠璃に幾つも描かれており、そこには、法然の生身の人間性が感じられるのは、どうゆう訳か。

○法然忌嗚呼垂乳根の観世音
○風花と舞い舞い踊る供養仏

『正岡子規 言葉と生きる』2011/01/25 23:05

 稔典先生の『正岡子規 言葉と生きる』である。

 稔典先生には、佛大の大学院のゼミ授業で正岡子規の主要な散文については、習う機会を経た。

 特に『病床六尺』や『仰臥慢録』等の作品を分担して読んでいったと思う。

 俳句については、殆ど、その表現については習わなかったのか記憶にない。

 僕は、稔典先生に「俳句って何が面白いのか僕には判りません。」と面と向かって言ってしまった人間である。

 でも、実は、関大時代から子規句集は読んでいたし、漱石書簡集にも子規のことは出てきていた。

 でも、僕の興味は、尾崎放哉であった。

 何故ならば、小豆島で絵描きの祖父の元に預けれており、小豆島霊場第五十八番札所西光寺奥の院南郷庵等の旧跡を祖父と一緒に訪問して、祖父がスケッチしているのを横でみていたからだ。


 「俳句とは、偏屈なもんやが、それ以上に偏屈なのが、放哉や。」と言っていたし、よく小豆島のアトリエを訪れた竹中郁も同様のことを口にしていた。

 僕が最初に俳句を詠んだのは10歳の時であるが、「祖父が俳句みたいなくだらんものは止めとけ。もっと子供らしい詩を習え。」と竹中さんの児童詩というのをやらされて、子供の目とかそういった本に当時の僕の詩等が載っているが、本人は、全然面白くなかった。朝日新聞にも僕の詩が載ったことがあるが、恥ずかしいだけだった。

 児童詩らしい直接性を装った白々しい表現に吐き気を催した。
 小豆島では、俳句とか詩よりも、昔の「蛸壺」とか漁師が海から引き上げた古い沈没船の陶片等に興味を示している年寄り臭い子供だった。

☆☆☆
 ところで、正岡子規の「写生」という考え方については、稔典先生は、他の俳句の師匠様達に比べて、距離を置いてみられていると思う。関大では、乾裕之先生や谷澤先生に芭蕉の連句を学んだが、やはり、同様に彼らの発句も、対象から距離を置いてみられている。

 芭蕉の俳句には、「客観写生」はみられないのだろうか。

 例えば、子規句集(高浜虚子 岩波文庫)の巻末に稔典先生は、解説を書かれている。

 その中で、虚子は、「明治の俳句は、月並みの中から芽生えて、新しき客観写生の境地を招き来たった。」と述べていることを引用されているが、虚子がいう「客観写生」と子規の「獺祭書屋俳句帖抄」で述べている「写生的妙味」が判ったと言っていることと同じ次元で捉えるべきか否かについては、結論を出されていない。

 子規句集の明治二十二~二十三年までの俳句と、「写生的妙味」が判ったとしている明治二十七年以降の俳句とどう違うかと言う点で、たしかに僕の印象でも、初期の俳句は、「言葉の妙味」に重きを置いていることが判る。そうして、声を出して読んでみると判る様に、スピードが遅く停滞的である。明治28年以降の俳句は、たしかにその点で、「視覚的表現」、「焦点の明確化」、「直接的印象表現」の点で凝縮が進んでおり、スピーディであり、一種の緊迫感がある。これが、「写生的妙味」なんだろうか。

 稔典先生は、子規の初期俳句について、「言葉遊びに富む回覧雑誌の編集や漢詩の創作に熱中した時期を持つ子規には、俳句においても、一種の言葉遊びを楽しむ面があった。」と述べている。

 そうして、この「言葉遊びと創造の密着」が子規の初期の俳句の原点だとしている。虚子は、この「言葉遊び」を排除したのが、「客観写生」であったとしているが、果たして、子規本人は、どの様に考えていたのだろうか。

 斎藤茂吉は、虚子とは違う子規の「写生」についての見方を持っていた。それが、「端的単心の趣き」であり、これは、「客観写生」とは違う。むしろ、「素直な遊びの精神と創造が密着した境地」であり、虚子が認めたがらなかった点を評価されている。

