ああ、フルトヴェングラー2007/02/24 14:19


 写真はフルトヴェングラー指揮ウィーンフィルハーモニーによるブルックナー交響曲第8番ハ短調のLPジャケットである。
 録音は、1954年4月10日ムジークフェラインでのライブ録音で、イタリアチェトラレーベルをキングレコードが日本販売したもの。
 フルトヴェングラーが生涯を終える前に残り半年余りの時期に録音された。
 このLPは、この30年近く記録を続けている「ボクのレコード購入台帳」によると、関西大学生協で1982年11月に購入した旨記載されており、想い出深い1枚である。
 フルトヴェングラーのブルックナー第8番の録音としては、①同じくウィーンフィルによる1944年10月17日のライブ録音、②1949年3月14日のベルリンフィル演奏会ライブと③1949年3月15日、つまり、翌日に同じ組み合わせで収録されたライブ、④1954年4月10日の今回取りあげたウィーンフィルとのライブ録音の4種類存在している。
 その内、①、②、④のCDは所有している。③は未入手である。
 演奏の特長は、①、②は類似している。フルトヴェングラーらしい起伏のある解釈は、ウィーンフィル、ベルリンフィルともに共通している。ところが、④は、どちらかと言えば静かな表現で特に第3楽章のアダージョは内面に沈み込む様な幽玄とも言えるべき演奏であり、最も気に入っている。
 ④は、①、②に比べてかなり異なった演奏の特色を持っている。
 ブルックナーの交響曲第8番は、初演から、流布されて続けて来た改訂版(恐らく初演時からハンス・リヒターやシャーク等の巨匠によって手を加えられて来たある意味伝統的なスコア)、ハース版(オーストリア国立図書館音楽収集部長ローベルト・ハース(1886-1960)が、手稿譜や様々な資料を基にこれが原典に近い姿の復元を試みた版)、ノヴァーク版第1稿(オーストリア国立図書館でハースの後任を努めたレオポルド・ノヴァーク(1904~)が、ブルックナーがこの曲を最初に完成した1887年稿を元に復元された版)、ノヴァーク版(第2稿)(ブルックナーが1890年に完成させ、宮廷図書館に寄贈された最終稿・第2稿を元にノヴァークが校訂を行った版で最近では、この版がメインで演奏されている。
 ハースは、1887年稿、1890年稿を参考に最も理想的な「原典」の校訂を目指したのに対してノヴァークは、近代文献批判学の成果に基づき、成立年代によって異なる稿の校異をそのまま残して、2つの版としてノヴァーク第2批判全集を著した。
 フルトヴェングラーは、ハースと同時代の指揮者であったので、ハース版を尊重する姿勢であり、①、②の演奏ともにハース版によっている。
 ところが、1954年録音の③では、改訂版による演奏点が問題視されて、フルトヴェングラーの録音ではない贋作であるとの疑惑を受けた。
 1980年代後半のフルトヴェングラー研究者の間で、論争が繰り広げられたが、現在では、フルトヴェングラーの演奏であると認知されるに至っている。
 1990年代?にイタリアのハント社がこの録音をCD化したものを出した。
 その後、私が所有するARCHIPEL(ARPCD0118)等幾つかのレーベルが復刻しており、この度、オーパス蔵が、新たに入手したテープを元に復刻した版を出した。
 OPK7027/8Willhelm Furtwangler / Vienna Bruckner: Symphony No.8 in c minor <rec.1954.4.10Live>
 http://www.opuskura.com/releases_e.htm
 現在、フルトヴェングラーマニアの間で、この1954年版について盛り上がっている。
 主に音質についてである。フルトヴェングラー演奏録音の復刻は、ここへ来てブームであり、所謂、SP、LP板起こしや、ドイツ帝国放送収録のテープ、戦後のテープ録音を元にあちらこちらで復刻CDが制作されているが、どれも音質が微妙に異なるのである。
 オーパス版を試聴した限りでは、従来版に比べて、低音が締まりが良く、中高音の分離が良いのが特長である。
 興味深いのは、次の点である。
 ①初出(写真)のLPでは、音楽と異なるアナウンスや声楽の混信の様なノイズが入るが新しい版では聞かれない。
 ②演奏後の拍手の入り方がLPでは唐突であるが、新しい版では自然である。
 ③音質は、LPの為か幾分ぼんやりしている。また、演奏自体のピッチ(音程)も低い目である等の特長がある。
 オーパス版では、元にしたテープの出所が明記されていない。これでは、オーソライズされた録音であるか判定出来ないので改めて欲しい。)
 LP版は、明らかに放送のエアチェック音源によるものと見られる。だから混信ノイズが入るのだろう。
 いずれにしても同じライブ演奏を別々のルートで収録したものであると考えられる。
 フルトヴェングラーの演奏であるか否かの判定については、例えば、第2楽章の冒頭で見られるフルトヴェングラーの足音、加速時のシューシューとした息づかいが聞こえるが、これは、彼のライブ録音に共通するものであり、これらが、最新の復刻技術によって明確に聞こえてくるので間違いないと思う。
 『フルトヴェングラーの全名演名盤』(宇野功芳著 講談社α文庫)では、これがクナッパーツブッシュの演奏であると言う意見も出たが、この演奏がクナである筈がないし、ハース版でも彼は随所で改訂版を使用していたと指摘している。演奏評は、「朝比奈隆の様なブルックナーを聞き慣れたものにとっては、珍奇以外の何者でもない。」と酷評されている。
 私は、朝比奈やヴァントのブルックナー演奏は退屈極まりなく、特に朝比奈大フィルの演奏は、作家の五味氏が指摘していた様に、アマチュア的であり、感心出来ないと思っているので、宇野氏の意見には正反対である。
 これは、素晴らしい演奏だと思う。晩年のフルトヴェングラーの崇高な境地が聞き取れる。
 当時彼の聴力も低下し、かなり弱っていたと思われる。この為、演奏譜を吟味する体力と時間の余裕はなく、従って、前のチクルスでクナか誰かがブルックナー第8を取りあげた後、そのままのスコア(パート譜)を使用せざるを得なかったと見られる。
 しかし、そんなことはどうでも良いのだ。

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