3.「怠りてつとめざれば功はなし」2009/08/16 01:07

3.「怠りてつとめざれば功はなし」

 最も、「うひ山ぶみ」では、多くの人々に引用されて来た章段である。

①詮ずるところ学問は、ただ年月長く倦まずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学ぶやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかかはるまじきこと也。

結局、学問は、どんな学び方でも良いから長い年月を絶え間なく、努力を続けることが最も重要である。(係り結びの用法が不適当な宣長らしからぬ文章だと思う。)

 まぁ、当然のことである。長続きしようと思えば、自分に合ったやり方でしか、残っていかない。大学院で博士課程をおえても、スーパーのレジ打ち等の仕事に追われて、もう、学問も何もかも離れてしまっている人もいる。

 大学在学中は、院を含めても精々10年位なのだが、その後、研究職につけないことも多く、その場合、諦めてしまって、すっかり怠惰になり、日常の暮らしに追われてしまうのが人の常であると思う。
 

②いかほど学びかたよくても、怠りてつとめざれば、功はなし。

 先生が薦める様な学習方法でも、怠けて努力しなかったら全然効果はない。
 僕の場合は、不謹慎だと思うが、テキストを寝転んで読んだり、電車の中で読んだり、気楽に出来る方法を選ぶことにしていたので、佛大通信のテキスト履修もなんとか続いたのだと思う。

③又、人々の才と不才とによりて、其功いたく異なれども、才・不才は生まれつきたることなれば、力に及びがたし。

 人間の才能の有り無しで成果は大きく違ってくるが、これは、生まれつきなので、仕方がない。


④されど、大抵は、不才なる人といへども、おこたらずつとめだにすれば、それだけの功は有る物也。

 しかしながら、才能が無い人でも、サボらず、努力をつづければ、それなりの成果を挙げることが出来る。

 モーツアルトとサリエリの関係の様だ。実際には、凡才であったサリエリの方が、努力家であった様で、長生き出来たので、宮廷楽長にまでなることが出来た。モーツアルトは、30歳そこそこで、病死した後、貧民墓地に投げ込まれた。(映画で白い消毒用石灰をかけられている有様が目に浮かぶ。今でも鳥インフルエンザで殺処分された鶏の死骸には、石灰がかけられており、有効な消毒手段であったようだ。)

 サリエリの様な才能がない人は、努力しても仕方がないと思う。
 むしろ、才が発揮出来る分野にうつった方が、人生は幸せになれる筈だと私は思うが、そうでない人もいるようだ。

⑤又、晩学の人も、つとめはげめば、思ひの外、功をなすことあり。

 佛大で最高齢で通信大学院で博士号を取得した方が、06年の3月に表彰を受けた。私もどうゆう訳か表彰されたので、側で、眺めていたが、晩年になると、つとめはげむこと自体が、生き甲斐になってくるので、功などどうでもよくなり、努力を続けるので、無欲による大きな成果だと思う。

 功、功と言っている輩ほど、功をなさぬものだと思う。

⑥又、暇のなき人も、思ひの外、いとま多き人よりも功をなすもの也。

 これも、通信生の為にある様な言葉だと思う。時間がないと時間を効率的に使う方法を習得することになる。

 時間の大切さを知って、無駄を省く取捨選択の作業が必要になり、その選択の作業の中で、現在、学習している事項の中で、何が一番重要なのかを常に考え続けることになり、短時間だとかえって集中出来るので、質の高い学習・研究が出来ることになり、成果につながるのだと思う。

 宣長自体の古典の研究も医者の副業として、晩年の学問として修得されたものであり、又、賀茂真淵とのたった1回のスクーリングと往復書簡による通信教育で行われたのである。

 そういえば、学習会の時にも似たようなことをおっしゃられている先生がおられた様な気がする。

 写真は、本来の鈴屋が建っていた跡。

コメント

トラックバック