 稔典先生も実は、茂吉の見方に近いと思う。「F君、俳句なんて、写生、写生と言っても、そのまま直接的な感動とか印象によって俳句を作ろうとしても、それは、絶対無理だよ。」っと言われたことを記憶している。むしろ、対象から距離を於いた遊びの精神である。

 さて、今回の『正岡子規 言葉と生きる』であるが、どの様な見解が述べられているだろうか。「言葉」の捉え方と子規の生き様の関係について、新しい見解が示されていると思い、これから楽しみに読み始めるとしようか。

もう150冊は、同じ人から買い続けている。2011/01/24 23:10

ビッグイシュー第9号からずっと同じ人から買い続けている。

よく頑張って販売しているものと思う。現在159号なので、もう150冊は、同じ人から買い続けている。

最近は、堂島地下街までなかなか行かないので、3冊一度とか買ったりする。買った時に、販売しているオジサンが凄く嬉しそうな顔をするので良い。

最近は、物を買っても社員とかアルバイトの人が多いので、こんなに嬉しそうな顔をする人は少ない。

そういった売る人と買う人の関係って良いと思う。

最近、読んだ中で印象に残っているのは、やはり、ダライ・ラマ14世の記事で、中共にチベットが占領されて、逃げる時の様子とかいろいろ書かれている。

中国の人も全てが悪い筈ではないのだけれど、国家とか政党とか資本家とか企業とかそういったものが駄目なんだと思う。

民主党内閣も早く解散して、国民総背番号制とか、消費税増税とかTPPとか、みんな止めて欲しい。

チベットの人達と虐める中共と日本人・国民を虐める民主党とそんなに変わりはないと思う。

「原典」とはなんぞや2011/01/20 00:20

 『アマテラス』(斎藤英喜著、学研新書)

 どこかのブログで喧伝しているので、買いました。ちらちらめくってみると、事前のイメージ通りの内容の様な感じ。

 神話学の人が、記紀や、中世日本紀、神仏習合を論じたら、こんな風になるというのは、なんとなく判るが、国文畑からみたら、やはり、抵抗があるし、学問というよりも、「学問小説風」である。

 つまり、学術資料をもとに壮大なストーリーを作り上げている。論文とも違うかも。

 一応、原典資料とやらが引かれているが、『古事記』新潮日本古典集成 新潮社とあるが、これは、原典というよりも注釈書であり、しかも、原文ではなくて、読み下し文なので、こうしたものは、原典と言ったら、僕の学部生時代だったら、「ゲンコツ」だった。

 やっぱり、古事記だったら、何本を参照したのか、この愚かな僕でさえも、真福寺本の影印で読んでいるのに、どんなものか。

 古事記の神々が当時、どの様に発音されていたのか、それは、こういった原典を読めば、一部に訓点の痕跡もみられるし、同じアマテラスでも読み分けられてことが判る。こうしたことは、本物の「原典」をみなければ、判らない。

 二次資料を孫引きしても怒られない佛大の学風というのは、たしかに自由で好いので、空想作品も生まれやすいが、学術的信憑性という点でどうだか。

 関大は、この逆で、こうしたことを許されない「お堅い学風」なので、「創造的な研究」というのは、関大オリジナルでは生まれなかった。

 私の師の清水好子先生は、関西大学に骨を埋められたが、もし、京都大学の教授であられたら、あるいは、間違って佛大の先生になられていたら、斉藤先生の様に、凄くユニークで面白い研究が幾つも生まれたかも。

 いずれにしても、この本の参考文献の項目をみただけで、「昭和は遠くなりにけり。」で、関大の恩師の木下先生や、神堀先生のお姿が好くも悪しくも忍ばれる。

 こうしたケチをつけたが、内容は、面白く、一昨年に籠神社での斉藤先生の講演を拝聴した内容、中世のアマテラスと元伊勢との関係についての考察にまで発展をみせている部分に研究の進歩の片鱗をうかがうことが出来る。

