『十八史略詳解』上下二巻(文学博士辛島驍・多久弘一共著 明治書院)2007/04/19 00:09


 高校生・大学一般教養漢文向けの梗概書である。十八史略の主要部分を抜粋し、訓点・読み下し文、注解を附している。また、説話として、関連する史実・詩歌等も解説し、中国史の概説書としての役割も持つ。
 往復の電車車中で、3月中旬から読み始めて凡そ1ヶ月間かかった。佛教大学の仏教芸術コースで、『絵因果経』の読解演習のスクーリング講義で、先生にいきなり、釈迦の四門出遊の部分の白文教典を渡されて、「君、読んでみたまえ」と指されたが、満足に読めなかった。大学院(通信)の授業では、学生をいきなり指名して読ませる事がなかったので、一般学部の授業の方が、レベルが高い事になる。
 これを恥じて、高校レベルから漢文の読解の学習を始めた。当然、訓点は附してあるが、使役や反語等、疑問等の構文やレ点、一・二点、甲乙丙丁等の複雑な文章も出てくるので、読解の学習になった。一番、困ったのは、簡単な動詞等の漢字が訓読出来ないものが多かった事である。
 十八史略は、高校生の時にY先生に部分的に習った事を記憶している。「鴻門の会」等の緊迫した部分では、先生が一人悦に入って、注釈も解説もなく、ただただ、朗読を聞くだけで一時間が過ぎた事もあった。先生から源氏物語等の古典もならったが、それよりも、漢詩、歴史書について非常に詳しく、特に蘇しょく(漢字が出てこない)や屈源の詩についてゆっくり教えていただいた。孔子、老荘等の思想はお嫌いのようだった。
 『十八史略』(じゅうはっしりゃく)は元の曾先之によってまとめられた歴史書で、三皇五帝の伝説時代から南宋滅亡までの歴史を編年体で記述されている。
 特に圧巻は、南宋滅亡の部分であり、記述も非常に詳しく、王朝滅亡の運命に翻弄される皇族や重臣等の姿が生き生きと描かれている。南宋は、元に追われて最後は、広州湾の崖山の戦い(1279年)で滅亡する。この戦いは、海戦であり、最後の皇帝、衛王を始め、宰相、女官、王子達全てが入水し、海の底に消えた。陸秀夫は幼い帝に「大学」の講義を船内でしていたが、いよいよ最後の時には、皇帝を抱いて入水した。
 平家物語の壇ノ浦の戦いを彷彿され、恐らくは、この戦いが行われた13世紀末の時代は、平家物語が徐々に現在の形を整えていく時期にも当たり、南宋滅亡の記述も参考にされているのではないかと考える。
 十八史略全体の印象としては、中国の数多くの王朝の興亡が描かれており、先の王朝を追う立場のものが、今度は追われる立場になるという悲惨さ。
 滅亡のきっかけになるのは、帝王が暴君であったり、奢侈・好色に過ぎたりする様な事はあるが、結局は、人間関係である。
 王族、宰相との関係があたかも同族経営の中小企業の社長、専務、常務、そして、番頭さんと言った様に描かれている。
 どの王朝でも番頭さんの役割が大切だが、非常に優れて正しい考えを示しても、策略を見抜けなかったり、人望が得られなかった事等が積み重なって、王朝の家族的な人間関係が崩壊を迎えた時が、王朝の危機になる訳だ。
 この様な人間関係が主体の記述なので、史実にそぐわない点もあり、厳密には歴史書とは言えないのではないだろうか。伝説の王朝の時代から秦漢帝国、三国時代などの記述の詳細さは、例えば、日本の古事記や日本書紀では、古い時代程、情報量が少なくなるが、十八史略の場合は、宋時代以降を除いて均質である。つまり、思想や人間関係にウエイトを置いており、史実を重視していない。
 宋以降は、作者曾先之がモンゴル王朝に支配された漢民族の立場から、漢民族王朝正当さを描こうとする意図からか、生々しい時代の記憶と共に詳細な描写、登場人物の顔が見える。
 やはり、この本の白眉は、金と宋の戦闘や元と戦いに敗れた南宋の滅亡の部分と言う事になるか。まぁ、読み応えのある本ではある。

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