佛教大学四条センターの黒田先生の講演を拝聴2011/01/15 16:36

 昨日の佛教大学の四条センターでの黒田彰先生の講演を拝聴させていただいた。
 孝子伝図の世界 ―舜の物語攷(二)―
http://www.bukkyo-u.ac.jp/BUSEC/lecture/course/now/kyouyou_bungaku/p28-2.html
 教室は、生徒さんが少なかったので、「少人数授業」で、会議室を使用するという贅沢なもの。
 今回は、舜の物語攷の3回目ということで、
 ①『お伽草子二十四孝』
 ②『太平記32天竺震旦物語事』
 ③『全相二十四孝詩選』
 ④『史記五帝本紀』
 ⑤『列女伝』
 ⑥『孝子伝 陽明本・船橋本』
 ⑦『舜子変』敦煌発掘文書P272、S4654冒頭部
 ⑧『普通唱道集下本孝父篇重花稟位』
 ⑨『纂図附音本注千字文23・24「推位譲国、有虞陶唐注』
 ⑩『三教指帰成安注』
 他数点の文献資料に加えて、『寧夏国原北魏墓漆棺画』、『後漢武氏祠画象石』等の図像資料等々、膨大な資料群を読み解きながら、
 
 い 焚蔵
 ろ 掩井
 は 歴山耕作
 に 易米、開眼
 ほ 堯二女娶
 へ 譲帝位
 ◎ 降銀銭五百文
 以上の7プロットについて、それぞれの資料から抽出し、分析を行った。

 先行研究には、
 増田励氏「虞舜至考説話の伝承 太平記を中心に」があり、増田氏が問題としている『普通唱道集』、『重花稟位』の共通点を指摘しながらも、我が国に伝来している最古の『孝子伝』の陽明、船橋の両本には、◎降銀銭五百文のプロットが抜けていることを指摘し、それは、元々テキストに存在していない要素であり、後から他資料から附記された為であると考察された。
 黒田先生は、これに反論し、◎降銀銭五百文のプロットは、もともと別系統の資料に存在していたものが、陽明・船橋本孝子伝とは、別のルートで伝来したと考えられている。
 舜説話の伝来のルートとしては、次の通り考察されている。
     →伝本 →   →孝子伝
 原話           →変本→唱道→民間説話
     →民間口承伝承
 つまり、◎降銀銭五百文のプロットについては、口承伝承系のテキストが西域を中心に流布した説話に起源があるとの説をおっしゃられた。

☆☆☆
 私が、この講演を聴いてもっとも興味を持ったプロットが、ろの掩井である。この部分に◎降銀銭五百文のプロットが変本に入り込んでいる。
 ペリエ本の敦煌文書舜子変には、
 「舜井を浚を聞いて、心裏(裏にある企み)之を知る。すなわち、衣裳を脱ぎて、井縁に跪拝して、井に入り、泥を浚う。上界の帝釈天は、(これをみて)密かに銀銭五百文を井中に入れる。舜子すなわち、泥罇の中に銭を置きて、令して後、母引き出す。数度、上の阿嬢に向いて乞う。『井中の水は満ち銭も尽きたり我を出でさせて、飯盤食させるは、阿嬢の徳に能わざるや。』後母、これを聞いて、瞽叟を欺いて曰く....」とある。
 孝子伝には、「或いは、深井を掘りて出さしむ。舜、その心を知りて、先ず傍らに穴を掘りて、之を隣家に通ず」とある。孝子伝には、「銀銭五百文」の部分は見あたらない。
 訓読が大変なので、省略したが、変文では、この後、瞽叟は、後妻にだまされて、石を持って穴を塞いで、舜を殺そうとする。そこで、帝釈天は、黄竜に姿を変えて、舜を引っ張って、東の家の井戸に穴を通じて出してやると、さすが、仏教の布教・啓蒙を旨としているだけあって、帝釈天が活躍する仕組みとなっている。

 この様な違いをどう考えるかというのが、増田論文の出発点であるが、舜に関する説話・孝子伝のルーツは、遙か後漢の時代、つまり、仏教が伝わる遙か以前から行われていたと考えると、もともとは無かったと考えざるを得ないと思う。つまり、この変文は、舜の伝記であると同時に帝釈天への賛歌になっている点が、原話を変質させていると考えるのである。
 「掩井」のプロットは、かなり原話に遡る古い時代から行われて、私の考えては、多分に、説話の西域性を示していると考える。
 その根拠として、井戸を掘り下げて、地下水路を通して、隣の井戸に連結させるということは、水分の蒸散を防ぐ為に西域を中心にカナートと呼ばれている。(図参照)
 

 この井戸は、イランやペルシア起源があると考えられているが、後漢の時代、つまり起源3世紀頃までには、中国の甘粛省等の地域に伝来している。
 その井戸の名前が、カンアルジン(かんじせい/坎児井/KanErJing)と呼ばれており、その意味は、「児を埋めた井戸」すなわち、舜の「掩井」のプロットそのものを示しているのである。
 黒田先生は、この説話の「入遊歴山」という語句に注目されて、実際に、歴山の舜井や竜泉を訪ねられているが、私の解釈としては、舜の説話が誕生してからかなり後の時代に成立した遺跡であり、年代考証が合わないのではないかと考えるものである。

 



仏教俳句5句2011/01/11 21:31

仏教をテーマにした俳句5句

○大晦日梵我一如の鐘をつき
○初薬師霊木化現新たなり
○かぎろひの瑠璃光浄土目指したり
○涅槃会の別れの庭は無余無相
○初不動心眼透し母映る


 「霊木化現」(れいぼくけげん)の句、安藤先生にみせたいなぁ。まだ、ブログみてくれてるのかな。

佛大通信教育部の紹介ビデオ2010/12/25 16:22

佛大通信教育部の紹介ビデオが出来た。

http://media.bukkyo-u.ac.jp/ext/tushin-net01.wmv

なかなか良いビデオだと思う。
もっと前から出来ていたらと思う。これで学生さんが増えてくれたら良い。

A先生が、先日、僕がブログに書いた迦瑠羅と不動明王像についてお話されている映像が印象的だった。
http://fry.asablo.jp/blog/2010/11/25/5537761

少しだけ霊鳥としての迦瑠羅のお話をされている。

また、こんな夢をみた。2010/12/05 14:21

 また、こんな夢をみた。

 ある沙門が僕の前に現れて、次の様な説明を繰りかえす。

 場面といえば、説一切有部の考え方をしていまうが、「諸行無常」が、何故、そうなるのかという説明づけについて、説一切有部では、現象(人間の感覚・意識で捉えられる対象)とは、刹那単位で点滅を繰りかえすフィルムの1コマの様なものだと説明している。

 瞬間的に止滅するので、人が意識している時には、もうその現象は存在しないのである。この無数の繰り返しが、私達が、諸行無常として捉えているものである。

 ブッダの教えによると、「我」は存在しないという。「我」は、アートマンと呼ばれるもので、突き詰めれば、1つの方向性を持った現象の集合体である。

 それは、例えば、生前に善行を行ったかそうでないかで、極楽か地獄か、あるいは、畜生の世界に生まれ変わる様な輪廻を続けるかの道筋が決定されることである。

 もし、その様な方向付けが可能であるとすれば、現象ユニット(認識される)間を関係づける因果ユニット(人には認識出来ない)が1つの方向性を持って動いていることになる。
 
 ブッダは、アートマンを否定しているのだから、1枚・1枚の現象ユニットを結合させている因果ユニットは、バインダーの様な存在だが、これは、個々の現象ユニットを接着しているだけで、全体としての方向の位置づけはない。

 つまり、ニューラルネットワークの様な連鎖によって、現象は進行していくと認識されている。

 つまり、アートマンは存在し得ないのである。

 龍樹は、去るモノもなく、止まるモノもなく、来るモノもないといっているが、これは、現象ユニットも人に認識されている時には、止滅しているので、実体としての存在はないとしている。

 人に認識されない存在はないという考え方ならば、たしかに、虚であるが、論理自体の存在を否定すれば、その論理の存在を否定する人(私)も対象も何かも存在し得ないというパラドックスに陥ってしまう。
 
 ブッダは、そこまでは、言い切っていないと思う。現象は、その瞬間瞬間の因果関係によって、恣意的に移り変わっていくといっているのみ。

 つまり、後世の仏教的な源氏物語の理解の根底にある宿世・因果(この場合は、マクロとしての「我」と連動する因果)は、存在せず、私達は、未来を如何様にも変えることが出来る筈である。

 従って、過去へのトラウマ、現在への不満、未来への不安を考える必要はないということを悟り、極端な因果につながる様な行動を控えることによって、止滅する現象さえもが、安定した状態に保たれる中道の生き方を奨励している訳だと思う。

 だから、修行という概念は、ブッダにない。しかし、中道の生活を行う為の生活環境を維持することには意義があり、教団・サンガが形成された。

 こうしたことを大乗仏教の立場からみれば、自ら修行して自ら悟りを開くという見方になるが、実際は、そうではないのだということが、部派仏教について考えると判る。

 
 また、僕は、上下・左右が無限に広がる空間に沙門に手を引かれてつれだされた。

 よく見ると、無数のホースの様なものが見える。それは、血管の様に不気味に曲がったり、不規則な動きをしている。

 そう、ここは4次元世界なので、現象ユニットとの関連が視覚化されているのである。ある現象の管は、別の現象の管と交わっている。これは、新たな現象間の「縁」が生じたことを意味している。

 沙門は言った。

 「君は、物理の時間に習わなかっただろうか。曲線、曲面は、無限の時空間を旅した後で、再び元の出発地点に戻ってきて、また、出発を繰りかえす、エバーループなんだ。」

 「しかし、その様なものは、仮定の世界だけであって、この不合理な拡散的な世界には、存在しない。曲線・曲面というのは、一定の特性を持った「我」なんである。そう、だから、「我」なんてものは、この世界には、存在し得ないのだ。」

 大乗の場合は、まさに「我」の宗教である。この「我」は、善と救済の特性を持っていると仮定しているが、その仮定自体に無理がある。

 よく、部派仏教を「小乗仏教」と蔑視して、「彼らは、自分の解脱・成仏のみを考えて修行している。」と軽蔑しているが、本来の原始仏教には、「修行」という行為は存在せず、ただ、論理的・合理的に暮らすということである。

 ブッダは、修行を本来否定されていることは、「仏伝」として、大乗仏教の思想でも理解されているので、本当は、修行を通じて、教団を維持していく方向性にある集団にとっては、まことに都合が悪い。

 しかし、菩薩業として、一切利他(自分以外の全ての衆生の仏性を肯定し、解脱に導く)の方向性を見いだしていくという方便で修行活動を肯定する様になっていった。

 しかし、それが新たな矛盾を産み、輪廻転生といった本来ブッダを否定した考え方が定着し、仏教は、非合理的側面を色濃くしていく。

 佛教大学の仏教学部長の松田先生は、「仏教の歴史とは、本来のブッダの教えを否定していく過程の繰り返しに他ならない。」とおっしゃられた。

 僕もその通りだと思った。

 また、ブッダは、「非インド化」を前提に、インターナショナルな教えとして仏教を考えつかれた。「我」とか「輪廻・転生」、「難行苦行」というインドの古代宗教が持つ特性を否定する点から出発されたのだとも言われている。

 これもその通りだと思う。

 しかし、ブッダによれば、「万事、諸行無常」であるので、当然、言葉(理論)・思想・教義自体も年月を経て変化し、滅びていくのは必然であると言われている。だから、「仏教」の進化の最終仮定で、チベット密教の様な、本来のブッダの教えと全くあべこべのことをやっていく宗教に変化しても、これも必然であり、広い視点からみれば、これも、「釈迦の教え」ということになっていくのだと思う。

 以上は、僕が夢にみた屁理屈である。だから、正当な考え方ではないので、ご容赦いだたきたい。

昨晩の夢の中で、こんな研究構想を思いついた2010/12/05 10:18

 昨晩の夢の中で、こんな研究構想を思いついたので、早速、メモしたものをこのブログで紹介してみる。
 支離滅裂であるが、僕が考えているのは、こんな風。

 私の年齢は、既に50歳を過ぎて、老齢期に入っている。源氏物語等の平安朝では、皇族や貴族でも50歳と言えば、天寿をまっとうしたと言える年齢である。源氏物語の若菜下や幻巻等を読んでいても、その様な記述に行き当たる。

 そうした中で、後、数ヶ月で、私の身辺の経済的な命運も尽きかけている状況なので、これまで研究して来たことをまとめてみようかと思っている。

 ①修士論文「光源氏の言葉」の改訂

  修士論文「光源氏の言葉」は、その研究手法として、統計的な分析手法を用いようとしたが、これは、本来、これは、別の研究ジャンルに属するので、「統計的解析で把握出来る源氏物語の構造」という論文に分けようとと思う。そうして、場面中における発話表現を光源氏と他の登場人物とで、幾つかの要素を設定して、それらを分析、比較する作業を中心に、場面における「光源氏の言葉」と発話表現について考察した論文に書き改めようと思う。

 ②新論文「源氏物語の構造研究の新展開 
             ユニットとしての場面展開の特性について」

 ①を踏まえて、新論文を考えたのが、このテーマである。この論文の基礎研究として、以前、学位論文として制作した「源氏物語の絵画化の手法」の内容を更に発展させて、この論文のもう1本の柱とする計画である。

 これまで、拙論「光源氏の言葉」において、源氏物語の発話表現と場面の構造を分析し、この物語のストーリーは、幾つかの場面の組合せによって、展開していくことについての検証を試みた。

 その場面を成立させている要素として、視覚的表現があり、それに関連して、発話表現等の付随的な要素が配置されている。

 一方、場面表現の視覚性に注目されば、物語絵巻という絵画化メディアにおいて、映像と音読(音声・発話表現)の密接な関わりについても注目されるに至った。

 絵巻物は、画像(映像化)されたストーリーユニットの組合せで、享受者に物語の進行を理解させる機能を持っている。ある意味、源氏物語の構想の時点で、そういった視覚化されたストーリーユニットの組合せで構想された可能性もあり得るということ。つまり、その絵巻物の画面・場面の組合せによっては、違った物語の展開を原作者は、楽しんでおり、その中で、最も効果的な組合せを選択しているのではないかとも考えられるのである。

 つまり、作者、紫式部は平安朝における偉大なゲーム作家でありえたのかも知れないということ。

 こうした研究は、現在のゲームメディアや、今後、考えられるこれまで誰もが考えもつかなかった新ジャンルの創造につながると考えている。

 それは、ようやくIPAD等のメディアツールが登場したことで可能になる。
  
 現代のメディア技術の発展による最大の恩恵は、その「可変性」にある。

 つまり、これまでのメディア享受の形態は、その映像や音声、テキストデータ処理技術の発達によって、自由にストーリーユニットの組合せを楽しむことが出来る様になる訳。

 現代のフィクションの作家は、新時代が到来した中で、新らたな作業を課せられる様になるだろう。

 作家は、予め登場人物や場面設定等のデザインを行い、プラットフォーム的なストーリー環境を読者・享受者に提供(既存型のメディア)し、その後、ストーリーユニットの組合せの選択は、享受者に委ねられて、作品自体で自在な変幻と遂げていく。こんな風にペーパーメディアでは、あり得ない様な、作品を作り上げることが可能となっている。

 20世紀の終わり頃から発生、発展を続け、現在、その先鞭・皓歯となっているのが、いくつかロールプレイゲームである。つまり、これは、享受者(ゲーマー)の意志で、場面の組合せを選択肢、更に画面の展開と共にヒロインの性質や能力も連動して変化していくシステムを楽しめる様になっている。

 現在、小説と言えば、ペーパーメディアが中心であり、読者は、固定化されたストーリーを享受する他はないが、IPAD等の電子メディアでは、一応、基本となる場面、映像、文章の組合せが準備されており、定型的な楽しみ方も出来るし、あるいは、読者の趣味による選択、あるいは、偶然性(シャッフリング)によって、毎回、違った作品展開を楽しくことが出来る様になるのではないだろうか。

 つまり、1つの作品でありながら、1つとして同じものはない作品を作ることが出来る様になる。

 そうした中で、一番重要になってくるのが、源氏物語の研究で取りあげた様な精緻な場面設計と効果的な表現である。まさに、これは、現代の仮想空間技術と融合してくる。享受者は、別に文章を読む必要はないのである。ゴーグルを被り、アパターとして、映像空間に浸透していく、そうして、様々な体験を行う。その行為が、作品享受として成立する様になるし、仮想空間のオンライン化を図れば、複数の参加者で、この作品を楽しむことが出来る。


 僕が住宅に興味を持っているのは、まさに現代人の生活空間・人生の舞台としての「家」なのである。

 源氏物語絵巻や、物語本文にも精緻な家屋構造の描写が登場する。

 こうしてみると、源氏物語って凄いと思う。遙か10世紀の時空・年月を遡って、現代のニューメディアの世界を予見していたかのようだ。

迦瑠羅とローゲ(ロキ神)との驚くべき共通点2010/11/25 21:13

 迦瑠羅像をクローズアップしたら、こんな具合、凄く精巧に出来ていてマニアの心をくすぐる。

 迦瑠羅は、火の化身であると、佛大の仏教芸術の授業で習った。そうだと思う。つまり、ワーグナー楽劇「神々の黄昏」に出てくるローゲと同じ性質を持つ。

 これは、北欧バイキング神話に出てくるロキのドイツ訛りの呼び方。オーディンの手下で、オーディンは、戦争と死の神である。

 バイキング映画で、勇敢な戦死が船を燃やして葬られる葬儀の場面が登場するが、これは、死者をオーディン(勇者)、炎をロキ(ローゲ)になぞらえている。

 ロキ(ローゲ)は、全てを清める不思議な炎である。だから、神々の黄昏でワルハラが炎上して火につつまれたのは、全ての邪悪のものが清められ、ラインの乙女に抱かれた指輪が封印されることを示している。

 実に不思議なのは、この関係は、不動明王と迦瑠羅(カルラ火)との関係に類似している点である。

 日本の仏教説話、神話学でこの点を指摘して人はいないだろうか。不動明王は、やはり、天目であるが、剣を持つ戦の神である。仏敵を退散させる強い力を持っている。

 その背後の炎に助けによって不浄のものどもを焼き払うのである。

 不動明王は、アチャナ・ナータと呼ばれ、密教の尊格で、大日如来の化身である。大日如来は、世界の中心であり、まさに、オーディン→ヴォータン(オーディンのドイツ訛り)に通じる。

 突飛もない考えだが、北欧神話のルーツと密教の天のルーツはどちらもユーラシア大陸を由来としている。

 例えば、フィンランドにも北欧神話の伝統があるが、この民族は、北アジアから移動してきたという。一方、不動明王等は、恐らく、インドの密教圏から大陸を由来して伝来したものと考えられる。

 北欧系の伝説、ケルト系であるが、あの怖ろしい、ベオ・ウルフ伝説に出てくる鬼の怪物、グレンデルとの戦いは、結局、「剣伝説」の部類に分類されるが、あの京都一条戻り橋の上で鬼の腕を切り落とした話と驚く程一致している。

 つまり、北欧神話と迦瑠羅、不動明王との関連性を指摘することは、それ程、奇想天外ではないと思う。

 また、この迦瑠羅の奇妙な嘴は、霊鳥を意味している。北欧神話では、世界の中心に生えるイグドラシルの樹のてっぺんに住む雄鶏を示す。つまり、世界の中心を照らす光、大日如来にも通じるものがある。

 ところが、ガルーダのもととなったインド神話では、その様な象徴的な役割は描かれていない。

 元々のインド系の神に北方アジア系の神を融合させて、迦瑠羅として崇められる様になったのだろう。

 いずれにしても、大日如来と様々な天目の仏様達との関連は、比較文化の視点からみれば、面白い側面が見えてくるのである。

 百目鬼の戯言であるけれども。